コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 彼女と彼の恋人事情【プロローグ】 ( No.87 )
- 日時: 2015/04/23 23:32
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KG6j5ysh)
「陸先輩は、調理部の部長なんです! そんなに陸先輩と一緒に居たいなら、桐谷先輩も調理部に入ればいいじゃないですか!」
放課後の調理室に響く少女の声。
その少女は黒髪のショートボブ、小柄の体躯、全体的にどこか小動物を感じさせるが、相手に向けられたその声音には可愛い外見には似つかわしくない、少しばかりの苛立ちと怒気を孕んでいた。
「そんな事、あなたに言われる必要はないわ。これは私と陸の問題なのだから、部外者のあなたは口を出さないでほしいわね」
その少女に向けられた言葉の相手である彼女は即座に一蹴する。
艶やかなセミロングの黒髪を揺らしながら、少女の目の前へと彼女は近づく。少女とは違う、可愛いと言うより綺麗なその顔は、冷静な口調も相まって威圧感を感じさせるものがある。
しかし、少女は動じない。一歩も引かずに彼女の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「今は部活動の最中ですから。私は関係者です。むしろ、桐谷先輩の方が部外者じゃないですか」
「…………」
少女の正論に彼女は少しだけ顔をしかめる。
その様子を見て、少女は畳みかけるように言葉を重ねた。
「反論できないみたいですね。納得してもらえたのなら、出てってもらえますか?」
「関係あるわ。陸と私は恋人同士なのだから、問題はないはずよ。むしろ、部員じゃなくても放課後に部室に来るのは自然な流れじゃないかしら」
彼女がそう切り返すと、少女は驚いて目を見開く。今まで知らなかった、自身が想いを寄せる相手に既に恋人が居たという事。
突然知らされた事実に、ショックのあまり涙がうっすらと少女の瞳に滲む。その様子を見て、今まで傍観役に徹していた柔和な顔立ちの青年が間に割り込んだ。
「はいはい、そこまで。美羽、後輩をいじめないでくれるかな。愛莉ちゃんは、わざわざ指摘してくれてありがとね」
「り、陸せんぱーい……」
柔和な顔立ちの陸と呼ばれた青年は、愛莉と呼ばれた少女の頭を優しく撫でる。
すると、愛莉は頬が緩み、陸の制服の袖をキュッと掴んだ。愛莉の陸に甘えるようなその仕草を見て、美羽と呼ばれた彼女は眉根を寄せながら湿った視線を陸に送る。
「彼女の前で堂々と他の女に手を出すなんて、よっぽどの馬鹿か天然のジゴロね。それとも陸、あなたロリコンの気でもあるのかしら?」
美羽の鋭い視線と毒の入った言葉を受けながら、陸は困ったように笑う。
陸にとって、愛莉は部活の後輩で妹のような存在でもあり、何かと自分に懐いてくれる愛莉に世話を焼いてしまうというだけなのだが、美羽にとってはそれが面白くないのだ。
「私と陸先輩は1つしか違いません!」
遠回しに自らの事を幼い子供だと言われて、愛莉が顔を赤くしながら美羽に抗議する。
しかし、当の本人である美羽はどこ吹く風状態で、その言葉を右から左へと聞き流していた。陸は苦笑しつつ、愛莉を宥める。
「でも美羽、本当に調理部に入ったらどうかな? その方が一緒に居られるし、それに美羽は部活どこにも入ってないしさ」
陸の提案に美羽はしばし黙考する。
提案自体は悪くないと美羽は思いながらも、決断できないでいた。その理由は、彼女が唯一苦手とする『料理』をしなくてはいけないという事。
美羽は陸には料理が出来ないという事を知られたくないのだ。なまじ自分の彼氏が調理部の部長で、ある程度なら何でも簡単に料理を作ってしまうだけに、全く料理が出来ないなんて恥ずかしい事を言える訳もなく、隠していた。美羽のその様子を見ていた愛莉が閃いたかのように指摘する。
