コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

私と猫の入れ替わり【3】 ( No.22 )
日時: 2014/08/29 19:52
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: /uGlMfie)

 全身に倦怠感を覚えながら瞼を開けると辺りは薄暗くなっており、私が倒れてしまってから少なくとも数時間は経過してしまったようだ。
 入れ替わり端末の調子が悪かったのか、それとも人体に影響があったからなのかはわからないが、どうやら人の体では入れ替わる時のショックが大きいみたいだ。

「…………」

 いつもの癖で、無意識にひとり呟こうとしていたが声が出ない事に気付いた。
 何故だ。それに体を起こしたはずなのに、やけに目線が低い。目の前の机が見上げなければいけないほど高いじゃないか。──もしや、実験が成功したのか。
 慣れない体を動かすと、さらに違和感を感じる。その違和感がする方へ視線をやると、私の手が毛むくじゃらになっていた。

「……ニャッ、ニャッ!」

 私は声にならない声をあげて興奮した。
 実験が成功したのだ。この手(正確には前足だが)は間違いなく猫の手。私とノーラの精神が入れ替わったのだ。
 よし、さっそくだが元に戻って、私を笑った奴らに目に物見せてやるとしよう。意気揚々と歩いていく途中で、疑問が浮かぶ。
 待て、ノーラは、私の体はどうしたんだ。さっきから姿が見えない。
 それどころか、入れ替わり端末も見当たらない。

「……ニャア?」

 その後、部屋の中をくまなく探してみたが、ノーラも端末も見つからなかった。


 ***


 途方に暮れた私は、家の外へと出ていた。家の中はいたるところの扉が開け放してあり、人間の体になったノーラが手当たり次第に開けたのではないかと予想する。それと、玄関の扉が開いていた事から外へと出た可能性が高くなった。
 まぁ、私が外へ出た理由はそれだけではないのだが。

「ニャア……」

 どんな姿になっても、腹は減る。
 家の中にあった食料は微々たるもので、さらにまとめて冷蔵庫の中に入れてたものだから猫の姿になった私に開けるすべはなかった。
 外へ出たものの、食料とはどこにあるものか。普段、野良猫とは何を食べているのだろうか。そんな疑問は尽きない。

「あぁ、見て見て! あの猫すっごい不細工」

「ニャッ! ニャッ!」

 ふらふらと街を歩いていると、一組のカップル(女の方)が私を指差して、不細工呼ばわりして笑ってきた。
 まったくもって不愉快だ。抗議の意味を込めて威嚇してみるが、カップル達はとくに気にした様子もなく立ち去っていった。
 ノーラがやっていた、『シャー!』という威嚇はどうしたら出来るのだろう。次にあのような輩がきたら実践したいものだ。


 ***


 ──限界だ。
 公園のベンチに疲労で重くなった体を投げ出して、横になる。かなり歩いてきたが、大した成果は得られなかった。ノーラも見つからない、食料も見つからない。……もしかしたら、私はこのまま朽ち果ててしまうんだろうか。そう思うと、急激に不安感が襲ってきた。
 私自身、極力誰とも関わらずひとりで生活してきたため、助けてくれるような知り合いは居ない。両親は今海外に行っているため、猫になっている私ではどうしようもできない。考えれば考えるほど、不安感は増して自分ではどうしようもないくらいになっていた。
 ──あぁ……誰か私を助けてくれ。

「お前、どっから来たんだ? この辺じゃ見かけない猫だな」

 涼しい夜風とともに、私の目の前で優しげな声音が耳に聞こえてきた。
 重たい体を動かして、声の聞こえてきた方向へ顔を向けると、そこには若い男。青年と言った方がしっくりくるだろうか。
 快活な印象を受ける短髪、淡いブルーの七分袖のシャツに黒のジーンズ。
 身体はスポーツでもやっているのか、引き締まっている。顔は全体的に整っていて、いわゆる『イケメン』というやつだろう。まぁ、私にはよくわからないが。

