コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: COSMOS ( No.249 )
- 日時: 2015/08/01 15:16
- 名前: Garnet (ID: vJF2azik)
「…蘭ちゃんのお母さんが、どんな人だったかって?」
丸い大きな瞳に、私の顔が映り込む。
三枝さんの問いに 私は何度も頷いた。
「そういえば、何となく…降谷さんの事は、話したこと無かったわね。」
向日葵の向こうで、雪は静かに降り続ける。
「ごめんなさい、禁忌にしてしもたんはうちのせいや。」
「蘭ちゃんが謝ることはないでしょ。」
二人とも椅子に座っているので、向かい合うと どうしても視線がぶつかってしまう。
返す言葉が見つからず、ずるずると右へ九十度 身体の向きを変えた。しかし、そっちにも、事の元凶は居る訳で。
心電図も酸素マスクも取り払われた躰だけが、真っ白なベッドの中にいる。
もしかしたら 狸寝入りをしているのかも判らないけど、睨めっこするよりは何百倍もましだ。
沈黙の中、空調の 無機質で規則正しい音だけが耳に入ってくる。
「謝るのは此方よ。何よりも重たいモノを一人で抱えきれなくて、貴方たちの優しさに いつまでも甘えっぱなし。
こんな馬鹿馬鹿しいことを続ける位なら、貴方たちを引き取って育て上げるべきだって、母に散々言われたわ。
でも、貴方たちは……蘭ちゃんと拓くんと夏海は、そんなこと、望んでいないでしょう?
特に、蘭ちゃんは。」
ちらりと左を見てみれば、いつの間にか 三枝さんも父を見詰めていた。
あくまでも、彼女は今、彼の成年後継人…補助人の立場として、此処にいる。
父が退院して、無事に社会復帰を遂げれば、何時 "私達"の関係が終わってもおかしくない。
「三枝さん。」
「ん?」
「…いえ、夏海の、お母さん!」
そう言って立ち上がったと同時に、ガタンッと椅子が跳ねた。びっくりした様子で 彼女が見上げてくる。
「お願いがあります。」
情けなくも唇は震えてしまう。
何故か、三枝さんの表情が、今までに見たことのないほど 複雑な感情で満ち溢れていた。
「私達は もう小さな子供ではありません。其れ故、残り時間は、目の前に迫ってきています。
……だから、真実を知らせる刻が、来たら。
私と拓の口から 言わせて下さい。妹として、弟として、これは果たすべき義務です。」
「蘭…ちゃん。」
「たとえ、其で関係が崩れようが否か、どうでも良いんです。夏海には、知る権利がある。」
そっと。
父が目蓋を開いた。
「我儘言うてるのは承知してます。
最初に 嘘を吐くことを望んだのは、私ですから。」
…言えた。やっと言えた。
私は、此の意志を揺らさぬように、じっと三枝さんを見詰めていた。
逃げちゃ、いけないんだ。
もう、後戻りはできない。
「蘭ちゃん」
彼女はゆっくりと立ち上がった。
ふわりと手が宙を浮く。
俯いた顔からは表情が読めず、打たれると判断した私は、思い切り歯を食い縛って目を瞑った。
しかし、真っ暗な世界を包み込んだのは、彼女の温もりだった。
「え…?」
大粒の涙が肩に零れてくる。
そこで漸く、彼女に抱き締められていることが解った。
「待ってたよ。よく言えた。」
呆然とする頭を、何度も何度も撫でられた。
あったかい、温かい手で。
—————そうか。信じて、待っとってくれたんやね。
- Re: COSMOS ( No.250 )
- 日時: 2015/08/03 19:14
- 名前: Garnet (ID: bAREWVSY)
「降谷さんが何を望んでいたかは、私には解らない。でも、蘭ちゃんが選んだ答えなら、彼女もきっと…」
抱き寄せる力が強くなる。
此処で泣いてしまうのは間違っている気がして、涙を流すことは出来なかった。
「ありがとう。三枝さん…」
赦されなくても、いい。
冷たい涙を、温かい涙にかえられたら。
泣き顔を、笑顔にかえられたら。
人を傷付ける手で、誰かを包み込めたら。
ちょっとは、明日が明るいものになるから。
「痛いっ、ちょっ…苦しいって。」
「ごめん蘭ちゃん!」
笑いながら涙を拭った顔が、なっちにそっくりだった。
「あら、もうこんな時間!」
三枝さんは、壁に掛けられた時計を見るなり立ち上がる。
私も彼女の視線を追えば もう11時半になっていた。今日は午後番らしい。
「…うち、もう少し此処にいます。いってらっしゃい。」
「じゃあ ナースさんに言っておくわ。いってきます。」
私は病室のドアを開き、軽く頭を下げた。