「あっ、もしかして桐谷先輩は料理できないから、調理部に入りたくないんじゃ——」
「そんな事あるはずないでしょ、何を根拠に言っているのかサッパリ分からないわ。料理くらい私の手に掛かれば、楽勝よ。見くびらないで」
捲し立てるように早口で返した美羽に、愛莉や陸だけではなく、遠巻きに見ていた他の部員達も唖然とした表情で美羽を見つめていた。
美羽自身は冷静に返したつもりだったが、傍から見ると動揺がバレバレであった。
先程子ども扱いをされた愛莉が、お返しとばかりに意地悪な提案をする。
「じゃあ桐谷先輩、私と勝負しませんか? 料理対決をして、勝った方が陸先輩を自由にできる権利を賭けて——あっ、もちろん無理にとは言いませんよ。もし、料理が出来ないって言うなら別に」
「やるわ。何度も言うようだけど、料理なんて私にとっては楽勝なんだから」
悩みもせず、即答した美羽に部室内がにわかに盛り上がる。
美羽にとっては、たんなる愛莉に『負けたくない』という一心だったが、とんとん拍子で対決の日付も決まってしまい、美羽は内心で少し焦り始めていた。
その様子を見ていた陸は、自らを賞品として勝手に賭けられたにもかかわらず「やれやれ、仕方ないな」と小さく笑いながら溜め息をついたのだった。
- 彼女と彼の恋人事情【1】 ( No.88 )
- 日時: 2015/04/05 22:36
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
——空がオレンジ色に染まる頃、学園からほど近い坂道を一組のカップルが歩いていた。
学園指定の白いワイシャツに紺のジャケット、細見ながら筋肉もしっかりとついていて、柔和な顔立ちの青年、草壁 陸(くさかべ りく)は、隣りで歩いている彼女に話しかける。
「ねぇ、美羽。明日なんだけど、部活で遅くなりそうでさ。明日は一緒に帰れなさそうなんだ」
申し訳なそうに切り出す陸に彼女、桐谷 美羽(きりたに みう)は眉根を寄せて、陸に湿った視線を送った。美羽の制服は基本的に陸とデザインは同じだが、全体的に小さめで、下はチェックのスカート、そしてブラウスの襟に結んだ細く赤いリボンが特徴的だ。
「ふーん、またあのハーレム部活動に勤しむわけね。陸はいつから色魔になったのかしら?」
辛辣な言葉で陸を非難する美羽。
可愛いと言うより綺麗な美羽のその容姿は、怒ると威圧感が出るからか、あまり物怖じしない陸も少したじろいでしまう。それでも、陸は穏やかな笑みを崩さない。
陸にとってこの状況は慣れっこ、本心か冗談かは分からないが、美羽はいつもこの話題で不機嫌になる。それは、美羽の独占欲からくるものではあるが、陸はそれに気付いてはいない。
「いやいや、ハーレム部活動に色魔って。調理部は女の子の比率が多いだけで、望んでそんな状況になった訳じゃないから。それに、俺は部長」
「あら? てっきりハーレムを作りたくて調理部に入ったのかと思ってたわ」
美羽はからかうような笑みを浮かべながら、陸にそう言う。そんな美羽を見ながら陸は少し困ったように笑った。
陸は男子では珍しい調理部、しかも前任の部長にその腕を見込まれて、2年生で部長になっている。だが確かに、陸の料理の腕前と人徳、そしてその整った顔立ちにより、女子人気が高いのも事実ではあった。
「はぁ……そんな訳ないから。それに、俺の彼女は美羽でしょ? 美羽以外の女の子は目に入らないから」
「——っつ! ……よくそんな恥ずかしい台詞を真顔で言えるわね」
陸の言葉に美羽の頬がほのかに朱色に染まり、それと同時に鼓動が少し早くなった。
美羽は高鳴る鼓動を抑えながら平静を装う。そして、鼓動を落ち着かせてから陸を困らせたくて意地悪な提案をした。
「なら、今ここで私にキスして証明してみせてよ。そしたら信じてあげる」