「お前、迷子か?」

「……ニャア」

「腹減ってるか?」

「……ニャア」

 会話など出来るはずもないが、青年の問いかけに応えてみる。すると青年は目を輝かせて私を見つめてきた。

「ははっ、お前、面白いな。もしかして、人の言葉わかったりして? って、んな訳ないよな」

「ニャッ! ニャッ!」

 二度と来ないかもしれないチャンスに私は懸命に鳴いた。無駄なあがきかもしれないが、もしこの青年が助けてくれる可能性があるなら、やる価値はあるはずだ。

「何だお前、マジで腹減ってんのか。んー、お袋に怒られそうだけど……よし、餌が欲しいならついてこいよ」

 そう言って青年は踵を返し、歩き出した。もちろん、普通の猫ならば言葉がわからず諦めるだろう。
 だが、私は普通の猫ではない。人間だ。青年の背中を追いかけるように、ベンチから降りて私は歩き出した。

 (続く)

私と猫の入れ替わり【4】 ( No.23 )
日時: 2014/08/29 19:55
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: /uGlMfie)

「お前、マジでついてきたのな」

「ニャッ」

 君が餌、もとい、食事をくれると言うから、私は追いかけてきたというのに。そんな事を言われるとは……まったく、理不尽なものだな。
 青年を追いかけて辿り着いた先は、青年の家だった。どうやら私がここまでついてくる事は予想外だったらしく、玄関の扉の前で腕を組みウロウロしている。
 余程怖い母親なのだろうか。公園でも母親の事を気にしていたようだったな。

「よしっ、俺も男だ。猫とはいえ、約束したからには餌をやる! ……ただし、こっそりな」

「ニャア」

 青年は意を決したかのようにそう言う。
 ふむ、意外に男気があるのか。私はてっきり、このまま帰ってくれと言われるものだと思っていたぞ。
 何はともあれ、ありがたいことだな。


 ***


 青年の家には、まるで泥棒が侵入するがごとく物音一つ立てずに入っていった。青年は私が途中で鳴かないか心配だったようだが、その心配は皆無だ。
 このチャンスをふいにする程、私はバカではない。そうして着いた場所は青年の部屋だった。

「散らかってるけど適当にしてくれ。って言っても、猫のお前にはわからねえか」

「……ニャウ」

 青年の部屋は六畳半ぐらいで、全体が青を基調とした配色で統一されている。
 床に散らばるDVDのケースや、雑誌。確かに散らかっているな。しかし、私の部屋も大概なので人の事は言えない。
 しかし、あれだな。
 初めて入った異性の部屋が、この姿になってからとは皮肉なものだ。恋愛などとは無縁な人生を歩んできたせいか、その辺の感情がいまいち理解できない。まぁ、恋愛をしなくても死ぬという事はないのだから、やはり私には今後もする機会はないのだろう。

「おい、キャットフードなんて家にはないから、今買ってくるな。って、俺は何で猫に話しかけてんだか……」

 青年は嘆息混じりの笑顔を浮かべ、肩をすくめながら頭を掻く。
 どうでもいいが、猫の餌は食べたくない。脳が動くようにチョコなんかが私は食べたいのだが。研究室にこもっている時なんかは、チョコが主食だったしな。
 カロリーさえ摂取できれば生きていくのに問題ない。冬山でチョコを持っていて生還した遭難者も多々いる。つくづくチョコは偉大だな、うむ。

「ニャッ?」

 私がチョコについて考えている間に青年は外出してしまったらしい。
 しまった。このままではキャットフードを食べる羽目になってしまう。しかし扉は閉められているから部屋からは出られない。さて、どうしたものか。

 ──コンコン

 悩んでいると、扉からノック音が聞こえてきた。

「健くん? 夕飯できたけど。もう帰ってきてる?」

「ニャッ!?」

 誰かが扉の向こう側から話しかけてきている。健というのは青年の名前だろう。しかし青年は今居ない訳で、しかもこの部屋は隠れる場所がない。

「入るよ〜?」

 ──ガチャ

「ニャッ、ニャッ!?」

「あら? 猫?」

 隠れる事もできず、開けられた扉の前で鉢合わせ。
 蛇に睨まれた蛙状態で、私はそのままフリーズしてしまった。

 (続く)

私と猫の入れ替わり【5】 ( No.24 )
日時: 2014/08/29 19:57
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: /uGlMfie)

 絶体絶命のピンチに、私が見つめるその女は柔らかい笑みを浮かべた。
 セミロングくらいの綺麗な黒髪に、白いブラウス、フリルの付いた青いスカート。大きくて少しタレた瞳、全体的にフワフワしている印象だ。見た目だけだと、いいとこのお嬢様といった感じだろうか。

