コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 時計台の夢【1】 ( No.54 )
- 日時: 2015/02/25 00:09
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: mJV9X4jr)
——穏やかな朝の日差しが窓から降り注ぐように差し込み、瞼を刺激する。重たい瞼を開けると、昨日の夜から開け放していた窓から、この時期特有の涼やかな秋風が吹き込んでベットの上にある白色のカーテンをバタバタと揺らしていた。枕元に置いてあった時計で現在の時刻を確認する。
まだ少し約束の時刻までは早いけど、起きてしまって準備した方が良さそうだ。眠気が残る体に喝を入れて起き上がると、僕はゆっくりとクローゼットへ向かって歩き出した。
***
「透さん、おはようございます。今日は早いんですね」
一通りの準備を終えて、自宅兼自室である二階から一階のお店へと降りてくると、長く綺麗な黒髪を後ろで一つに纏め、全体的に可愛らしい印象の女性が僕に顔を向けて挨拶をしてくる。彼女の名前は、桜井 杏璃(さくらい あんり)うちのお店である『クロック』で一年前から住み込みで働いてくれている従業員だ。
その名の通り、うちのお店は時計店を営んでいる。と言っても、有名な訳でもなく、なかば僕の趣味のような感覚で開いている感じだ。当然、経営は苦しく、杏璃にたいしても満足のいく給料も払えてないのが現状。しかし彼女はここへの住み込みを条件に、ほぼボランティアに近い給料で働いてくれている。
一応、誤解のないように言っておくと、僕と杏璃は付き合っている訳ではない。当然、部屋も別だ。深くは知らないけれど、杏璃の家の事情で杏璃は家には帰れないらしい。むやみに詮索しないのは、杏璃にはいつも助けられているし、僕自身、人のプライベートにズカズカと土足で上がりこむような真似はしたくないからで、杏璃が自ら話すまでは触れない事にしている。少し話が逸れてしまったけど、そういった理由で杏璃には本当に感謝してもしきれない。
「昨日の夜に市長から呼び出しを受けてね。なんでも、僕に大事な話があるんだとか」
僕がそう言うと、杏璃は目を丸くして驚いたような表情に変わった。 小柄な体格な杏璃は、綺麗というより可愛い顔立ちも相まって、僕には時たま小動物のように見える時がある。今の表情がまさにそれだ。明後日で二十五回目の誕生日を迎える僕とは、一つしか変わらないはずなのに、随分と幼く見えるのは童顔というやつなのだろうか。ちなみに杏璃は年下だ。
「では、もしかしたら大きなお仕事をくれるのかもしれませんね」
「どうかな……そうだったら嬉しいんだけど。じゃあ、店番は任せたよ。修理の依頼がきたら僕が後でやるからメモしておいて」
僕は杏璃に溜め息混じりにそう言って、開店前の静まり返った店の木製のドアを開けて足早に家を出た。
***
綺麗に舗装されたアスファルトをひとり歩いていく。まだ少し朝早いせいか、人通りが少なくて歩きやすい。クロックから真っ直ぐ一本道のこの道は、駅に行くまでの道としてはここを通るのが一番近く、大通りのため、あと一時間もすればここは通勤、通学をする人で混雑するだろう。
僕が住む緑葉市は、市長の政策で市内の緑化運動が進められており、街のいたる所に緑がある。その中でも中央公園と呼ばれる、市の中心部にある公園は市長がとくに力を入れているらしい。いつだかの新聞のコラムにそんな事が書いてあった。
「……さて、市長が僕に大事な話なんて、一体どんな話やら」
考え事をしながら辿り着いた先は、緑葉市役所。三階建ての鉄筋コンクリートで造られた灰色の建物は、どこか威圧感があり、別に意味はなくても緊張してしまう。ましてや、今回はこれから市長と会うっていうのだから尚更だ。僕は軽く深呼吸してから、市役所の入り口である自動ドアをくぐった。
(続く)
- 時計台の夢【2】 ( No.55 )
- 日時: 2014/10/12 15:07
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: en4NGxwI)
受付で今日の午前中に市長と面会する事を伝え、対応してくれた強面な受付のお兄さんに案内されながら厳重な警備の中を通り、辿り着いた先は市長の居る三階の部屋。
少し物々しいかもしれないが、最近は変な輩も増えてきているため、仕方のない処置といえるだろう。それに本来ならば、一般人である僕が市長に面会など相当の理由でもないかぎりあり得ない事なのだ。僕の案内役である強面のお兄さんが、静かに扉をノックする。
——トントン
「市長、水島様をお連れしました」
「うむ、入りたまえ」
扉の奥から少し低音の声が僕の耳に響く。
市長との面会を目前にして、さらに緊張してきてしまった。その証拠に僕の手の平にじっとりとした汗が滲み出てきている。市長の声に、強面のお兄さんが木製の扉をゆっくりと開けた。
「失礼します」
扉を開けて目に飛び込んできた室内は、赤色に金の刺繍のカーペット、その中央にはこげ茶色の革張りソファー、部屋の両脇には背の高い本棚があり、棚の中には小難しそうなタイトルが書かれている本が並ぶ。一番奥は外の景色を一望できるほど大きな窓があり、その窓を背にして、豪華な装飾が施された机と椅子があった。この部屋を見た瞬間、市民の税金をこんな形で使っていいのかという疑問が浮かんでくる。
「やぁ、君が水島君か。ふむ……噂通り、真面目そうな好青年だ」
扉の前で出迎えてくれた、紺色のスーツに身を包んだ恰幅のいい中年男性が、僕を頭の先から足の先までジロジロと値踏みでもするかのような視線を向けてくる。
初対面だというのにこんな失礼な事はないが、この中年男性こそ緑葉市の市長だ。
名前は、黒田 成光(くろだ なりみつ)今回、僕を呼び出した張本人でもある。何を言おうか迷っている僕に、市長はジェスチャーでソファーに座るように促した。ふかふかのソファーにゆっくりと腰を下ろす。僕を案内してくれた強面のお兄さんは、扉の前で一礼すると出ていき、市長と二人だけになった。
「はじめましてだね。まぁ説明するまでもないとは思うが、私はこの町の市長をやらせてもらっている、黒田という者だ」
「はい、存じ上げています。僕は——」
「あぁ、構わんよ。一応、こっちで君のプロフィールは見させてもらっている」
自己紹介をしようと思い、話し出した途端、市長に言葉を制される。
最初に入ってきた時にも思ったけど、僕の名前を知っていて、なにより、昨日の夜の電話で連絡をもらった時点でどこかおかしい気はしていた。事前に僕に関しての下調べはついているという訳か。それがどういう意味なのかは今の段階ではわからないのだけれど。
「今日呼び出したのは、水島君にお願いがあってね」
「お願い……ですか?」
市長はなにか含んだような笑みを浮かべながらそう切り出す。
「そう、水島君は中央公園にある時計台を知っているかな?」
「はい、もちろんです」
僕がここに来る前に通ってきた道の近く、街の中心部に中央公園と呼ばれる大きな公園がある。その公園の中に昔からある時計台があるのだ。地元では有名な話で、ここに住んでいればあの時計台の事を知らない人は居ないだろう。それくらい有名なのだが、確か、もう随分と前から時計台の時計は止まったままだ。
「ふむ、なら話は早い。私はあの時計台の修理をしたいのだよ。実は前々からそのような方向で動いていたんだ。しかし、どんなに手を尽くしても修理をする事はできなかった……なぜだと思う?」
「特殊な部品を使っているとかでしょうか? もしくは、技術的な問題か、時計台の——」
「ストップだ。……理由は簡単、とても馬鹿げた話だが、あの時計台の時計は直せないからだ。もちろん、水島君が言うように特殊な部品や技術的な問題ではない」
市長はそこで言葉を切り、俯きながら小さく溜め息をつく。そして——
「あの時計台には悪魔が居る」
「……はぁ、それは一体どういう事でしょうか?」
市長の言葉があまりにも意外で困惑してしまう。僕自身、悪魔や幽霊など実在するはずのないものは信じていない。ましてや、わざわざ呼び出されて市長にそんな話を大真面目に話されても、正直からかわれているとしか思えない。それでも、市長は顔色一つ変えずに話を続けてくる。
「実にくだらん噂だよ。いつからだったか、あの時計台の修理を依頼した業者が悪夢を見るようになったという話が広まってね。それからというもの、他の業者も修理の依頼を受けてくれなくなったのだ。私としては、そんな非科学的なものは信じていないのだが」
市長はそう言いつつ、今度は眉根を寄せて苦笑いした。
正直言って、そんな噂話を僕は聞いた事がない。もちろん、同業者の間でもだ。これはどう考えても、根も葉もない噂話の域を出ないだろう。
「つまり、僕に時計台の時計の修理を依頼したい、という事でしょうか?」
「さすが、理解が早くて助かるよ。その通りだ。水島君なら引き受けてくるだろう? もちろん、報酬は弾むよ」
市長はそう言うと、近くにあった電卓を叩いて僕に報酬金額を提示してきた。
その金額は破格なもので、これならば杏璃にも満足のいく給料が払える。願ってもない条件に僕は了承する事にした。
「はい、お願い致します」
「うむ、そう言ってくれると思っていたよ。あぁそれと、材料費などが出た場合は、その都度申請してくれ。それから——」
