コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

クローゼットに魔物は居ない【1】 ( No.167 )
日時: 2016/11/29 22:26
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: WfwM2DpQ)

 傾いた日差しに当てられながら、少しだけ広いベランダの手すりに掴まり、いつだったか読み聞かせてもらった本の内容を少年は思い出していた。
 難しくて意味は理解できなかったけれど、その内容が怖いという事だけは覚えていた。暗闇が意味もなく怖くて、布団を被って眠れぬ夜を過ごした日もあった。
 不意にそんな事を思い出したのは、あの日の事が脳裏を掠めたからだろうか。その記憶はこびり付いた汚れのように拭い去る事はできない。

「…………」

 少年が目を閉じると、まるであの時にタイムスリップでもしたかのように意識が徐々に薄れていった。


 ***


 耳障りなエンジン音と砂埃を巻き散らかして、荒れ果てた道を一台の車が進んでいく。
 およそ人など住んでいないと思うくらいに、周囲には人工物は見当たらない。そのかわり、空を隠さんとばかりに鬱蒼と生い茂った背の高い木々に辺りは囲まれていた。
 車内で流れていく景色を眺めながら、これから行くという親戚の家に思いを馳せていた少年の名前は、望。

「まったくもう……何で私達がわざわざ出向かなくちゃいけないのよ。せっかくの休みに、こんな田舎に来なくちゃいけないなんて最低だわ」
「そう言うな。父さんの遺産の話がしたいって言うんだから」

 助手席に乗った神経質そうな女性は苛立ちを隠せずにそう吐き捨てる。
 それを聞いていた運転席の柔和な顔をした男性が、諭すように女性に言った。後部座席に座った望は、その様子を静観していた。両親のこうした些細な言い合いはいつもの事。
 下手に口を挟むより、放っておく方が早くに収拾する事を幼いながらに学習していた。

「冗談じゃないわ。遺産は均等に分けるって決まっていたのに、今になって全額寄付するなんて……」
「その話は昨日したろう? 遺書が見つかったらしいんだ。何でも父さんは、生前世話になっていた教会に寄付するって」

 望の父が渋い表情でそう言うと、望の母は目を吊り上げてさらに不機嫌になっていく。

「それよ、今更そんな物が出てくるなんて、きっと捏造したに違いないわ。そうして遺産を独り占めする気なのよ」

 手をシートに乱暴に叩きつけ、抑えきれない怒りをぶつける。運転をしていた望の父は横目でちらりと助手席を見ると、溜め息を吐いた。

「仕方ないだろう。俺だって怪しいとは思っている。けど、弟の言っている事が事実かもしれないだろう?」
「義隆はいつもそうね。そうやってお人好しを拗らせて、最後には全てを失うのよ」

 嘲笑が混じったような言葉。義隆と呼ばれた男性は、その言葉にさすがに頭にきたのかハンドルを握ったまま湿った視線を女性に送る、

「……どういう意味だよ?」
「さぁ、それくらい自分で考えたら?」

 険悪の空気の中、望は車内から流れる景色だけを見ていた。


 ***


「相変わらず、大きいだけでぼろい家ね」

 深い森の中にポツンと佇む古びた洋館。
 まるで豪邸のように大きいが、外壁には蔦が絡まっており、壁は所々朽ちている。廃墟だと言われれば、そう捉える事も出来なくはない。それくらい建物は風化が激しい。

「望、降りてきなさい」

 義隆に促され、望は小さな両手でドアを開けて車から降りる。

「……おっきな家」

 見上げた家は望が暮らしている何倍もある大きさ。無垢な瞳で見上げながら、感嘆の声を漏らしながら望はそう呟いた。緑が多いせいか涼しさを感じさせるが、照りつける夏の太陽と蝉達の合唱が夏の暑さを嫌でも思い出させる。
 じわりと額に滲んだ汗を拭いながら、三人は中へと入っていった。


