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Re: 白銀の小鳥Form of the love【短編集】 ( No.151 )
日時: 2016/01/18 07:31
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: KJrPtGNF)


《本編》
Episode20 白い時の彼方

あらあら、お久しぶりですね。
もう季節は冬も本番ですよ。

あら、ここは秋も綺麗か、ですか?
もちろんですよ。ここはいつだって、美しいのですから。

久々の再会は、ミルクティーでどうでしょう?
冷めないうちにどうぞ。

では、本日の物語を読みましょうか。

本日の物語は、薄れていく記憶。

私達は、生物は死へと歩いて行きます。
立ち止まっているようでも、それは近づくのです。

その中で、私達は少しずつ、記憶をなくしていきます。
幼い頃に見たもの、触れたもの、感じたもの。
きっと誰しもが、全てを思い出すことはできないでしょう。

そんな時の流れの中で、人は何を呟くのでしょうか。

「白い時の彼方」
それでは始まり、始まり。

〔character〕
彼/××(名前不明)

琥珀 コハク

     ——‥*※*‥——

もう何十年、何百年、何千年の時の彼方

置いてきたはずの思い出が囁く

あなたが、こんなにも恋しい—————

     ——‥*※*‥——

「なあ、——」

自分を呼ぶその声に、唐突に涙が出そうになる。
彼は困ったように笑ってから、私の腕を引く。

そう、彼はそんな人だった。
だけれど、名前が聞こえない。彼が私を呼ぶ声が聞こえない。

遠い記憶の中に、私は自分の名前さえ置いてきてしまった。
我ながら呆れてしまう。彼が不思議な顔をする。

「どうした、——」

「ううん、何でもないの」

噛み締めるような会話の中で、私はひたすら彼を追いかける。
嗚呼。もっと名前を呼んでほしい。
彼の声で、たとえこれが夢だとしても。

私が遠くに置いてきた、私だけの名前を。
あなただけが呼ぶ、私の名前を。

     ——‥*※*‥——

私が私を、私と知ったのは、彼と出会った日。


「名前は?」

唐突に投げられた問いかけ。
それが第一声。
見上げれば男。多分、ふもとの村人。

「名前って、なんの?」

「お前自身の名前だよ」

変なことを聞く奴だと思う。
変なものを求める奴だとも思う。

「そんなもの、必要ないでしょう」

若干の憐れみと同情の混ざった瞳。とても綺麗な色。
私はこの瞳が嫌いだ。

「じゃあ俺がお前に、名を授けよう」

長い袖をした彼の衣服が土をなぞる。
そんな汚れそうな服を、なぜ着るのだろうか。

「……聞いているか?」

「聞いてるわ。でも結構。私は私だもの」

名前など不要。だって、誰とも関わらないから。
そう言えば、彼は困ったように頭をかく。

「俺が必要なんだよ。お前の事を呼べない」

「変な人ね。いきなり現れたかと思えば」

この男、急に私の住処の山奥に姿を表すと、警戒するでなく話し始めたのだ。
ここは私のとっておきの場所なのに。

「別にいいだろ。それより、名前は」

「しつこい人。いらないって言ってるでしょ」

名前がなくても生きていけるのに、なぜ必要なのか分からない。
そもそもなぜこの男が、名前を求めるのかも。
私はずっとここにいるだけなのに。

「じゃあ俺が勝手に呼ぼう」

自分勝手なところのある彼。
最初はひたすら、反発しか覚えなかった。

「——————琥珀、でどうだ?」



私は彼が嫌いだった。第一印象からして苦手だった。
だけど、そう。彼がくれた名前が、本当は嬉しかった。


「こ、はく」

初めて手にした、自分だけを表す言葉。
ポツリと呟いて、何故か微笑みがあふれる。




「不老不死って、知っている?」

「あの噂のことか?人魚の肉を食べるとなるっていう」

彼は私に思っても見ない情報をくれる。
それは私が世間を知らなさすぎるから。

人魚の肉を食べると、不老不死になるという。
なら私は霞んだ記憶の昔に、人魚を食らったのだろうか?
なんだか、嫌な話。

「不老不死がいると思うのか?」

「さあ?そんなの分からない。どこかにいるかもしれないじゃない」

私のことよ、と心で呟く。
そう呟いてから、たまに思う。果たして私は、本当に不死なのかと。

もしかしたら単に寿命が長すぎるだけかもしれない。
そう考えたくなったのは、彼と居るせい?
少しでも人間だと認めたかったせい?