その後、時計台を修理するにあたって、市長から色々な細かい説明を受けてから僕は部屋を後にした。
(続く)
- 時計台の夢【3】 ( No.56 )
- 日時: 2014/10/13 23:54
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: yV4epvKO)
市役所を出て腕時計で時刻を確認すると、既に正午になろうとしていた。
こんなに時間がかかるとは思ってもみなかった。杏璃はひとりで大丈夫だろうか。まぁ、うちのお店はそうそう混雑する事はないから問題ないと思うけど。それでも、のんびりお昼を食べて帰る訳にはいかないし、それに気になって昼食どころではないだろうしなぁ。
そんな事を考えながら、やや早足で店へと急いだ。
***
「透さん、おかえりなさい。早かったんですね。市長のお話はなんだったんですか?」
店に戻ると、静かな店内で杏璃が商品の入ったショーケースを磨いていた。
よほど暇だったのか、店内にあるほとんどのショーケースは綺麗に磨き上げられていて、何年も使っていたはずなのにまるで新品のようになっている。
「ただいま。うん、仕事をもらったよ。中央公園にある時計台の修理なんだけど、かなり良い条件でね」
僕がそう言うと、杏璃は少し驚いたあと嬉しそうに頬を緩めた。
「それは良かったですね。朝出かける時に透さんが難しい顔をしていたので、少し心配していたんです」
「そうだったっけ? とにかく、これなら杏璃の給料も多めに払えそうだよ」
「私のお給料は今のままで充分ですよ。……透さんの……なら」
杏璃は俯きながら頬を赤くしてそんな事を言う。最後の方は小声過ぎて何を言っているのかわからなかったけど、謙虚な杏璃らしい反応だ。だけど、それでは僕の気が収まらない。杏璃には内緒で、給料日に増額分をこっそり入れておく事にしよう。
それはさておき、僕には一つ心配な事ができてしまった。杏璃の額にそっと手を伸ばし、柔らかな前髪をかきあげ手の平を額につける。いわゆる簡易的に熱を測る時のあれだ。
「わわっ! き、急に何をするんですか?」
「……うん、熱はないみたいだね」
杏璃の額を通して僕の手の平に伝わってくる温度は、高くもなく、低くもない。
とりあえず平熱みたいだけど、風邪は引き始めが肝心ともいうから油断はできない。今日の所は杏璃にはもう休んでもらって、あとの仕事は僕がやるとしよう。そんな事を考えていると、杏璃に上目遣いで抗議の視線を向けられる。
「透さん、もしかして、私の体調が悪いんじゃないか? とか思ってます?」
「えっ、違うの? 風邪は引き始めが肝心って言うし、杏璃には休んでもらって、このあとの仕事は僕がひとりでやろうと思ってたんだけど」
僕がそう言うと、杏璃は肩を落として項垂れる。なにかマズかったのだろうか。
「……もういいです。私は元気ですから、心配しないでください。それと、お昼は作ってありますから奥で食べてきてくださいね」
「……あぁ、うん。ありがとう」
杏璃のその言葉とは裏腹に、声のトーンが下がっていて、先ほどより杏璃の元気がなくなってしまったのがわかる。うーん、もしかして僕のせい……なのかな。
結局、その後も杏璃の態度がどうしてそうなったのか理解できず、ただ時間だけが過ぎていった。
***
閉店時間になり、店のシャッターを下ろすと僕は中央公園に来ていた。
さっそく明日から時計台の修理をする予定になっているので、その前に下見をしておきたかったからだ。ちなみに杏璃にあとの事を任せてきたのだが、閉店する頃にはいつもの杏璃に戻っていたので安心した。あれはなんだったのか気になるけど、自問自答しても答えは出なそうだし、いつか杏璃に聞いてみようかな。
公園の中心にある時計台。時計台と聞くと、大きな建造物を想像しやすいが、ここの時計台はそんなに大きい訳ではない。薄茶色のコンクリートブロック、高さは二階建ての家くらいで、塔のようになっている。
最上部には大きな円形型の時計、中には時計台の裏手から入れるようになっており、メンテナンスなんかはこの中に入ってやる訳だ。もちろん、普段は鍵がかかっていて許可されてない人は勝手に入れないのだけど。
「……たいした故障じゃなければいいんだけど」
月光に照らされる時計台を見ながらひとり呟く。
あんまり時間がかかるよう代物だと、店番をする杏璃の負担が増えてしまうため好ましくない。そういえば、市長が変な事を言っていたよな。悪魔が居るとかなんとか。
そんなものは最初から信じていないけど、やはりどう考えてもそんないわくつきの建物には見えないな。
「立派な時計台ですよね」
「うわぁっ!」
時計台に集中していたせいか、背後に人が居る事に気付かず、さらに急に声をかけられたため驚いて奇声をあげてしまった。
「おっと、すいません。驚かせるつもりはなかったんですよ。熱心に時計台を見られていたから、つい」
そう言って、にこやかに笑う男性。白のシャツの上に黒色のスーツで身を包み、褐色の肌にハリネズミのような短髪。見た目的には、二十代後半といったところだろうか。
「こちらこそ大きな声を出してしまって、すいません……」
「いえいえ、ところで、どうして熱心に時計台を見られていたのですか?」
不思議そうな表情で男性が僕に問いかけてくる。
「実は、僕が今度この時計台の修理をする事になったんですよ。それで、今日は下見を……と言っても、今日は鍵を持ってないので中には入れないんですが」
僕がそう言うと、男性の顔が一瞬だけ驚いたような表情になったが、すぐさま笑みを浮かべる。
「……もうこの時計台を修理する人は居ないのかと思っていましたが、嬉しいかぎりです。あっ、私はフリーの記者でしてね。もしよろしかったら取材させてもらっても?」
男性がスーツの胸ポケットから取り出した名刺を受取る。名刺には、緑葉ドリーム新聞社、大垣 竜(おおがき りゅう)と書かれている。
聞いた事がない新聞社だな。マイナー紙なんだろうか。条件反射的に僕も名刺を渡そうとしたが、あいにく店に置いて来てしまっていた事に気付く。
「すいません、名刺を持ってきてなくて……僕は水島と申します。それと、取材の件ですが、市長に許可をもらわないと、僕の独断では……」
「なるほど。では、私の方から市長に伺ってみますよ。もし許可が取れたら、その時はまたお会いしましょう」
大垣さんは爽やかな笑みを浮かべると、聞きたい事は聞いて話は終わったとばかりに踵を返す。そして、少し距離が離れたところで僕の方に振り返った。
「水島さん、あなたとは、仲良くなれそうな気がしますよ」
「……それは、どうも」
言い終えると、大垣さんは今度こそ帰っていった。
……なんだか、変わった人だったな。また会う事はあるんだろうか。そんな疑問を抱きながら僕も自宅へと帰ることにした。
(続く)
- 時計台の夢【4】 ( No.57 )
- 日時: 2014/12/30 15:43
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: a0p/ia.h)
「……フッ、フフフッ」
どこからか聞こえてくる、低く、不気味な笑い声。——なんだ、これ? 漆黒の空間にボンヤリと光る明かり。そこに、僕は立っていた。
僕が立っている場所以外は明かりがなく、一メートル先も見通せないほど周りは暗闇に包まれている。
ここはどこなんだろう? そんな疑問が浮かび、あたりを調べようとするが体が動かない事に気付く。それはまるで、金縛りにでもあったかのように、意識はあるのに体が動かない感覚。
「…………」
——声が出ない。喉の奥に何かが詰まっているようで、必死に頑張っても口をパクパクさせる事しかできずに肝心の声が出ない。一体、何が起きているんだ。
言いようのない不安感に襲われていると、今度はどこからか音が聞こえてきた。
ドスン、ドスン、と、そんな音とともに、振動で地面が小刻みに揺れているのがわかる。
次第に近づいてくるその音は、どうやら僕の後ろから聞こえてきているようだ。そして、その音が僕の背後まで来たところで止まった。
後ろに何か居る。気配は感じるけれど、振り向けない。体が動かない事もあるが、異様なまでの恐怖感が僕を支配していて、振り向くのが怖いのだ。見てしまったら全てが終わりそうな気さえする。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、背後に居るであろうその正体不明の存在は、僕の背後から回るようにして、僕の正面に来た。
視線に飛びこんできたのは、馬の蹄のような脚に、脚下から伸びた黒い毛に覆われ、ガッチリとした、およそ人ではないその丸太のような太腿。本能的に顔を見てはいけないという危険信号を体が発して、視線を下げて顔を見ないようにしているが、いつまでこの状態でいられるのかわからない。僕の心拍数は恐怖で極限まで達していて、体中から汗が滲み出ている。
「……フフフッ」
地の底から出てくるような不気味で低い声が僕の耳の奥に響く。
たまらず足元から視線を逸らすと、ボンヤリと光る明かりで二つの影ができていて、そのシルエットが見えた。なんて大きさなんだ……。
その正体不明の存在は身長三メートル以上はあるであろう巨大な体躯、影だけでもわかる、はち切れんばかりの形をしたガッチリとした上半身。面長の顔に、頭の上部には動物の角のようなものが付いているようにも見える。
一体、何が目的なんだ? そして僕はどうしてこんな得体のしれない場所に居て、こんな怪物のような奴が僕の目の前に居るんだ?
