コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: SANDAI ( No.66 )
- 日時: 2015/07/31 11:30
- 名前: 墓書 (ID: tMzSWRiO)
結.
ギシリと音を立ててベッドが沈み込む。
それと同時に近付いた桐人との距離に柚子は小さく息を呑んだ。
目を離してはいけない、という無言の強制に柚子は逆らえなかった。
「柚子…」
一度伏せられた桐人の瞼が開かれ、また桐人の瞳が露わになる。
「桐…人…」
自分の声なのに自分の声ではないような絞り出した声は、どう桐人に届いたのだろう。
桐人の揺れる瞳に吸い込まれるように柚子は手を延ばした。
「…っ」
指先が頬に触れた瞬間、桐人の肩がビクリと揺れる。
あと少しで掌が完全に触れ合う…その寸前で柚子の手がはたき落とされた。
「いっ…!」
「なに、煽ってんの?」
突然の衝撃に呆然としていた柚子がハッと我に帰り、また桐人を見上げる。
「桐人…」
肩に触れる指がスッと首筋を辿る。
柚子の声は桐人の耳に届いている筈なのに、いくら呼びかけても桐人は何の反応も示さない。ただ黙々と柚子を眺めている。
それに耐えきれなくなった柚子がもう一度、呼びかけようとした時だった。
ふわりと桐人の上体が揺らぎ、柚子の首元に顔をうずめる。
桐人の大きな手が柚子の細い手首を捕まえ、ベッドへと押し付けた。
それと同時に柚子の首元に鋭い痛みが走った。
ギリと歯を噛み締め、柚子は咄嗟の痛みを堪える。
何がなんだかわからない。ただ本能のままにその痛みから逃れようと身を捩る。
だが、抑え込まれたその身体は自由になることはなく、よりその拘束の力を強めただけだった。
「や…だ、桐人、やめて!!」
そう叫んだ柚子は足を振り上げた。
「ぐっ…」
痛いほど締め付けられていた手首の拘束が緩む。その瞬間を見計らって柚子はベッドから転がり出た。
「…痛いでしょ、なにしてんの。」
「桐人こそ!なんのつもりなの?」
首元に手をやると血こそ出ていないが、少し濡れており、柚子は桐人に噛まれたのだと悟った。
「印をつけただけだよ。」
「印…?なんでそんな…」
柚子にとってはなんてことのない、つい口走ったようなものだった。
けれど、桐人にとっては聞き逃せない言葉だった。
「…わかんないの?」
ふらりと桐人は柚子の前にしゃがみこみ、顔を覗き込んだ。
「まだわからないって、知らないって?…そうだね、知らなかったなら仕方ないね…なんて俺は言えないよ?」
「き…り…」
「余計な事喋んな。何も言わないで、俺だけのものになって?」
柚子もわかっていないわけではない。知らないわけではないのだ。
ただ、信じられない。信じたくない。
今まで共に暮らして、家族のように思っていた存在が突然、変わってしまったのだ。
桐人の思いの強さや辛さはある程度知ったつもりだ。
しかし、それを含めて受け入れられるほど、柚子も大人ではない。
むしろ、その桐人の思いや行動にただ、裏切られた、という漠然とした感覚が胸に広がる。
再び桐人と目を合わせた時には、その桐人の諦めたような、辛そうな、泣きそうな、苛ついたような、嘲るような、そんな瞳を見て柚子が感じたのは、純粋な怒りであった。
「桐人」
その言葉の響きにも、柚子の感情がこれまでかと言うほどに表れる。
それを聞いた桐人は動揺し、瞳に怯えを見せた。
それは、今となっては遅すぎる「柚子に嫌われたくない」という桐人と感情だったのだろうか。
しかし、それを柚子はどうとも思わない。
深く深呼吸して、ギリと桐人を睨みつけた。
「桐人が私をどう思ったかなんてこの際どうでもいいわ」
「え…」
唐突の発言に桐人はたじろく。桐人にとって、それはどうでもよくないことなのだから。
だが、この状況でそれに突っかかるような馬鹿は桐人にはできない。
ただせめてもののあがきのように声をかける。
「柚子…でも…」
「今は、てこと。ずっとほっておけることではないことは分かってるわよ。」
柚子の気迫に押され、桐人は黙りこむ。
「私はね、怒ってるのよ?さっきから勝手なことばかり…。」
先ほどとはまるで違う、怯えた表情はどこにもない。事実、柚子は怯えなどとうにどこかへ忘れていた。
「だいたい桐人だって私の気持ちを全部理解してるわけじゃないでしょう?それなのにさっきから何?分かってもらえないことにイラついて?余計なことは言うな、だっけ?」
畳み掛けるように吐き出される言葉の波にヒクリと桐人の口元が引きつる。思い出した。柚子はこんな性格だった。
確かに男と比べれば力は弱い。しかし、一般的なか弱い女の子というよりむしろ意思がはっきりとした、気の強い性格であった。
