コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- クローゼットに魔物は居ない【4】 ( No.174 )
- 日時: 2016/12/15 21:23
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: lvVUcFlt)
「ん、構わないよ。この雨じゃ大変だろう。タオルと、必要なら着替えも貸してあげるといい」
「畏まりました」
一孝が許可をすると、老婆は足早に小夜が待っている玄関へと向かった。
「こんな時に来るなんて、ついてない子だ」
すっかり冷めてしまった珈琲に口をつけ、一孝はそう呟くように言う。
一孝がそう思うのも無理はない。今は義隆夫妻と父の遺産の話で揉めているし、客人である小夜がどこから来たのか分からないが、この豪雨のせいで道路は寸断されてしまった。
陸の孤島と化しているこの館で、果たして雨宿り程度で済むだろうか? 場合によっては泊まっていってもらうしかないが、復旧に時間が掛かってしまえば色々と問題も出てくる。食糧の備蓄もそこまで潤沢な訳ではない。そんな様々な思いを巡らせては、不安が尽きなかった。
「神よ、ご加護を」
***
「お客様、旦那様に許可を頂きましたので、こちらへどうぞ」
「ひ、ひゃい! ありがとうございます!」
入口の照明を撮っていた時に、背後から話しかけられて小夜の身体がビクリと跳ねる。
「どうかされましたか?」
「いえいえ! どうもされません! いや、本当、ありがとうございます!」
老婆が怪訝な表情で問い掛けると、小夜は焦ったようにカメラを仕舞った。
別に写真を撮ってはいけないという訳ではないが、家主に黙って撮ってしまう事に小夜は少し罪悪感を抱いていた。
「夏とはいえ、そんなに濡れてしまっては冷えたでしょう。着替えを用意致しますので、どうぞこちらへ」
「あ、いえ、そんなお気遣いなく! 雨が止んだらすぐ帰りますので!」
小夜の言動に怪訝な顔していた老婆だったが、それ以上特に追求する事はなく、何事もなかったかのように話を切り替えた。
老婆の申し出に慌てたように小夜は断るが、老婆は眉をハの字にして小夜が知らぬであろう事実を言うべきか言わぬべきか一瞬だけ思案する。けれど、取り繕ったところで事実は変わらないという結論に至り、その重い口を開いた。
「大変申し上げ難いのですが、町に繋がる唯一の道路がこの豪雨で寸断されてしまいまして……」
「え、えぇぇぇ!? それ、ほ、本当ですか!?」
「はい。お客様がどこからどうやって来たのかは存じませぬが、復旧まで恐らく帰る事は難しいかと」
老婆が事実を淡々と並べていくと、小夜はさすがに驚きを隠せないでいた。
とりあえず家に連絡を取ろうと片掛けの鞄から携帯を出すが、その画面を見て小夜の顔がさらに強張る。
「ここって、圏外?」
画面の端に表示されたバツ印。それはつまり、通話はおろか通信機器としての機能がこの場所では全滅しているという証拠だった。
「ここは少し特殊な場所でして……携帯など通信機器は使えないのです」
「えぇ? でも、今の時代に使えない場所なんて——」
現代において余程の僻地や地下にでも行かない限り、電波が届かない場所などそうは無い。現にこの場所だって辺鄙な場所ではあるが、町まで物凄く離れているとも言い難い。そんな場所で携帯が使えないなど小夜には信じられなかった。
「申し訳ありません。もしかしたら、数日は我慢して頂く事になるかもしれませんので……」
「そんな、頭を上げて下さい! お婆さんが悪い訳じゃありませんし!」
老婆が深々と頭を下げると、小夜は再び慌ててわたわたと胸の前で手を振る。小夜のその言葉で、ゆっくりと頭を上げる老婆。
「ありがとうございます。さぁ、あまり長話して風邪を引かれてしまっては大変です。どうぞ中へ」
老婆に促されて館の中へと足を踏み入れる小夜。数歩ほど歩いてからピタリと老婆の足が止まる。
「それと……細かい事ではございますが、私の名前は紫苑と申しますので、以後お見知りおきを」