「えっ、キス? ここで?」
美羽の提案に陸は反芻するように問い返した。
まだ時間帯的にも人通りが多いこの場所で、そんな大胆な行動をするには勇気が要る。
ましてや、他の学生達も通る道でそんな事をすれば、いい噂話のネタにされてしまうだろう。陸は困ったように視線を泳がす。
「そう、ここで。まさか、できないとは言わないよね? さっき、私以外の女の子は目に入らないって言ったものね」
そう言いながら追い討ちをかけるように美羽は陸に詰め寄ると、陸は後退りするように、二歩、三歩と後ろに下がる。美羽もここでキスをする気などサラサラないのだが、陸が困ったような顔をして、真剣に悩んでいるところを見るのが趣味だったりする。
「…………二人っきりならいくらでもするから、ここでは勘弁して下さい」
真剣に悩んだ結果、申し訳なさそうにそう言う陸を見て美羽は嬉しそうに微笑む。
少し趣味が悪いと思われるかもしれないが、これは美羽なりの不器用な愛情表現なのだ。
「ふふっ、じゃあ今度、駅前のお店のパフェを一緒に食べにいってくれるなら許してあげる」
「……仕方ないなぁ」
美羽の提案に、陸は嘆息混じりにそう言いながらも、どこか嬉しそうな優しい笑みを浮かべていた。
(続く)
- 彼女と彼の恋人事情【2】 ( No.89 )
- 日時: 2015/04/22 19:44
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KG6j5ysh)
「ただいま」
美羽が自宅に帰ると、リビングから食欲をそそる香りが漂ってくる。
美羽は玄関で靴を脱ぐと、その匂いに引き寄せられるようにやや足早にキッチンへと向かった。
「あら、お帰り。——って、美羽、行儀が悪いわよ」
「別に良いじゃない。どうせすぐにテーブルに並ぶんだから」
美羽はキッチンでお皿に盛りつけられていた玉子焼きを、ひょいと摘まんで口の中へ。
それを見た美羽の母である葵は窘めるような口調で美羽に注意するが、当の本人である美羽は右から左へと聞き流していた。
「そういう問題じゃないの。美羽、少しは女の子らしくしないと陸くんに愛想つかされちゃうわよ?」
「陸は私にべた惚れなんだから、そんな事ありえないわ」
娘を心配した葵の忠告も美羽の耳には入らない。
美羽は成績は良い方だが、家事、とくに料理の腕は絶望的である。少し前、葵が美羽に料理を教えるため作らせたハンバーグは炭のような状態で焼き上がり、さらには外側は真っ黒なのに内側は生というある意味、器用な物を作った。それならばと、出汁と具を入れ、味噌を溶かすだけという簡単な味噌汁を作らせたが、その味噌汁でさえ、しょっぱ過ぎて食べられない味に仕上がった。
傍から見れば、焼き加減や味の調整をすればいいだけと思われるかもしれないが、美羽はその加減の調整ができないのだ。そんな美羽を見て、葵は深く溜め息をつくのだった。
***
家族4人で食卓に着くと、「いただきます」を言ってから各々が夕飯を食べ始める。
シックな木製のテーブルに並べられた夕飯は、見ただけでお腹が鳴りそうなくらい上手くできている。どうやら葵の料理のセンスは美羽に遺伝しなかったらしい。
今日の夕飯のメニューは、ロールキャベツに玉子焼き、白菜の御新香にひじきの煮物、そして味噌汁に玄米ご飯。和洋が入り混じったメニューだが、桐谷家では珍しくはない。皆が黙々と箸を進める中、葵が美羽に問いかける。
「そういえば美羽、陸くんには手作りのお弁当なんて持ってってあげたりしないの? あんた達、付き合ってるんでしょ」
「……私が陸にお弁当なんて作ったら、その日は地球が滅亡する日ね」
玉子焼きを咀嚼しながら、皮肉混じりに美羽はそう返す。
料理が得意な陸にお弁当を作って持っていくなんて、料理が苦手な美羽にとってハードルが高すぎる行為だ。下手すれば笑われてしまうかもしれない。それに美羽は陸には料理が苦手な事を言っていない。