黒いコートと鞄を抱えて、彼女は慌ただしく去っていく。廊下を走る姿に、近くを通りかかった看護婦さんが注意を促していた。
「っはは…」
乾いた笑みが漏れる。
エレベータに乗り込んだのを確認して、ドアを閉めた。
部屋と廊下の温度差に ぶるりと寒気が走り、少し空気が悪いような気がして、窓を開けようと振り向いた、その瞬間。
「蘭」
さっき三枝さんが座っていた椅子に、父がゆったりと腰掛けているのが 目に飛び込んできた。
「あっ、アンタ、何しとんねん。」
思わず身体がひきつり、構えてしまう。
自分でもわかるほど 目つきを悪くした。多分、凄く酷い顔をしていたと思う。
何となく 彼の目覚めには気付いていたから、パニックには陥らなかった。
「何してるって、随分じゃねーか。用があるから残ったんだろ?おい。」
「せや。馬鹿者から見た、たった一人のうちの母親についてでも、聞いておこうと思ってな。」
「馬鹿者、ねえ。」
ふう、と父は溜め息を吐き、長い脚を組んでみせた。
皮肉ぐらい解ってほしい。
「じゃあ、その"馬鹿者"にたぶらかされた君の母親は、もっと馬鹿なのかもな。」
「てめぇ……」
胸の奥底から、どす黒い感情が溢れ出してくる。
怒り、などと簡単な言葉で済ませられるものじゃない、もっと別の何かが。
こんな…こんな奴に…お母さんは……!
- Re: COSMOS ( No.251 )
- 日時: 2016/03/21 10:13
- 名前: Garnet (ID: MaBtCALx)
もう、自分を制御出来なくなっていた。
勢いを付けて駆け出し、胸ぐらを掴む。
「自分で何言ってるのか、解ってるの?!
やりたいだけやって責任は放棄して、何人もの大切な人を……っ!」
父の身体を揺さぶる。じっと此方を見詰めるその目からは、何の感情も読み取れなかった。
怒りが頂点に達し、右手を振り上げる。
しかし、それは容易に受け止められてしまった。
それどころか、彼は 空いた右手で軽々と私を持ち上げ、生温いベッドに私の身体を押し付ける。
逃げ出そうと試みるも、余計に強く押さえつけられる。底無し沼のようだ。
「や…っ、止め…っ!」
恐怖感から、声がうまく出せない。
この部屋には 私達だけ。助けなんて呼べない。
父はそのまま、ぐん、と顔を近付ける。
そして、声を落として 囁きかける。
「お前は、まだまだ子供だ。挫折なんざ味わったこともねーだろう。
だがなぁ、大人の世界っつーのは、お前らのように思い通りに行くことなんて、欠片ほどしか無いんだ。
毎日が崖っ淵で、選択肢は、落ちる、だけ。何れだけ足掻こうが、突き落としてくる人間は消えねー。
そんな人生で、どう正気で居ろと言う?」
涙も出ない。
…この人は、一体、何をしようと言うの?!
目の前の男は すう、と息を吐き、両手を離して、身体を起こした。
「…………安心しろ。手をあげる気も襲う気も無い。」
その声色は、一気に弱々しいものになる。……忘れていた。仮にもこの人は 病人なのに。
だが、すっかり力が抜けてしまった。掴まれていた右手も少し痛む。
呆然と天井を見つめていると、父が部屋の窓を開け放った。入り込んでくる冷気で、此処が夢ではないと判断した。
頭だけ窓際に向けると、硝子に寄り掛かった父と目が合う。
雪は、まだ止まない。
「お前、沙紀が 写真を撮るのが好きだったのは、覚えているか?」
「うん」
「じゃあ、その理由は?」
「…覚えてない。」
正確に言えば、思い出せない、なのだけど。どっちだって一緒だろうと言われそうなので、黙っておいた。
こんな風に目を合わせて話すのは、今日が初めてかもしれない。
さっきの恐怖は何処へやら、今は、不思議な感覚に包まれていた。
「……彼奴は、子供の頃から 写真を撮るのが好きだったと、言っていた。」
父は、その理由を、ゆっくりと語り始めた。
- Re: COSMOS ( No.252 )
- 日時: 2015/08/06 22:51
- 名前: Garnet (ID: XWomCwS4)
お母さん———沙紀は、幼い頃に交通事故で両親を亡くし、母方の祖父母の家で育った。
其処で カメラに出逢ったという。…実は、祖父は著名な写真家だったのだ。
様々な機材に囲まれ、沢山の写真を見ていくうちに、沙紀はカメラを構えるようになる。
初めて撮ったのは、庭に咲いたリンドウで、7歳の頃のことだった。
沙紀が12歳になったある秋の日、祖父は沙紀に 山に行かないかと持ち掛ける。
勿論 沙紀は行きたがり、最初は反対していた祖母も、渋々許可を出した。
———やったー!お祖父ちゃんと一緒に旅行や!!
