コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: _ほしふるまち 【短編集】 ( No.63 )
- 日時: 2015/03/27 10:08
- 名前: 村雨 ◆nRqo9c/.Kg (ID: SiiKM6TV)
【 じめじめ 】1/2
気になる人がいる。私の隣の席で黙々と鉛筆を走らせている男子、如月崇雄(きさらぎ たかお)だ。
高校三年になってから早三ヶ月、古典や数学の先生の口から「受験」という単語が出てくる回数が増えた。そしてその度に私は、何か漠然とした不安感に包まれるのである。その一方で、美術の授業は気が楽だ。ただ鉛筆をせっせと動かしていればいいのだから。
今の課題は黒鉛筆一本でA3用紙に「身近な生き物」を描くこと。うちで飼っているアメリカンショートヘアを描いているのだが、どうも上手くいかない。先週も絵を見た友人に「何それ、寅?」と言われたばかりである。デッサンの才能がないのはいささか残念だけれど、私はこの時間が嫌いではない。
手が疲れたので一度机に鉛筆を置いた。
私の席は一番窓際の列の、前から四番目だ。左を見ると、土を蹴り上げるごとに泥が飛び跳ねるグラウンドで嫌々ながらも持久走をやらされている隣のクラスの人たちを見物することが出来た。さっきの授業までしとしとと降り続いていた雨は、いつのまにか上がっていたようだ。
そして私の右には、相変わらず静かに鉛筆を動かしている如月がいる。
彼はクラスの中で特異な存在だ、と私は勝手に思っている。
如月は特定の仲良しグループというものに属していない。休み時間はスマホをいじり、いつも真面目に授業を受け、昼休みになると一人で教室を出て行く。だからといって人見知りというわけではなさそうだ。私は彼がクラスの中心にいる明るい男子たちと楽しそうに騒いでいるところを何度か見たことがあるし、クラス一大人しい女子と仲良く喋っているところも見たことがある。
他に私が如月について知っていることと言えば、彼が生物部員ということくらいだ。このことは四月の自己紹介で彼が言っていた。どうやら一つ上の先輩たちが卒業してしまった今、部員は如月一人らしい。そんな状態で部活として成立していること自体が不思議だった。
作業に戻ろうと思った。アメリカンショートヘアの耳の部分を修正しようと思い、ペンケースから消しゴムを手に取る、つもりだった。────消しゴムは私の手から軽やかに滑り落ち、床をころころと転がっていく。そして如月の足元で、止まった。
「あ」
「ごめん、それ取ってくれない?」
私は消しゴムを指差して言う。
如月はまっすぐに私を見つめた後、HBの鉛筆を机において消しゴムを拾ってくれた。
「はい」
「ありがと。ごめんねー、わざわざ」
私は笑顔を作った。
そういえば、如月と話したのは初めてだ。正面からまじまじと顔を見たのも初めてだ。彼の表情は人を寄せ付けない雰囲気を纏っていなかった。でもかといって親しみも感じられない。私はあまりこういう類の人に出会ったことがない。
如月の画用紙には、細長い物体が三つ描かれている。それぞれに目らしきものが近接して二つずつ付いていて、頭と思しき部分は少し太くなっている。それは海で泳ぐカレイにしては細すぎるような気がしたし、地面を這う芋虫にしては目の位置が奇妙だった。……何じゃこりゃ。テーマは「身近な生き物」だよね? でも机の端に置かれた見本である写真には、画用紙に描かれている謎の物体とよく似た生物が写っていた。立体感や影の付け方を見る限り、少なくとも私よりは絵のセンスがありそうだ。
視線を感じたためか、不意に如月がこちらに顔を向けた。一瞬びっくりしたが、このまま視線を逸らすとかえって不自然な気がするので話を振ってみる。
「何描いてるの?」
彼は一旦自分の絵に視線を落とし、数秒間沈黙した後に口を開いた。