「コンドコソ……」
正体不明の存在のその不気味な声に全身が粟立つ。
そして次の瞬間、影で見えている丸太のように太い両腕が僕の方に伸びてきて、僕の首を————
***
「うわぁぁぁ! …………あ、あれ?」
悪夢のような光景から一転、目を開けると見慣れた自分の部屋のベットで僕は寝ていて、白色のカーテンからは朝の柔らかな薄日が射し込んでいた。
あれは、夢だったのか? それにしては恐ろしくリアルな夢だ。じっとりした嫌な汗を全身にかいており、僕の肌にまとわりついている。それはまるで、あれは夢じゃないと体が言っているようで、さすがに怖くなった。
——ガチャ
「透さん! さっきの声はなんですか!?」
「あ、杏璃?」
血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、杏璃。
まだ起きて間もないのか、肩まである長く綺麗な黒髪が少しはねている。白地に青の水玉のパジャマ、いつもきちっとしている杏璃のこんな姿を見るのは初めてだ。
さておき、不安そうに見つめる杏璃にこれ以上心配をかけるわけにはいかないか。起き上がり、ベットに座り直してから僕は精一杯の笑顔を作って対応する事にした。
「いや、なんでもないんだ。ちょっと寝ぼけてたみたいでさ」
僕がそう言うと、杏璃は訝しむような表情で見つめてくる。
言い訳としては悪くなかったというか、もっともな事を言ったと思うんだけど、僕の演技力の問題なのか、逆に不信感をあたえてしまったようだ。
「……透さん、嘘ついてますね」
「……そ、そんな事ないよ」
杏璃の透き通るような綺麗な瞳で見つめられると、僕は隠し事ができないみたいだ。
どもるような口調になってしまい、ますます怪しさがアップしてしまった。これ以上押し問答を続けると、逆に杏璃に心配されてしまうかもしれないな。まぁ、別にそこまでして隠さなきゃいけない話ってわけでもないし、杏璃に話しても問題ないか。
ふぅ、と軽く息を吐いてから手をあげて降参のポーズをする。
「僕の負けだ。だからそんな目でみないでくれ。……本当、たいした話じゃないんだ。少し怖い夢を見ただけでさ」
「怖い夢……ですか。どんな夢をだったんですか?」
僕がそう言うと、杏璃は不思議そうに問いかけてくる。
「うん、かなりリアルな夢でね。あとちょっと起きるのが遅かったら危なかったかもね。もちろん、夢の中の話だけどさ。ははっ」
実際はかなり鬼気迫るものがあって、夢だとわかった後も嫌な感じが残っていた。だけど、それは言う必要はないだろう。どちらにしたって、夢なのだから。これ以上この話を引っ張る必要も——
「って、杏璃! な、なにして!?」
笑い飛ばして話を終わりにしようとすると、ベットに座る僕の頭を杏璃が抱え込むような形で抱き締めてきた。杏璃の温かな体温と、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「……小さい時、私が怖い夢を見ると、お母さんがきまって私を抱き締めてくれたんです。お母さんに抱き締められると、怖い夢の事も忘れちゃって、とっても温かい気持ちになったんですよ?」
杏璃は僕を抱き締めたまま、優しい声音でそう言う。
そ、そりゃ、小さい時はそうかもしれないけど、僕はもう大人だ。しかも僕は男で、杏璃は女の子、さらに杏璃みたいに可愛い子にこんな事されたら意識しない訳がないわけで。
「……あ、杏璃、もう怖くなくなったから……その……できれば、離れてくれると」
「……あっ、ああっ、す、すいません! 私ったら……つい。なんとかしようって、夢中で……その」
僕がそう言うと、杏璃は後ろに飛ぶように勢いよく離れて、自分のした行動に今気付いたかのように頬を紅潮させていく。
あやまりながら、わたわたと焦っている姿はまるで小動物のようだ。かくいう僕も冷静なわけではない。今だって心臓がバクバクと自分の心臓じゃないみたいに鼓動が早い。
「……わ、私、朝食の準備しますね!」
杏璃はそう言って、逃げるように僕の部屋から出て行った。
ふう、なんだか今の出来事で怖い夢の事なんかすっかり頭の中から消えてしまった。結果的に杏璃に感謝、だな。……心臓には良くないけど。
その後、朝はお互いに意識してしまってか、杏璃とは会話らしい会話がなかった。
(続く)
- 時計台の夢【5】 ( No.58 )
- 日時: 2015/03/31 17:45
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: RnkmdEze)
「うん、問題はなさそうかな」
市役所に行き、市長から時計台の鍵を受取ると、僕は時計台の内部に入り点検を始めた。
長い間動いてなかったせいか所々錆びている。それと、オイル切れしていて軸受け部分が(文字盤を動かすシャフトを支える金具の事)摩耗していたのが原因と考えられる。オイルを挿して、少し部品交換すれば問題はなさそうだ。……というのが、僕の予想。
不思議な話なのだが、一通りチェックしてみたけれど、他にそれらしい故障原因は見当たらないし、考えづらい。この程度なら、なぜ今の今まで修理されなかったのか? 費用の問題ではなさそうだし、唯一、思い当たるとすれば市長のあの意味深な発言。
『あの時計台には悪魔が居る』もちろん、信じている訳ではないが、心に引っ掛かるのも確かだ。今朝の夢……杏璃のあれこれで恐怖なんて飛んでしまったけれど。
あの夢がもし、この時計台を修理しようとした人達が見た悪夢だとしたら? そう考えると、とても恐ろしい気がした。
「……でも、それを考えても仕方ないか」
案ずるより産むが易いとも言うしな。
噂に尾ひれが付いて広まったとも考えられるし、僕も心のどこかで気にしていたから、あんな夢を見たって可能性もある。
ひんやりとした空気の時計台の内部でそんな事を考える。とにもかくにも、今は店に戻って道具を持ってくるとしようか。僕は時計台内部の螺旋階段を下って出入口へと向かった。
***
「やぁ、奇遇ですね。さっそく今日から修理作業ですか?」
時計台の内部から出ると、そこには待ち構えていたかのように大垣さんが立っていた。
つい先日、時計台の修理のために下見をしにきた時に偶然知り合ったフリーの記者で、この時計台の修理の話をした時にとても興味を抱いていた人だ。
その時の口ぶりから、また会う事になりそうな気はしていたが、まさかこんなに早くに会う事になるとは思ってもみなかった。
「この間はどうも。えぇ、思ったより早くに直りそうですよ」
僕がそう答えると、大垣さんは一瞬驚いてからすぐさま嬉しそうな表情に変わる。
余程この時計台に思い入れがあるのか、それともただ単純に時計が好きなのか、それはわからないが、もしその事を記事に取り上げてもらえたならば、うちの店も少しは繁盛するだろうか。
「うん、うん。やはり私の睨んだ通り水島さんは優秀な方だ。……それで、いつからここの時計は動くんです?」
「いえ、本当にたいした事なかったので。最短で今日には……遅くても明日には。多分、放置されていたのが原因だとは思います」
大垣さんは待ちきれないといった感じだな。
こんなに喜んでくれる人がいるのだから、この仕事を引き受けて良かった。始めは報酬目当てで引き受けたから、市長以外は気にも留めないんじゃないかと思っていたけど。
「そんなに楽しみにしてもらえると、こちらも嬉しいですね」
「フフフッ、私は時計台が再び動き出すのをずっと待っていましたからねぇ。とても楽しみですし、嬉しいですよ」
大垣さんは時計台を見上げながら本当に楽しそうにそう言う。
うん、俄然やる気が出てきた。杏璃のためにも、大垣さんのためにも早く修理しなくちゃな。大垣さんとの話もそこそこに、中央公園を出て僕は店へと急いだ。
***
店へと戻ると、杏璃が今日も商品が入ったショーケースを丁寧に磨いていた。
今日もお客さんで賑わう事もなく、店内は静かに時を刻む時計の音だけが聞こえていた。
わかっちゃいるけど、うちのお店は開店休業状態が続いているな。だけど、この仕事を終わらせて、大垣さんに記事を書いてもらえれば、この状況も少しは変わるかもしれない。
そんな事を考えていると、杏璃は僕が帰ってきた事に気付いた。
「……と、透さん。お、おかえりなさい」
「た、ただいま。またすぐ出ちゃうけど、店の方は任せたよ」
今朝の事をまだ少し気にしているのか、杏璃は俯き加減で頬を赤らめていた。
そんな態度を取られると、せっかく忘れていたのに今朝の事を思い出して僕の方もまた意識してしまう。……って、杏璃によこしまな気持ちを抱くなんて、自己嫌悪しそうだ。
頭を左右に振って自らに喝を入れ、煩悩を振り払う。よしっ、もう大丈夫。