「あらあら、迷い込んじゃったのかな? ほら、こっちにおいで〜。私が外に連れて行ってあげるから」

「ニャッ!」

 冗談ではない。
 やっとこれから食事にありつけるかもしれないというのに、今、外に出されてしまったら全てが水の泡だ。私が必死に抵抗をすると、彼女は困ったような表情になり、あごに指をあてて思案するようなポーズをとる。

「健くんの部屋が気に入っちゃったのかな〜。うーん、どうしよう」

 彼女の間延びした声は、私にとってどうにも耳障りだ。癖なのかワザとなのかはわからないが、もう少しハキハキ喋ってほしい。
 やがて彼女は何か思いついたのか、青年のベットに向かって歩き出し、そのまま青年の布団にくるまって寝始めた。
 あの女は何がしたいのだろうか。

「ほらほら〜、ふかふかの布団だよ? 一緒に寝よう猫ちゃん」

「…………」

 布団で誘って私を捕まえようなどと、そんな浅知恵に引っかかる訳がないだろう。というか、もしかして彼女はちょっとアレな性格なのか。どういう関係性か知らないが、あんなのが近くに居るのでは青年も苦労するな。
 私が無反応だったのに彼女はショックを受けたのか、ベットの上でうなだれている。

 ──ガチャン

 その時、部屋の扉が勢いよく開いた。

「悪いっ! どれ買うか迷って遅くな──」

 コンビニの袋を持った青年が、私に向かって言葉を投げかけた瞬間、部屋の中に居るちょっとアレな彼女を見て硬直した。そして、すぐさま怒りの表情に変わる。

「姉さん! 何で俺の部屋に居るんだよ!」

「夕飯の時間だから呼びに来たんだよ〜。そしたら、可愛い猫ちゃんが居たから、つい」

 怒られているというのに、相変わらず眠くなりそうな声音で受け答えをする彼女。どうやら彼女は、青年の姉みたいだな。そして、青年は弟で名前は『健』というのか。まぁ、私にとってはどうでもいい情報だ。

「つい、じゃないよ。いつも勝手に部屋に入らないでくれって言ってるだろ。それと、猫の事はお袋には黙っててくれ」

「ご、ごめんね。健くんを怒らせるような事して……。猫ちゃんの事は黙っておくけど、お母さんに知られる前に元の場所に帰してあげた方がいいと思うよ?」

「……っつ! 姉さんに言われなくてもわかってるよ!」

「……ご、ごめんね」

 私は口論する青年と彼女を横で見上げながら、どうにも居心地の悪さを感じていた。姉弟ゲンカか。私には上も下も居なかったから、こんな風にケンカをする事もなかったな。どうしようも出来ず、私はその光景を静観していた。


 ***


 結論から言うとケンカは収まった。だが、途中青年の姉の前で、青年がケンカ腰になったためか、騒ぎを聞きつけて青年の母親が部屋にやって来て家族会議にまで発展するという事態に陥った。
 その結果、母親に『ちゃんと飼えるのなら全部ひとりでやってみろ』と言われ、青年は『やってやるさ!』と、売り言葉に買い言葉。
 私を一週間だけ試しに飼ってみて、青年がキチンと世話を出来るか見るつもりらしい。ひょんな事から話がズレてしまっていたが、当分の間はここを拠点とできるのだから文句はない。
 しかし、若いというのは頭に血が上りやすいものなのだな。

「ったく、お袋も姉貴もいちいち俺に突っかかってくるんだよな」

「……ニャ」

 そう言って、部屋の中で青年は愚痴るように私に向かって呟く。
 私からすれば、青年はあそこで彼女(姉)の言うことに反発せずに、餌を食べさせたら私を元の場所へ戻せばよかったように思う。当初の予定はそのはずだった訳だし、反抗期というやつだろうか。
 ……それにしても、このキャットフードという物は匂いがキツいな。とてもじゃないが、食べられそうにない。
 青年が厚意で買ってきてくれたのだし、無駄にはしたくないのだが。

「お前、腹減ってんじゃないのかよ? せっかく買ってきたんだ。遠慮せず食えよ」

「…………」

 そう言って、青年は不思議そうな表情で私を見つめる。本当に申し訳ないが、遠慮させていただきたい。
 プラ容器に入れられた猫用のドライフード。猫大好きのフレーズでお馴染みのキャットフードを見つめながら考える。青年は夕飯をボイコットしたのか、鞄から出したあんぱんを食べていた。私にも、そのあんぱんを一口くれないだろうか。そんな願いを視線に乗せて青年を見つめる。

