コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

クローゼットに魔物は居ない【9】 ( No.179 )
日時: 2017/02/18 17:21
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: Mt7fI4u2)

 こんな夜中に誰か居るのだろうか。恐る恐るキッチンを出てダイニングルームを覗き込むと、そこに幽かに蠢く人影が見えた。途端に望の心臓が跳ねる。

「…………も、もしかして」

 そこまで言いかけて口を噤む。
 雪花が話していたクローゼットに潜むという魔物。それが夜になって這い出てきているのではないかと、嫌な想像が過る。自分は夜になって起きてしまった。物語が正しければ、そんな自分を捜しに来たのではと。もちろん、そんな話は望も最初から信じていた訳ではない。しかし、昨夜の雪花の話は真に迫っていた。それだけに今の不安は大きい。
 望は騒ぐ鼓動を抑えるように胸に手を当て、壁際から顔を半分だけ出すと様子を窺う。

「——な、い」

 呻くような声音が望の耳に届く。何かを探している? そう思った望の鼓動が勢いを増す。望は知らないが、キッチンの奥は食糧保管庫があり、小部屋になっているそこで行き止まり。つまり、部屋に戻るためにはダイニングルームを抜けて行かなければならない。

「に、逃げないと」

 望は自分自身に言い聞かせるように小さく呟くと、身を屈めてダイニングルームに進もうとした。だがその瞬間、足音がこちらに向かって近付いて来ているのが分かって、望は足を止める。ギシギシと音を立ててキッチンに向かってくる得体の知れない相手に、恐怖を感じながら後退するしかない。

「…………」

 このままでは見つかってしまう。得体の知れない相手に恐怖を抱きながら、どこか隠れられるような場所はないかと探すが、望が隠れられるようなスペースは無い。
 その内にどんどんと近付いてくる足音。蹲ったまま、もうダメだと望は目を瞑った。

「あれ? 望、くんだっけ?」
「……へっ?」

 急に現実に引き戻されるような声音に、望は少し間の抜けた声が漏れてしまう。

「こんばんは、覚えてるかな? 夕食の時に一緒だったんだけど」

 暗闇に慣れてきた目を更に凝らすと、見えてきたのは魔物でもなんでもなく、豪雨のせいで家に帰れなくなったという小夜だった。急に自分に抱きついてきてインパクトがあったせいか、顔は鮮明に覚えている。望はふぅっと深い安堵の息を漏らす。

「は、はい。覚えています」
「あはは、喉渇いちゃってさ、飲み物無いかなって探してたんだけど、望くんは?」
「あ、僕も、です。お水ならそこに」

 そう言って望はキッチンの上を指す。快活に笑う小夜に毒気を抜かれ、さっきまでの怖かった雰囲気も薄れてきたせいか、暗闇も少し明るくなったような気さえした。

「こんな所にあったんだ。ありがとう」

 余程喉が渇いていたのだろうか。小夜はグラスに水を注ぐと一気に飲み干す。

「ふう〜、まったく参っちゃうよね。夜の撮影していたんだけど、ここって無駄に広いし、暗いし迷うし、もう散々」
「撮影、ですか?」

 小夜の言葉に望が小首を傾げると、小夜はニィっと笑みを浮かべて肩に下げていたカメラを望の目の前に持ってきて、自慢げに見せた。

「これこれ。私、写真を撮るのが好きなんだけど、こんな場所滅多に来られるところじゃないからね。今の内って思って。あ、もちろん許可は貰ってるよ」

 少し大きめのレンズが付いたカメラ。随分と使い込んでいるのか、革のストラップは所々痛んでいる。小夜は誇らしげに自らのカメラの良さや写真の魅力を望に語り始めるが、望には聞き慣れない言葉があり過ぎて理解が追い付かなかった。

「——っと、ごめんね。もし望くんが興味あるようなら私が教えてあげる」
「あ、ありがとうございます」
「それにしても……」

 小夜はチラリと望の顔を覗き込むと、熱のこもった溜め息を漏らす。

「望くん可愛いよね……私の弟にならない?」
「へっ!? そ、その、ごめんなさい」
「あはは、フラれちゃった」
「……ご、ごめんなさい」

 望が申し訳なさそうに小夜に謝ると、小夜はカラカラと笑う。

「いやだな〜、冗談だって冗談。実は私さ、君くらいの弟が居たんだよね」

 そう言って、小夜は少し目を伏せた。

「でも、居なくなっちゃった。私の前から突然、ね」
「……もしかしてそれって、クローゼットの魔物?」

 望が恐る恐る小夜に問い掛けると小夜は目を丸くして、まるで聞いた事がない言語を聞いたかのような表情に変わった。望が考えていた事はどうやら違ったようだ。突然居なくなる、つまり殺されたのだとしたら、雪花から聞いた話と酷似してはいるが、やはり空想の域を出ない。

「クローゼットの魔物? 何それ? よく分かんないけど違うよ。そんなファンタジックなものじゃないよ。ごめん、私の言い方が悪かったね。弟はね、事故で亡くなったの」
「……事故」
「そ、でも突然だったから、私にしたら急に居なくなっちゃった感覚なんだ」

 小夜は過去に想いを馳せながら、今度は持っているカメラに視線を移す。

「私が写真を撮るようになったのもね、弟が居なくなって、あぁ、大事な思い出はきちんと残しておくべきだよなぁ〜って思ったから」

 カメラを慈しむように撫でながら、小夜の長い睫が揺れる。

「望くんもね、今は分からないかもしれないけど、大事な人はいつも一緒でも、いつまでも一緒な訳じゃないから、その傍に居る時間を大事にしてね」
「は、はい」
「たはは。何か水飲みに来ただけなのに、暗い話しちゃったね。さて、そろそろ部屋に戻ろうかな。望くんも帰るよね?」

 望が首肯して、二人が歩き始めようとした瞬間、どこからか変な音が聞こえてきた。

「……何? なんだかジャリジャリって嫌な音」
「……この奥、から聞こえる」

 望が食糧保管庫の方を指差すと、小夜は身を竦ませた。

「嫌だなぁ、ネズミじゃないよね? ここのお屋敷、変な隠し部屋とかもあったし……うぅ、思い出したら怖くなってきた」

 隣で独り言のように呟く小夜の言葉が気になって望が首を傾げながら視線を向けると、小夜はさっきまでとは打って変わって顔色が蒼白になっていた。

「だ、大丈夫ですか?」
「うん、平気平気。ちょっと昼間に見たハードなやつ思い出して気分悪くなっただけ」

 (続く)