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気がついたら 彼等は隣に居て、笑っていた。
藍色の感情を滲ませ、私も微笑んでみせた。


ずっと一緒だよね


彼等はそう言って、また笑う。
"わたし"の後ろで、私はその顔を見つめ続けていた。

変わらないで欲しかった。
壊したのは、私なんだけれども。

壊したことも、実は幻らしい。
しかし、幻想に縋る愚者の視界の端で、確かに其は、軋む音を立てていた。
何時崩れてもおかしくはない。
どうせなら、巻き込まれて消えてしまいたい。


……ただ、私は。本能を言い訳に逃げたいだけだ。




〔夏海 16歳盛夏〜夏の暮〕『夜這星より儚く、闇黒より揺るぎなく』




私のお母さんは、青い海に見守られる港町で生まれ育った。

空も海も、同じ青色なのに、２つは決して溶け合わなかった。
私を授かって 10年振りに帰ってきた故郷で、そう思ったのだと、誕生日を祝ってくれる度に 彼女は嬉しそうに話してくれた。
海に再会したお母さんの横で、お父さんは困ったように笑ったんだって。

その春の日の３ヶ月後、私は産まれた。
夏になって、もっとあの海は青くなったんだろうな、と記憶の中を漁っていたら この名前を思い付いたんだそうだ。

きっと、その濃い色の空は。今も未だ、交わることはないと思うよ。
でもね、お母さん。
私は今、前で広がり続ける歪みに 呑み込まれそうになってるんだ。其が何なのかはわからないんだけど。
悪いんだけど、貴女が託してくれた願いを、守れそうにない。

……なんて、此の肩に小さな手を添えて 目の前の姿見を覗き込むお母さんに、心のなかで語りかけてみた。
そんなことはまるで知らないというように、鏡に映る笑みはキラキラと眩しい。
自分でも吃驚するほど、私たちは似ていた。
知らないうちに歳をとってしまった気がするけど、若さの代わりに、洗練された笑顔が其処に在る。

「似合ってるわよ、夏海！流石は私の娘。」

今年の誕生日プレゼントにと買ってくれた、暗い藍に色鮮やかな花が咲く浴衣を、ここまでぴしりと着付けてくれたのは、お母さんだ。
昔、着物教室に通っていたんだとか。リスペクトだ。

「もう、変なこと言わないで。……ねえ、今日も仕事なんでしょ？」
「なーに、一緒に行きたいの？」
「えっ…」
「冗談よ、でも、ごめんね。」

何に対して謝ったのか、正しいところは解らない。

お母さんは、黒く綺麗に映える睫毛を伏せて、私のポニーテールを巻いていく。
背は、母娘共に150センチ代だ。細かく言うと、私は155。お母さんのほうがもう少し大きい。

真っ白な太陽は、南中したあと 空を滑り落ちるように傾いた。
ただいまの時刻、夕方の４時。良樹くんから伝えられた、蘭たちとの待ち合わせ時刻までをみても、丁度良い位だ。

去年話したきりの瑞くんも通っている、私達の原点とも言える小学校。
その柵を隔てて直ぐ隣の道路を貸し切って、このお祭りは今年も夏を告げるんだ。

数百メートルの道に 人がごった返す。
りんご飴を少しずつかじって人混みをかき分ければ、夏休みなんだなーって、夢見心地にしみじみと感じる。
そんな素敵な夏祭りに、ここ数年、お母さんとは一緒に行けていない。
でも今年は、送り迎えだけは車でしてくれるそうだ。
近くだからべつにいいよ、と断ったのに、浴衣が崩れちゃ大変だからと、半ば強引に説得された。

きゅっきゅっ、締めながら、髪を巻いて。
最後のアメピンを通されたところで、ぼうっとした意識が帰ってきた。

耳の近くに、きらきら光る飾りのついたピンを一本、通せば。
三枝夏海、夏祭り仕様。完成。


「弾けてらっしゃい、高校生は、一度きりだから。」

「一度きり、か……。」

お祭り通りの入口近くにある、児童公園。
隣には大昔から建っている神社がある。それもあってか、いつも公園の隅では 大きな石碑が私たちを見詰めていた。何か字が並んでいるけど、正直 何のこっちゃって感じ。