それを聞いていた父である健一の箸が止まり、顔をしかませて、眉根を寄せる。父である健一にとって、彼氏という存在は手放しで喜べるものではなかった。大事にしていた娘を、素性の分からぬ男に取られたとあっては、胸中は複雑なのだ。
「父さん、食事時にそういう話は聞きたくないなぁ。大体、美羽には彼氏なんてまだ早いと父さんは思うんだ」
「お父さん、いつの時代の考え方なんですか? 今は彼氏の1人や2人くらい居て普通ですよ」
「母さん、一億歩譲って彼氏は仕方ないとしても、2人はいけないと思うぞ。父さんの精神衛生的にも良くないしだな」
夫婦の不毛な会話が始まったところで、美羽はひとつ溜め息をつく。
もしかしたら、葵が言ったように自分は少し愛想をつかされてきているのだろうか? と美羽は考え始めていた。
確かに陸は部長になってから美羽との時間が減ってきてしまった。部長になる以前のように、下校が一緒じゃない時も少なくない。それは仕方ないとしても、陸が他の女子と楽しそうにしていると胸の中がモヤモヤとして、美羽は無性に腹が立ち、意地悪な事をやったり言ったりしてしまうのだ。
「まぁ、姉ちゃんは性格悪いし、すぐ別れるから心配しなくて平気だよ、父さん」
今まで会話に参加していなかった2歳年下の弟の拓斗がそう言う。
ロールキャベツを口いっぱいに頬張りながら、興味がなさそうに言うその姿を見て、美羽は拓斗のお皿からロールキャベツを取り上げた。
「あっ、何すんだっ!? 俺が大事に取っておいた最後のロールキャベツを!」
「うるさい。あんたは少しデリカシーという言葉を勉強してきなさい」
美羽は鋭い視線と言葉を拓斗に送り、拓斗が大事に取っておいたロールキャベツを一気に食べた。
「俺のロールキャベツーーーっ!」
拓斗の絶叫がリビングに響き渡る。この日もいつもと変わらぬ賑やかな桐谷家の時間が流れていった。ただひとり悶々とする美羽を除いて。
(続く)
- 彼女と彼の恋人事情【3】 ( No.90 )
- 日時: 2015/04/08 23:21
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: y68rktPl)
本日全ての授業が終了の合図であるチャイムが鳴ると、そそくさと陸は鞄を持つ。クラスメイト数人に挨拶して、教室を出るとそのまま調理室へと歩き出していた。
少し急いでいるのは、部長である陸が遅刻なんてしてしまったら他の部員に示しがつかないからだ。その途中、部活の後輩である1年生の瀬川 愛莉(せがわ あいり)を廊下で見かける。
「おーい、愛莉ちゃん」
「あっ、陸せんぱーい!」
陸が声を掛けると、愛莉は嬉しそうに手を振りながら陸のところへ駆け寄ってきた。
その様子はまるで、飼い主を見つけて駆け寄る子犬のようだ。実際、愛莉の容姿は童顔で、背が小さく、愛くるしい仕草は庇護欲を刺激し、どこか小動物を思わせる。
「愛莉ちゃんもこれから部室にいくの?」
「はい。えへへ、部室に着く前に陸先輩に会えるなんてラッキーです」
「大袈裟だなぁ」
本当に嬉しそうに微笑む愛莉に陸はそう返す。
陸自身、兄弟が居ないため、自分に懐いてくれる愛莉の事を妹のように思っていた。愛莉の方はというと、陸に対して淡い恋心を抱いているのだが、それを陸は知らない。
キッカケは愛莉が入学して間もない頃、校内の階段から誤って落ちて怪我をしてしまった時、陸に優しく介抱してもらった時に一目惚れ。以来、陸が所属する調理部に入部をして陸を追いかけている。ちなみに、陸が美羽と付き合っている事を愛莉は知らない。
「今日の課題は何でしたっけ?」
「今日はアップルパイだね。生地を寝かせるのに時間がかかるから、その間にリンゴのフィリングやアーモンドクリームを作っちゃう感じかな」
