コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 雪解けトリュフ【前編】 ( No.162 )
- 日時: 2016/02/27 21:11
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
吹きすさぶ北風、身も心も凍らしてしまうような寒空の下、とある学校の校門前に少女はひとりで立っていた。厚く覆われた雲から今にも雪が降るのではないか? と、思わせるくらいに今日の気温は低い。
「……寒い」
そう言って、言葉と一緒に出た少女の吐く息は白い。かじかんだ手を温めるように両手に吹きかけた吐息は、白く染まり空へと上がっていく。一体、何時間くらいそうしていたのだろうか? 少女は手の感覚が鈍くなっているのが分かった。
少女は、鞄から出した温かいお茶で暖を取ろうとするが、数時間前に自動販売機で購入したお茶は既にぬるくなっていた。ペットボトルのキャップを回して開けると、一口だけ胃の中に流し込む。寒さは変わらないが、乾いていた喉は潤った。
「……まだ来ない、ね」
誰に言った訳でもないその言葉は、虚しく響く。
少女の肩まで伸びた綺麗な黒髪が、刺すような北風にたなびいた。制服の上に羽織った黒のダッフルコートの袖に腕を縮めて手をしまい、水色のマフラーを少し上げ、顔の半分を隠して寒さを誤魔化す。気休め程度ではあるが、しないよりはマシといったところであろうか。
「それでさー、今日は参ったよ」
「マジか、お前も大変だな」
校舎から談笑しながら校門に向かって歩いてくる2人の青年。
その姿を確認した途端、少女の背筋がピンと伸びる。それはまるで驚いた猫のようで、髪の毛が一瞬だけ逆立ったようにも見えた。
少女はすぐさま居住まいを正すと、深呼吸をする。そのままゆっくりと1人の青年に視線を向けた。これから戦地にでも向かうような、そんな決意を秘めた瞳で。
「あのっ!」
「……うん?」
飛び出した瞬間、少女は少し上擦った声で問い掛ける。
いきなり声を掛けられた青年は少し怪訝な顔で少女を見た。徐々に上昇していく体温と、ドクドクと早鐘を打つような鼓動。先程まであれだけ寒かったはずなのに、既に身体は汗が出る程に温かくなっていた。少女は鞄の中に手を入れて、小箱を掴む。
「私、ずっと前から——」
「お〜い! 修一〜!」
そこまで言いかけたところで、少女の後ろから快活な声が掛かった。
緊張していた少女とは違う、臆する様子もなく弾けるような笑顔、まるで動物のシッポのようなポニーテールを右へ左へ揺らして、少女が声を掛けた青年の傍まで駆け寄る。
「なんだよ、佳織」
「今日バレンタインでしょ? はい、これ」
修一と呼ばれた青年から問い掛けられると、佳織と呼ばれたポニーテールの少女はそう答える。そして、持っていた綺麗に包装された包みを修一と呼ばれる青年に渡した。
「おっ、マジで? サンキュ!」
「えへへ〜、どう致しまして。お返し、期待してるからね?」
修一は嬉しそうに包装された袋を開けると、中から綺麗なチョコレートが見えてきた。
こげ茶色のチョコレート生地の上に、雪が積もったかのような粉糖。ガトーショコラ、フランス語でチョコレートのお菓子という意味を持つ。
綺麗にカットされて小分けにされたケーキを、修一はその場で嬉しそうにかぶり付いた。
「おぉ、マジうめぇじゃん!」
「へっへ〜、でしょう? 感謝したまえ」
「修一、俺にも食わせろ!」
「誰がやるかっ!」
一口食べると修一の頬が緩み、感嘆の声を漏らす。それを見て、佳織は自慢げに鼻を鳴らす。隣で見ていた修一の友人は、羨ましそうにしてケーキを強奪しようとするが、修一にブロックされてしまった。