「……は、はい! よろしくお願いします!」
振り返らずに自分の名前を言った老婆。紫苑は、さっき小夜がお婆さんと言ってしまった事が気に障ったのだろうか? そんな考えが頭を過り、紫苑の声音に小夜の背筋がピンと伸びる。咄嗟に出てしまったとはいえ、言葉には気を付けようと思った小夜だった。
***
館の主である一孝に挨拶をした小夜は、タオルを借りてしっかりと体を拭いた。さすがに着替えはサイズが無かったので、少し緩いシャツとジーンズを借りる事に。
自分の服が乾くまでの間、自由に散策してもらって構わないと一孝に言われたので、カメラ片手に屋敷内を歩きながらファインダーを覗き、気になった風景を切り取っていく。
「んん〜、良いね。こんな雰囲気の良い場所なんて滅多に見られないから最高。雨で帰れなくなったのはアレだけど、不幸中の幸いってやつかな」
小夜は時々止まっては自分のポイントを見つけ、その都度シャッターを切る。鼻歌でも歌いそうなくらいご機嫌な様子で歩いていると、長い廊下に出た。ここまで見てきた場所とは違い、長い廊下に臙脂の絨毯が敷かれていて、この場所は他とは少し違う雰囲気が漂っている。
「……んん?」
首を傾げながら小夜は視線を先に伸ばす。
長い廊下、左側は窓が等間隔にあり、右側は扉がいくつかある。この扉の先はきっと部屋なのだろう。そう思いながら思考の羽を伸ばす。ここの主人である一孝とはさっき話したが、今日は小夜の他にも来客が来ていると言っていた。
このまま浮かれて写真を撮っていたら迷惑を掛けてしまうかもしれない。小夜はそう思い、先程よりも声を抑えて長い廊下を進む。けれど、少し進んだ所で足を止める。
「やっぱり、部屋の中も撮りたいよね」
そう呟きながらチラリと部屋の扉に視線を移す。写真が趣味な彼女は、部屋を見て写真を撮ってみたいという好奇心と、迷惑だろうという道徳心が胸の中で鬩ぎ合っていた。
少しの逡巡の後、乱れた呼吸を落ち着かせるようにふぅっと息を吐く。
「……ん、ほんの少しなら大丈夫だよね」
(続く)
- クローゼットに魔物は居ない【5】 ( No.175 )
- 日時: 2016/12/23 22:13
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: oyEpE/ZS)
扉に耳を付けて、人が居ないか確認してからゆっくりとノブを回して部屋の中へと入る。
やっている事はまるで泥棒のようだが、別に何かを盗りにきた訳ではない。ほんの少し写真を撮るだけ。小夜はそう思い、開けた扉を音が出ないようにそっと後ろ手で閉めた。
「わぁぁ……やっぱり凄い」
褪せた色の木製テーブル、所々朽ちている壁、時を刻む事を忘れた壁掛け時計、窓の外はまだ激しい雨が降っている。物という物がほとんど無い殺風景な部屋、こんな場所に魅力なんて普通なら感じないのかもしれない。だが小夜は違った。レンズを右へ左へと向けて忙しくファインダーを覗いてはシャッターを切っていく。
「いいね〜いいね。この部屋だけで無限に撮れそう——っと、わわっ」
夢中になって撮っていると、足が床に出来た窪みにはまってしまった。バランスを崩してしまった小夜は、尻餅をつくような体勢で床に座り込む。
「い、たたた。はしゃぎ過ぎて周りが見えなくなるなんて迂闊。あ〜うん、でもカメラが無事で何より……ん?」
自分の身よりカメラの無事を確認して安堵するが、床に不自然な窪みを見つけて顔をしかめる。空いている方の手で確認すると、小夜は一部分だけハメ込んだような跡を見つけた。
「なんだろ? ここだけ他の床と色が違う」
胸の底からうずいてくるような好奇心に刺激され、カメラを置いて丹念に床を調べていくと、強く押し過ぎたのか腐っていた木が床下に落ちていった。そして現れたのは——
「な、なにこれ? 下に降りられるようになってるの?」
床が抜けてぽっかりと開いた穴の下には闇に包まれた空間。
錆びついて風化しそうなくらい錆びた鉄の梯子。この梯子の下は一階に繋がっているのだろうか? そんな事を思いながら、視線はそこから外せない。