沙紀は、これでもかというほど喜び、縁側を転がり回った。
———これこれ、あんまりはしゃぐな。お茶溢すわ。
———良いじゃないか嘉子。俺達も、あまり 沙紀を遠くに連れていったことは無いだろう?
祖父の言葉に、それもそうね、と祖母はお茶を飲みながら微笑んだ。
その2週間後、祖父と沙紀は、遙々京都から群馬へと向かった。
飛行機と電車を乗り継いで。
「ああ…関東の人なら、一度は行ったことがあるかもしれないな。
尾瀬だよ。
蘭も、小学生のとき 林間学校で行ったんだろう?」
父の問いに、小さく頷く。
本当なら、千葉の房総半島で臨海学校の予定だった。
しかし、保護者からの声や生徒の要望で 近場での林間学校となってしまった。
まあ、その分、コストは低くなったみたいだけど。
何度も木道をずっこけたのを憶えている。
沙紀の希望で、泊まる場所は片品村の民宿になり、3泊4日のうちに 2人は尾瀬のハイキングをした。
…日帰りコースだが。
もともと沙紀は あまり体力が無かった為、泊まりがけのコースは諦めたらしい。
———うわあ…すごーい!
———驚くのは、まだまだ早いぞ。
このエリアを抜ければ、湿原に出るからな。
木々に囲まれ、川の流れるエリアから、沙紀ははしゃぎっ放し。
祖父から借りたカメラのシャッター音が、何度も辺りに響いた。
———ほら
その声が、あまりにも優しくて。
ファインダーを覗くのを、自然と忘れていた。
透き通るような美しさ。
見たことの無いほど青い空。
遠くに燃える紅葉たち。
何処までも続く木道は、まるで、此処が天国だと示しているかのよう。
その瞬間に、心が浄化された。
———…お祖父ちゃん。あたし、"撮る理由"、解った気がする。
———そうか。
沙紀は、広い空に 両親の笑顔を見た気がした。
「……ええ話や。」
アホらしい私の一言に、父は苦笑した。
そして、部屋の隅にある棚をガラリと開け、取り出した紺色の本の中から 1枚の写真を手に取った。
スリッパを引きずりながら、彼がその写真を持って近付いてくる。
私も、身体を起こした。
「此…お前に持っていて欲しい。」
右手に 写真を持たされる。
角が少し丸くなってしまっている写真の裏には、"October 12th In Oze with grand father" と油性ペンで書いてあった。
心なしか震える手で、恐るおそる裏返してみる。
「…彼奴が、沙紀がそのときに撮った。」
———綺麗だった。
泣きそうになるほど、美しい風景だった。
……泣いてしまった。
「実は其の後、お祖父さんは 癌で亡くなってしまったんだ。
もしかしたら、悟っていたのかもしれないな。
たったひとりの可愛い孫に、ずっと笑っていて欲しかったんだろう。
お祖母さんは…沙紀が一人立ちした後、兵庫に越して、震災で亡くなっている。まだまだ元気だったんだがな。」
「阪神・淡路大震災?そんな。私 一度も会ってへんのに。」
「ああ。ごめんな。」
「アンタが謝ることと違うやろ。」
この1枚には、この一瞬には。
誰にも計り知れないほどの想いが、ぎゅっと詰まっている。
「……母親に会いたくなったら、尾瀬に行くといい。」
「え?」
「沙紀が群馬を選んだのは、同じ理由だ。」
ベッドに座る私に視線を合わせるように、父は腰を下ろす。
「いつか、連れていってやる。全員。」
「おとう、さん……」
微笑んだ顔が、何だかとても哀しげに見えた気がした。
でも、それは一瞬のことで、父はスッと立ち上がった。
「ほら、もうすぐ忙しくなるんだろ。帰った帰った。」
「あぁ…うん。」
私も ごしごしと袖で涙を拭って、言われるままに帰り支度をする。
父に貰った茶封筒に写真を仕舞い、半分に折って コートの内ポケットに滑り込ませた。
「俺も、とっとと退院するよ。やり直すには 十分時間があるからな。」
「うん。そうしてな。じゃあ。」
「じゃ。」
病室のドアまでだけれど、見送ってくれた父に軽く手を振り、背を向けて、私は踏み出す。