「うーん、聞いてるだけでお腹が空いてきちゃいますね。……こ、今回は陸先輩と同じ班だと嬉しいです」
少々恥らいながら愛莉は一緒に居たいと主張してみるが、陸はとくに気にした様子もなく「そうだね、クジ次第だけどそうなれたら良いね」とだけ返した。
通常では3〜4人で一組の班を作って作業をする。部長であり料理の腕も確かな陸は組み込まれたとしても、全体の監督も兼ねているので、あまり一ヵ所で作業する事は少ない。本来なら顧問が監督をするのだが、顧問が適当なため……というと聞こえが悪いが、陸が任されている事が多い。裏を返せばそれだけ信頼されているという事だろう。
他愛のない会話をしているうちに、いつの間にか2人は目的地である調理室に着いていた。
「さて、今日も頑張ろうか」
「はい、陸先輩」
そう言って陸は調理室の扉を開けた。——今日も陸の部活動がスタートする。
***
傾いた陽射しの中、瀬川愛莉は帰路についていた。
調理部での活動が終わり、今日も陸と話せたという密かな喜びに頬が自然と緩んでしまう。愛莉はこれでも抑えているつもりだが、周囲から見れば一目瞭然だ。
「えへへ、陸先輩のアップルパイ、生地がサックサクで美味しかったなぁ〜」
愛莉は今日の出来事を思い出しながらひとり呟く。
愛莉にとって放課後の部活の時間は至福の一時で、そのために学校へ通っていると言っても過言ではない。
「おーい、愛ちゃーん!」
背後から掛かる声に気付き、愛莉がその声のする方へと振り向くとそこには快活そうなひとりの少女が立っていた。
「あれ? 梓ちゃん。どうかしたの?」
「あれ、じゃないよ。部活終わったら一緒に帰ろうって約束してたのに、ひとりで帰っちゃうんだから」
「あ〜……あはは、ご、ごめんね」
拗ねたように抗議する梓という少女に愛莉は苦笑混じりに謝罪する。
陸の事で頭がいっぱいで、梓との約束が脳内からすっかり抜け落ちてたとは言えずに。その様子を見て梓は何かに気付いたのか、含むような笑みを浮かべた。
「まぁ、愛ちゃんは草壁先輩にご執心ですからなぁ〜。私との約束を忘れてたとしても、仕方ないか〜」
「ちょっ! ちが——わないけど……その、本当にごめん」
尻すぼみになっていく愛莉の言葉を聞いて、梓は楽しそうに笑う。
「あははっ、良いって。愛ちゃんは本当に可愛いんだから〜」
梓は愛莉に後ろから抱きつき、頬擦りをしながらからかう。愛莉もくすぐったそうにしながらも嫌ではないのか、何も言わない。しばらくじゃれてから梓は愛莉から身体を離した。
「愛ちゃんって、草壁先輩の事好きなの?」
「ふぇっ!? き、急に何を言い出すの梓ちゃん!?」
「あぁ〜もういいや、態度でわかったから。と言うか、知ってたけど再確認したかっただけだし。でもそうなると……」
梓は愛莉に言いかけた言葉を胸の奥に戻した。
本当は「草壁先輩は付き合っている人がいたような気がしたけど」と言おうとしたのだが、憶測で変な事を言って愛莉を不安にさせたくないという梓なりの気遣いだった。
そんな梓を訝しげな表情で愛莉は見つめる。
「どうしたの? 何かあった?」
「ううん、何でもない。それよりさ、草壁先輩にお熱なのも良いけど、たまには友情も大事にしようよ〜」
「えぇっ、ちゃんと友情も大事にしてるよ」
「草壁先輩に、のとこは否定しないんだ」
「あ、梓ちゃんの意地悪……」
(続く)
- 彼女と彼の恋人事情【4】 ( No.91 )
- 日時: 2015/04/23 23:30
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: KG6j5ysh)
その日、桐谷美羽は怪訝な表情で調理室の窓から陸を見ていた。
放課後、授業が終わればそれぞれ部活や委員会などへと皆が向かう中、部活に所属していない美羽は『家に帰る』という選択肢しかない。正確に言えば他にも選択肢はあるが、どれも美羽が興味を持ち時間を有効活用できるほどのものではなかった。
