コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 彼女と彼の恋人事情【5】 ( No.96 )
- 日時: 2015/05/05 22:09
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)
「はぁ、どうしてあんな事を言ってしまったのかしら?」
自宅に戻ってきた美羽はひとり呟く。
思い返すのは今日の調理室での出来事、陸に懐いていた後輩を見た瞬間に美羽の心はかき乱されてしまった。いつものように冷静な対応していれば、あんな勝負なんて引き受けなかったのだろう。
「それにしても、陸ってば……私よりあの子を擁護するような事を言うなんて」
美羽は胸の奥から湧き上がるもやもやとした気持ちを処理しきれず自室に戻る途中、自分の部屋の手前にある拓斗の部屋のドアを叩く。別に用があってするノックではなく、八つ当たりに近い行動。
かなり強く叩いたからか、その音に驚いて拓斗が部屋から出てきた。
「何だよ姉ちゃん、用もなく部屋のドア叩くなよ」
「……うるさい、今日は虫の居所が悪いのよ。あまり話しかけないで」
自分からドアを叩いておいて、あまりに理不尽な言い様だが、桐谷家は姉である美羽の方が強い。あまりにも厚い年功序列という壁に拓斗は歯噛みする。
「よくわかんねーけど、八つ当たりはやめろよ。どうせ、彼氏にでもフラれたんだろ? 大体、姉ちゃん性格最悪なんだからもっと——いてっ! いてて!」
「あまり私を怒らすと、明日の朝日を拝めなくするわよ?」
拓斗の余計な一言に、怒った美羽のアイアンクローが炸裂した。
美羽がギリギリと万力のような力で拓斗のこめかみを締め上げていくと、拓斗は半泣き状態で悶絶する。まさに口は災いの元である。
「ギブギブッ! 俺が悪かった! すいませんでした、お姉様!」
「……わかればいいのよ。以後気をつけなさい」
美羽はそう言うと拓斗を締め付けていた手の力を緩めた。
拓斗は恨めしそうな顔で美羽を睨んでささやかな反抗をしてみるが、美羽の視線が拓斗に向かった瞬間に顔を背ける。どうやら今日は何も言わない方が良いと判断したみたいだ。
「そうだ、お願いがあるんだけど」
美羽は名案を思い付いたとばかりにそう言うと、拓斗が怪訝な表情に変わる。
と言うのも、美羽が唐突に思いついた事は大抵拓斗にとっては良くない事が多いからだ。
「……なんだよ? 金ならねーぞ」
「ふーん、またお仕置きしてもらいたいの?」
「ひぃぃっ! ごめんなさい!」
姉弟の力関係は当分変わりそうにない。
拓斗は無条件で美羽のお願いを聞く事しかできなかった。
***
「……母さん、コレは何だい?」
桐谷家の大黒柱である健一が唖然とした表情で目の前にある物を見つめながら、葵に問いかける。夕食の時間、いつものように桐谷家のテーブルに並べられた料理は色鮮やかな物ではなく、モノトーン。黒色の物体と唯一の白である、ご飯だった。
「……今日は美羽が作ったんですよ。ひとりで作るのはやめておいた方がいいんじゃないかって私は言ったんですけど、聞かなくて」
嘆息混じりの葵の言葉に、健一は固まった表情のまま美羽に視線をスライドさせる。
そしてさっきと全く同じ質問を今度は美羽にした。
「……美羽、コレは何だい?」
「肉じゃがよ。少し黒くなってしまったけど、味は大丈夫なはずだから…………多分」
「……そうかぁー、うんうん。美羽、コレはイカ墨でも使ったのかい?」
「いいえ。と言うか、イカ墨って肉じゃがに入れるものなの?」
健一に尋ねられて、美羽はキョトンとした表情でそう言う。
見た目の悪さを隠し味という事にしたかった健一だったが、その願いも虚しく潰えた。
「まぁ、普通は使わないわね。どうやったらここまでの黒さに仕上がるのか私が知りたいくらいよ」
葵は美羽の問いに答えながら、呆れた様子でテーブルに並べられた黒の物体を見る。
「そうか、美羽が料理を作ったか……」
「お父さん、目を細めながら店屋物を取ろうしないでください」
健一がチラシを見ながら電話を掛けようとしていたところを葵が止める。
家族がそんなやり取りをしている部屋の隅で、拓斗は俯きながら苦悩の表情を浮かべていた。
「にっげぇぇぇ……」
一足先に味見係(毒見係かもしれない)に任命された拓斗は、その想像を絶する味に苦しんでいた。そう、美羽のお願いとは試食係だったのだ。
拓斗は正直な感想を言っていったのだが、それが間違いの元で味を直すといって様々な調味料を使用した結果、暗黒物質が出来上がった。拓斗がその度に試食させられたのは言うまでもない。
「おかしいわね……上手く出来たと思ったのに」
拓斗の様子を見て美羽は不思議そうに首を傾げる。味見をしていないのも問題だと思うのだが、美羽が気付く様子はない。——その後結局、今日の桐谷家は出前を取る事になるのだった。
(続く)