コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: COSMOS ( No.298 )
日時: 2015/10/16 17:46
名前: Garnet (ID: kXLxxwrM)



静かという表現以外に、此処の朝を表す言葉があるだろうか。
空気はしんと留まっているし、誰の気配もしない。
窓から差し込む光にちらちらと煌めく埃が無ければ、時間の流れを忘れてしまいそう。
歩く度に、床が時々 乾いた音を立てて軋む。

「……ねえ、何か聞こえてこない?」

1階の廊下を歩いている途中で、陽菜ちゃんが そう言って小さな足の歩みを止めた。
私も、そっと目を閉じて 音を手繰り寄せる。


____'Tis you, 'tis you must go and...


優しいメロディライン。
もしかして、此は…………


____But come ye back when summer's in the meadow
    Or when the valley's hushed and white with snow


引き付けられるように、歌声のする方へ歩いていく。


____'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
    Oh Danny boy, Oh Danny boy, I love you so...


ぼうっとする頭で、辿り着いた、薄暗い部屋の中で。
紡いでいたのは"彼"だった。
何時も心に焼き付く 銀髪の後ろ姿。
当たり前のように、着替えも済ませてある。
私の髪質とは程遠い、まるでヘアサロンから帰ってきたばかりとでもいうようなサラサラヘア。
色々と 住む世界が違うのかもしれない。

彼は私の気配に気が付いたらしく、其れきり、此の場は沈黙に包まれた。

「……母さんが、教えてくれたんだ。
 何があっても、変わらず僕を愛してる。だから、待ってる…ってな。」
「貴方の名前も、Daniel、だものね。」
「Yes.」

彼は、背を向けた儘俯く。
彼のお母さんも、愛に溢れた人だったんだろうな。

辿り着いた部屋は、物置だった。
レコードが置いてあったから、気になったのかもしれない。
でも、此の部屋は 立ち入り禁止に近いようなもの。胸を張って居られるような場所じゃない。

そんなことを思っていると、背後から 陽菜ちゃんが恐る恐る近づいてきた。

「だ、ダニーっ、出てきなよ。見付かったら 怒られちゃうかもしれないから。」

半分程開けられた襖にそっと指を添え、声を落として呼び掛ける。

そういえば、此の部屋だけ襖なのって、例のお金持ちの家の子供が そうしろって言ったからなんだとか。
最初から此所を物置にすると決めていたのだけど、日本には地震が多いと聞いて、何かあったときに脱出し易い 襖にしたらしい。
話を聞くたび その子には感心してしまう。只者では無さそうだ。

「あぁ」

DannyことDanielは、足音ひとつ立てずに振り返って、部屋を出てきた。
ズボンのポケットに突っ込んでいた左手を出し、静かに襖を閉める。

「僕も面倒なことは嫌いだ」

彼は すべてを見透かしているような目で私を見る。

「私も。」

同じ呆れ顔で苦笑して。


「ダニーと奈苗ちゃん、仲良しさんだね!」

Re: COSMOS ( No.299 )
日時: 2015/10/17 23:14
名前: Garnet (ID: xV3zxjLd)



「え?ナナエの母さん?」

私の左隣に座るダニエルが 冷めかけの焼きトマトをかじりながら聞き返してきた。
トマトに刺さったフォークを持つ手は左手。今まで、レフティだということを隠していたらしい。

「そうだよ!奈苗ちゃんママは、毎年 奈苗ちゃんの誕生日にカセットテープを送ってくるの!
 優しいママなんだよ、すごく。」
「へえ」

陽菜ちゃんの寂しそうな笑顔に、少し胸が痛んだ。

彼女の両親は、転勤先のアメリカで 飛行機事故で海に墜ちてしまったと聞いている。
ワシントンに親無しの赤ん坊を置くわけにもいかず、日本に居た頃の同僚に一時預かってもらい、それから此処に来た。

頼れる親戚が他に居ないというのは、私たちと同じだ。
しかし……居たとしても、如何だろう。
責任の押し付け合いを目の前にするかもしれない、行き先が決まっても 肩身の狭い思いをするかもしれない。
…幸せなんて、簡単には見つからないんだ。
勿論、すべての子どもたちがそういう訳じゃない。

「で、今日がその誕生日だっていうのか?」
「うん。」

ミルクを飲み干し、彼は訊いた。
今度は 残ったベイクドビーンズをフォークに乗せ、一粒ずつ丁寧に口に運んでいる。
其の手がふと止まり、彼が私に小さく口を開きかけた処で、桑野さんが私達のテーブルにやって来た。

「にしても、お前はほんとに確りしてるよな!
 早起きはするし、着替えも身嗜みも完璧。奈苗と並ぶ程だ!」

桑野さんはそう言って、ダニエルの髪をくしゃくしゃと撫でた。
当の彼も 満更でもない様子ではにかんでいる。

「あれー?桑野さん、まだごちそうさましてないよ?」

すると、私の右隣に座る陽菜ちゃんが声をあげた。
確かに、挨拶するまでは席を立っちゃ行けないし、ましてや、食べ始めたときにパジャマだった人が 私達よりも早く食べ終えて綺麗な格好をしてるとくれば、不思議に思うのも無理ない。