「まっ、待ってください! ……明日は透さんの誕生日ですよね。お店も定休日ですし、時計台のお仕事がないのなら、一緒にどこか行きませんか?」
杏璃の提案に少しの間考えを巡らせる。
僕の誕生日なんてどうでもいい事だけど、普段から働き過ぎな杏璃の気晴らしに少しでもなるのなら、どこかへ行くのも悪くない。それに、時計台の修理は今日中には終わってしまいそうだし。もろもろの仕事は翌日に回したとして、市長には報告だけすれば午後は一日フリーだ。
「うん、いいよ。じゃあ行きたい所があったらリストアップしておいて」
「私が行きたい所ではなく、透さんの行きたい所じゃなきゃ意味がないんです」
杏璃は口を尖らせるようにしてそんな事を言う。
うーん、なかなか難しいな……僕の行きたい所なんてあったかな。
「わかった。明日までには考えておくよ」
「はいっ! 私、楽しみにしていますね!」
僕の誕生日で行く所を杏璃が楽しみにするというのも可笑しな話ではあるけど、杏璃が楽しそうならなんでもいいか。
***
再び中央公園に戻ってきた僕は、持ってきた道具を使い手早く修理をしていく。
店にあったパーツで使えそうな物もいくつか持ってきて、使えそうな部品だけ使っていく。それから程なくして、本当にあっという間に修理が終わってしまった。
「拍子抜けするくらい、あっという間だったな」
あとは、電源を入れて動くかどうかチェックするだけだ。
僕は電源レバーの所へと移動すると、レバーの部分に白い紙が貼ってある事に気付く。
その紙は短冊のように縦に細長い形をしていて、紙にはかすれた文字が書いてあった。
「……絶対に剥がすな……か」
誰かの悪戯だろうか? しかし、この時計台の内部に入れる人は限られている。
つまり、関係者がこれを貼ったという事になるのだが……。僕も間近に来るまでわからなかったし、前に誰かが何らかの目的で貼ったと考えるのが自然か。
よく見ると、その文字の下にも続きがあるようだけど、こちらは読めないほど消えかかってしまっている。
「……まぁ、市長からはなんの報告も受けてないし、以前の業者が貼ったままにして忘れてしまったんだろう」
僕はその張り紙を剥がすと、電源レバーを入れた。
すると、時計がゆっくりと動き出し、時を刻み始めた。うん、良かった。思った通りだったな。
「さて、修理も終わったし、外に出て確認したら店に戻るか」
早く終わったと言っても、なんだかんだで結構いい時間だ。市長への報告は明日にして、今日は帰るとするか。そう思い、僕は時計台を後にした。
(続く)
- 時計台の夢【6】 ( No.59 )
- 日時: 2014/12/18 21:12
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: FpNTyiBw)
「……フッ、フフフッ」
どこからか聞こえてくる、低く、不気味な笑い声。漆黒の空間にボンヤリと光る明かり。妙に既視感がある光景。僕は昨日もこの夢……いや、悪夢を見ていた。
金縛りにでもあったかのように、意識はあるのに体が動かない感覚。この感覚も同じだ。
「…………」
——そして、やはり声が出ない。まるで昨日の悪夢をリピート再生しているかのように今度はドスン、ドスン、と、そんな音とともに、振動で地面が小刻みに揺れる。近づいてくるその音は、僕の背後まで来たところで止まった。
そして、その正体不明の存在は、僕の背後から回るようにして僕の正面に来た。
「……フフフッ」
地の底から出てくるような不気味で低い声が聞こえてくる。
昨日も経験したはずなのに、正体不明の存在のその不気味な声に全身が粟立つ。
そして次の瞬間に、影で見えている丸太のように太い両腕が僕の方に伸びてきて、僕の首を————
***
「うわぁぁぁ! …………ま、またか」
目を覚ますと、見慣れた自分の部屋のベットで僕は寝ていた。
またあの夢だ。一体、なんだっていうんだ。二日続けて同じ夢を見るなんて……あの悪魔のような姿と声が再び脳裏に焼き付いてしまった。少し疲れているんだろうか。
——ガチャ
「透さん! さっきの声はなんですか!?」
「杏璃?」
血相を変えて部屋に飛び込んできたのは、杏璃。
今日も朝早かったせいか、飛び起きてそのまま僕の部屋に来たようだ。その証拠に今日も肩まである長く綺麗な黒髪が少しはねている。昨日と同じ白地に青の水玉のパジャマ。
夢の事といい、まるで本当に昨日の再現だ。
「いや、たいした事じゃない。昨日見た怖い夢を今日も見てさ」
「……昨日も怖い夢を見たんですか?」
杏璃は少し不思議そうに僕に問いかける。
何を言ってるんだ? 昨日も今日と同じように悪夢を見て、同じように杏璃が飛び込んできて、そして——ま、まぁ、その後の事はいいか。
「ほら、昨日話したじゃないか。杏璃が僕の部屋に来て」
「……えーっと、どんな話でしたっけ? 昨日の朝は透さんの部屋に来てはいないと思うのですが」
杏璃は少し思案するように人差し指を頬に当てて、そんな事を言う。
昨日の今日の出来事だっていうのに覚えてないなんて。どういう事なんだ? 僕の頭の中に疑問符が浮かぶ。
「もしかして、からかってる?」
「透さんこそ、私の事をからかっているんですか?」
杏璃は唇を尖らせて不満気にそう言う。
その表情を見る限り、僕の事をからかっている訳ではなさそうだ。だとすると、これはどういう事になるのだろう。僕の思い違いなのか? だけど、確かに昨日——
「……はぁ。透さん、寝ぼけてるんですね。とくに何もないのなら私は部屋に戻ります」
「あっ、待って杏璃。今日はどうする? 昨日は僕が場所を考えておくなんて言ったけど、実は考えつかなくて」
僕の問いかけに、杏璃は不思議そうな表情で首を傾げる。
「……何の話ですか? 私、何か約束してましたっけ? 今日は、お店もありますし、どこかへ出かけるのは難しいとは思いますよ」
……うーん、昨日はあんなに楽しみにしているように見えたんだけどなぁ。
それに、今日は定休日のはずだ。杏璃が間違えるはずはないと思うし、これは本格的に訳がわからない。結局、それ以上質問を重ねる事もできず、杏璃は怪訝な顔をしたまま自分部屋へと帰っていった。
***
僕が感じた違和感の正体が意外な所で判明した。
それは、日付だ。この店の時計も、テレビも、新聞も、携帯の日付も、ありとあらゆる全ての日付が昨日ものなのだ。
間違いなく僕は昨日を覚えている。けれども、今日は昨日に戻っている。それを知っているのは僕だけ……。これが大掛かりなドッキリなら、まだいい。
だけど、それは考えにくい。あとは、僕自身が壮大な勘違いをしているかという事になるが、あいにく、僕はまだそこまでボケてはいない。要因として考えられるとすれば——
「……ここしかない、と思うんだけど」
そう呟きながら、中央公園にある時計台を見上げる。
市役所に寄って、僕がまだ貸してもらっていないはずの鍵が市長の手元になかった事でそれは確信めいたものに変わった。もしも今日が昨日ならば、もちろん僕の手元には鍵はないはずだからだ。……まぁ、僕が鍵を持っている時点で予想はついていたけれど、一応、念のためというやつだ。
「……時計台の時計は動いている」
僕は昨日の夕方から夜になるぐらいの時間に直したはずで、今日が昨日ならば、朝の時点で動いているという事はおかしな話になる。
僕は時計台の中へと入る扉の前で一度足を止めて、深呼吸をしてから鍵を開けた。
(続く)
- 時計台の夢【7】 ( No.60 )
- 日時: 2014/12/18 21:18
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: FpNTyiBw)
時計台の中に入ると、身体に重くのしかかる様な異様なプレッシャーが僕を襲う。
この中だけ空気が重い。全身で感じる嫌な雰囲気、直感が僕にこれ以上進むなと伝えてくる。
「……だけど」
僕の勘違いであるならそれで良い。笑って何事もなかったように済ませられる。
けれど、今回の件に関しては不可思議な事が多すぎる。市長のあの話、二度も見たあの悪夢、昨日が繰り返された今朝の一件、そして時計台の時計が動いている件……どう考えても何らかの原因がこの時計台にあると思う。何故かはわからないけど、ここでこのまま放置すればとんでもない事になりそうな気がしてしょうがないのだ。
ゆっくりと螺旋階段を上がっていき時計台の核の部分である場所へと辿り着く。そこで見たものは——
「……な、なんで、あなたが」
そこに居たのは、この時計台が動き出すのを一番楽しみにしていた人物、フリーの新聞記者である大垣さんだった。
「これはどうも、また会いましたね。止まっていた時計がついに動き出したんですね。これで私の夢が叶った」