「……暇ね。と言うか、なんなのよ……また他の子にデレデレしてる。この前は私以外に興味ないとか言ったくせに」
もやもやとする気持ちを抑えて、美羽が思い出すのは母である葵に言われた言葉だった。
「まさか私に飽きて……ううん、ありえないわ。例え世界が滅びてもそんな事は」
葛藤する美羽をよそに、調理室からは楽しげな声が聞こえてくる。
世界が滅びてもありえないと断言できる自信はどこから出てくるのかわからないが、美羽にとってはそれくらいありえない出来事らしい。
『陸せんぱーい、ここはどうすれば良いんですか?』
『あぁ、ここはね……こうして、こうだよ』
『わぁ、さすが陸先輩!』
部活の仲間と作業する楽しげな陸の声を聞いて美羽の眉間にしわが寄る。
別に陸が楽しそうにしている事が不快な訳ではないが、陸が他の女子と楽しそうにしているのが気に食わないのだ。ただ、美羽自身は意地っ張りなところがあるのでそれを認めたりはしない。
「……だんだん腹が立ってきたわ」
そう言いながら無意識のうちに美羽の足は調理室へと向かっていた。
***
「失礼します。ここに草壁陸という人が居ると思うのだけれども」
調理室の扉を開けて美羽は堂々した態度でそう言う。今はまだ部活の真っ最中、突然の訪問者である美羽に部員全員の視線が集まった。
陸は少し驚いた表情で、他の部員は呆気に取られたような表情で美羽を見つめている。次第にざわつき始める部員を見て、陸は急いで美羽が居る入り口に駆け寄った。
「どうしたんだよ、美羽?」
「約束していたパフェの件、今から行きましょ」
「今からって……まだ部活中だし、それは厳しいよ。終わってからでもいい? 少し待っててもらっちゃう事になるんだけど」
陸は困惑した表情で美羽にそう提案するが、美羽は首を横に振った。
「ダメよ、終わるのを待っていたらあそこのお店が閉まっちゃうもの。それとも陸は私との約束を破るの?」
「そういうつもりではないんだけど……」
陸と美羽のそんな押し問答を見ていた愛莉と部員のひとりが話し始める。
「ねぇ、あれって桐谷先輩だよね? 陸先輩に何か用なのかな?」
「さぁ? でもわざわざ来るんだから何かあるんじゃない? あっ、もしかして部長狙いだったりして」
愛莉に問いかけられた部員の子は悪戯っぽく笑いながらそう返す。
2年生の間では陸と美羽が付き合っている事を知っている人も多いが、1年生では知らないのがほとんどだ。だが美羽が凄く綺麗な先輩だというのは知れわたっていて、美羽の知名度は高かったりもする。
「うぅ〜、そんなの相手が悪すぎるよ……」
「はははっ、瀬川さんは可愛いなぁ〜。うーん、少しだけ聞こえたんだけど、なんか桐谷先輩が無茶言って、部長が困ってるっぽいなぁ」
「えっ、本当に?」
内心いけないと思いながらも、愛莉は耳をすまして陸と美羽の会話を聞く。真面目な愛莉だが、陸の事となると周りが見えなくなる事がある。
「ふーん、つまり陸は私と一緒に居たくない訳ね」
「違うって、今は抜けられないだけで——」
「陸先輩は、調理部の部長なんです! そんなに陸先輩と一緒に居たいなら、桐谷先輩も調理部に入ればいいじゃないですか!」
しばらく2人の会話を聞いていた愛莉だったが、もう我慢できないとばかりに割り込んだ。放課後の調理室に響く愛莉の声。
突然会話に乱入してきた愛莉を見て、陸は少し驚いていた。美羽の方はと言えば、ここに来る前に陸と楽しげに話す愛莉の姿を見ていたのでなんとなく敵だと判断したようだ。
「そんな事、あなたに言われる必要はないわ。これは私と陸の問題なのだから、部外者のあなたは口を出さないでほしいわね」
愛莉の言葉を美羽は即座に一蹴して、その艶やかなセミロングの黒髪を揺らしながら、愛莉の目の前へと美羽は近づく。