「プラナリア」
「ぷ、ぷならりあ?」
「違う、プラナリア」
如月はさっきよりもゆっくりと発音する。そして再びHBの鉛筆を手に取った。
「生物部で飼育してるんだ」
*
塾の先生によると、どうやらセンター試験まであと二百日と十日らしい。そんなこと言われても全然ぴんとこないよねー! と隣で笑っていた友人のテキストには、びっしりと細かい書き込みがなされていた。
私だって、そんなの聞いたって実感もへったくれもない。焦燥感も余裕な気持ちも沸いてこない。二百日と十日後、自分が時間に追われながらマークシートをせっせと塗りつぶしている光景を、私は何故だか上手く想像出来ずにいる。
- Re: _ほしふるまち 【短編集】 ( No.64 )
- 日時: 2015/03/27 15:47
- 名前: 村雨 ◆nRqo9c/.Kg (ID: SiiKM6TV)
2/2
*
生物の問題集の課題提出を放ったらかしにしていたのは、クラスで私ただ一人だったようだ。いつもは数名の未提出者がいるものだけれど。皆が受験モードに切り替わっている中、私だけが取り残されているみたいで心にわだかまりを感じた。
幸いにも生物担当の先生は菩薩のように優しい人で、今日の午後六時までに提出すれば皆と同じ扱いにしてくれるという。
先生は職員室か生物教室にいるはずだ。職員室のほうが先生のいる確率は高いような気がした。でも生物教室に行けば生物部員である如月に会えるかもしれないという期待が頭をかすめ、私の足は生物教室へと向かっていた。まず生物教室に行って、もし先生がいなかったら職員室に行くことにしよう。
私は生物教室の扉を開けた。
先生の姿は見当たらなかったが、そこには案の定如月がいた。
「如月」
「あ、春沢」
如月が顔を上げる。彼に名前を呼ばれたのは初めてだった。自分の名前が認知されていることが確認できて、少し安堵する。
生物教室には横長の机が十個ほど並んでいて、彼は一番扉に近い席にぽつりと一人で座っていた。机の上には水槽が置いてある。
「大竹先生見なかった?」
私は生物担当の先生の名前を出して言う。
「さっき用事があるって言って出て行ったよ。しばらくしたら帰ってくると思うけど」
私は水槽に視線を移した。水が張られたその中には、美術の時間に彼が描いていた芋虫みたいな物体に、よく似た生物が十何匹か泳いでいる。これは、話しかける絶好の機会かもしれない。私の気分は高まった。
「あ、それ。美術の時間に描いてたやつだよね?」
「うん」
「ぷらなりあ」
私は、今度は正確に発音した。
実際に見るプラナリアは親指の爪くらいの大きさに淡い茶色をしていて、薄っぺらかった。呑気に水槽の中をすいすいと泳いでいる。そんなプラナリアたちは勿論、受験の苦しみなんて知らないのだ。ただ泳いでいれば良いだけだなんて、少し羨ましくなる。入れ替わりたいとまでは思わないけれど。
「ノートの提出?」
如月が私の持っていた生物のノートを見て言う。
「そう! 今回未提出なのって私だけなんだよねー。皆、急に真面目になっちゃったみたい」
私は扉近くの壁にもたれて言う。吐き出した言葉は弱弱しく、すぐに空中に消えてしまった。
「ああ、確かに」
如月が笑顔を見せた。彼と話していて初めてのことだった。それはまるで十年来の親友に見せるような親しみある柔和な表情だったので、私は不思議に思った。人を遠ざけているのかと思えば、全てを受け入れるかのようなオープンな雰囲気を醸し出す。少なくとも、今の私はそんな如月の雰囲気が心地よかった。
「そもそも受験って言われたってさあ、何か実感湧かないんだよね。別に将来何をしたいか決まってるわけでもないのに、とりあえず小難しい勉強しなさい、なんて理不尽だよ」
私は独り言のように言った。
如月の表情を窺う。彼は驚いた素振りも呆れた様子も表に出さず、笑顔のままだ。
「そうだね。一理あるかもしれない」