「……時間、まだ大丈夫かな。本当に少しだけ、これ以上は何もしない! うん」
まるで自分自身に言い聞かせるようにして、小夜はカメラを肩に掛けて下の階へと降りて行った。
***
「本当に電気も点かないのね。まるで遭難した気分よ」
あれから数時間経った頃、辺りに夜の帳が落ちてきて部屋が暗くなってくると、どこからともなく紫苑がやってきて、古いランプに火を灯した。
夏乃は電灯もつかない屋敷に激怒するが、どんなに紫苑に怒ったところで変わる事のない事実についに諦め、アンティークなソファに腰を掛けたまま愚痴るようにぼやく。
「そういえば、ここの屋敷は親父がまだ生きている時に古い知人から買い取ったと言っていたな。しかし、ここまでとはな……いやはや恐れ入るよ」
窓辺に立ったまま顎鬚を触り、義隆は嘆息しながら呟く。
雷は鳴り止んだが、外は激しい雨がいまだに降り続いている。
「…………」
「望、なんだかずっと元気がないようだが、大丈夫か?」
心配そうに義隆が望に問い掛けると、望は返事をせずにコクリと頷いた。
その様子を見て、義隆は柔らかい笑みを浮かべる。
「無理はするなよ。慣れない場所だ、今日はもう疲れたろう? 夕食の時間まで寝ていてもいいんだからな?」
義隆はそう言いながら大きな手でグシャリと望の頭を撫でると、望はくすぐったそうにしながら表情を緩めた。
「う、うん」
「ダメよ、今から寝たら変な時間に起きちゃうでしょ。甘やかさないで」
だが、夏乃が横から鋭い視線で釘を刺す。その声音に反応してビクッと望の肩が揺れた。
「なぁ、お前のやっている事は望を厳しく叱りつける事だけだ。それじゃあ、望が苦しいだけだろう」
義隆の言葉が勘に障ったのか、夏乃の表情が一段と険しくなる。
「あなたは家の事をやるのがどれだけ大変か分かってないから、そんな事を言えるのよ。気楽なものね。全て終わった頃に帰ってきて、望が可哀想だなんだと言っていればいいのだから」
「お前こそ、そうやって毎回感情的になって、周りに当たり散らしていればいいのだから気楽なものだ」
いがみ合う二人。二人の喧嘩は見慣れているはずの望も、今回は少し違う険悪な雰囲気が伝わってきてその表情が曇る。一触即発の雰囲気の中、部屋に控えめなノック音が響いた。
「お取込み中のところ失礼致します。お食事の準備が出来ました」
紫苑が扉を遠慮がちに開けてそう言うと、怒りで熱が上がっていた義隆と夏乃は紫苑の方へと視線を向ける。水を差されたのか、熱が引いて二人はひとまず矛を収めた。
「どうなさいますか?」
数秒の沈黙が続いたせいか、紫苑が再び義隆達に向かって問いかける。すると、義隆がゆっくりと口を開いた。
「あぁ、すまないね。ありがとう、頂くよ」
「…………ふんっ」
***
夜の帳が落ち切ったダイニングルームは、昼間と雰囲気が少し違った。円卓のテーブルに昼間とは違う真っ白なシーツが掛けられ、その上にはアンティークな食器とシルバーが並ぶ。
照明が蝋燭やランプしかないので、明度が足りない屋敷の中は薄暗い。
「申し訳ない。こんな事になってしまって」
一孝が席に座ったまま目を伏せて義隆達に謝罪する。ぼんやりと照らす灯りの向こう側で、対照的な二人の顔があった。
「別にお前のせいではないだろう。仕方のない事だ」
「何を言っているの? 一孝さんがこんな辺鄙な場所で話そうなんて言わなければ、こうならなかった」
仕方ないと言う義隆の隣で、夏乃は不機嫌さを隠そうともせずにそう吐き捨てる。義隆が眉根を寄せて窘めるように夏乃に視線で物を言うが、夏乃は悪い事を言ったとは思っていない様子で顔を背けた。
「いや、それについては弁解の余地すらないですよ。本来なら僕が出向けば良かったんだろうけど……」
一孝が一旦そこで言葉を切ると、居心地が悪そうに座っていた望を見る。
「行けなかった理由もあってね。どうしても、僕がここを離れる訳にはいかなかった」
望に意味深な視線を向けた後、そう言葉を続けた。
「それはお前の子に関係しているのか?」
「そうだね、あの子には僕が必要だ。それは僕の責任でもある」