そんな様子を見ていた少女は、距離的には近いはずなのに、どこか遠くの出来事を画面越しに見ているような感覚に陥っていた。触れたくても触れられない、そんなどうしようもない壁に阻まれたような感覚。
「あれ? 宮沢さん、そんな所でどうしたの?」
立ち尽くしていた少女の存在に気付き、佳織が声を掛けた。
少女は内心で少し焦りながらも、笑顔を浮かべる。つい数分前まで修一と呼ばれる青年に、チョコを渡そうと意気込んでいた心は既に萎えてしまい、タイミングも完全にはずしてしまった。
この雰囲気で渡せる程、少女の心は強くはない。それに、渡せない理由は他にもあった。後ろ手に持っていた小箱をギュっと強く握りしめて、少女は口を開く。
「う、ううん、何でもないの」
そう一言だけ言うと、踵を返してゆっくりと歩き出した。
背中から聞こえてくる、楽しそうな笑い声。焦燥感、喪失感、虚無感、様々な感情が混ざり合って少女の心に重くのしかかる。
「……私、何しにきたんだろう」
そうポツリと呟くが、その呟きは冷たい北風がかき消してくのだった。
(続く)
- 雪解けトリュフ【後編】 ( No.163 )
- 日時: 2016/02/27 21:41
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
空が雲間から零れた赤と、藍色の狭間で揺れる。
曖昧な時間。夕方でもなく夜でもない。けれど、陽が傾くにつれ気温だけは下がっていく。そんな中、少女は小箱を握りしめて立っていた。
「……これ、どうしよう」
平日の公園、今日の寒さと時間も時間だからか、子供達のざわめきすら聞こえてこない。
さっきまで一瞬、顔を覗かせていた太陽は、再び厚い雲に覆われる。
そうして空は色を失い、曇天へと変わった。それと同時に凍てつくような寒さが少女を襲い、その身を震わせる。視線の先は小箱。少女はその小箱を開けると、中身を確認する。
「出来、悪いね」
溜め息混じりにそう言うと、小箱に入っていたチョコレートを摘まんで口の中へ。少しビターな味わいが口の中に広がり、先程の光景がフラッシュバックした。
佳織のチョコレートは綺麗に包装され、形も申し分のない。味も確かなようだった。それに比べて、少女のチョコは形が歪、味もお世辞にも美味しいと言えるほどの物ではない。その事実に、少女は落胆する。
「勇気無いな、私。あと少し、本当にあと一歩でいいのに……」
少女の小豆色の瞳から一筋の涙が頬を伝う。
零れ落ちた涙はチョコへ。涙が落ちた部分だけチョコは濃い黒へと変わる。
渡せなかったチョコレート、不器用ながらも一生懸命に作った。けれど、あと一歩の勇気が足りなかった。好きな相手に好きと伝える事は、簡単なようで、なんて難しい事なのだろうか。
少女は涙を手の平で涙を拭うと、公園に備え付けられていたゴミ箱にチョコが入っていた小箱をそっと置いた。
「…………」
少女は自らが置いた小箱を少しだけ見つめて、目を閉じる。
そして、ゆっくりとその場を離れようした。その時——
「おーい! 宮沢ーー!」
はつらつとした声音が背中から掛かる。少女が振り向くと、駆け寄ってくるひとりの青年。紺のジャケットの下に、白のシャツ、学校指定の制服に身を包んで、息を切らせていた。
「……何だ、高坂か」
青年が傍までやってくると、少女は一瞥してから興味が無さそうにそう言う。
「それはないだろー。せっかく走ってきたってのに」
「別に頼んでないしね。それで、そんなに急いで私に何か用なの?」
高坂と呼ばれた青年は、少女とは幼い頃からの知り合いで家も隣同士、通う学校も同じ、必然的に距離感も近い異性の1人だった。