大垣さんはそう言うと、口角を少し上げて笑う。
その表情を見た瞬間、ピンとくる。この不可思議な現象の原因はこの人にあるんではないかと。少なくとも無関係という事はありえないのでは。関係者以外は立ち入り禁止のこの時計台の中に入っているのだから。
「どうして……あなたがここに居るんですか? それと、この時計台の時計は昨日の夜に修理できたんです。ですが、昨日は今日で、今日は昨日になっている。不思議な事にそれを覚えている人は居ないんです。つまり今日は直っていないはずなんです」
突然こんな話をして少し頭がおかしいと思われるかもしれない。それと、正確に言えば居ないかもしれない、だが。
「……なかなか面白い事を言うんですね。勝手に入ったのは認めて謝ります。しかし失礼ですが、その他の事はあなたの妄想では? もしくは夢でも見たんではないんですか? 仮に水島さんの話が本当だとしても、どこの世界にそんな事をできる人間が居るというんですか?」
けれど、大垣さんはとくに戸惑う様子もなく皮肉まじりにそう言って僕に問いかける。
確かに普通ならば僕の方がおかしい事を言っている。妄想と言われても仕方のないくらいに。——けれど、それだけでは片付けられない事が起きている。
それに大垣さんがこの場所に居る事が何よりの証拠ではないんだろうか。鍵は僕が持っていて、他の誰も持っていない。つまり、大垣さんは何らかの方法でこの時計台に入った事になる。どういう方法を使ったかはわからないが。でも、それを証明する事ができない以上ここで大垣さんと言い合っても水掛け論になってしまうのもまた事実。ここは一度引き返して情報を集めるべきだろうか。
「……すいません。とにかく、ここから出て行っていただけますか? 関係者以外は立ち入り禁止ですので」
そう言って出口へ続く螺旋階段に視線を向けて大垣さんに背を向けた瞬間、全身に高圧電流でも流されたかのような鋭い痛みの衝撃が走る。
全身の力が抜けて視界が真っ暗になりながら膝から崩れ落ちる。冷たい床の上にうつ伏せ状態で倒れこみ、生暖かい何かが自分の頭から滴り落ちてくる。
「……う……あ…うあぁぁ」
最後に見たものは、徐々に灰色から赤へと色を変えていく冷たい床。夢で見た光景とは違うが、僕が何者かに襲われるところは同じ。やはりあの夢は……僕の意識はそこで途切れた。
***
「……うあぁぁ!!」
目を開けると飛び込んできた景色は天国でもなければ地獄でもなかった。
白色のカーテンから射し込む朝の光、見慣れた僕の部屋、ベットからゆっくりと体を起こすと、まるで悪夢でも見ていた後のように嫌な汗を全身にかいていた。
「夢……だったのか?」
そう呟きながら自分の頭を触って傷がないか確かめるも、血どころか傷痕すら見つからない。一体どういう事なんだ。確かに僕はあの時——いや、待てよ。
今日は、今日は一体いつなんだ? 昨日と同じく同じ一日を繰り返しているのだとしたら今日も昨日で、あの時計台にはあの記者……大垣さんが居て、またあの時計台に行けば僕は——
「……殺される」
その言葉を口に出した瞬間、背筋に冷たいものが流れる。
同じ日を繰り返すのだとしたならば、この状況から抜け出す方法を考えるべきだ。まず始めに僕があの時計台に行かないという方法。これならば同じ結果にはならないはず。
けれども、もっと深刻な何かが起きてしまう事も考えられる。あの噂が事実だとして、僕が見ていた夢が正夢だとすると、悪魔がかかわっている事になる。本当にそんな非現実的な事がありえるかというと疑問を抱くけども、これはもう事実として認めざる得ないのかもしれない。
「…………」
ともあれ僕は生きているのだからまだチャンスはあるはずだ。そう思い、僕はベットから出た。
(続く)
- 時計台の夢【8】 ( No.61 )
- 日時: 2015/04/16 20:08
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: w4lZuq26)
着替えをしてから店の方へと向かうと、既に杏璃が開店のための準備をしていた。そんな光景に、自分が巻き込まれている非日常からほんの一瞬だけ思考に日常が戻ってきたような気がする。
「あれ? 透さん、今朝は早いんですね。お出掛けですか?」
「……うん、少し調べたい事があってね。なるべく早く戻ってこようと思うんだけど」
僕は一旦そこで言葉を切って、杏璃が心配しないよう強張っているであろう表情を無理矢理に隠して笑顔を作る。
「もし僕が遅くなったら、お店の事は頼むね」
「はい、任せてください。でも、なるべく早く帰ってきてくださいね?」
少し悪戯っぽく笑いながらそう言った杏璃に、僕は曖昧に濁した返事しか返す事ができなかった。
***
店を出てからやってきたのは緑葉図書館。市内にいくつかある図書館の中でも一番大きいこの図書館は古くからあるこの土地の話をまとめた書物がたくさんある。僕が探しているのはもちろん——
「……悪魔の話……」
西洋に出てくるような話はいくつかあっても、この土地の、しかも時計台に関する悪魔、もしくはそれに関連するような書物はなかなか見つからない。
当然といえば当然かもしれないが、市長の話ではその当時話題にもなっていたくらいだし、その情報源がどこかにあってもおかしくはないと信じたい。祈るような気持ちで本棚を探していると、ひときわ異彩を放つ本が目に留まった。
「……緑葉市の悪夢」
タイトルを読み上げながらその本を本棚から抜き出す。
全体が黒っぽいハードカバーのその本は、いかにもな怪しさがある。恐る恐るページをめくっていくと、『黒の悪魔』と書かれたインデックスが目に飛び込んできた。
そこには資料……というより、おとぎ話のように語りべ調で物語が書き綴られていて、要約してしまうと、悪しき心を持つ黒の悪魔なるものが人々を長きにわたり苦しめたらしい。その方法は時間を操作して同じ日を繰り返させる事と書いてある。時間の操作をして繰り返し——というと少し語弊があるかもしれない。
実際に時間の操作をして繰り返すのではなく、勘違いさせるといった方が正しいだろうか。この話に出てくる黒の悪魔は、人々の記憶を操る事ができるのだという。
つまり、今は『何日の何時』という時間の概念も人々の記憶の操作によって違う日付に変わる。実際に時間が戻っているわけではないし、簡単に言ってしまえば忘れているだけだから体感時間が凄く長くなるという訳だ。気付かなくとも同じ日を永遠に繰り返す事によってやがて人は知らず知らずの内に精神に異常が出てくる。その後待っている未来は——いや、もうよそう。これはあくまで本に書かれている事であって、信憑性的にはUMAやその類の話と大差ない。
「……時間の操作、記憶の改変」
しかし、符号する点も多い。さらにこれまでの出来事と本の内容を重ねると、僕が夢の中で見たもの、そして昨日時計台で出会った大垣さんが黒の悪魔であるという事はもはや疑う余地はなさそうだ。
一番の問題はどうするか、だ。警察に行くか? いや、駆け込んだところで頭のおかしい奴だと思われて終わりだろう。市長に言ってこの仕事をキャンセルする? いや、これは問題の先延ばしに過ぎない。それにテレビの情報すら変わらない事を見ると、この町から逃げ出したところで結果は変わらないだろう。逆に言うとそれだけ支配する力が強大という事にもなるのだが。
——待てよ。この黒の悪魔が記憶の改変ができるのならば、どうして僕の記憶はそのままなんだ? それに……僕は生きている。あれが夢ではなく記憶の改変なのだとしたら変だ。
なぜなら僕は一度殺されているはずだから。だとしたらこの本に書かれている事自体が間違っている事になる。
「…………一体、どういう事なんだ」
生きているのが夢じゃない事を確かめるために力を込めて拳を握りしめる。確かに感じる痛みは現実のもので、夢ではないと告げていた。
***
あの後も本を読み漁ったがあれ以上の情報は得られなかった。わかったのは黒の悪魔が記憶の改変ができるという事と、何らかの形でこの土地に封印されたという事。解決策も見つからないまま、僕は無意識のうちにクロックへと戻ってきていた。
「……ただいま」
「おかえりなさい。透さん、お客様が来てますよ」
杏璃がジェスチャーでお客様が居る方向を教えてくれる。それを辿って視線を向けると、そこにいた人物は——
「やぁ、また会いましたね。今日は時計台には行かれないんですか?」
そう言いながらまるで何事もなかったかのように笑う大垣さんだった。
昨日、僕を襲った人物、いや、黒の悪魔。こんな所まで来るなんて迂闊だった……張りつめたような緊張が僕を襲って嫌な汗が額に滲む。
「……今日は少し用がありまして」