「不老不死……それはとても寂しそうだ」

寂しい。
何故か引っかかるその言葉。
彼の言葉に首を傾げる。そんな私に彼は首を傾げる。

ああ、そうだ。
寂しいんじゃない。寂しさなんて、元からなくて。

———苦しい。

生きてることが苦しくなってくるの。
それでも死なないから、死ねないから、生きる。
そんな、呆れる話。




「お前の姿はちっとも変わらないな」

「あなたが早く変わってしまうだけよ」

出会った頃から成長した彼。変わらない私の姿。
今までの当たり前が、今は寂しい。

……今度は寂しいのね、私。
それでも今は、生きるのが苦しくない。
それは彼がいるから?それとも、————。

ああ、私とあなたは、違う。
時の流れも、心の中も。




「琥珀」

柳の木の下で、自分の名前を呟く。
彼の声ではなく、私の声で。

「琥珀」

それは私。私だけの、言葉。

柳の木の下から、麓を見下ろす。
変わらない景色。変わらない空気。変わらない私。

変わったのは、たったひとつだけ。
ひとつだけなのに、こんなに変わったように感じる。
それは多分、変わったひとつが、あまりにも大きいから。

「琥珀」

真っ白な吐息と共に、言葉が解ける。
なぜかは分からないけれど、自分の名前を呟くのはこれで最後にしようと思った。

私の名前をつけたのは彼で。
いつだって呼ぶのは彼しかいなくて。
それはわたしの声じゃなくて、彼の声で。

だから多分、私の名前だけれど、彼のものだ。

彼はもういないから、だから。
だからこの名前を呼ぶことは、もうないんだ。
そう、思う。


涙があふれる。それは初めてのことで。
彼と出会ってから、そんなことがたくさんある。

こんなに悲しいのも、苦しいのも、寂しいのも。
全部全部、初めてだ。


次の日、空からは大粒の雨が降った。


そういえば、私は彼の名前を知らなかった。
最期に聞いてみたかったなと、そんな後悔の音。



私はまた、一人になった。


それから、ずっと。

     ——‥*※*‥——

Re: 白銀の小鳥Form of the love【短編集】 ( No.152 )
日時: 2016/01/18 07:34
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: KJrPtGNF)


     ——‥*※*‥——

長い永い、途方もなく続く時間の彼方。

もうあなたの温もりも、声も、瞳の色も思い出せない。
愛したはずの、愛しているはずの、その笑顔さえ霞んでいく。

夢の中でしか会えない。
夢の中でしか思い出せない。

こぼれ落ちていく記憶の中、あなたにもらった言葉でさえも———こんなにも、遠い。


言葉にすることの無くなった名前もまた、忘れてしまった。


かすれて、消えて。
いつしかあなたがいたこと、それすら忘れてしまいそうで、どうしようもなく怖い。

このまま、世界を感じなくなればいいのに。

私の体は進まない。永遠かもしれない永い長い時を、止まったままで生きている。
最早私は、生きているのかさえ疑わしい。

それなのに、私の心は進む。
永い長い時を、出会い、別れ、忘れながら。
途方もないほどの時を、私の心は歩んでいる。

どうか、私の体よ。
永遠に進まないというのなら、このまま朽ちてほしい。
どうか、私の心よ。
永遠に止まらないというのなら、ここで記憶を止めてほしい。

体が止まっても、心が進んでも。
あなたにはどうしたって会えやしない。

だからどうか、私よ。
このまま息絶えて。

あなたの元へ行きたい。
それはきっと永遠に絶えない、たった一つの望み。

あなたと同じ場所へ行きたい。
この空の上、彼方の彼方。

———そのすべてを、思い出せなくなる前に。

     ——‥*※*‥——

「あらゆる生あるものの

目指すところは死である。」

人生は有限であるからこそ美しい。

私は、そう思うのです。
限りがあるということは、辛いことだと思う人も在るでしょう。
けれども、だからこそ世界は素晴らしい。

今ここで、あなたが感じる一瞬。
世界の美しさ、醜さ、悲しさ、寂しさ、尊さ。

その一瞬の欠片たちは、限られた人生で再び見られるとは限らないのですから。
だからこそ、一瞬が尊く、素晴らしく。

途方もない時を生きる彼女。
けれど彼女の人生もまた、有限なのかもしれません。

いつしか終わりが来るのなら、それは有限なのです。

記憶は薄れていきます。
それでもぼんやりと心に残る思い出は、きっとその人の糧となるのでしょう。
いつしか、その全てを忘れてしまったとしても。

それでは、今回はここまで。
また次回、お会いしましょう。

《引用:ジークムント・フロイト》