少女の怪訝な顔を意に介さず、青年は「待ってました」とばかりに、爽やかな笑顔を浮かべた。
「ほら、今日ってバレンタインじゃん? 俺さ、まだ1つもチョコ貰ってないんだよね」
「……それで?」
「だから、誰か俺にくれないかなーって思ってるんだけどさ」
青年は、どこか期待を込めた視線を少女に送る。その視線に気付いた少女は深い溜め息を吐いた。
「何を期待してるのか知らないけど、高坂にあげるチョコなんてないから。そんなに欲しいなら自分で買えばいいじゃん。コンビニ近くにあるよ?」
「宮沢はバカだなぁ。男が自分でチョコ買ったって嬉しくもなんともないんだよ。やっぱり女子から貰わないとテンションが上がらないんだよ。そもそも——」
そう熱弁する青年とは対照的に、少女は冷めた表情で青年の話を聞く。と言っても、真剣に耳を傾けている訳ではない。右から左へと聞き流してる状態だ。
「はいはい、とにかく私に何か期待しても無駄だから。そんなに女子から欲しいなら、お母さんにでも頼んだらいいでしょ?」
「ちょ、お袋は女子にカウントされないに決まってるだろ! つーか、チョコくれよ! 宮沢、ギブミーチョコレート!」
「もう、しつこいなぁ。そんなに欲しいなら、さっき私が捨てたチョコあげるよ。そこのゴミ箱から拾ってくれば」
青年に食い下がられて、段々面倒になってきたのか、少女は先程自らが捨てたゴミ箱を指差す。その言葉を聞いて、青年の表情は熱が引いたかのように変わった。
「捨てたって、何かあったのかよ?」
青年は少し強張った声音で、そう問い掛ける。
「別に。作ったのはいいけど、賞味期限が切れてたチョコを使った事を思いだして捨てただけ。だから、変な勘繰りしないで」
「なんだそっか、宮沢もおっちょこちょいだな。普通、材料の賞味期限くらい確認しとくもんだぜ」
少女の答えを聞いて、青年は安堵したかのようにそう言った。少女は辟易して再び深い溜め息を吐いた。今日の溜め息はこれで何度目だろうか? 少し苛立った様子で、青年に湿った視線を送る。
「な、なんだよ? 睨むなよ。と、とにかく! 捨てた物なら俺が貰う! いいよな?」
「……勝手にすれば」
少女の視線に怯んだ青年はそう言うと、ゴミ箱へと向かった。
青年がゴミ箱の前に辿り着くと、一番上に英字柄でシックな色合いの小箱を見つけた。幸い、小箱の下のゴミは紙屑ばかり。さらに、チョコは小箱にも入っていたおかげで、汚れなどは一切ない。青年は小箱を開けて、中に入っていた歪な形のチョコレートを1つ手で摘まんだ。
「なぁ! これ、何ていう名前のチョコだ?」
既に帰ろうと背を向けて歩いていた少女に、青年は問いかける。少女は面倒そうに振り返ると、口元まで隠していたマフラーを下げた。その瞬間、首元に氷のように冷たい空気が流れ込む。
「……トリュフよ。全然上手に作れなかったけどね」
少女が呟くと同時に、曇天の空から氷の結晶が落ちてきた。——ふわり、と。空にかざした手で、その真っ白な結晶を無意識に掴んだ。少女の手の平の熱で、すぐさま結晶は無色透明な液体へと変わる。
「宮沢ーーーー! このトリフってチョコ、すっげぇ、うめーぞーー!」
チラチラと小雪が舞う中、いつの間にかチョコレートを食べていた青年が、弾けるような笑顔でそう叫ぶ。距離的にはそこまで離れている訳ではない。なのに、大袈裟なジェスチャーも交えて、とても嬉しそうに。そんな青年を見て、少女から自然と笑みが零れた。
「トリュフよ…………バカ」
青年に聞こえないくらいの声音でそう呟くと、踵を返して少女は歩き出す。
ついさっきまで悲嘆に暮れて、冷たくなっていた心に、少しだけ温かな鼓動を感じながら。
〜END〜