「ああ、此れから役所に行くんだ。此奴の入園手続き。買うモンも色々あるし。あ、それと———」
「「「ん?」」」

彼の視線が、じろりと 私達の向かい側に向けられる。
其所には、今まで殆ど空気と化していた"彼等"が居た。

「蘭!」
「は、はいぃ?!」
「拓!」
「へ?」
「俊也!」
「…。」
「…………俊也っ!!」

唯一反応の無い俊也お兄さんに向かって、彼が大きい声で呼び掛ける。

「…………あ゛?」

しかし、黙れと言わんばかりの鋭い目付きで、俊也お兄さんは 一番奥の席から桑野さんを睨み付けた。
其の明らかに不機嫌そうな返事に、ダニエルが冷や汗を垂らす。

「ったく、人が優雅に休日のイングリッシュ・ブレックファストを味わってるっつーのに……何の御用で?」
「お前、随分な口の聞き方だなぁ」

元々 体育会系と物静かな者同士、気が合うかどうかなんて、言うまでもないのだけど。
……今更来たか厨二病。なんてことは口が裂けても言えない。

「…じゃあ、此奴はどうでも良いとして。お前らも、奈苗達を見習えよ?
 特に、拓と俊也は今年受験生。時間が経つのはあっという間だからな?」
「お世話になります桑野さん。」
「おーい拓、其の棒読みは何だ?」
「ハッ。言われてやんの。」
「俊也!他人事だと思って馬鹿にしやがって!」
「馬鹿になんざしてねーよ。
 中1の春、初めて"breakfast"の単語を見たときに"即壊す!"なんて訳をしたお前に見合う言葉をプレゼントしてやったんだ。」
「なッ……?!!」
「……っ、く…ぶあっハハハハッ!!!!アホやアホやぁ!!!!」

拓にーちゃんが赤面する。
其を見て、蘭ちゃんは大きく肩を震わせ、遂に堪えきれなくなって大爆笑し始めた。
笑いすぎて、涙が目尻に溜まっている。

「わ、笑ってんじゃねーよ!」

もうお決まりとでもいうように、私とダニエルは苦笑する。

「ねえ、奈苗ちゃん。break=壊す、fast=早く……でそうなったんだよね。」

そんな中、陽菜ちゃんが目を点にして訊いてきた。
力の抜けた私も、ふわふわした可笑しな声しか発せられなかった。

「あー…そうでしょう。うん。」

Re: COSMOS ( No.300 )
日時: 2015/10/18 23:00
名前: Garnet (ID: y5kuB1W.)

「何で俺がそういう風に言われなきゃいけねーんだよ!」
「はあ?!アホにアホや言うて何が悪いん?」
「と、兎に角、俺は行ってくるから。」

ぎゃんぎゃんと騒ぐ彼等から逃げるように、桑野さんは立ち去っていった。
遠くのほうのテーブルで固まっていた知美ちゃん達が、聞こえているかどうかわからぬ送り出しをする。

「……ったく、此奴等の精神年齢は幾つなんだよ。」

ダニエルも呆れ顔だ。
ヨーグルトも食べ終え、空になった皿の端に フォークとナイフ(ナイフはダニエルへの考慮で、他の皆は殆ど使っていない)を寄せると、彼は椅子からそっと降りた。

「あれ…ダニエルも何処かに行くの?」
「ああ、人に会いに行くんだ。何しろ 今日しか都合が付かないってね……。」
「そんな連絡、いつしたの?」
「其の人から携帯電話を貰ってる。メールしたんだ。」

背凭れに畳んで掛けておいたジャケットを着ながら 彼が答える。

「け、ケータイを…貰った?」
「そうだけど。……彼は、僕の後見人と言ったところだよ。」

後見、人。まあ親代わりという感じだ。
でも、そんな人が居るなら……何で態々此処に来たのだろう。

「じゃあ、行ってくるから。此の子犬達、何とかしといてくれ。」
「あぁ…うん。」

窓の外で小鳥が飛び回り、床に落ちた木漏れ日がちらちらと揺れる。
ダニエルの纏う雰囲気が、何だか酷く大人びて見えた。
しかし、気配を極限まで押さえ込む小さな背中には、重い何かがのし掛かっているようにも見えた。

隣に座る天使は、辿々しく 残りのトーストをかじっている。
私もさっさと片付けてしまおうと、ヨーグルトのスプーンを手に取った、その時。

「な、奈苗えぇっ!!!!」

頭が痛くなるほどの絶叫と共に、さっき出ていった筈の桑野さんがダッシュで戻ってきた。
どぉん!と大きな音が響き渡って、食堂の扉が開いた。
今扉を開けて行こうとしていたダニエルは、驚きの余りに 避けようとつんのめってすっ転んでしまう。