気取られないように平静を装って返事を返すも、声は少し震えていた。情けない話だけどさっきから手も足も勝手に震えている。あの恐怖が鮮明に脳内で再生されて僕の思考を支配する。逃げたい、逃げてしまいたい。でも、僕はともかく杏璃は、杏璃だけは絶対に危険な思いをさせちゃダメだ。血が出るくらいに強く拳を握りしめて震えを止める。
「そうですか、それは残念だ。……今日は少し質問があって来たのですよ」
大垣さんは少し残念そうにした後、今度は芝居がかったように人差し指を立てて話し始める。それはさながら舞台に立つ役者のように。
「……質問、ですか」
「えぇ、とても簡単な質問です。本来なら答えも簡単のはず。だから私には理解できない」
そして大垣さんはゆっくりと息を吸うと——
「どうしてあなたは死んでいないんだ?」
静かに、しかしそれはハッキリとした口調でそう僕に問いかけた。
(続く)
- 時計台の夢【9】 ( No.62 )
- 日時: 2015/01/11 23:55
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: mJV9X4jr)
「杏璃っ! 逃げるぞ!」
「えっ……えっ?」
その瞬間、僕は弾かれた様に飛び出し、突然の出来事に理解できず戸惑う杏璃の手を引いて店の外へと飛び出した。
「と……透さん、一体何があったんですか!?」
「今は説明している暇はない! とにかく走るんだ!」
人目に付かない裏道を通るより人通りが多い大通りを使うべきだ。いくら悪魔でもこんな人目の付くところでいきなり襲いかかったりはしないだろう。とはいえ、これも推測でしかない。実際、悪魔の思考なんて知らないし知りたくもない。
僕と杏璃は走るペースを落とさないで大通りを抜けて市役所へと逃げ込む。ロビーに着いたところでようやく足を止めて一息ついた。すると、杏璃が荒い呼吸をしながらジト目で抗議の視線を向けてきた。
「……はぁ、はぁ。い、一体どういう事か説明して下さい」
荒い呼吸のまま杏璃は僕に問いかける。一度深呼吸してから自分の呼吸を整え、杏璃の方へ正対して真っ直ぐにその大きな瞳を見つめる。
「真剣な話だから笑わないで聞いてほしいんだ。……僕は悪魔に追われている」
僕がそう言った瞬間、杏璃の大きな瞳がパチパチと瞬きをして不思議そうな顔で僕を見つめ返す。当然と言えば当然なのだが、こんな話を真面目に聞いてくれという方が難しい。空想や妄想、もしくは小説や映画の話ならまだしも、現実でこんな事が起きているんだなんて事を言えば間違いなく頭がおかしいと思われるだろう。それでも、杏璃には話しておかないといけない。
「……えっと、透さんお仕事のし過ぎで少しお疲れなんでしょうか? 今日はもうお休みになられた方が——」
「聞いてくれ杏璃! 真面目な話なんだ! この間の時計台の修理、あの時計台に関わってから僕は危ない事に巻き込まれてる!」
「ち、ちょっと、落ち着いて下さい、透さん。注目されています」
杏璃の声に冷静になって周りを見渡すと、一体何が起きたんだとばかりに突き刺さる視線。市役所に来ている人から職員までが訝しげな表情で僕たちを見ていた。
しまった。少し熱くなり過ぎたか。僕がこんな事じゃダメだな。もう一度深呼吸をして自分自身を落ち着かせる。
「ごめん。だけど、本当の事なんだ。信じてもらえないかもしれないけど、恐ろしい奴なんだよ」
「……は、はぁ。で、では、その事について詳しく話してもらえますか?」
杏璃は戸惑いながらそう言うと、近くにあった備え付けのベンチに腰を下ろして僕の話を聞いてくれる体勢になった。もちろんこの件に関してはまだ懐疑的だろうけど、もし僕が逆の立場だったらと考えると大きな進歩だ。
僕はこれまでの経緯を簡潔にまとめて話した。昨日が繰り返されている事(正確には少し違うけれど)黒の悪魔なる恐ろしい悪魔が居る事、そしてこの土地に封印されていた事、繰り返されている事に気付き殺されたはずの僕がまだ生きている事に気付いたソイツが僕を捜して狙っている事。僕が説明する間、杏璃は途中で口を挟む事なく真剣な表情で聞いてくれていた。
「——という訳なんだ。信じられないかもしれないけど」
「……そ、そのお話しは本当なんですね?」
杏璃の問いに僕は頷く。
すると杏璃は少し信じられないというような表情をしながらも「わかりました」と言って、それ以上僕に何かを問いかける事はなかった。
「問題は、これからどうするかですね……」
杏璃は溜め息混じりにそう呟く。さもすれば頭がおかしくなったと思われてもおかしくないこんな話を信じてくれる杏璃に僕の胸の内から込み上げてくるものがある。
さておき、確かにその原因がわからない以上、解決方法もわからない訳で。図書館で調べた情報も役に立つ情報ではなかった。悪魔の能力や歴史がわかった所で、およそ人間の介入できる範疇ではない。とは言え、いつまでもここに隠れている訳にも——
「——!? あ、あいつ、もうこんな所まで……」
ふと正面入り口に目を向けると、誰かを捜すように辺りを見回す大垣の姿があった。
とっさに杏璃の頭に手を置き、杏璃と共に自らも身をかがめる。
今のところ見つかってはいないようだが、こうなるとここも安全ではない。なるべく早くここから出たいところなのだが、あいにく外へ出れるルートは出入口であるここだけだ。
あまり悩んでもいられないのでこの場所から移動するしかない。けれどここに来たのも考えなしではなく、あいつが無暗に入れない場所が一つだけここにはあるからだ。
「……杏璃、気付かれないよう静かに歩けるか?」
「……は、はい」
(続く)
- 時計台の夢【10】 ( No.63 )
- 日時: 2015/01/11 23:59
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: mJV9X4jr)
「それで、時計台の話という事だが?」
「はい、一部重大な欠陥が見つかりました。修理には少々お時間がかかるかと……」
やってきたのは市長室。
前にも一度仕事を依頼された時にもここには来ている。時計台の修理の話となれば市長も会ってくれるだろうと思っていたのでここまでは計算通りだ。
それにここは警備が厳重で、アイツもおいそれとは入ってこれないはず。こちらの姿は発見されてないのでアイツがいなくなってから移動という作戦だ。ちなみに一緒に連れてきた杏璃は初めて市長室に入ったせいか、どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
「ふむ……それで、修理にはどれくらいかかるのだ?」
「まだ詳しい事は申し上げられないのですが……おそらく、長期になるかと」
僕の言葉を聞いて市長は苦い顔に変わる。
本音を言ってしまえば、この会話はアイツが諦めて他を捜しに行くまでの時間稼ぎであり、会話の内容自体あまり意味はない。なにしろ時計台の修理はもう終わっているのだから。それを知っているのは、あの大垣こと悪魔と僕と杏璃だけだ。
何かを思案していたように顎に手を当てていた市長はやがて嘆息混じりに口を開いた。
「まぁ仕方がないな。元々こちらが依頼したのだし、修理出来るのであれば問題はない。だが、期間が長引いても報酬は変わらんのでそのつもりで頼むよ?」
「はい、なるべく早くには修理させていただきます」
僕の言葉を聞いて安心したのか、市長は先程までの苦い表情を少し和らげた。
「……ところで、君の後ろに居るお嬢さんは?」
市長は僕の後ろに居る杏璃を見て問いかける。
そりゃそうか。この間はひとりで来てたし、今回は何も言わずいきなり杏璃を連れてきたら気になるよな。それにとくに紹介も挨拶もしていない訳だしな。
「はい、彼女は店の従業員でして、住み込みで手伝ってもらってます。今回は僕の補佐というかたちで同席させていただきました」
「なるほど、要するに水島君の彼女か。君も隅に置けんな」
「か、彼女!? そ、そそそんな、と、透さんの彼女なんて、その……」
市長の言葉に両手で頬を覆い耳まで真っ赤にして照れる杏璃。
そんなに動揺されるとそれはそれで僕が変な勘違いをしそうなんだが……。市長も誤解されているようだし。とういうか、どこをどう取ったらそんな話になるんだ。けれど時間稼ぎにはなるし、とくに否定せず話題をひろげた方がいいかもしれないな。そんな事を考えていると、突然外から大きな声が聞こえてきた。
「おいっ、君! ここは許可証が無い者は立ち入り禁止だ! 止まりなさい!」
僕が市長室に入ってくる時に居た扉の前に立っているであろう警備員の声が聞こえてくる。その声音から察するに何者かが無理矢理入ってこようとしている? 少し和らいでいた空気が一気に張りつめた。
ま、まさか、アイツここまで——!?