「……な、なんだよ? あんぱん食いたいのかよ?」

「ニャウ! ニャウ!」

 今日一番の鳴き声で、青年問いかけに応える。すると、青年は吹き出すように笑い始めた。

「お前、あんぱんなんて食うのかよ。面白い猫だなぁ」

「ニャウ」

 青年は笑いながら、持っているあんぱんから少しちぎって私の目の前に置いた。その瞬間、私は勢いよくあんぱんをたいらげた。
 うむ、やはり甘い物は良い。少量でも、少し元気が出てきた気がする。その様子を見て、青年は柔らかな笑みを浮かべながら私の頭を撫でた。

「変わった猫だなぁ。お前」

「…………」

 不意打ちとでも言うのだろうか。
 青年の私を見つめる、その表情がとても優しくて、不覚にも私は胸が早鐘を打つように高鳴ってしまった。

 (続く)

私と猫の入れ替わり【6】 ( No.25 )
日時: 2014/08/29 19:59
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: /uGlMfie)

 ──昨日から私の胸が苦しい。それは胸の奥を締めつけられるように、鼓動が早くなる。どうしてしまったのだろう。入れ替わりの影響か、それとも病気なのだろうか。結局、昨日は青年の部屋で眠れぬ夜を明かした。

「どうした? 今日は元気ないな」

「…………」

 青年の大きくてゴツゴツとした手が私の頭を優しく撫でる。とても心地良い。
 一体どれくらいぶりだろうか。こうして人に頭を撫でられるのは。遠い記憶の底の底を探してもあるかわからないが、それでも身体が覚えている。ひとりに慣れ過ぎて忘れていたのかもしれない。

『では、次のニュースです』

 目を細めてその心地良さに浸っていると、テレビから見慣れた人物の姿の映像が飛び込んできた。

『昨夜未明、都内在住の深山 葵さんが道路脇で倒れている所を通行人が発見、深山さんは病院に搬送されましたが命に別状はないとの事です』

「ニャッ!」

 ──わ、私がテレビに出ている。
 いや、私はここに居るのだから、あっちはノーラか。あいつめ、何をやっていたんだ。

『深山さんは、昨日都内某所での発明発表会場で自らの発明を否定され──』

 まったく、マスコミは好き勝手に言ってくれるな。間違いではないが、それで自棄になるほど私はやわではない。
 おっと、それよりノーラの居場所がわかったのだ。きっとそこに入れ替わり端末もあるはず。そうしたら、この猫の姿ともお別れだ。

「なーに考えてんだろうな。この人」

「…………」

 私が、もし私が、このままこの猫の姿のままだったなら、青年とずっと一緒に居られるのだろうか。
 人間の姿に戻ってしまえば、青年とはもう会うことはない。青年の横顔を見つめながら、そんな考えが頭の中を一瞬よぎる。
 ……私は、何を考えてるんだ。


 ***


 学校へ行くという青年と一緒に外へ出て、ノーラの元へ行こうとしたのだが、青年と青年の姉に止められてしまった。
 青年は高校生らしく、青年の姉は大学生らしい。今日は授業が午後からという事で青年を見送っていた。わだかまりの気持ちをまだ残しながらも青年は「いってきます」と言って出かけた。
 私は青年の姉……この呼び方は面倒だな。一応、母親が彼女の事を呼んでいたのを聞いていて、名前は知っているので名前で呼ぶとしよう。春花はるかに抱きかかえられて、青年の部屋に強制送還させられた。

「猫ちゃん、お部屋でおとなしくしててね。後でご飯持ってくるから」

 そう言うと、春花は部屋を出ていってしまう。もちろん扉を閉めて。
 さて、どうしたものか。扉を閉められてしまうと私の力では開ける事はできない。やはり餌、もとい、食事の時間を待って、隙を見て脱出がいいだろうな。


 ***


 ──ガチャ

「お待たせ、猫ちゃん。キャットフードだよ」

「……ニャウ」

 春花が持ってきたのは、昨日青年が買ってきてくれたドライタイプのキャットフード。
 またこの匂いがキツい猫の餌か。なんとかしてチョコを食事に出してくれないものだろうか。さすがに昨日から食べた物が、あんぱん一欠片では辛いな。水も欲しいところだが、伝える手段がないとは何とも歯がゆいな。