一孝の話を聞いていた夏乃が不快感を露わにする。
「冗談じゃないわ。一度決まった事を覆そうとして、挙句の果てには自分で貰った養子のせいで行けないですって? 笑わせないで」
ここに来た始めこそ丁寧な口調だった夏乃だったが、度重なる怒りがピークに達したようで、今までにない棘がある口調に変わって一孝に突っかかってきた。
「本当に申し訳ない。……あぁ、そういえば紫苑」
「はい、旦那様」
一孝が夏乃にそう言って頭を下げると、横に控えていた紫苑を呼ぶ。
「彼女はどうしたんだい? 夕食の時間だから呼んできてほしいのだけれど」
「既にお伝えしてあります。何やら体調が優れぬ様子でして、少し遅れていらっしゃると仰ってましたが」
二人の会話に耳を傾けていた三人は三者三様の反応を見せる。
その言葉に義隆は首を傾げ,夏乃は不信感を抱き、望は昼間に会った少女が頭に浮かんだ。
「お前の養子の事か?」
義隆が一孝に疑問をぶつけると、一孝はフッと口元を緩ませた。
「いや、あの子は一緒に食事を取らないんだ。兄さん達には話してなかったけど、夕方に来たもう一人の客人の事だよ」
「こんな日に客だと?」
「…………」
義隆が怪訝な表情で問い掛ける横で、望が少し落胆する。予期せずして泊まる事になったのだから、もう一度会えるかもと、そう思っていたのかもしれない。
「そんな事はどうでもいいわ。私はこれ以上あなたに付き合っていられない」
夏乃がそう言って席を立とうとした時、ダイニングルームの入口から小柄な体躯の女性が入ってきた。
(続く)
- クローゼットに魔物は居ない【6】 ( No.176 )
- 日時: 2016/12/30 23:20
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: ZsN0i3fl)
「すいません、少し遅れちゃって……」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げると、小夜は退室しようとしていた夏乃と目が合った。怪訝な顔をした夏乃に気圧されるように、小夜は半歩ほど後退りする。
「こ、こんばんは。初めまして、私は伊月って言います」
「……あなたが客人? 何でこんな時にこんな所へ来たのか知らないけれど、お気の毒様」
小夜はどことなく重い空気を感じながらとりあえず夏乃に挨拶をしてみるが、夏乃は訝しげに視線を向けたまま小夜に毒づき、そのまま脇を通り抜けて自室へと帰っていった。
緊張の糸が切れて、小夜は思わずホッと息を吐く。その様子を見ていた一孝が小夜に声を掛けた。
「体調はもう平気なのかい?」
「あ、はい、もう大丈夫です。ご心配お掛けしました」
小夜が腰を折って頭を下げると、今度は義隆が口を開く。
「伊月さんだったか? うちの妻がすまなかったね、気を悪くしないでくれ。帰られなくなって少しイライラしているようなんだ」
「い、いえ! 私は全然大丈夫ですから!」
見知らぬ年上の男性に話しかけられて、小夜は焦ったように胸の前で手を大袈裟に振る。焦るとオーバーなリアクションをしてしまうのは小夜の癖だった。その様子を見ていた望がクスリと笑う。
「んん?」
「……あ、ごめん、なさい」
小夜がその笑いに反応して望を見ると、望が隣にいた義隆の背に隠れながら小夜に向かって、どもりがちに謝る。
「……か」
望を見た小夜の唇が微かに震える。もしかして自分が笑ってしまった事で怒ってしまったのだろうか。そんな思いが望の頭の中でグルグル回る。そして次の瞬間——
「可愛いいいいいぃぃぃぃぃーーーー!!」
奇声を上げながら望が座っている席に駆け寄る小夜。
「もうなにこの子、超可愛い!!」
「あ、痛い。痛いよ、お姉さん……!」
小夜は乱暴に望の頭を撫でまわし、それが終わると頬を手の平で挟むようにして先程とは打って変わって緩みきった笑みを浮かべている。子犬でも愛でるような扱いに望は困惑しながらも、なすがままにされている。
「んんっ! 伊月さん? 望が困っているから」