「……ふむ、なにやら外が騒がしいな。一体なんだというのだ?」
そう言って、市長が扉の前まで行きドアを開けようとしたのを僕は大声で止める。
「開けないでください!」
そんな僕の声も空しく市長は扉を開けてしまった。
その瞬間「うわわぁっ!」と言う声と共に市長室の前で警備員の男がまるで人形のように投げ飛ばされ部屋に入ってきた。かなりガッチリとした体躯の人なのにいとも簡単に。その投げ飛ばした人物は——
「……黒の……悪魔」
「おや? 私の事を知っているのですか」
僕がそう呟くと大垣こと黒の悪魔は少し意外そうな表情をした後、頬に付いていた血を指ですくって舐めた。先程投げ飛ばした警備員ともみあった時に付いたのだろうか? それともここに来る前に付いた血なのだろうか。今はそんな事を考えている場合ではないというのに頭が上手く回らない。
「君、どういうつもりかわからないが、これ以上暴れるなら警察を呼ぶぞ。大人しく出ていきなさい」
市長は強い口調でそう言うが、大垣は意に介していないようで興味がないような目で市長を見つめていた。そもそも警備員に暴行して市長室に押し入っている時点で警察に通報なのだが、刺激しないようにという市長の配慮なのであろう。さすが市長と呼ばれるだけあって対応も冷静だ。だが今回は相手が悪い。
「うーん、ハッキリ言ってあなたには興味がないのですよ。邪魔さえしなければ長生きできるので、そちらこそ大人しくしててもらえませんか?」
「どうやら話が通じない相手のようだな。目的はなんだ? どちらにせよ長引けば長引くだけ君の罪は重くなるぞ」
市長の言葉に大垣はもはや堪え切れないといった感じで笑う。
「あっはははっ! 面白い事を言うのですね。そうですね……目的はあなたの後ろに居る男、水島さんですよ。彼さえ引き渡してくれれば危害は加えませんよ。それと、一応言っておくと誰が来ても私を止める事はできないでしょうが」
大垣の鋭い視線が僕に向けられる。
蛇に睨まれた蛙状態で、まるで全身が凍り付いたように指先すら動かす事ができない。じっとりした嫌な汗が全身から出てきて、心臓は気持ち悪いほど鼓動を早めていた。僕はまた殺されるのか? 今度は夢じゃなく本当に?
「……透……さん」
不意にかけられた杏璃の声に僕は少し平静を取り戻す。
僕の背中に隠れるにしていた杏璃は不安そうな表情で僕を見ていた。……そうだ。杏璃だってこの状況で怖くないはずがない。杏璃を守るために一緒に連れて逃げてきたのに、逆に怖い思いをさせてどうするんだ。そう思った瞬間、恐怖心が薄れていくのがわかった。
「……僕が目的なのなら、僕が付いていけばいい。だから、ここに居る人達に手を出さないでくれ」
「透さん!?」
「水島くん!」
杏璃と市長が揃って驚きの声を上げるが、僕は片手で二人を制するようにして止めた。
「ふふふっ、いや、実に水島さんは聡明な方だ。もちろんお約束しますよ。絶対に手を出さないと、ね」
不敵な笑みを浮かべてそう言う大垣に、僕は頷いて大垣のもとへ歩いていった。
(続く)
- 時計台の夢【11】 ( No.64 )
- 日時: 2015/03/31 17:38
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: RnkmdEze)
「気分はどうです?」
「……最悪だ」
——あの後、市役所から出た僕は大垣に連れられて時計台の内部に来ていた。
まだ外は明るいというのに、時計台の中は薄暗く独特のひんやりとした空気が漂っている。大垣に問いかけられた言葉に僕は苦い表情で返事をした。悪魔と一緒だと言うのだから気分なんて良い訳がない。こんな状況で楽しいと感じられたのならば、それは正気の沙汰とは思えないだろう。
「安心してください、すぐには殺しません。少し聞きたい事もありますしね」
そう言って、大垣は薄笑いを浮かべる。
それはとても気持ち悪いもので、その顔を見た瞬間、何もされていないのに身体の中にズッシリとした重い物を入れられたと錯覚するくらいに本当に身体が重くなる。
「……聞きたい事ってなんだ?」
「君の事です。どうして君は死んでいないんだ? あの時、私は確かに君を殺したはずだ。なのに、君は生きている」
心底不思議そうな顔で大垣は問いかける。
それもそのはず、確かにあの時僕は死んだ。けれど、どういう理由かわからないけど僕は生きている。僕にもわからない事に説明なんて出来る訳がない。
「……知らないよ、僕が逆に尋ねたいぐらいだ」
「ふむ……では、用はありません。ですが、せっかくここまで来たんです。せめてもの情けに昔話でも教えてあげましょう」
そう言って、大垣は面白くなさそうに話し始める。
「大分昔の話です。もちろん、君が生まれる前の話ですよ。——その当時、今より力があった私は自由にだった。好きな時に好きな事をして生きていた」
その『好きな事』とやらは、きっと人々を困らせる事だった事に違いない。いや、困らせるなんてレベルではないのだろうが。
その辺の事は図書館の資料で確認している。信憑性に欠けるかと思ったりもしたが、たった今本人から裏付けが取れたので間違いない。
「しかし、そんな私の邪魔をする人間が現れた。そいつは私との長い戦いの後、私を封じ込めた。この場所にね。だが時は経ち、封印の力が弱まったおかげで人間になる事で私は外に出る事ができた」
「…………」
それが仮の姿でもある、フリーの記者である大垣 竜という訳か。
「喜びに打ち震えたよ。やっと外に出てあいつを殺せると思ったらね。だが、そう上手くはいかなかった。封印を完全に解くのには、時計台を動かさなければいけないというじゃないか」
「……時計台を動かしたがっていた理由はそれか」
僕の言葉に大垣は頷く。
思えば最初に出会った時も時計台に高い関心を示していた。理由がそれならば納得もできる。しかし、この時計台にはやはり特別なものがあるんだろうか? 夢の事といい、その事に関してはいまだ謎のままだ。
「完成して私の力が戻っていくと、私は目障りになった君を消した……はずだった。だが、予想外にも君は生きていた。もしや、とも思ったのだが君は何か特別な力を持っているようだね」
「……そんな力は持っていない。俺は普通の人間だ」
「普通の人間? あっははは、面白い事を言う。私の力の介入を許させない時点で君は普通の人間ではない。そう、もしかしたら君は——」
——バターン!
大垣が何か言いかけた瞬間、時計台の入り口の扉が勢いよく開く音がした。大垣は何事かと鋭い視線を階下の入り口に向ける。
「無駄な抵抗はやめろ! お前はもう包囲されている!」
階下から野太い声が聞こえてくる。
多分、警察だ。杏璃か市長が呼んでくれたんだろう。けれど、市長室で大垣が言っていたように無駄かもしれない。余計な犠牲者を出す前に止めさせないと。
「ふん、羽虫どもがぞろぞろ来たようですね。少々面倒ですが、蹴散らしてやりますか」
「ま、待て! やめろ!」
僕の制止も効果はなく、大垣は螺旋階段を大ジャンプして飛び下り入り口に着地した。
一番上のここから下まで高さは三階建てくらいあるというのに……。慌てて僕も螺旋階段を降りると、既に入り口には最初に警告をしてきた警察官がひとり倒れていた。そうかと思えば、大垣は一瞬にして姿を消してしまう。
「大垣っ! やめろっ!」
急いで扉を開けて外に出るが、そこに広がる光景は惨劇だった。
公園の芝生の上にかなりの人数の警察官が倒れている。その倒れたところから流れ出す鮮血が血だまりを作り、いつも綺麗な緑の芝生が赤に染まっていた。
大垣はゆっくりと僕に振り返ると、あの背筋が凍るような気持ち悪い笑みを浮かべた。そのまま頬に付いた返り血を右手ですくってそれを舐める。それを見てふつふつと湧く怒りの感情。どうしてこんな事を? 恐怖の感情を怒りで上書きして大垣に詰め寄る。
「大垣っ! 僕がお前について行けば他の人に手を出さないと言ったろ! どうしてこんなひどい事を!」
「あの二人には手を出さないと約束しただけです。他は知りませんね。……それと、どうして、という質問ですが、復讐です。私を閉じ込めたあいつを、その同族である人間達に、ね」
大垣の光が宿らないその瞳は深い闇に満ちていた。
まるで陽の光が一切届かない暗闇。その瞳を見ているだけで全身が粟立ち、再び恐怖で鼓動が早くなる。なんとか、なんとかしないと。
そんな時、焦る僕の耳に聞こえてきたのは聞きなれた声。
「透さーーん!」
「あ、杏璃!? 来るな!」
(続く)
- 時計台の夢【12】 ( No.65 )
- 日時: 2015/03/31 17:45
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: RnkmdEze)
杏璃が少し離れたところから僕の名前を呼びながら駆けてくる。
まずい……このままじゃ。そう思った瞬間、身体が勝手に反応していた。それは大垣に向かってがむしゃらの突進。ハッキリ言って意味なんてないけど、杏璃から気を逸らさして逃げさせる時間を稼げれば上出来。せめて、この町から逃げてくれれば。
「気でも触れたのですか? そんなに急がなくても今度は確実に殺してさしあげますよ」
「杏璃っ! 早く逃げろ! ここから出来るだけ遠くに行くんだ!」
「透さん! 危ない!」
杏璃にそう言って、ほんの一瞬だけ目を逸らした間に大垣は僕の後ろに回り込んでいて、尋常ではない力で僕の喉元を捕まえて締め上げていく。そのまま首を片腕で掴みながら徐々に上へと僕の身体が持ち上がっていく。
「かっ……はっ……」
「透さんっ!」
薄れゆく意識の中、杏璃が必死になって僕のところへ走ってくるのが見える。ダメだ……早く、逃げ……ろ。
「ぐぅっ!」
「……か……はっ、はぁ、はぁ」
もうダメだと思った瞬間、不意に大垣に締め付けられていた首から力が緩み、僕の身体が地面へと落下した。呼吸が確保されて、ぼやけていた景色が正常に戻ってきた。
首をさすりながら大垣を見ると、大垣は僕の首を掴んでいた手を押さえて呻き声をあげていた。あの様子、苦しんでいるのか?