「食べないの?」

 私が餌を食べない事を心配してか、春花はやや不安げな表情で私を見つめていた。春花には申し訳ないが、やはりキャットフードは食べられそうにない。
 すると春花は、人差し指をあごにあてて、うーんと考えるポーズをする。以前にもやっていたが癖なんだろうか。

「そうだ! 少しお散歩しようか? 運動したらお腹減るよ〜」

「……ニャ」

 春花はそう言って、無邪気な笑顔で私に問いかける。春花は悪い人ではないと思うんだが、少しズレてるというか、天然というか。どうもフワフワしているな。
 しかし、母親に見つかったら怒られるのではないか? 青年ひとりで世話をすると約束したのに、春花が手伝ってしまっては……また後でケンカにならなければいいのだが。


 ***


「うーん、いいお天気だねぇ」

 私は春花に抱きかかえられたまま、平日の公園のベンチにて日向ぼっこをしている。普段、日光に当たる時間が少ない私にとって、これは拷問としか言えない。まだ夏じゃなく、春で良かったと思うべきか。

「猫ちゃんも気持ちいい? 毛繕いしてあげるね」

 春花は私をベンチに降ろして、手櫛で私の毛を優しく撫でるようにとかす。
 ──き 、気持ちいい。しかし、春花は大学は行かなくていいんだろうか。随分と余裕があるみたいだが……まさか、忘れている訳ではないよな。
 それはさておき、外に出れたのだからノーラの所へ向かうべきだろう。

「ニャッ!」

「あっ! 猫ちゃん!」

 春花の隙をみて、私は全速力で逃げ出した。ぐんぐんと加速して、春花を置いてきぼりにする。そのスピードは素晴らしく、あっという間に春花の姿は見えなくなっていた。しかし慣れない身体で走ったせいなのか、普段の運動不足がたたっているのか、途中で息が切れてきて足が止まってしまう。

「…………」

 やっとの事で呼吸を整えて顔を上げると、私の目の前には見た事のない景色が広がっていた。

 (続く)

私と猫の入れ替わり【7】 ( No.26 )
日時: 2014/08/29 20:08
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: /uGlMfie)

 ——ここは何処だ。
 あらためて周りを見渡してみるが、やはり見た事のない景色が広がっていた。目の前には工場地帯なのか、同じような建物がいくつもあり、さらに視点が低いせいか先を見通す事ができない。この辺りの地理に明るくない私とはいえ、迷うような場所ではないはずだ。
 落ち着け、冷静に考えよう。このまま先がわからない場所へ闇雲に進むより、引き返した方が賢明だ。私は真っ直ぐ進んできた訳だし、このまま方向転換して戻れば元の場所に戻れるはずだ。
 そう考えた私は、その場でくるりと身体の向きを変えて歩き出した。


 ***


 ——おかしい。進めど進めど、見えてくるのは相変わらず同じような景色ばかり。来た時は無我夢中だったため、こんな道を通ったのか記憶にないが複雑に入り組んだ地形を見るに、どうやら道を間違えてしまったのかもしれない。
 そんな事を考えていると、鼻の頭にポツリと水滴が落ちてくる。何事かと思い見上げると、空は厚い雲に覆われていて今にも泣きだしそうなくらいの空模様になっていた。
 雨が降ると思った時には既に遅く、雷鳴の音とともに叩きつけるような土砂降りの雨が降り出した。

「……ニャッ!」

私は急いで屋根のある近くの工場に逃げ込んだ。
 扉が開いていた、だだっ広い空間の隅に見つからないように静かに座る。天井は三階建の家のように高く、このフロアの奥が見えないくらいに広い。フロアには部屋の端から端まであるような長い作業台の上に平積みされたレトルト食品が無造作に置かれていた。どうやら休憩時間なのか、人が誰も居ない。
ここの工場はどうやら食品倉庫のようだ。生産工場でよくみられるラインや大掛かりな機械などが無いため多分間違いないだろう。つまりここで生産している訳ではなく、一時的に保管場所として利用されているという事だ。
 それにしても……少々疲れてしまったな。ここならばそうそう見つからないだろうし、少しだけ休むとしよう。私は身体を丸め、そのまま意識を暗闇へと落していった。