 ***


「わざわざ遠い所すまなかったね。でも久しぶりに会えて嬉しいよ、兄さん」
「いや、父さんの事となれば当り前だ。俺も会えて嬉しいよ」

 錆びついた門扉を開け中へと入ると、出迎えたのは義隆とそっくりな顔立ちをした中年の男性。立派に蓄えた口髭が印象的だった。その男は望にとっての叔父にあたる。義隆に握手をしてから、後ろに立っていた母と望に視線を移した。

「どうも、ご無沙汰しています夏乃さん。それと……望くん。しばらく見ない内に大きくなったね」

 柔和な笑みを浮かべながら男は話しかける。

「……えぇ、お久しぶりですね。一孝さん」
「……こ、こんにちは」

 夏乃と呼ばれた母は、不機嫌さが漏れ出すくらいの硬い表情でそう返し、望は少し緊張しながら挨拶をした。

「暑い中、長時間の移動で疲れたでしょう? とりあえず話は奥で少し休んでからにしよう」

 一孝はそう言ってパンッと手を叩く。すると、奥から腰の曲がった老婆が出てきた。

「お呼びですか? 旦那様」

 枯れた声、顔に幾重にも刻まれた深い皺、老婆の頭髪は色素が抜けており真っ白だ。この館の雰囲気に合わせているのか、それとも趣味なのかまでは分からないが、黒いエプロンドレスが違和感を醸し出している。

「客人に飲み物を用意してくれるかい?」

 望はその老婆を不思議そうに見ていると、一孝は老婆にそう言った。老婆は頭を軽く下げてから口を開く。

「畏まりました。ではこちらへ——」

 (続く)

クローゼットに魔物は居ない【2】 ( No.168 )
日時: 2016/12/04 00:18
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: 4VUepeYc)

 案内された大きな円卓のテーブルが部屋の真ん中に置かれたダイニングルーム、老婆から三人は座るように促される。皆が席につく中、望には少し椅子が高いのか、座ろうとするが上手く座れないでいた。

「はい、どうぞ」

 その様子を見ていた老婆が、望の椅子を引いて座りやすくする。望は固定された椅子に足を掛けてから、一気にお尻を持ち上げて何とか座る事に成功した。

「……あ、ありがとう」

 望は恐る恐る老婆に頭を下げてからお礼を言う。
 老婆は恭しく胸に手を当ててから奥のキッチンルームへと消えて行った。

「さて……さっそくだけど本題に入ろう」

 一孝は両手を重ね合わせてテーブルに置くと、そう切り出した。その瞬間、周囲にピリピリとした空気が流れ始める。

「その前に——望くん、実は二階に私の娘が居るんだが、私が下に来ているから一人で寂しがっていると思うんだ。良かったら遊んでやってくれないか?」

 夏乃も席を外して中で遊んで来いと言おうと思っていたのか、視線だけで望に二階へ行く事を促した。望は首を縦に振り首肯する。
 一孝のその言葉に、義隆は少し驚いた表情で一孝を見つめていた。

「おい、いつの間に子供なんて出来たんだ? お前、結婚したのか?」

 義隆の疑問は至極当然だった。一孝は結婚もしておらず、ずっと独身だったはず。結婚したなどと連絡も貰っていない。それなのに、いつの間に結婚などして子などできたのだろう、と。

「養子だよ。教会に孤児が居てね、毎日礼拝に行って顔を合わせるうちに、妙に気になってしまって。それで引き取る事にしたんだ」
「……そうだったのか」

 一孝の説明を聞いて、義隆は神妙な顔で頷いた。

「……だから、遺産が必要になったのね……最低な男だわ」

 一孝が父とそっくりな柔和な笑みを浮かべている陰で、隣に居た望にしか聞こえないくらいの声音で夏乃はそう呟いていた。


 ***


 老婆に先導されて望は軋むような階段を上がり、臙脂の絨毯が敷かれた長い廊下を歩いていくと、部屋の一番奥あった木製の扉の前で止まる。

「こちらでございます」
「は、はい」

 扉を数回ノックすると、老婆はノブを回して部屋の中へと足を踏み入れた。
 その瞬間、望の視界に飛び込んできたのは真っ白な部屋。壁も床も家具さえも、全て白で統一された部屋。色と言う色が全て消えてしまったかのような空間に、切り取られた窓だけが外界の青を映していた。

