コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: 白銀の小鳥Form of the love【短編集】 ( No.135 )
日時: 2015/06/28 12:07
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: MGNiK3vE)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel1/index.cgi?mode

《本編》
Episode18 図書館の微睡みに誘われて

まあ、いらっしゃいませ。
お久しぶりですね。

ええ、外が暑くて大変だったでしょう。
冷やした紅茶を用意しました。
すっかり虫達の鳴き声も大きくなりましたね。

では、本日の物語を読みましょうか。

本日の話は、微睡みのお話。
何かが始まるかもしれないし、始まらないかもしれない。
そんな予感の物語。

「図書館の微睡みに誘われて」
それでは始まり、始まり。

〔character〕
僕 (君)

彼女 (月)

    ——‥*※*‥——
 
 僕が図書館へ行くと、彼女はいつもそこにいる。
 声をかけて席に付けば、彼女は顔も上げないまま挨拶をしてくる。

 窓辺の日の当たりのいい席で、細かな活字を目で追いながら。長い黒髪をひやりとした冷房の風に遊ばせて、眠そうな目をさらに細めて。

 小さな町の寂れた図書館。
 ここに毎日のようにいるのは僕と彼女、それから近所のお年寄りくらい。
だから僕と彼女は、いつのまにか顔見知りになっていた。

 だけれど僕は、彼女の名前を知らない。きっと彼女も、僕の名前を知らない。

 話すことはない、けれど挨拶はする。
それは遠くもなく、近くもない間柄。
不思議な距離が、僕達の間にあった。

 それはまるで、春の微睡みのように淡い距離だった。

    ——‥*※*‥——

 照りつく太陽、そこから零れ落ちる光。
その光は冷たい雫のように輝いていているのに、空気はじっとりと蒸し暑い。

 茹だるような暑さの中、額に汗を浮かべつつ通い慣れた道を進む。陽炎でも見えてきそうな暑さ。
このまま溶けるのではないかと、割と本気で考えた。
 
 坂道を一気に上って、見えてきたコンクリートの寂れた建物に、僕は思わず息をつく。
 汗を拭いながらに大きなドアを押し開けると、冷房によって冷やされた空気が肌を冷やした。

 何百冊、何千冊という数えきれないほどの本の匂い。
人が疎らなここは、ただ本の多さとその匂いで満たされている。

 そんな図書館の一角。
 読書スペースの一番端、勉強スペースも兼ねているのか区切られた部屋。
日の当たりがいいから本棚はないけれど、ここでも自由に本を読める。

 その部屋の窓辺に、やっぱり彼女がいた。
流れるクセのない黒髪に、本を熱心に追う黒曜の瞳。
ページをめくる白い指、進んでいく白い本。

 彼女は白と黒が眩しい、綺麗な女の子だ。

「おはよう、今日も早いね」

 いつもと同じ言葉、いつもと同じ動作。
そんな僕の言葉に、彼女も同じように目を細める。
細かい活字を目で追いながら、僕の顔を確かめることなく言葉を紡ぐ。

「おはよう……君も、早いね」

 綺麗な澄んだ声は、どこか空白だ。
彼女はいつだって本に夢中で、僕はそれを眺めつつ問題集を開いた。

 何だかんだ大学受験を控えた身としては、この空間はありがたい。静かな空間、彼女が本をめくることで生まれる適度な音。

だけれど、彼女も同い年のはずなのに、本当に勉強は大丈夫なのだろうか。
 いつだって本を読む様子に焦りはない。
もしかして受験をしないのかと思うけれど、見たことのある彼女の制服は近くの進学校のものだ。

不思議な存在。それが僕から見た姿だった。

    ——‥*※*‥——

 そのまま勉強に没頭していると、不意に肩を叩かれる。
驚いて思わず肩を震わせると、相手もびっくりしたらしい。少しだけ後退る気配がした。
 誰かと思って振り返って、更に驚いた。
だってそこにいたのは、普段なら話さない彼女だったから。

 普段ならお互いに合わせることもない、彼女の黒曜のように濡れた瞳が、僕を映している。
いつもは眠たげな目だって、今は戸惑い気味に眉が下がっていた。

「あ……今日は短縮時間で、もう閉館だよ」

 その澄んだ声に、空白は見つからない。
いつもの本に夢中の上の空ではない。それは紛れもなく、僕へ向けた意志のある言葉だった。

 そういえば、と彼女の言葉で思い出す。今日は短縮時間だから早く閉まるのだったっけ。

「教えてくれてありがとう……ええと、いつもここにいる子だよね」

 彼女のことをどう呼べばいいのか分からなくて、変な言葉になってしまう。
いつもここにいる人なんて、僕と彼女くらいなのに。

 彼女もそれが可笑しかったらしく、くすりと笑った。
笑った顔は見たことがなかったけれど、やっぱり綺麗だ。

「私のことは月って呼んで。ニックネームだから」

 月。
 彼女のニックネームだというその言葉を、声に出さないで舌で転がした。
柔らかな響き。彼女にぴったりだと、漠然と思った。

「じゃあ、僕のことは……どうしよう」

 彼女だけが名乗るのはおかしいと思ったけれど、僕には別にニックネームはない。
思い浮かばずに言葉を詰まらせると、彼女は吹き出した。

「ふ、ふふ……っ、面白い人だね、君は」

 しばらく笑い続けられると、僕は恥ずかしくなってきた。
それを感じ取ったのか、彼女は笑うのを止めてこちらを見る。
その真剣な瞳に、思わず吸い込まれそうだ。

「じゃあ君のことは、君って呼ぶよ。私だって、本名とは全く違うニックネームだしね」

 彼女はそう言い残すと、軽やかにかけて行く。
通り過ぎた彼女からは、女の子らしい柔らかな匂いがした。

 駆けていく彼女の背中を見ながら、耳に残っている言葉を呟いてみる。
すれ違いざまに聞こえた言葉。
多分それは、聞き間違いではないと思う。

「……また明日、ね」

 彼女が見えなくなると、図書館の門を出た。
すっかり日が沈むのが早くなった空は、絵の具を垂らしたような紺色。
初冬の澄んだ空気に、星が鮮やかに浮かんでいる。
 
空にはちょうど綺麗な三日月。彼女に似合う夜だと思った。

 帰り道をたどりながら、彼女とのやりとりを思い出す。
いつもとは違う、今日はなんだか特別な日。自然と足取りも軽くなった。

 今日は少しだけ奮発して、美味しいものでも食べようか。
それとも、少しだけテレビでも見ようか。

 明日の図書館が楽しみだった。
明日の朝、僕と彼女はどんな言葉を交わすのだろう。

 彼女の名前は、まだ知らなくていいかな。
いつかきっと、知る時が来ると思いたいから。

 それはいつもとは少しだけ違う日。
これから何かが始まるような——そんな特別な予感と共に。

三日月の綺麗な冬の夜は、ゆっくりと朝へと近付いていった。

    ——‥*※*‥——

「運命の中に偶然はない。

人間はある運命に出会う以前に、

自分がそれを作っているのだ。」

それは多分、偶然ではないお話。

話さないし、名前も知らない。
けれど挨拶もするし、お互いを知っている。

そんな不思議な距離感で、何かが変わるかもしれない。
きっと、変わり始める。

図書館は、不思議な雰囲気があります。
何年もの間、人に読まれ続けてきた本たち。
それが今、自分の手の上にあると思うと私はたまらなく嬉しくなります。

あなたは、そんな一冊に出会ったことはあるでしょうか?

それでは、今回はここまで。
また次回、お会いしましょう。

《引用:ウッドロウ・ウィルソン》