桐人は柚子のそんなところも好いていたのだが、この場では少し厄介であるというような、怖いような心情をもたらした。
「余計なことって?私の気持ちが余計なことだって言うの?桐人は私が桐人の人形みたいになって、何でも言うことこと聞いとけばそれでいい、そう思ってるんだ!」
「ばっ、そんなわけ…!」
「どうだか。言っておくけれど、あんたはあんたの気持ちを言葉にして伝えてくれようとなんてちっともしてないのよ。突然、ここに連れて来たと思えば、勝手に怒って!怒りたいのはどっちだと…!」
「だ、だって…!俺だって、言いたくなくて言わなかったわけじゃない!柚子が…!」
「私が何だって言うの?」
言葉の流れがふつりと止まる。しんとした空気が二人の間に落ちた。
「…俺の気持ちが柚子が知らなくても仕方ないことだったのは重々承知してる。隠してたのは他でもない俺だ。それに、普通は考えないもんな。弟が姉のこと…。」
さすがの柚子もこのときばかりは口をつぐむ。怒りがおさまったわけではないが、自分も熱くなりすぎたと思う。
「柚子が俺のこと弟としてしか見ていないことなんて…考えなくても分かるんだ。それこそ分かりたくなくても。…本当は抑えなきゃいけない気持ちってのもわかってる。だけどさ、どうしようもないんだ。」
桐人はゆっくりと後ろに下がり、手で顔を覆う。
「柚子がそう思ってんなら、言えるわけがない。そんなことしたら、柚子が悲しむって思うから…だから俺は…。」
小さな声で桐人は独り言のように呟いた後、少し大きな声で柚子に声をかけた。
「柚子…。」
「…なに?」
俯いて手で隠されたきりとの表情は柚子からは分からない。それでも、桐人は何かを伝えようとしていることはわかる。
「…好きだ。」
「…!」
わかっていた。わかってはいたけれど。
自分であんなことを言っておきながら「言わないで欲しかった」などと、無責任なことを思う。
「突然だって言ったってさ、俺だって、思ってなかったさ。けど、柚子が…告白なんかされて、うれしそうに俺の前から去っていくから…!」
桐人は気づいたのだ。いつかは、ああして柚子は俺の前から消えるのだと。
「そしたら、抑えられなかった!頭が真っ白になってわけが分からなくなった!気づいたらこんなことしてて!わかってんだよ!柚子のためだなんて言ってたのなんて、結局怖がってただけなんだよ…!」
桐人の心からの叫びだった。
そこで柚子は気づく。この状況になったことの責任を何かに押し付けてしまいたいのにそれが出来ないのだと。
桐人が赤の他人であれば、こんなに苦しむことは無かった。自分たちでは選べもしなかったこの立場がこんなにも自分たちを苦しめるなど誰が想像しただろうか。
柚子は桐人が、嫌いなわけではない。違う意味ではあるが、好きだからこそ、こんなにも苦しいのだ。わけが分からなくて、どうすればいいかわからない。
恋というものが自分でコントロールできるものならば、桐人だってこんなにも苦しむ選択などしなかった。
自分がこの状況で何の解決策を見出せないように、同じく桐人もどうすればいいのか分からないのだろう。
桐人の気持ちを知ってしまった以上、もう後戻りは出来ない。過去には戻れない。
「桐人、私・・・どうすればいいのかな・・・」
ポツリと柚子が呟く。
聞いても仕方が無いことだとはわかっていても、それでも自分で決意して行動できるほど柚子は強くなかった。
二人は黙っていた。
広く開けられた二人の距離がどうしようもないほど不安を煽る。
「なにもしなくていい」
ふいに桐人が口を開く。
「でも・・・」
「俺が悪かった。好きな子を苦しめるなんて男として失格だ。」
「そんなこと・・・」
何と声をかければいいのかわからない。けど、桐人に責任を押しつけて、苦しめたくは無かった。
柚子は何かするべき正解を探すように視線をさまよわせ、口を開こうとする。
その姿を見て、桐人は少しだけ笑みを浮かべた。
「柚子、俺に格好を付けさせて。」
「・・・」
柚子は何も言わなかった。ただ静かにこくりとうなずいた。
数日後、何事も無かったように両親を迎え入れた家には以前のような景色がある。
他の誰が見ても、ただ幸せな家族の姿がそこにある。
けれど、心のうちは誰にも見えないように、柚子は桐人の気持ちが一体どうあるのかわからないままだ。
この後、二人の関係がどう変わっていくのか。
それは分からないことだが、しばらくはこんな生活が続いていくのだろう。
いつかは人の気持ちは変化する。それが柚子か、桐人か、それともどちらともか。
それによって、この物語の結末は変わるだろう。
二人の幸せは訪れるのかは、その時まで。
終