「雪花様、お友達を連れてまいりました」
「……そう」

 老婆が胸に手を当てて恭しくそう言うと、ベットに座って窓の外を眺めていた雪花と呼ばれた少女は、抑揚のない声音で短くそう返事をした。

「それでは、旦那様達がお話を終えた頃にまた参ります」

 パタンと扉を閉めて老婆は部屋から出ていく。少女は望に振り向く事もせずに窓の外を眺めていて、開け放された窓から白いカーテンと少女の長い黒髪が風で揺れている。その光景が幻想的とも思える程、雪花と呼ばれる少女は絵になっていた。

「あ、あの、君と遊んでって、君のお父さんに言われたんだけど」
「…………」

 望が一生懸命話しかけてみるが、返答はない。バタバタと白いカーテンと少女の髪がたなびくだけ。外からはこの空間に不釣り合いな蝉の声、夏の日差しは侵食するように部屋の温度を上げていく。

「ね、ねぇ」

 反応は無い。望は目の前に居る少女が生きているのか不安になっていた。
 少女はそこに確かに居るのに、夢や幻のように儚い存在。好奇心なのか、望はそれを確かめたくて少女の頬を触ってみたくなった。恐る恐る伸ばした手が少女の頬に触れると、ヒンヤリとした氷のような冷たさが手の平を通して伝わってきた。

「……い、生きてる————わぁっ!」

 望が少女の頬に触れた瞬間、少女は望の手に自らの手を重ねた。

「……温かい手をしているのね」

 触れられた手も冷たく、透き通るような瞳が別世界へと望を吸い込むような錯覚まで見せた。
 そのまま望の手を軽く引くと、少女は自分の元へと引き寄せる。不意に引っ張られたせいか、望は少女の膝の上に倒れこんでしまった。

「き、急に引っ張ったら、危ないよ」
「ねぇ、クローゼットの魔物って本読んだことある?」

 そう唐突に問われて、望は頭の中で今まで読んだ本のタイトルを思い返す。だが、そんなタイトルの本を望は読んだ事はなかった。倒れ込んだ体勢のまま、望は首を横に振る。——すると、少女は薄く笑った。

「クローゼットには魔物が棲んでいるのよ。いつも私達の近くに居て、夜になると這い出てくるの」

 少女は滔々と語り出す。最初の時の印象とは違い、鈴の音のような彼女の声は透き通っていて、まるで天使の声のようにも思えた。

「もしも、その魔物と目が合ってしまったら殺されてしまうの。でも、いい子にして寝ていれば安全。だから私は夜が怖い、目を開けて、魔物と目が合ってしまったら殺されてしまうから」
「そ、それって、お話なんだよね? だったら、心配しなくてもそんな魔物は出てこないよ」

 望は少女の真に迫る語り口に少し怖がりながらも、そう返した。

「……私のお父さんとお母さんがまだ生きていた時、家でクローゼットの魔物を見たの。私は気を失っちゃったけど、お父さんとお母さんは——」
「も、もしかして、君のお父さんとお母さん死んじゃったの?」

 望の問い掛けに少女はゆっくりと首を縦に振った。
 死んでしまった人間はこの世界から居なくなってしまい、空に行くのだという事だと望は理解していた。自分の父や母が同じ事になったらどう思うのだろうと、望は少し考えてから、さらに怖くなった。

「ここに来てからも、夜は怖い。目を開けたらクローゼットの魔物を見てしまって、そうしたら、また……」

 年端もいかぬ少女は、両親が突然居なくなって泣く訳でもなく、悲嘆に暮れる訳でもなく、ただ夜を怖がっていた。それを少し不思議に思いながらも、望は素直に可哀想だと思った。そこに理屈も打算もない。望はようやく身体を起こすと、少女と向き合うようにして座る。