「はっ、すいません! 可愛くてつい……」
義隆のわざとらしい咳払いで我に返った小夜が望から手を離す。解放された望の髪の毛はあっちこっち逆立っていて、くしゃくしゃになっていた。望が乱れた髪を手櫛で直すと、一孝がチラリと小夜に視線を送る。
「さて、全員揃ったようだからそろそろ食べようか。せっかく紫苑が作ってくれたのに、冷めてしまっては台無しだ」
一孝のその一言で小夜も居住いを正し席に着いた。
テーブルの上には具がほとんど入っていないスープとパン並べられている。質素なその食事に義隆は何かを言いたそうに一孝の顔を見た。
「いつもこんな食事なのか?」
「いや、せっかく兄さん達も来ているのだから、もう少し豪華にしたかったのだけれど……」
一孝はそこで言葉を切って窓の外を見る。台風でも来ているのか、外の激しい雨は止む事なく降り続いている。望達がここに来てからもう大分時間が経っているが、時折強い風が窓を叩き、その度に屋敷がガタガタと悲鳴を上げている。それはいまだ外の風雨が激しい事を証明していた。
「なるほどな……」
一孝の視線で察した義隆は静かに頷く。
義隆も一孝の言わんとしている事を理解して、それ以上は何も言う事はなくスープに口を付けた。それに続くように、望や小夜も銀のスプーンで一口。
「うんっ、スープ凄く美味しいです。紫苑さん」
「ありがとうございます」
小夜が驚いたようにそう言うと、一孝の後ろに立っていた紫苑が頭を下げる。望も小夜の言葉に頷いて同調すると、義隆も「旨い」と小さく呟いた。
「お口に合ったようで何よりだ。紫苑の料理の腕はヘタな店より美味しいからね」
自分が作った料理を褒められた訳でもないのに、紫苑の料理が皆の口に合ったのが嬉しかったのか、一孝が満足気に笑い自らも口を付ける。そうして重かった雰囲気がようやく和やかな方向に傾いてきた。
「あ、あの、雪花ちゃんのご飯は?」
「ん? あぁ、心配してくれているのかい?」
穏やかになった空気を察して、望が胸の内で気になっていた事を一孝に問い掛けると、一孝が一瞬だけ思案する。
「……そうだな。望くん、あの子に夕食を部屋まで持って行ってくれないか?」
「えっ? う、うん」
一孝の突然の提案に少し戸惑いながらも、望は了承した。望が横目で義隆を確認するが、止めるような素振りはみせない。もしここに夏乃が居たら、また酷い剣幕で止められていただろうが、幸いにも夏乃は先程退出している。
「あぁ、食べ終わってからで構わないよ。紫苑や私が行くより、歳が近い望くんが行ってくれた方があの子も気が楽かもしれないからね」
「まだ慣れていないのか?」
パンを千切って食べていた義隆が問い掛けると、一孝は眉根を寄せ困ったような表情に変わった。
「僕や紫苑にはほとんど話さないよ。少しずつとは思っているけど、ね」
一孝は自嘲気味にそう言うと、スプーンを置いた。いつの間にか空になった食器。大人が空腹を満たすには足りない量だが、今後の事も考えるとそうも言ってはいられない。
「あの〜、お話の途中すいません。スープのお代わり貰っちゃ……ダメですよね」
手を挙げて一孝に確認する小夜。やはり育ちざかりの小夜には少し物足りない量だったのか。小夜の遠慮がちな一言に一孝はフッと口元を緩めた。
「構わないよ。紫苑、悪いけどお願いするよ」
「畏まりました」
一孝の言葉に紫苑が仰々しく頭を下げると、綺麗に空になった小夜の食器を回収する。
「す、すいません。図々しくて……」
「ははっ、君くらいの歳だとお腹も空くだろう? 遠慮なんてする事はないよ」
「…………ふっ」
食糧の備蓄がそうある訳ではないのに、おくびにも出さない一孝を見て義隆は頬を緩めた。幼かった頃、一孝は優しい子だった。困った人が居れば放っておけなくて、捨てられた猫を拾ってきては、よく怒られていた事もあった。今でこそ遺産の問題で対立をしているが、そんな一孝の優しい一面が義隆の在りし日の記憶を思い起こさせる。
「……お父さん?」
「うん? 望も足りないのか?」
「ううん、僕はもうお腹一杯だから……雪花ちゃんにご飯持って行っていいかな?」