ぽつぽつと公園内に灯り始めた明かりの下、甚平姿の子供たちが 遊具で遊び回っていた。
非日常の空間にひとり立ち竦み、ど真ん中に生えている大木を見上げた。
茂る葉の隙間で、真っ青だった空が、少しずつ色褪せていく。

最後に此所に来たのは何時だっただろう。
小学生のときは、校庭の次に大好きな場所だった。
少し傾斜のキツい滑り台も、低い雲梯も、神社へと抜けられる 破れた柵の網も。全部がまるで、魔法の掛かったアトラクションのようで、携帯電話もゲームも無くても、時間を忘れて夢中になれた。
でも今は、その夢の世界に足を踏み入れられない。何でだろう。
此が、大人になっていくって、ことなのかな。

高校受験が終わったあと、春休みはとても短かった。
改めて櫻沢の説明会に母娘で行ってきたり、制服や体操服、教科書の受け取りをしたり。
元クラスメートから 公立の倍はあるねと言われた宿題を終わらせた頃には、入学式は目前だった。
其処からまた、目まぐるしいほど流れの早い毎日を生きて、勉強にテストに校外学習に、もう大忙しだ。
唯一助かってるのは、４月中に入部した硬式テニス部がユルいことと、制服のデザインが可愛いってことくらい。
それなのに「一度きりだから」と言われても、私には青春謳歌なんてできる気がしない。
一時のアオイハルを満喫できるのは、この夏休みくらいじゃないだろうか。
幸い、今回の宿題は少ないし。

公園の外で、電柱に伸ばしてある提灯が 一斉に点いた頃、蘭たちがやって来た。

「なっちー！お待たせっ！」

蘭と、良樹くんと、拓……センパイと、彼の同級生の俊也くんだ。
話に聞いた通り、俊也くんは凄く前髪が長かった。勿体無いな、結構綺麗な顔をしているのに。何でだろう。

……まあ、それは置いといて。中高生組で夏祭りか。うん、青春青春。

「来たばっかりだから大丈夫だよ。」

蘭は、白地に 青や紫色の朝顔が咲く浴衣を着ていた。
男性陣は そういうことには無頓着らしく、俊也くん以外の二人は何時もの私服。
蘭曰く、俊也くんは 浴衣なんて着るようなキャラじゃないらしいんだけど……普通に似合っていた。
白い肌と紺色の生地が、絶妙にマッチしているし。

「チビたちも連れてきてんだけど、彼奴等は、大人に任せてあるから。」
「そーそー！たまにはうちらだけで楽しまんと！」

いきなり拓センパイが喋りだして 少し吃驚したけど、蘭が然り気無くフォローしてくれた。

「よし！先ずは、夏海ちゃんが好きなりんご飴を買おうか！」

良樹くんが、綺麗な歯を見せて笑う。
誰ともなく歩き出して、小さな坂を下りて公園の外に出た。わたあめ屋さんの前で、小さな女の子が 嬉しそうに大きな綿飴にかぶりついていた。

西の空の端は 未だほんのりと赤いけど、此方のほうはすっかり暗くなっていた。

「よっしーの奢りやで、りんご飴！」
「えーっ、何でだよ蘭ちゃあんっ！可愛い弟のお友だちに奢らせるなんて、ひどーい。」
「じゃあ、その"可愛い弟"からも頼もうか。」
「じゃー俺もー。」
「なにぃっ?!２人とも蘭ちゃんの肩を持つのかよ?!」