「透さん! 大丈夫ですか!?」
気付くと、杏璃が僕の傍に来て心配そうに背中をさすってくれていた。
「あ、杏璃、危ないから逃げろって言ったろ」
「嫌です! もし透さんが私と同じ立場なら見捨てて逃げますか?」
杏璃にしては珍しく、眉根を寄せて強い口調で僕にそう言った。
普段は見ない杏璃の厳しい口調に圧倒されながら答える。
「それは……杏璃は女の子で、僕は男だから」
「そんなの関係ありません。男だから、女だからって誰が決めたんですか?」
「……そ、それは」
そう言われてしまうと、自分が理不尽で勝手な事を言っているように思えてしまう。って、今はそれより——
「大垣は!? あいつは!?」
視線を戻して見ると、大垣はまだ手を押さえたままうずくまっている。しかし、ゆっくりと起き上がると射抜くような鋭い視線を僕たちに向けてきた。
「お、お前、一体何を持っている!」
今にも飛びかかってきそうな勢いで大垣が僕に詰め寄ってくるが、杏璃を庇いながら少し後退り距離を取る。——何って、何も持っていない。警戒しながら片手で自分の持ち物を確認するが、持っている物は携帯と財布と、前回の作業で剥がした妙な張り紙がジーンズのポケットに入っているだけ。
……張り紙? 待てよ。確かあの張り紙、絶対に剥がすなと書いてあった。もしかしたら——どうせダメでもともとだ。試してみる価値はある。
利き手である右手にジーンズのポケットからその細長い短冊の形をした張り紙を握りしめ、そのまま服の袖へと隠すように移動させる。かなり難しいが、なんとか袖へと移動させて大垣を睨みつける。
「大垣、降参だ。大人しくするから、約束通り杏璃には手を出さないでくれ」
自らの両手を上げて、武器は持っていないアピールをしてから降伏宣言する。突然の僕の降伏宣言に杏璃は怒ったように僕の腕を掴み抗議をしてきた。
「何を考えているんですか!?」
「杏璃……僕を信じてくれ」
そう言って僕は懇願するように杏璃の大きな瞳を見つめる。
杏璃は僕に何か考えがあるのだと悟って躊躇いながらも僕を掴んでいる手を離してくれた。大垣はその様子を見て、またあの気持ち悪い薄ら笑いを浮かべている。僕の考えが正しければ、次で大垣は、黒の悪魔は終わりだ。
「フフフッ、どうやら観念しましたか。先程の焼けるような手の痛みの原因は気になるところですが……君を殺せば問題はない」
「…………」
ゆっくりと大垣へと向かって歩いていき、ほんのあと数センチといった所で足を止める。
大垣は薄ら笑いを浮かべたまま、僕に向かって腕を振り上げた。
その瞬間、僕は袖に隠し持ったその細長い張り紙を大垣の心臓目掛けて張り付けた。
「ぐわゎあぁぁっ!! お、お前! お前ぇ!」
想像を絶する、この世のものとは思えない叫び声を上げながら大垣は胸をかきむしり崩れ落ちる。
時間にしたらほんの数秒の出来事だったのだろう。無我夢中で動いていた僕が現状を理解した時には大垣が目の前で倒れていて、杏璃が僕の身体を抱き締めながら「……本当に良かった」と言いながら泣き崩れていた。遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
「……本当に終わったんだ」
いまだ現実感が戻らない頭でひとり呟くと、安堵感がじわりじわりと心の中から滲み出てくるのだった。
(続く)
- 時計台の夢【13】 ( No.66 )
- 日時: 2015/01/31 16:43
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: y68rktPl)
「予知夢、ですか?」
「そうじゃ、多分お前さんは予知夢を見たんじゃ。それで、実際に助かったのはそのありがたーい御札のおかげっちゅう事じゃな」
翌日の午後、僕は地元でも有数な名家の家に呼ばれて来ていた。
——あの後、大垣は大量殺人犯として逮捕された。新聞でもテレビでもこぞって取り上げていて、大垣の話題を聞かない日はない。悪魔であり、人外の力を使う大垣だが、報道ではそのような内容を含んだものはなかった。当然と言えば当然なのだろう。予想であるけれど、大垣は力を使い果たしたのか、御札の効果かはわからないが、以前のような力は使えないみたいだ。なぜなら、使えているのならとっくに脱走しているはずだから。
しかし、また力を取り戻したらという恐怖もある。さておき、そんな非科学的な力の、映画や小説の世界に出てくるようなものは現実では信じられないというのが人間の本音だろう。それに、実際に目撃したのは僕と杏璃だけ。——そう言えば、市長も少し見ていたはずだけど、あれから連絡がないな。
さておき、証言したところで狂言になってしまう可能性が高い。話が逸れた。あの後、僕達は事情聴取を受けたあと、事件の話を聞いた時計台の関係者である……今僕の目の前に居るお爺さん(恩田さんというらしい)に話を聞きたいと言われ、お邪魔したのだ。
実際、僕も色々と聞きたい事もあったのでその申し出は幸運な事だった。図書館の本を漁っても大して出てこなかった情報。現在は小康状態であるとはいえ、今後の対策を練る為にも必要な事だ。
ちなみに杏璃は調べたい事があるらしく今日は別行動だ。故にクロックはお休み。開店休業状態の店を開けておくより、今はこちらが大事だ、っと、本当は僕自らこんな事を言っててはいけないのだろう。それに杏璃についててあげたかったけど、この話を聞く事で杏璃を後々守れる方法になるかもしれないとも思ったのもある。
「わしの、ひいひいひいひいひいひい爺さんが言っておった。大昔の話じゃが、あの時計台は悪魔を封印した場所であり、結界を張った場所でもあると」
「…………」
「つまり、あの中でなら悪魔の力は及ばないという訳じゃな」
一つ解せない事がある。
大垣に殺されたはずだったあれも予知夢だったんだろうか? だとしたら僕は予め予知していた事になるのだが、大垣も僕を殺したはずだと言っていたからそれは少しおかしい。
予知であるのに記憶を共有しているというのは聞いた事はない。それとも、それは僕の妄想だとでも言うのだろうか? もしくはまだ大垣には知られざる力があって、夢の中で殺したら現実でも殺した事になる、とか。もう一つ考えられるのはデジャブだけど……それもまた少し違う気もする。
「……少し気になる事があるんですが、あの時計台には他に不思議な事というか、話はありますか?」
僕の言葉に恩田さんは「うーむ」と、うなりながら考え込む。
少しの間黙考した後、思い出したという表情をした。
「そういえば、あの時計台は——」
***
「……時計台の時間を止めれば悪魔は力を出せなくなる」
恩田さんの家から自宅へと帰る途中ひとり呟く。
『時を止める事で悪魔の力を抑えている』僕はその恩田さんの言葉を聞いて力なく項垂れる。もし僕があの時計台を修理しなければ、こんな事にはならずに済んだかもしれない。
あの仕事を引き受けなければ、あの時殺された人達は無事だったかもしれない。後悔が寄せては返す波のように襲う。不意に吹き付ける風で木々がざわざわと揺れる。気が付けば辺りには夜の帳が落ちていた。
「……今からでも遅くない。時計台を止めに行かなくちゃ」
大垣が捕まった今、時計台を止めてしまえばもう何もできないはずだ。市長との約束は反故になってしまうけれど、そんな事より大事なものがある。これ以上、誰かを傷付ける訳にはいかない。鉛のように重くなった足でアスファルトを蹴り、中央公園へと急いだ。
***
まだ生々しく残る血痕と、立入禁止と書かれたその先へ僕は足を再び踏み入れる。そのまま時計台の裏手に回り、鍵を開けると一気に最上部へと駆け上がった。そこまで来て、しまったと思った。ここには夜間の設備がない。これだけ暗くなってしまうと、時計台の中は真っ暗だ。あいにくと今日はここに来る予定ではなかったためライトもない。
「……心もとないけど、止めるだけだから携帯の明かりで大丈夫か」
ごそごそとジーンズから携帯を取り出し、ライトを付ける。すると、ライトに照らされた部分から大きなシルエットが浮かび上がった。
ゆっくりそのシルエットの元を辿っていくと、そこには——
「ど、どうしてあなたが……」
(続く)