「桑野さん!壊す気ですか?!ドアは静かに開け閉めしてください!」
「すっ、すみません!でも、例のアレが届いたんですよ!!」

雷を落とした黒江さんだが、桑野さんが小包をちらつかせると 彼女はぐっと次の雷を呑み込んだ。
代わりに、彼女と同じテーブルの恵理さんが がたりと立ち上がる。

「ま、まさか、お姉ちゃんから?!」
「え!お母さんなの?」

私も負けずに 彼の所へ走り寄った。
すると、

「ああ、そうさ!君のお母さんからの誕生日プレゼント!」

そう言って身を屈め、包み紙に挟んであった小さなメモ用紙を渡してきた。
………奈苗へ。
何処か癖のあるその文字が、とてつもなく嬉しい。




ま、まさか……

信じられなかった。
彼奴が、本当に娘に誕生日祝いを……。

赤みがかった癖のある茶髪、翡翠の瞳、瓜二つの目元……
沈みかけていた憎しみが、沸々と沸き上がり始めた。
彼奴は、彼奴は…………ッ!!

奈苗には罪なんて有りはしない。
でも、彼女は"罪によって"産まれた者。
恨まずにいられる筈が無い。
メモ用紙を握り締めて 桑野さんを急かす彼女。
其を見ていたら、何だか気分が悪くなってきた。

世界が褪せて、色を失っていく。


—————俺は、間違っているのか?

Re: COSMOS ( No.301 )
日時: 2015/10/23 21:05
名前: Garnet (ID: Uj9lR0Ik)


——奈苗。5歳の誕生日、おめでとう。
  幼稚園に入ってから お友だちは出来た?
  ……一杯遊んで、一杯笑って、喧嘩した分は仲直りして。
  貴方には貴方らしく、生きていて欲しいな。


恵理さんに教えて貰って、私は ラジカセにカセットテープをセットした。
ガシャリと音を立てた再生ボタンは、とても重かった。

おかあ…さん……

一年に一度しか聴けない、大好きな人の声。
優しすぎるその声に瞼が熱くなって、ぐっと額を ラジカセに押し付けた。
埃っぽいにおいがする。

小窓を隔てて テープがくるくる回っている。


——今年は、謝らなくちゃいけない事があるので お話しします。
  そろそろ、色々なことが解るようになったと思うから。
  …………奈苗、貴方をひとりにさせてしまって、ごめんなさい。
  お父さんでさえ傍に居られない。本当に駄目な両親よね。


「そんなこと無いよ?」

言葉と同時に涙が零れた。
駄目なんかじゃないもん。こんなに想っていてくれてるじゃない。


——言い訳になっちゃうかもしれないけど、此が 奈苗には一番幸せな道なの。
  もう、同じ過ちは繰り返しちゃいけないのよ。


その言葉に、少し離れた所に居る恵理さんがハッと息を呑んだ。
"過ち"って、何なの?
私とお母さんは、一緒に居ちゃいけないの?
如何して?


——もしも、貴方と私が一緒に居たら、また 取り返しの付かないことになってしまう。
  ……恵理、お願い。奈苗には、私と同じ轍を踏ませないで。

——奈苗。幸せっていうものは、色々な形があるの。
  家族と過ごせること、お金持ちでいること、美味しいものをお腹一杯食べられること………
  何れも間違ってはいないわ。
  そして、其の"幸せの形"は、親子間で非常に伝染しやすい。
  でも、私が思ってた幸せを 奈苗にまで受け継がせるのは危険すぎる。
  だから…
  だからお母さん、恵理に奈苗を任せたの。
  勝手に産んで、勝手に棄てて……赦されることじゃないのは、解ってる。
  こんな考えも、只のエゴかもしれない。


お母さんにとっての、幸せ…。

解りたかった。
泣きついて、宥められながら抱いて貰って、飽きるまで一緒に遊んで、我儘も言ったりして、貴方の心に触れたかった。

でもそれは、貴方にとってはイケナイコト。


——……それでも奈苗が、私の娘で居続けたいと願ってくれるのなら、何よりも嬉しいわ。
  何時かまた会えると信じて、ずっと待ってる。
  今年も 良い一年にしてね。
  …じゃあ、また来年の誕生日 テープを贈るからね。
  そろそろMDでも良いかな…なんて思ってたけど、iPodの方が良いかしら。
  ふふっ、話すの止められなくなっちゃいそうだから、おしまいにするわね。
  ……バイバイ。


「…………え?」

がちゃり、とテープの動きが止まり、巻き戻され始める。

今、何だか物凄い違和感を覚えた気がするんだけど。
気の所為…?
そう思って固まっていたら。

「奈苗」

後ろから、ダニエルの声がした。
そっと振り向けば、恵理さんよりも後ろのほうに立って、白い壁に寄りかかっている。
私を見詰めるその瞳の奥で、また何かが燻っていた。

「聴かせてくれてありがとう。僕は此処で失礼するよ。」
「うん…行ってらっしゃい。」

ぺたんこなリュックサックを背負って、彼は部屋を出ていく。
静かにドアを閉める音が、短く残響した。
同時に テープの巻き戻しが終わり、此の空間は沈黙で満たされる。

何処からか舞ってきた桜の花弁が 窓硝子にふわりと引き寄せられ、薄暗くなった部屋に 小さな灰色の影を作った。



「……恵理さん、一寸だけ、ぎゅーってして?」