「大丈夫だよ、その悪い奴は前の家に居たんでしょ? ここにはもう居ないと思う」

 その言葉に何の根拠も無いけれど、望は少女を見ていて少しだけ励ましてあげたいと思ったのかもしれない。大人から見ればそれはただの気休めだったとしても。
 望の言葉を聞いて少女は笑う。彼女の名前に相応しく、雪に埋もれながらも咲く健気で儚い花のように。

「じゃあ、もし魔物が出てきたら、あなたが私を守ってくれる?」
「そ、それは、うん。僕でよければ」

 少しの逡巡の後、望は頷く。話し合いが終われば望は帰らなくてはいけない。この少女とはずっと一緒に居る事は出来ない。この約束が叶わない約束と知りながら、それでも望は少女の不安を和らげてあげたいと願った。

「ふふ、約束、ね」
「う、うん、約束」

 二人は小さな指を絡ませる。数刻の間、見つめ合っていると途端に部屋に影が差してきた。

「……黒い雲が出てきた」

 望が少女の言葉に反応するように窓の方へと振り返ると、先程までの青は消え、黒い雲が空を覆っていた。ポツリと、地面に向かって雨粒が落ちると、堰を切ったかのように叩きつけるような豪雨になっていった。

 (続く)

クローゼットに魔物は居ない【3】 ( No.169 )
日時: 2016/12/09 23:25
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: 9igayva7)

「だからっ、そんな事は認められないって言ってるのよ!」

 望の母、夏乃は激昂していた。その隣で義隆は苦虫を噛み潰したような表情で自らの弟、一孝を見つめる。だが、当の本人である一孝は表情を崩さずに淡々と話していく。

「落ち着いて下さい、夏乃さん。正直、父の遺産になんて興味は無い。ただ、僕は父の意志を継ぎたいだけだ」
「……お前が見つけたという遺書、それは本当に父さんが書いたものなのか?」

 義隆は異を唱えるようにそう言うが、一孝は特に気にした様子もなく首肯する。

「それは間違いない、僕も何度も確かめた。だから兄さん達には申し訳ないけれど、納得してほしい」
「ふざけないでっ!!」

 夏乃の怒気を孕んだ声音が、再びダイニングルームに響き渡る。

「……お取込み中のところ申し訳ありません」

 一触即発の雰囲気の中、いつの間にか老婆が一孝の背に立って、耳打ちを始めた。すると、一孝は少し困ったような表情に変わる。

「……兄さん、話の途中ですまないのだけど、大雨のせいで土砂崩れが起きて、町に繋がる道が塞がれてしまったみたいだ」
「なに?」
「なんですって!?」


 ***


 豪雨は雷雲をも呼び寄せ、黒い雲に包まれた空に閃光が走る。そして地鳴りのような雷鳴が辺り一帯に響き渡った。

「本当に最悪だわ、だから私はここに来るのは嫌だったのよ!」

 客室に案内された夏乃は苛立ちを露わに、部屋の床に自分の足でダンダンと叩きつけた。
 その様子を見ていた望と義隆は押し黙る。望は余計な事を言って夏乃を怒らせないように。義隆は今後の事を考えていた。