「あぁ、食べ終わったなら持って行ってやるといい」
(続く)
- クローゼットに魔物は居ない【7】 ( No.177 )
- 日時: 2017/01/15 22:57
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: 5CfDMEwX)
ダイニングルームから独り離れて、向かった先は雪花の部屋。
昼間に来た時と違って、その薄暗い廊下が望の恐怖心を煽る。それは昼に雪花が話していた『クローゼットの魔物』の話を思い出したからだろうか。胸の内に騒ぎ出す恐怖を押し殺して歩を進める。
「……着いた」
雪花の部屋の前まで着くと、望は床に食事を乗せたトレーを置いて、扉をノックする。
トントンと優しく一回、二回。……だが、中から返事はない。少し不安になって、再び扉を叩いてみる。今度は少し強めに。数秒の間その場で待ってみるものの、返事は無かった。
「寝ちゃったのかな?」
困った表情でそう呟きながらドアノブに手を掛けて回してみるが、鍵が掛かっているのか、扉が開く様子はない。鍵が掛かっているという事は部屋の中には居るのだろう。そんな事を考えながら、昼間に来た時に紫苑が扉越しに話しかけてから入室したのを思い出して、望も真似てみる事にした。
「雪花ちゃん、ご飯持ってきたから……ここに置いておくね」
控えめなトーンでそう言うと、望はその場から離れる。すると、カチャと鍵が外される音が背中から聞こえてきた。その音に望は慌てて振り向き、雪花の部屋の前まで戻ると、ノブを回す。今度はスムーズに扉が開いた。
「……雪花ちゃん?」
望が部屋に入ると、ふわりと鼻の奥に甘い香りが飛び込んでくる。何処かで嗅いだ事があるような懐かしい香り。逸れていた思考を戻すと、ベットの上に雪花が座っていた。昼間に見た時も儚げな雰囲気を醸し出していたが、その光景は真っ白な雪の上に咲く花ようにも見える。
「何か用かしら?」
***
望が紫苑から貰ってきたスープとパンを差し出すと、雪花は首を傾げた。
「お腹空いてるでしょ?」
そう望が問い掛けると、雪花は合点がいったようで口元を少し緩めた。
「ありがとう」
そのままスープを少しだけ掬って一口。その様子を見て望はふぅと、安堵の溜め息が零れた。表情が変わらないので美味しいのか、それとも口に合わないのか望には分からないが、雪花が食事をした事にどこかで安堵したのかもしれない。
「ごちそうさま」
「えっ、もう食べないの? まだ全然残ってるよ」
スープを一口、それだけで雪花の食事は終わってしまった。望が驚いて声を上げると、雪花は少し困った表情に変わる。
「あまり食欲が無いの」
「そう、なんだ。体調悪いの?」
そう心配そうに問い掛ける望。雪花は目を伏せると、ゆっくりと首を横に振った。
「……怖いの。夜が来ると、また魔物がやってくる」
雪花の肩が小さく震える。魔物とは雪花が昼間に話していた物語に出てくる魔物の事だろう。でもそれはただの物語。実際に出てきて人を襲う訳ではない。望はどうしたものかと考えながら、重い口を開いた。
「ね、ねぇ、雪花ちゃんのそのお話、僕にも聞かせてくれないかな?」
望がそう言うと、雪花は少し驚いた表情に変わる。
「どうして聞きたいの?」
「人ってね、怖いお話や嫌な思いは誰かに話すと楽になるんだって。……って、お父さんが言ってたんだ」
途中まで安心させようと、けれど最後にバツが悪そうに付け加えた。望は恥ずかしそうに頬を少し掻いて、雪花から視線を逸らす。照れ隠しというにはあからさま過ぎて、自分自身の体温が上がっていくのが分かった。
その様子を見て、長く伸びた自分の髪を触りながら雪花はふわりと微笑んだ。
「……うん、じゃあ聞いて」
***
雪花が望に話をし始めてから、どのくらい経っただろうか。ほんの数分だったかもしれないし、数時間だったかもしれない。それくらい雪花の話に望は惹き込まれていた。
「…………」
全ての話を聞き終えて、望は溜め込んでいた息を吐いた。
