コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: 脇役にもなれない君たちへ ( No.37 )
日時: 2015/01/22 01:27
名前: みもり ◆EcL409OyWY (ID: DYDcOtQz)
参照: あと3話で終わりです。

 俗に言う壁ドンとかいうやつだろうか。いや、壁ドンっていうのは、もともとマンションとかで隣の住民がうるさい時に黙らせるための手段であって、女子がときめくシチュエーションの事ではないのだ。僕の頭はそんなどうでもいいことしか考えられないくらい混乱していた。僕にメダパニをかけた張本人である夢乃さんは、自分の顔を隠すために持っていた夏目漱石の「こころ」の隙間から僕を見て、少しだけ照れたように笑った。ああ、そんな事されたら死んじゃいそうだな。

 怪我はありませんか、と心配そうに駆け寄る図書館の人に笑顔で無事を伝える夢乃さんを横目に、落ちた本をひとつ拾って棚に戻す。
 同じく夢乃さんもやっと立ち上がり、ニーチェの言葉とかいう僕にはどうも縁がなさそうな本を戻し始めた。僕が上の方の棚に届かなくて困っていると、夢乃さんがとても可哀想なものを見るような目で見てきたので、僕は仕方なく上の棚にあった本を無理矢理目の前の棚に押し込んだ。こういうことをするのに罪悪感を感じるあたり、僕にはまだ道徳心がある。真の道徳心があるやつはきちんと上に戻すのだろうが、ヤケになってジャンプするのも恥ずかしいと思う。
 一連の騒動が落ち着き、また僕たちはふたりになる。

 「三好くん、この話知ってる?」

 さっきまで僕を指差してさんざん罵倒してきた女の子が、分厚い本を持って僕の方に駆け寄ってきたので戸惑う。自然なのか、計算なのかは解らないが、夢乃さんは頭が良い。テストの成績ももちろんだけれど、僕のことをもてあそぶのが上手いと思う。きっと一生敵わない相手なんだろうな。
 そんな夢乃さんが持っていたのは紛れもない漱石の「こころ」だった。この話は僕も読んだことがある。僕の唯一の友人である3組の神巫くんは、「そんな昔の文章よりライトノベルの方が面白い」と言うが、僕にあの文章はどうしても理解できなかった。僕は純文学しか認めたくないんだ。
 こころというと、簡単に要約すると、先生の長ったらしい遺書から始まって、下宿先の女の子と恋して結婚するけれど、同じく女の子に好意を持っていた親友が自殺してしまったって話だった気がする。精神的に向上心の無いものは馬鹿だという言葉はさすがの僕でも知っていた。

 「なんか、これとか、舞姫とか読むと思うんだよね。愛とか恋って、罪なんだよ」

 だから私は、一生恋愛なんかしないと思うんだ。と言って、夢乃さんは無造作に本を戻した。
 愛とか恋が罪なら、僕は罪人じゃないか。夢乃さんはきっと僕が何を考えているか、どんな感情を持ってるか、なんてとっくに見抜いていると思う。それでいてこんな言葉を吐けるのは、僕のことを下に見ているのか、それとも素でこういう人なのか。こんなにずるくて僕の残りHPをガンガン削ってくるのに、嫌いになれない僕も僕であれなのだけれど、夢乃さんは酷いし、器用だ。

 「でもね、私、三好くんのことは好きなんだ。私とちょっとだけ似てるよね。ふふっ」
 「……に、似てるって、なにそれ。同族嫌悪とか、夢乃さんと一緒にされたくな——」
 「ごめんごめん、今だから言うけどね、私がこれまで稼いだお金も200万円くらいなんだ。プラマイゼロってやつだよね? 似た者同士、これからも仲良くやっていこうよ」

 僕が夢乃さんに感じている好きと、夢乃さんが僕に感じている好きは別物だと思う。
 陰りのない笑顔なのが悔しい。そして、僕がゲーム課金なんかしていなければ、ここで夢乃さんに「援助交際なんかしてる君と真人間の僕を同じ天秤に並べないでくれるかな?」なんて言えたのに。僕と夢乃さんはどっちもどっちなのである。だから、なにも言い返せなかった。

 少し遠くで、笹村先輩と西澤さんが楽しそうにミッケをして遊んでいる。
 こんな思いをするんなら、課金なんてするんじゃなかった。結局僕は夢乃さんに良いように遊ばれるだけだ。

 「……ねえ、三好くんは、私の事好き?」

 その質問だって、僕の反応を見て楽しみたいだけに思える。嫌いだ。でも、好きだ。

 「す、好きだよ。たぶん、世界で一番。夢乃さんは本当は僕のことなんか、なんとも思ってないと思うけどっ。僕はずっと夢乃さんしか見てないし、援助交際してるのもほんとに嫌だし、夢乃さんのためにゲームもやめようって本気で思ったし、夢乃さんは僕に平気でひどいことをするけど、それでも嫌いになれないんだよ。僕にこんな思いさせといてそんなこと聞くなんて、夢乃さんはほんとうに……」

 そこで言葉が詰まる。静かな図書館には僕たち以外居ないみたいだ。いや、それは違う。図書館には場違いの大声で先ほどの言葉を半泣きで吐く僕は、気付けば図書館中の視線を集めていた。こんな公開処刑みたいなことをされたのはあのテストで携帯が鳴った日以来だ。夢乃さんも戸惑っていることだろう。急に恥ずかしくなってきた。図書館のその窓から飛び降りたい気分だ。

 「じゃあ、私がこんなに汚れてても、不正にお金を稼いでいても、魔法少女に憧れてても、全部好きって言ってくれるの?」

 僕をまっすぐ見つめる夢乃さんには、少しの冗談の色もない。「図書館でうるさいよ、三好くん」なんて言って笑われると思っていたので驚く。ここで頷ければ僕はきっとかっこいいけど、昨日だって誰と関係していたか解らない夢乃さんの全てを愛せるかと言われたら、少し返答に迷ってしまった。黙り込んだ僕に、夢乃さんは笑顔を作って言う。

 「だから、これは私の片思いなんだ。これ以上、好きなんて言わないでよ。悲しくなるの」

 全部好きだよ、夢乃さんのこと、なんて言おうとした頃には遅く、夢乃さんは「こころ」を持ったまま僕に背を向けて歩き出してしまった。
 自分から聞いておいてその態度はなんなんだろう。また僕を困らせようとしているのだろうか。でも、僕の感情抜きでも彼女の言葉に嘘は見えない。

 0.1パーセント以下の確率かもしれないけど、両思いなのに、なんでこんなに苦しいんだろう。
 夢乃さんの言うとおり、恋は罪悪だ。しゃがみこむ僕の裏側の本棚で、ほくそ笑んでいるであろう夢乃さんを想像して具合が悪くなる。今日は何時間寝たんだっけ。頭が痛いな。

 僕はもうダメかもしれない。なんでクラスの女の子ごときにここまで苦しい思いをしなきゃいけないんだ。
 西澤さんたちと合流した夢乃さんが、「この本借りようと思うんだ」と話している声が聞こえた。

 もう帰りたいな、と思いながら窓の外を眺める。すっかり暗くなった夜空を流れる光が見えて、ほぼ反射的に二度見するとそれは飛行機だった。