愛莉とは違う、可愛いと言うより綺麗なその顔は、冷静な口調も相まって威圧感を感じさせるものがある。しかし、愛莉は一歩も引かずに美羽の瞳をまっすぐに見つめ返した。
「今は部活動の最中ですから私は関係者です。むしろ、桐谷先輩の方が部外者じゃないですか」
「…………」
愛莉の正論に美羽は少しだけ顔をしかめる。
その様子を見て、愛莉は畳みかけるように言葉を重ねた。
「反論できないみたいですね。納得してもらえたのなら、出てってもらえますか?」
「関係あるわ。陸と私は恋人同士なのだから問題はないはずよ。むしろ、部員じゃなくても放課後に部室に来るのは自然な流れじゃないかしら」
美羽がそう切り返すと、愛莉は驚いて目を見開く。今まで知らなかった、自身が想いを寄せる相手に既に恋人が居たという事。突然知らされた事実に、ショックのあまり涙がうっすらと愛莉の瞳に滲む。その様子を見て、ここまで傍観役に徹していた陸が間に割り込んだ。
「はいはい、そこまで。美羽、後輩をいじめないでくれるかな。愛莉ちゃんは、わざわざ指摘してくれてありがとね」
「り、陸せんぱーい……」
そう言いながら陸は、愛莉の頭を優しく撫でる。
すると、愛莉は頬が緩み、陸の制服の袖をキュッと掴んだ。愛莉の陸に甘えるようなその仕草を見て、美羽は眉根を寄せながら湿った視線を陸に送る。
「彼女の前で堂々と他の女に手を出すなんて、よっぽどの馬鹿か天然のジゴロね。それとも陸、あなたロリコンの気でもあるのかしら?」
美羽の鋭い視線と毒の入った言葉を受けながら、陸は困ったように笑う。
陸にとって、愛莉は部活の後輩で妹のような存在でもあり、何かと自分に懐いてくれる愛莉に世話を焼いてしまうというだけなのだが、美羽にとってはそれが面白くないのだ。
「私と陸先輩は1つしか違いません!」
遠回しに自らの事を幼い子供だと言われて、愛莉が顔を赤くしながら美羽に抗議する。
しかし、当の本人である美羽はどこ吹く風状態で、その言葉を右から左へと聞き流していた。陸は苦笑しつつ、愛莉を宥める。
「でも美羽、本当に調理部に入ったらどうかな? その方が一緒に居られるし、それに美羽は部活どこにも入ってないしさ」
陸の提案に美羽はしばし黙考する。
提案自体は悪くないと美羽は思いながらも、決断できないでいた。その理由は、彼女が唯一苦手とする『料理』をしなくてはいけないという事。
美羽のその様子を見ていた愛莉が閃いたかのように指摘する。
「あっ、もしかして桐谷先輩は料理できないから、調理部に入りたくないんじゃ——」
「そんな事あるはずないでしょ、何を根拠に言っているのかサッパリ分からないわ。料理くらい私の手に掛かれば、楽勝よ。見くびらないで」
捲し立てるように早口で返した美羽に、愛莉や陸だけではなく、遠巻きに見ていた他の部員達も唖然とした表情で美羽を見つめていた。
美羽自身は冷静に返したつもりだったが、傍から見ると動揺がバレバレであった。
先程子ども扱いをされた愛莉が、お返しとばかりに意地悪な提案をする。
「じゃあ桐谷先輩、私と勝負しませんか? 料理対決をして、勝った方が陸先輩を自由にできる権利を賭けて——あっ、もちろん無理にとは言いませんよ。もし、料理が出来ないって言うなら別に」
「やるわ。何度も言うようだけど、料理なんて私にとっては楽勝なんだから」
「では1週間後の放課後にここで勝負をしましょう。作る料理は〜……陸先輩に決めてもらいましょうか?」
「それでいいわ」
悩みもせず、即答した美羽に部室内がにわかに盛り上がる。
美羽にとっては、たんなる愛莉に『負けたくない』という一心だったが、とんとん拍子で対決の日付も決まってしまい、美羽は内心で少し焦り始めていた。
その様子を見ていた陸は、自らを賞品として勝手に賭けられたにもかかわらず「やれやれ、仕方ないな」と小さく笑いながら溜め息をついたのだった。
(続く)