けど、何となく、訊いてみたくなった。
歩みを止めて、振り返る。
父はまだ、私を見詰めていた。
拓と同じ瞳で。
「貴方は、降谷沙紀を愛していましたか。」
- Re: COSMOS ( No.253 )
- 日時: 2015/08/08 00:44
- 名前: Garnet (ID: J/brDdUE)
「へえ…。お母さんがね……。」
鈴木さんが、写真を手に取って微笑む。
長い睫毛を伏せて、彼女は 何を想っているのだろう。
夕食後、片付けも終わったので、テレビの近くのソファーに 二人で座って話していた。
隣同士で座ってこんな風に話すなんて、姉妹みたい。
「なあ、鈴木さんのお母さんは、どんな人なん?」
「え、私のお母さん?」
突然のことに驚いたようで、彼女は目を見開く。
何か、邪魔しちゃったかな。
…とは思ったものの、気になるものは気になるので、小さく頷いた。
正直に言うと、私は 鈴木さんのことを全然知らない。
此処に辿り着くまで何処で働いていたとか、きょうだいは居るのかとか、出身は何処なのかとか。
此れは私達の間での噂だけど、実は 奈苗ちゃんの血縁者だとか、子供の頃は海外在住してたとか、聞いたことがある。
でも、当の奈苗ちゃんや大人達は 口を開いてくれないから、無理に聞き出す気も無いんだよね。
実際、其れが真実であろうがどうだろうが、関係無いと言われればそれまでだし。
「……無愛想で、キツくて、頭が良くて、格好いい人。誰よりも 私達を愛してくれた。大切に想ってくれた。」
そう言った彼女の横顔は、とても切なそうで。もしかして、もう亡くなっているのかな。
私達、という単語に 少し違和感を感じる。
「そうなんだ…」
もっと深い処を聞いてみたかったけど、駄目な気がした。
———写真ってね、撮りたいて思た瞬間に、撮らなあかんの。
それに 光の向きとか、ぶれないようにとか、考えることは沢山や。
……ママは弱いから、そん位しかできんのよ。
———ママはヘタレちゃう!強いわ!
瞳に涙が溜まっていくのを見て、お母さんの膝の上のいる私は 思わず大声をあげる。
するとお母さんは、鼻をすすって、言葉から訛りを そっと外した。
———ありがと、蘭。
…ママね、蘭には、強くなってほしい。綺麗に咲いて欲しい。だからママ、"蘭"って名前にしたんだ。
勿論、カメラを構えたいのなら、それでも構わない。
———ママ…。
———兎に角。
虐められても、怪我をしても、挫けそうになっても、ママが……居なくなったとしても。
前を向いて、歩きなさい。
あの日の お母さんの眼差しと、優しく頭を撫でてくれた手の感触は、忘れられないものになった。
目蓋を下ろせば、いつだって彼女を想える。
やっと蘇った お母さんのメッセージに、涙が止まらなかった。
消灯時間間近だったから、ルームメート(しかも年下)には とても迷惑を掛けてしまったけど。
情けないわ申し訳ないわで 踏んだり蹴ったり。自分が一気に幼くなってしまった気分。
ぼろぼろ泣きながら 封筒に入れた写真をアルバムに挟んだ。
でも、思い出せて、凄く嬉しかった。
答えを出せて、未来が少し、明るくなった。
「蘭お姉さん、大丈夫?」
7歳の女の子に、そう言って背中を擦られる。
もっと泣いてしまいそうになったけど、グッと堪えて、首をぶんぶんと振った。
「大丈夫やっ!皆、ごめんな。ありがとう。
よーっし、こうなったら、此処のクリスマスパーティーも、勉強も全力でやったる!受かったるわ!」
「蘭ーっ……」
「もうっ、大丈夫や言うとるやろ?」
まだ心配そうな顔のままの5人を、1人ずつ抱き締めて、頭を撫でる。
最後のひとりまで終わると、皆 安心して寝床についていったので、私も部屋の電気を消し、ベッドにのぼって、布団を被って目を閉じた。
「前向くよ、ママ。」
夢の中で私は、お母さんに そう耳打ちするんだ。
—————愛してた、愛してる。
FIN