良心的な教師か真面目な友人であれば、きっと私のぼやきに対してもっともらしい説教をしてくれるのだろうが、そんなことをしない如月が今は良い人に見える。自分の言ったことが滅茶苦茶な理屈であるのは分かっている。そんなことをぼやいたところで現状は何も変わらないということも。でも、つい言葉にせずにいられなかったのだ。
「俺だって、まだ将来何をしたいか決まってるわけじゃないし」
その言葉に安堵した。如月も私と同じように考えている部分があるのだと。
「如月の夢は生物学者なんじゃないの?」
そう訊くと、彼は声を出して笑った。
「確かに生物は好きだよ。だから生物部に入ったわけだし……でもそれを専門にして将来やっていける自信はない」
そうして如月は椅子から立ち上がった。
日焼けはしておらず羨ましいくらい色白だけど、身長は高く肩幅も広くて貧弱には見えない。弱みを話しているのに脆弱に思えないのは、親しくもないクラスメイト相手にあっさりとそういう真面目な話を出来る彼のマイペースさ故だろうか。
彼の悩みに対して的確なアドバイスを出来るだけの知識と弁舌力を持っていない私は、彼がそうしたようにやんわりと相槌を打った。
それから私たちはしばらく他愛ない会話を続けた。私は主に受験勉強の虚しさを嘆き、如月は自分の進路についての不安を話す。そしてお互いの告白に対して何ら助言をするでもなく、ただ静かに聞き入れた。それは先生が生物教室に戻ってくるまでの間続いた。
私は一体何をしているのか。親しくもないクラスメイトに向かって────いや、大して親しくないからこそ、この会話は淀みなく成立しているのだ。
*
三日経った放課後、私は生物教室へと向かっていた。
今日はノートの提出はない。生物教室に忘れ物をしたわけでもない。ただ如月と二人で話したいからだ。同じクラスなのにわざわざ放課後の生物教室で話すなんて変だな、とは思うけど。
そういえば今日のホームルームで、五月の模試の結果が返ってきた。成績表の上では、自分の志望校への合格可能性がAからEまでのランクで判定される。周りの友人の一人は「うわ、うちD判定なんだけど」と言って騒ぎ、近くにいたうちの一人が「Dは大丈夫のDだよ!」と言って励ましている。
それならEはどうなるのだろう。ええじゃないかのE、えいもうどうにでもなれ! のE…………どれもいまいちだ。何か他に良い案がないものか、如月に訊いてみよう。
扉についている硝子越しに生物教室の中を窺うと、如月はこの前と同じ席で一冊の本を読んでいるのが目に入った。今日は水槽は見当たらない。本の中身を覗いてみると、英語の参考書のようだった。彼は放課後にひっそりと勉強をしていたのだ。
────急に胃の奥が嫌な感覚になった。
この前は如月と私に似ているところがあるのかもしれないと思って嬉しくなったのに。彼の今の姿は、塾のテキストに大量の書き込みをしている友人を連想させた。鬱屈した気分が頭の中を占領していくようだった。皆が良識ある大人で、私だけが現実の見えていないクソガキなのだろうか。
この三日間、雨は一滴も降っていない。もう梅雨明けらしかった。
廊下側の窓から、完全に乾ききったグラウンドとその上をランニングする陸上部員が見えた。陸上部の三年生は、五月の総体が終わると引退することになっている。だから今グラウンドで汗を流しているのは一年生と二年生だけだ。大会に出られなくても、補欠の補欠でもいいからあの中に戻りたいと思った。でも最早そんなことを言っても遅いのだ。
太陽がさんさんと照りつける。長い夏が始まろうとしていた。
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受験ネタを書いてみたかったのです(
全体的に糖度は低めでしたね;
あと題名はしっくりくるのが中々思いつかなかったです……
何か良い案を思いついた方がいたら教えて貰いたいです←