クローゼットの魔物、それは物語によくある展開だった。クローゼットに住みついた魔物が、夜になると這い出てきて人を襲うという。
けれど、この魔物は寝ている人間を襲う事は無い。だから、夜は起きていないで寝ている事が唯一の対抗策だった。物語に出てくる少女は、両親の言いつけを破って魔物の正体を暴こうとするが、魔物が出てくる事はなかった。だが少女が眠りにつくと、少女の両親が殺され、隣人が殺され、自分以外の人間が次々と死んでいく。
最後に一人残った少女は誰も居ない家で魔物の存在に怯えながら生きていく。そんな物語だった。
「その子は最後どうなっちゃうの?」
「わからない。そのまま独りぼっちで暮らしたのかもしれないし、殺されてしまったのかもしれない」
雪花のその言葉に望は沈黙する。
その境遇はとても雪花に似ていると望は感じていた。両親が亡くなり、夜に怯えて生きているその姿は物語に出てくる少女と重なった。雪花の話を全て信じるのであれば、雪花の両親は魔物に殺されてしまった事になる。
けれど、現実にそんな事があるだろうか? 少し考えてから嫌な考えを思考の外に追い出すようにかぶりを振る。
「大丈夫、僕が雪花ちゃんを守るから」
無意識に重ねた手に温もりが伝わる。自分が大胆な事やってしまったと気付き、慌てて手を引っ込めようとすると、雪花はその手を握ってきた。
「……あなたの手は温かいのね」
「……あ、う、うん。ねぇ、雪花ちゃんは——」
望がそう言いかけた所で、ドアが勢いよく開いた。
「望っ!! どうしてここに居るの!?」
鬼のような形相で入ってきた夏乃はドスンドスンと苛立った足音を立てながら望に近付くと、乱暴に望の腕を掴む。
「い、痛い、痛いよ。お母さん」
「あれほどこの子と話しちゃダメだって言ったでしょ!! 帰るわよ!!」
夏乃は望を強引に引っ張って雪花から距離を取ると、その鋭い視線を雪花に向けた。
「あなたみたいな疫病神は今後一切、望に近寄らないで」
「………」
「お母さん!!」
そう吐き捨てた夏乃に、澄んだ透明な瞳で見つめる雪花。
望が抗議をしようと珍しく声を荒げるが、そのまま腕を掴んで部屋の外へと連れて行かれてしまった。嵐が過ぎ去った後に残ったのは静寂。真っ白な部屋に残された雪花は、望が出ていってしまった扉をじっと見つめる。
「……私は、疫病神?」
ポツリと呟いたその言葉は誰にも届く事もなく、静かに部屋に溶けて消えた。
(続く)
- クローゼットに魔物は居ない【8】 ( No.178 )
- 日時: 2017/01/25 01:15
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: Yt9nQPKm)
——ドンドン!
夜も更けて来た頃、屋敷の中に乱暴に扉を叩く音が響き渡る。その音はダイニングルームの片付けをしていた紫苑の耳に届き、紫苑はテーブルを拭く作業を中断して玄関へと急いだ。
「はい、どちら様でしょうか?」
紫苑が扉を開けると、風雨と共に大きな体躯の男が顔を覗かせる。
「夜分にすまない。道路がこの雨のせいで寸断されて立ち往生しているんだ。迷惑でなければ一晩泊めてくれないだろうか?」
黒いジャケットに黒いサングラス、さらに黒い帽子。上から下まで全身を黒で統一した服装は、時間も相まってかなりの怪しさが漂う。紫苑は男の全身を検分するかのように見定めると、表情を変えずに口を開く。
「私では判断しかねますので、旦那様にお伺いしてまいります」
***
「また来客だって? しかもこんな時間に?」
紫苑が男を玄関に待たせたまま、一階にある一孝の部屋に行き経緯を話すと、一孝は渋い表情へと変わった。それもそのはず、義隆や夏乃に望。それに小夜までが来ているのに、素性も分からぬ怪しげな男を招き入れるのは少々抵抗があった。
部屋に関しては問題ないが、懸念していた食糧の問題もある。かと言って、このまま見捨ててしまうのも道徳的にどうなのだろうか。そんな思いがせめぎ合って、結論を出せずにいた。
「いかがいたしましょうか?」
「……そうだな、今晩だけなら大丈夫だと伝えてくれ」
「畏まりました」