 ***


若干の肌寒さを感じながら重たい瞼を開けると、辺りは暗闇に包まれていた。
昨日の夜から眠れなかったせいか、深い眠りに落ちていたみたいで高かった陽はとっぷりと暮れており、既に今日の業務は終了したのか倉庫内は静まり返っている。
 ふぅ、やっとの事で抜け出してようやく人間に戻れると思っていたのにまた足踏みか。しかも、閉じ込められるというオマケ付きとはつくづく私も運がないな。
 私は頑丈なシャッターが下りている扉の前で肩をすくめる。といっても実際には出来ず、そういう気分というだけだが。
 起きている時に降っていた強い雨は嘘のように止んでいた。その証拠に、喚起の為の天窓から綺麗な真円の月が顔を覗かせている。月光が照らす倉庫内は昼とは違い、少し神秘的にも思えた。

「…………」

 少し埃っぽい倉庫内で私は考える。
 青年はどうしているだろう、と。母親と春花とのわだかまりは解けただろうか。青年はどうしてあんなにも優しいのだろうか。もし私がこの姿じゃなかったとしても、優しくしてくれたのだろうか。そして、青年はいなくなった私を心配しているのだろうか。
 元の姿に戻るために逃げ出してきたのに、考えるのは青年の事ばかりだ。本当にどうしてしまったんだ、私は。

「猫ーーっ!!」

 その時、静寂を切り裂くような声が遠くから聞こえてきた。
 その声は今の私が求めていたもので、嬉しさのあまり全身に鳥肌が立つような感覚に陥る。そして声が耳に響いた瞬間、無意識のうちに私は今出せるであろう精一杯の鳴き声を出していた。

 (続く)

私と猫の入れ替わり【8】 ( No.27 )
日時: 2014/09/02 21:21
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: Qx4JmDlZ)

「どこだ? 中にいるのか?」

「ニャウ! ニャウ!」

 私は必死に叫ぶような鳴き声で青年の問いかけに答える。
 青年は私の鳴き声に気付いたのか、倉庫の入り口であるシャッターの前まで来たようだ。ガタガタと音を立てて、外から開けようとしているのだが開かない。それもそのはず、素人が簡単に開けられるような代物ならば、ここのセキュリティには問題がありすぎるという事になる。

「くそっ! 開けよ!」

 青年の憤る声がシャッター越しに聞こえてくる。
 なんとかしてここから出たいが、猫の姿になった私は無力だと痛感する。力も声も、元の姿に比べれば比較にならない程に非力だ。

「ぎぎぎっ! 開けぇ!」

 それでも諦めずに青年はなんとかしようと頑張っている。
 ……どうしてそんなに一生懸命なんだ。

 ——ビーッビーッビーッ

 あまりに無理矢理シャッターを開けようとしたためか、警報装置が作動してしまったらしい。けたたましい音が静かな倉庫内に響き渡る。これはマズイな。このまま青年がここに居ると、不法侵入の容疑をかけられてしまう。私に構わずに戻った方がいいと言いたいが、それを伝えるすべがない。何とも、もどかしい。


 ***


 それからまもなくして、警備会社と近くを巡回していた警察がやってきて青年は事情聴取をされた。青年の必死の訴えのおかげもあって罪には問われる事はなかったのだが、やはり未成年という事で母親と春花が呼び出される事になった。

「あんたは……まったく」

「……健くん」

そして今、自宅に戻り、リビングのテーブルで青年と向かい合うようにして青年の母と春花が座っている。母親はため息混じりに青年を見つめ、春花は二人の様子を窺いながら心配と緊張が入り混じった表情をしていた。私はリビングの隅の方でその様子をジッと見つめている。

「……健、あたしが何言いたいかわかる?」

「どうせ、お説教だろ? 聞きたくないけど早く言いなよ。だけど、俺は間違った事なんてしてない」

 母親の射抜くような鋭い視線と言葉を、青年はふてくされたように返す。
 二人のやり取りの横で、春花がどうしたらいいのかわからないといった感じでオロオロしていた。この光景を見ていると罪悪感を感じてしまう。私のせいで青年が責められると思うと胸が痛む。

「はぁ……あたしは間違ってるなんて一言も言ってないよ。そりゃ、やり方はまずかったかもしれないけどね。健がそこまでして助けたいって思ったんだ。別にお説教なんてする必要ないだろ」

「お、お母さん……。良かったね、健くん」

「……別に」

 母親の一言が意外だったのか、春花も青年も反応が遅れてしまったようだ。
 正直なところ、私もこの反応は意外だった。青年や春花が思っているほど怖い人ではないように思える。しかし次の瞬間、母親はたしなめるような口調で青年に付け加えた。