今月は赤字だあ、と良樹くんが渋々財布を取り出す。
彼には悪いけど、思わずくすくすと笑ってしまった。

「まあ良いよ、美人さんの夏海ちゃんの為なら、お小遣いが無くなっても構わない!!」
「び、美人なんかじゃないからっ!!」

大声で叫ばれた此の言葉には、少し恥ずかしい思いをしたけれど。

———今年も、夏が来た。

口の中に残る甘さを十分に味わってから、次はじゃがバターと焼きそばを食べた。他にも沢山。
私と蘭は比較的小食なので、１人分だけ買って半分こしたけど。
……何でだろうね。綿飴もたこ焼きもじゃがバターも、寂しく家でひとり食べるより、何百倍も美味しい。

射的をやり終わった頃、祭通りの年齢層が少しずつ上がっていたことに気付いた。
お酒に酔う人もちらほら見られる。
空を見上げてみたけれど、提灯の光にかき消されて、星たちはあまり見えなかった。

「食ったし遊んだし、サイコー!!」

良樹くんが、前で蘭と歩きながら 本当に嬉しそうに伸びをする。半袖シャツの奥から、日焼けした腕が覗いた。
そうだね！と口を開こうとした、その時。
左隣から すっと手が伸びてきて、白くてふわふわしたものを持たされた。
あ、此って……。

「拓センパイ、此、子どもたちにあげるんじゃ……」
「気にすんなよ、凄く欲しそうに見てただろ？取ったモンなら、ガムやらなんやら 山程あるからさ、あげる。」

彼が、私の両手の掌に ちょこんとそれを立たせる。
白いウサギのぬいぐるみだった。さっき射的で何発も当てていた彼が取った 景品のうちのひとつ。
他の景品は、拓センパイが左手に持っている手提げの紙袋の中に 綺麗に収納してあった。

「有難う……ゴザイマス…！でも、もう高校生の私がぬいぐるみって……」
「別に良いと思うけど？」
「え？」
「夏海がウサギを大好きなのは、ずっと前から知ってるし。女の子らしくて、可愛いと思うぜ？」

女の子らしくて、可愛い。
其の言葉に、一気に体温が上がるのがわかってしまった。やだな、もう。
赤くなる私を見て、蘭とは大違いだもん、お前、と彼が笑いながら言う。
蘭のほうが可愛いよ！と真っ先に否定しようとしたけど、それよりも先に、

「今何か言うたやろぉ？此の餓鬼が！」

何時ものように、蘭が怖い顔で振り向いた。

「うわ、地獄耳〜。」
「なんやてー?!拓！金魚すくいはあんたの奢りや！」
「嫌だよ！何でオレなんだよ！」
「れでーふぁーすと、ってやっちゃ。」
「其を言うならレディーファースト！ていうか使い方微妙に違う！」

