コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 魔法のパン【1】 ( No.29 )
- 日時: 2014/09/27 00:48
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: kcj49vWg)
——いつもより少しだけ早く起きた朝。我が家のダイニングテーブルに並べられた、きつね色に焼きあがったパン。人の拳くらいのサイズの丸い焼きたてのパンからは白い蒸気があがっていて、見ているだけでも食欲をそそる。そして、なんと言ってもこの香り。パン特有の良い匂いが部屋中を包んでいた。……パンって、自分の家でも作れるものなんだ。
「お、お母さん。パンって自分の家で作れるの?」
「えぇ、もちろんよ。私は使わないけど、最近はホームベーカリーを使う人が多いわね。だけど、どうにも味気ないのよね。やっぱり手ごねだと、手間はかかるけど味は全然違うから」
私が尋ねると、お母さんは嬉しそうな顔で答えてくれた。
ホームベーカリーって、何? 聞いた事がない単語が出てきて、頭の中にクエスチョンマークが浮かぶ。直訳すると、ホームは家、ベーカリーはパンを売る店とか、確かそんな意味だったよね。
家でパンを売る店を使う? 全然意味が分からない。私が難しい顔をしているのを見て、お母さんは小さく笑いながら説明をしてくれた。
「ホームベーカリーっていうのは、家でも簡単にパンを焼ける機械の事ね。材料をセットしてスイッチを押すと、後はこねから焼き上げまで自動的にやってくれるの。まぁ、炊飯器のパンバージョンってとこかしら」
「おぉっ!」
何、その秘密道具的な物は。それなら私にもできそう!
「お母さん、私にも教えて!」
「いいわよ。ただし、ホームベーカリーは使っちゃダメ」
そんなに簡単にできるならと思い、軽い気持ちでお願いしてみたが、お母さんにやんわりと釘を刺されてしまった。頬を膨らませて軽い抗議をしてみるが、お母さんは意に介さない。
「初めから楽して作ったパンに喜びはないわ。一から自分で作るからこそ、できた時の感動も大きいし、大事に食べるものなのよ」
「そ、そりゃ、そうだとは思うけど」
「まぁ、騙されたと思ってチャレンジしてみなさいな。どうしてもダメって時は使っていいから」
「……はーい」
窘めるような口調でお母さんに促され、しぶしぶ私は頷いた。
——私、青葉 香織(あおば かおり)は、この日をさかいにパン作りにハマっていった。
***
雲一つない青空はどこまでも広く、そして高い。
朝の太陽の勢いも大分落ち着いてきて、夏が終わり秋の気配がそこまで来ているように感じる。そしてこの青空の下、私は全力疾走していた。
理由は単純、寝坊したから。昨日の夜に新作のパン作りに夢中になり過ぎて、気が付けば朝日が昇っていた。つまり、一睡もしていない訳で……。
さらに、ついウトウトしていたら、ありえない時間になっていた訳で。うん、完全に自業自得だよね。言い訳の余地もない。
「もうっ! 時間を止める機械とかあればいいのにっ!」
そう叫びながらもスピードは緩めない。
私が住んでいる稲穂町は豊かな自然にかこまれていて、すぐ目の前には雄大な山々、自家栽培のための広大な畑、都心ではありえないくらい遮るものがない開放感に溢れた素敵な場所だ。身も蓋もない言い方をすると、田舎って事になる。
それでも私はこの場所が好きだ。空気は良いし、周りの人達も親切で温かい。
一つ難点を言うなら、どこへ行くにも遠い。たとえば、一番近いコンビニに行くにしても歩いて20分はかかる。全然コンビニエンス(便利)じゃないよ。
バスも一時間に一本、乗り遅れれば遅刻は確定。かくいう私も乗り遅れたんだけど。
「……はぁ、はぁ。つ、疲れた」
走り続けてさすがに息が上がり、足を止めると膝に手をついて呼吸を整える。
やっぱり、遅刻覚悟でバスを待ってれば良かったかな。走れば間に合うかもなんて考えたのは間違えだったのかもしれない。後悔先に立たずってのいうのはまさにこの事だね。
——チリーン、チリーン
そんな事を考えていると、背後からベル音が聞こえてきた。
「青葉さんも遅刻?」
「……い、五十嵐くん?」
自分の名前を呼ばれて誰かと思いながら振り返ると、そこにはクラスメイトの五十嵐くんが自転車に乗りながら爽やかな笑みを浮かべていた。
(続く)
- 魔法のパン【2】 ( No.30 )
- 日時: 2014/09/27 00:46
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: kcj49vWg)