「ただね、人様に迷惑をかけるような事はするんじゃないよ。そこさえ守れば、あたしは何も言わない」

「……やっぱり説教するんじゃないか」

 そう言って、ぼやくような口調で呟く青年だったが、言葉とは裏腹に晴れやかな表情を浮かべていた。家族というものは良いものだな。私の母や父は——いや、よそう。環境が違えば、考え方も違う。他の誰かと比べるなど無意味だ。


 ***


 部屋に戻った青年と私は、雑音のように流れでるテレビの音を聞きながら思い思いに過ごしていた。青年はベットに寝転がりながら雑誌を読んでいて、私は青年にもらったあんぱんを食べている。うむ、やはり甘いものはいい。私があんぱんに舌鼓を打っていると、テレビから見覚えのある顔が映像として写し出されていた。

『——深山さんは、病院を抜け出し行方がわからなくなっているとの事です』

「ニャッ!」

 またしてもノーラがやらかしたか。
 テレビに写し出されているのは、さながら幽霊のように青白い顔をした私の写真。何年か前だったか、証明写真がいるってなった時に仕方なく撮ったものだ。こうしてあらためて見るのは気持ちの良いものではないな。しかも全国ネットとは……。
 だが、気落ちしている場合ではない。ノーラが病院を抜け出してくれたのなら好都合だ。動物、つまり犬や猫には帰巣本能というものがある。どれだけ遠く離れても帰ってくるというあれだな。この事から考えるに、ノーラは私の家の近くに帰る可能性がある。
 私が家まで帰り、ノーラを待ち伏せして入れ替わり端末を奪い、元に戻るという作戦だ。

「またこの人か。人騒がせな人だな」

「…………」

 読んでいた雑誌から少しだけ視線をはずして、青年がそんな事をポツリと呟く。なぜだかわからないが、それを聞いた私の胸がチクリと痛んだ。

 (続く)

私と猫の入れ替わり【完】 ( No.28 )
日時: 2014/09/15 21:46
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: FX8aUA2f)

 ——翌日の朝、青年と春花の目を盗んで私は家から脱出した。
 というのも、新しい技をあみ出したおかげで引き戸なら私の力でも開ける事が出来るのを発見したのだ。その方法とは、まず身体を左におもいきり傾けて対象の扉(引き戸)に両手を添える。そのまま爪を引っかけて、体重をかけながら勢いおいよくずらしていく事で開ける事が出来る。もちろん、鍵などがかかっている場合は不可能だが。それと何故だかわからないが、右から開ける事は出来ない。
 記憶を辿り、前回のような失敗をおかさないよう慎重に歩いた結果、私は無事に自分の家に辿り着く事ができたのだ。たった二日しか家を空けていないのに、まるでもう何年も帰ってきてないように感じるのは、ここ数日がいかに大変だったのかという事だろう。

「…………」

 二日ぶりに帰ってきた我が家は、出発した時と変わらずいたる所の扉が開け放されていて、いつ泥棒が入ってもおかしくない状態だった。いや、これだけあからさまだと逆に警戒して入れないかもしれないな。そんな事を考えながら玄関を抜けて研究室に入っていくと、探し求めていたノーラ(私の体)が机の上の資料を全て床に落とし、自分のスペースを作り丸まるような体勢で静かに寝息を立てていた。
 私はノーラを起こさないように静かに机の上にあがり、ノーラの着ている白衣のポケットを探る。どういう道を通ってきたのか、白衣は泥だらけで薄汚れており髪もボサボサ、ノーラも必死だった事がうかがえる。
 入れ替わり端末機を発見して、それを口でくわえるようにして引っ張り出す。デリケートな機械なので、落とさないように慎重にくわえたまま机の上に置く。一応、故障などしていないかチェックしてみたが問題はないみたいだ。……しかしこの手は使いにくいな。知恵の輪でもやっているかのような難解な操作をすること数十分、ようやくセッティングが完了し、肉球で押しにくい手で元に戻るスイッチを押した。
 最初に入れ替わりをした時同様、全身に強い電流が走るかのような衝撃がきて、そのショックで視界が暗闇に包まれ意識が落ちていった。


 ***


 気が付くと、窓から射し込んでいた陽光はなくなっていて藍色の空模様に変わっていた。
 慌てて自身の身体を確認すると、確かに自分の手がある。毛むくじゃらの肉球付きではない。