「今夜は家に帰るのは無理だと思う。明日以降も復旧作業の状態によっては——」
「冗談じゃないわ! こんな家の空気なんて一秒でも吸っていたくないの!」

 そう言って声を荒げる夏乃は、義隆を鬼のような形相で睨みつけた。

「……仕方ないだろう。無理に帰ろうとしても危険なだけだ」

 そんな両親の言い争いを眺めながら、望は昼間に話した少女の事を考えていた。

「……約束」

 望がポツリと呟いた言葉に義隆が反応する。

「ん? 望、何か言ったか?」
「……ううん、何でもない」

 誤魔化すように笑うと、夏乃はジロリと鋭い視線を望に向けた。その視線に気付いた望は、竦み上がるようにして父の背に隠れた。

「望、あなた叔父さんの子供に会っていたのでしょう?」
「う、うん」

 望は父の背に隠れたまま、恐る恐る返事をする。

「いい、今後一切その子と喋ってはダメよ? 叔父さんは悪い人なの、そんな叔父さんの子供も悪い子なの。そんな悪い子と遊んでいたら、望まで悪い子になってしまうわ」

 夏乃は望の肩を乱暴に掴んで目線を合わせると、言い聞かせるように望にそう言う。

「おい、いくら何でも望にまで大人の固定観念を植え付けるのは良くない。それに、その一孝の養子だって見た事も話した事もないんだ。憶測で滅多な事を言うものじゃない」

 義隆が割り込むように口を挟むと、眉間に皺を寄せた夏乃が鋭い視線で義隆を睨む。

「あなたは黙っていて。遺産目当てに引き取った子なんて、どうせろくな子じゃないわ」
「——そ、そんな事ない!」

 夏乃の言葉に咄嗟に望が反論する。

「……前のお家で凄く怖い事があったんだ。雪花ちゃんは悪い子なんかじゃない」

 望の強い意志が込められた言葉に、夏乃は目を丸くする。
 思えば、望が母である夏乃に反論するなんて初めての事であった。夏乃は戸惑いながらも、再び望にしっかりと視線を合わせた。

「よく聞いて望? 叔父さんはね、お金が一番大事なの。お金の為なら、その雪花ちゃんだって叔父さんの都合の良いように言う事を聞かせるの。この意味が分かるわね?」

 夏乃の問い掛けに望は首を横に振る。

「望と仲良くなって、お祖父ちゃんが残してくれた大切なお金を奪おうとしているのよ」
「よさないか! 望に偏見を持たせたくないんだ!」

 少し怒りが混じった義隆の声音で、夏乃の言葉が止まる。そのまま望から義隆に視線をスライドさせて、苛立ちを隠せない表情に変わった。

「元はと言えば、あなたがしっかりしないか——」

 夏乃がそう言いかけた瞬間、窓の外から目が眩むほどの閃光が再び走った。思わず夏乃の言葉が止まる。その刹那、腹の底に響くような雷鳴が辺りに響き渡る。

「……もう、本当に最悪ね」


 ***


「すいませーん! 誰か居ますか!」

 ドンドンと、扉を激しく叩いて大きな声が屋敷に響く。

「はい、どちら様でしょうか?」

 老婆がゆっくりと扉を開けると、激しい風雨と共に一人の女がびしょ濡れの状態で立っていた。

「あ、すいません。私、この辺に写真を撮りに来ていたんですけど、急に雨が降ってきちゃって……少しだけ雨宿りさせて頂けませんか?」

 そう言いながら彼女は激しい雨に打たれて水分を吸い過ぎたTシャツの裾を絞り、鞄に入っていたカメラを大事そうに取り出すと、タオルで丁寧に拭いていく。

「まぁ、それは大変でございましたね。私の判断では決めかねますので、旦那様にお伺いしてまいります。少々お待ちください」

 老婆はそう言うと、屋敷の中へと戻っていく。
 その様子を見て彼女は「ふぅ」と短い溜め息を吐いた。

「良かったぁ。怖い人が出てきたらどうしようと思ってたけど……っくし! うぅ、安心したら急に身体が冷えて寒くなってきたよ」

 その場で足踏みをして、体を小刻みに動かすと体温が少しだけ戻ってきたような気がしたが、同時に濡れた服が肌に張り付いた気持ち悪さも増してくる。
 彼女、伊月小夜は、ここから町に出て数駅ほど離れた学校に通う女子高生だ。写真が好きで、良い風景を見つけては休日に遠出をして写真を撮りに来ている。今回は偶々この周辺まで来ていたが、突然の雨で逃げるようにここへ辿り着いた。

「……ここ、いい写真撮れそう」

 建物を眺めると、口角を少しだけ上げて沙夜はファインダーを覗きこんだ。

 (続く)