五十嵐 圭(いがらし けい)くんは、私と同級生でクラスも一緒。長身で短髪、運動神経が良くて、しかも優しい。なんていうか、こう、ナチュラルにカッコいい感じ。
困っている人が居ると放っておけない性格で、そのせいか苦労を背負い込んでしまうタイプだったりもする。なんでこんなに五十嵐くんの事に詳しいかと言うと、最近少し気になる人だったりする訳で。
「そのまま歩いてると遅刻しちゃうよ? 良かったら後ろ乗りなよ」
そう言って、五十嵐くんは爽やかな笑みを浮かべながら自転車の荷台を指差す。
「で、でも、悪いよ」
「遠慮しないで。それに、急げばギリギリ間に合う予定だから」
五十嵐くんの笑顔に押される形で、私は自転車の荷台の前に移動する。
いいのかな? 厚意に甘えちゃって。
「あ、そのままじゃ乗ると痛いよね。これ使って」
自転車の前で戸惑う私をよそに、五十嵐くんは制服の上着を脱いで私に差し出す。
「わ、悪いよ。しわになっちゃうし」
「平気だよ。もちろん、青葉さんが嫌じゃなければだけど」
そう言いながら五十嵐くんは、照れくさそうに頬をかく。
「……じ、じゃあ、使わせてもらうね」
私は若干の申し訳なさを感じつつ、五十嵐くんの上着を荷台の上に丁寧に畳んで敷かせてもらう。さらに、なるべくしわにならないように細心の注意を払いながら静かに荷台の上に乗った。
「そうやって乗るんだ」
「えっ、間違ってる?」
私の乗り方は、椅子に座るような体勢、いわゆる横乗りだ。だってスカートだし。
「ううん。いや、いつも男友達としか乗らないから新鮮だなって思ってさ。さ、しっかりつかまってて! 急ぐよ!」
「へっ? ……わわわ、わぁ!」
五十嵐くんは私が返事をする前にペダルを漕いで、自転車は勢いよく前に進む。
咄嗟に五十嵐くんの腰に手を回して落ちるのを回避したが、その結果、五十嵐くんの背中に抱きつくように密着する形になってしまう。当の本人はというと、気にした様子もなく自転車をどんどん加速させている。私は何を話していいかわからず沈黙してしまう。
「…………」
風を切る音だけが聞こえてきて、景色が流れていく。肌に当たる風が気持ちいい。今更離れるのも変だし、仕方ないよね。そう思いつつ、私の鼓動が早くなっていくのを感じていた。
***
「やっぱり、胃袋をつかむ事が大事だと思うんだよね」
「……いきなり何の話?」
今日は五十嵐くんのおかげで遅刻を回避する事ができた。その後は普段と変わらず授業を受け、お昼休みになった途端、私の友達である吉田 咲(よしだ さき)通称、よっちゃんが難しい顔をしながら話しかけてきた。
「だから、男の子の心をつかむ方法だよ」
「最初にそれを言わないと意味がわからないよ」
よっちゃんは話を端折る癖があり、結構な頻度で聞き返さないと会話が成立しない。中学の頃からの友達で、同じ高校に入ったからそれなりに付き合いは長く、私とも仲が良い。
話を聞きつつ私は鞄から木製の小さなボックスを取り出し、ボックスを空けて中に入っている手製のサンドイッチを一つ手に取り頬張る。
「それだよ! 香織のその腕があれば、思いのままだよ!」
「ん? 何が?」
「だから、料理ができる女子はモテるって事」
「うーん、そういうのあんまり興味ないなぁ」
大体、誰でもいいって訳じゃないしなぁ。それに、なんか違う気がするんだよね。
私の反応が悪かったのを見て、よっちゃんはため息をつきながら外国人のようにオーバーリアクションで肩をすくめる。
「甘い、甘い。香織はわたがしより甘いよ。まだ大丈夫とか言ってるうちに、婚期逃して独身生活まっしぐらだよ! あむっ……うまい」
「……どれだけ先の話をしてるの? まだ高校生だよ。って、私の玉子サンド勝手に食べないでよ」
楽しみに取っておいた玉子サンドを強奪して、よっちゃんは満足気だ。
私は抗議の視線をよっちゃんに送るが、よっちゃんは特に悪びれる様子はない。
ちなみにパンはもちろん、玉子も私の手作り……と言っても、茹でた卵の殻をむいて細かく潰し、マヨネーズに塩こしょうしただけなんだけど。ここのポイントは細かくし過ぎない事、あえて少し粗めにする事で食感を残している。
「ふっふっふ、私は知っているのだよ。今日、五十嵐くんと仲良く二人乗りして登校した事を! そして——」
「ちょっ! よっちゃん声大きいよ!」
慌ててよっちゃんの口塞ぐが時既に遅く、クラス中が興味津々といった表情で私を見ていた。……は、恥ずかしい。
話題に出されてしまった五十嵐くんの席に視線をやると、座っていた五十嵐くんと目があって少し照れたような笑みで返されてしまう。その反応は色々と困る。
なんか、誤解しそう。周りも……私も。
(続く)