悩んだ末に一孝は紫苑にそう告げる。もともと性根が優しい一孝は、困っている人を見過ごせない。例え騙される事になったとしても、一孝は手を差し伸べてしまう。そのせいで今まで色々な厄介事を抱え込んできた。だが彼にとって手助け出来る状況にあるのに、困っている人を見捨てるくらいなら、騙される方がマシなのだろう。
「……何事も無ければいいのだが」
脳裏に一抹の不安が過る。自分の判断のせいで、何かとんでもない事が起きてしまうのではないかという思いが一孝の胸の中で騒ぐ。
もちろん根拠など無い。ただそう感じるのだ。窓の外は激しい雨。外壁を叩く雨音が一定のリズムを刻んで、他の音を掻き消してゆく。一孝はキャンバスの描きかけの絵を見つめて浅い溜め息を吐く。
「…………雪花」
キャンバスの中に描かれた、向日葵に囲まれて眩しい笑顔を見せる雪花。
およそ普段の雪花のイメージとはかけ離れているが、とても綺麗に描かれていた。養子として引き取った雪花は壁を作っていて、多くは語らず一孝とも必要以上の会話をしようとしなかった。彼女との距離を縮める為に描いた一枚の絵。それはしがない画家としての彼女へのプレゼントだった。少しでも彼女が心を開いてくれる事を願って。
***
「今晩だけでしたらと、旦那様の許可を頂きましたので中へどうぞ」
「恩に着る」
紫苑は玄関で待っていた男を招き入れる。男は目深に被っていた雨避けの帽子をおもむろに脱ぐと、しっとりと水分を含んだ髪をかき上げた。
「今タオルをお持ち致します」
「あぁ、助かる」
紫苑がその場を離れると、男は手に持っていた重そうなボストンバックを床に降ろした。
その瞬間、ガチャリと金属音が混じった不穏な音が響く。男はその音にハッとして、辺りを見渡した。
「……あ、あの」
「ん?」
そこで不意に一人の少女と目が合った。
「……雨が酷くてな、今晩だけ雨宿りさせてもらう事になった。世話になる」
「いえ、私は違うんですけど。私も雨宿りさせてもらっている身というか、なんというか……」
カメラ片手に焦ったようにそう言う小夜に、男はふぅと安堵の溜め息を漏らした。どうやら先程の音は聞こえてなかったようだ、と。
「そうか、じゃあ俺と同じか」
「は、はい」
そこで会話が途切れ沈黙が流れ始めると、男はキョロキョロと何かを探すような素振りを見せる。
「この屋敷は広いな。一体どれだけの人が住んでいるんだ?」
「……えっと、三人だけみたいですよ。でも今は私と、あと三人ここに来てるので、七人ですね」
「そうか、少ないな」
「……ですね、こんなに広いのに」
男は言葉少なにそう呟くと、紫苑が戻ってくるまでそれ以上話す事はなかった。
***
時計の針が天井を指す頃、眠たい眼を擦りながら望はベッドから起き上がった。
灯りは消え、静まり返った部屋の中で規則正しい寝息だけが聞こえてくる。さすがに今日は疲れたのか、義隆も夏乃も深い眠りに落ちていた。
「……喉、渇いた」
のろのろと歩を進めて、部屋の扉を開ける。
ようやく雨は止んだようだが、空に居座った厚い雲は月明かりさえ隠し、長い廊下を不気味に見せた。少しだけ望の脳裏を雪花の話が掠めたが、勇気を出して歩き出す。
建物が老朽化しているせいなのか、先程から外で風が吹く度にギィギィと軋んだ音が鳴っている。
「……うっ」
望はパジャマの裾を強く握ると、少しだけ歩調を速める。
やがて一階のダイニングルームまで降りてくると、奥にあるキッチンまで一気に走った。
「あった。んっしょ、と」
背伸びをして棚に会ったグラスを拝借すると、夕食の時に用意されていた容器から水を注ぐ。並々と注いだ水を飲み干すと、作業台の上にグラスを置いた。
「洗わないと」
望は辺りを見回すが何処にも蛇口らしき物は見当たらない。
実はここでは井戸水を使っていて、洗い物をするのならば外にある井戸に汲みに行かなければいけないのだが、そんな事を望が知る訳もない。故に容器に水が残っていたのは幸運だったのだろう。
しばらく探したが、見つからない蛇口に望が困り果てていると、ダイニングルームから物音が聞こえてきた。
(続く)