「や、やったぞ! 元に、元に戻れた!」

 その場でガッツポーズをして、戻れた喜びをひとり噛みしめる。
 やはり言葉を話せるとは良いものだ。ここ数日は「ニャッ」しか喋ってなかったから少し変な感じだが、じきに気にならなくなるだろう。
 元の姿に戻ったノーラも自分の身体が気になるのか、私の足下で全身を確認するように毛づくろいをしている。

「……色々すまなかったな、ノーラ。お前が普段どれだけ大変な思いをしているか、私もこの数日でよくわかった」

 猫に人の言葉なんて通じないが、私はノーラにそう語りかけた。
 今回の報酬として、捕獲用に用意しておいた猫缶(高級)をノーラにあげ、入れ替わり端末機に視線を向ける。
 ——この入れ替わり端末機を発表すれば、私を見下してきた連中を認めさせる事ができる。そう、これで私の夢は叶う。だが、本当にそれでいいのか。私が望んでいたものは、本当にそんなものだったんだろうか。それにこれは一歩間違えれば危険な物だ。今回は運よく元に戻れたが、入れ替わり端末機が壊れていたら私はあのまま一生を猫として過ごさなければいけなかった。

「…………」

 壁掛け時計の時を刻む音だけが室内に響いている。その時、不意に脳裏に浮かんできたのは青年の姿だった。
——どうして、また。私は無意識のうちに青年の優しい笑顔を思い出していた。そして、それと同時に瞳から涙が零れ落ちて頬を伝う。

「……泣いている? 私、どうして」

 青年と会えなくなって寂しいのか。やはり入れ替わりのせいで私はおかしくなってしまったのか。どれだけ自問自答しても答えは出ない。
 元の姿に戻れた事の安堵感が落ち着いたあと、私の心を支配していたのは胸の奥をギュッと掴まれたような、言いようのない寂しさと悲しさと不安だった。


 ***


 もろもろの用事を片付けるのに丸一日を要した。
 それは病院を抜け出した説明だったり、たまたま日本に帰ってきていた両親が放送を見て何事かと心配した件の対応だったりと。身から出た錆とでもいうのだろうか、それでも上手くごまかせたから良かった。
 そして今、私は青年と出会った公園へと来ていた。日曜日だからか家族連れで賑わっていて、子供達のはしゃぐ姿と笑い声が聞こえてくる。私は何をする訳でもなくベンチに座り、ただぼんやりとその光景を見つめていた。

「あの……」

「うん?」

 ボーっとしていたせいか、人が近くに来ている事に直前まで気付かなかった。
 声の主へと顔を向けると、そこには私が一番会いたい人物の姿があった。

「……せ、青年」

「はい?」

 私が思わず発した言葉に、青年は訝しむような表情になる。
 いけない、いけない。この姿で青年と会うのは初めてだ。私はそのまま何事もなかったように会話を促す。

「それで、私に何か用か?」

「あ、あぁ。この辺りで猫を見かけませんでした? 白くて、毛が長い種類なんですけど」

 青年の言葉に、私は思わずその場で「その猫は私なんだ」と答えたくなってしまったが、そんな事を言っても信じてもらえる訳はない。頭のおかしい人と思われるのがオチだろう。

「……いや、そんな猫は見た事がないな。すまない」

「……そうですか。いえ、ありがとうございます」

 一瞬、落ち込んだように影を落とす青年の表情を見て、私の心は痛んだ。
 私はここにいるのだと、今すぐにでも伝えたい。青年が踵を返しこの場所から離れようとした時、無意識の内に私は声が出ていた。

「な、なぁ! その猫は君にとって大事な存在だったのか?」

 私の声を聞いて、青年は足を止めてこちらに振り返る。

「えぇ。ちょっと変わった猫だけど、俺にとって大事な存在です」

 青年は少し照れくさそうにそう言って、公園から出て行った。
 ——そうか、私は青年にとって大事な存在だったのだな。その言葉が私ではなく、猫の姿の私に言っているとわかっていても、私は嬉しい。たとえその言葉が、私に今後向けられなくとも充分だ。いつか、本当にいつになるかわからないが、青年の前にまた立てるように私は頑張ろう。そしてその時は、本当の私を見てほしい。
 私は考える。——今度は別の夢を叶えるために。

 〜END〜