細かいことは気にせんでえーの！蘭が頬を膨らしながら、射的の景品を奪おうとする。

相変わらず、テンポの良い会話。
私にもきょうだいが居たら、蘭みたいに明るくなってたのかな。
未だ続く面白い言い合いに、思わず口元が緩んでしまう。

「……やっと、ちゃんと笑った。」

右隣から 低くて落ち着いた声が聞こえた。振り向けば、俊也くんじゃないか。
自然と、足を運ぶスピードが落ちていく。

「昔に何があったのかは知らないけど、過去の事は 今日くらい忘れたほうが楽なんじゃないか？」

からり。
下駄がアスファルトに擦れ、高い音が鳴る。
私たちの横を通り過ぎる人の歩みが、一瞬、スローモーションに見えた。

眩しい言葉に反して、俊也くんの目元は 髪が掛かって影になっていた。

「カラスの俺が言えることでもねーけどな。」

くっくっく。何かを思い出しているのか、彼が肩を震わせる。

「俊也くんも、笑うのが下手だね。」
「じゃ、お互い様ってことで。」

にやりと、また彼の唇が弧を描く。

人々が行き交う奥で、後ろに居ない私たちに気がついたのか ３人が此方を向いて大きく手を振っていた。

「行こ、俊也くん。」

私はそう言って、細い腕を 優しく引いていった。
……こわれてしまわないように。

重たかった足が、ふわりと軽くなった。

「俺も、あんたみたいな綺麗な笑顔が欲しい」
　

ソ−ス味はNGです

たこ焼きはしょうゆです

マヨネ−ズ派もだめです


最高のソースあればそれでいいんです


わかりますか？？

コメントありがとう。
外国の方かな？

たこ焼きを醤油で食べるんですか。初めて聞きました。
今度やってみます。
美味しいかな。

照焼き味のたこ焼きもありますよ。
一度食べてみてはいかがですか？


昨日、ラーメン屋さんで、久しぶりに赤い醤油を見ました。
餃子につけたら美味しかった。へい。

何かお話ししたいことがあれば、また来てください。

線香花火が、オレンジ色の火花を散らす。
私は、消える直前の散り菊が一番好きだ。その所為か、競争すると 何時も最後まで残っていた。
腰を下ろしていると、夏の夜の匂いが 何時もより近くに感じられる。

円をつくって固まり、近くのスーパーで買った花火セットを 皆で空にした。

「あ、終わっちゃった。」
「あーあ、俺も。」
「うちもや。」

良樹くん、拓センパイ、蘭の線香花火の玉が、湿った土の上にぽとりと落ちていく。

じゅわ、と音がして、俊也くんと私の花火も消えてしまった。

「終わっちゃったね。」
「そうだな。」

小さな鉄のバケツに、残った紙の部分を沈める。
音も無く 星の映りこむ水面に灰が浮いた。
今更だけど、花火って、儚い。

鳥居の向こうでは、今も人が 夢に酔いしれる。
同じことを考えている人が多いのか、神社の敷地内の彼方此方で 小さな夕焼けが零れていた。

「終わるのってさ、夏だけだよな。」

不意に、拓センパイが口を開いた。

「何や、いきなり？」
「だってさ、春になる、夏になる、秋になる、冬になる、とは言うけど、"秋が終わる"とかは言わないじゃん。
　秋から冬への移り変わりなら、"秋が深まる"だし。
　終わる、って言うのは、"夏が終わる"だよなぁって。」
「せやな……確かに。うん。」

何となく、口にできなかったこと。
心の中には同じ感情が存在していたけど、言葉にできないでいた。
其を、彼は簡単にやってのけてしまった。現在完了形ってやつで。

「馬鹿やってられんのは一瞬だけだって、ことじゃね？」

俊也くんの言うことは、よく核心を突いていると思う。

何だか、しんみりしてしまった。
私達の友情も、何時か終わる日が来るんじゃないかって。
時の流れには逆らえない。
たった１秒先も見えないし、１秒限りも戻れない。
今という名の不安の塊に 身を委ねることしか出来ないんだ。

左腕に着けてある腕時計を、目を凝らして見詰める。
暗闇の中で、細い針が９時過ぎを指していた。

「オレ、トイレ行ってくる。」

良樹くんが徐に立ち上がって、公園の柵のほうへ歩き出した。
そうか、柵を乗り越えるか 網の破れた所を潜れば直ぐだもんね。

「んー、如何する？よっしー戻ってきたら、もう帰る？」
「幾らなんでも早いだろ。せめて、陽菜達が寝てから帰りたいよ。」
「拓、お前ケータイ持ってんだろ。桑野か鈴木にメールしろよ。」
「へいへい。」

拓センパイが、ジーンズのポケットから 随分古そうなストレートタイプの携帯電話を取り出した。
ぼんやりと明かりが点いて、馴れた手つきで指が動いていく。
うわ、私より早い。
前に見たときより随分動きが滑らかだった。

「ねーねー、あと２個くらい何か食べん？
　さっき通ってきたとき、カチワリとカステラんとこは空いとったよ。」
「そうしよっか。」
「おっけ！じゃ、うち買ってくるわ！」
「あ、お金はっ？」
「いーよ、今日は奢る！なっちには何時も迷惑掛けとるし、よっしーにも奢ってもろたし。」
「じゃあ、お言葉に甘えて……。ありがと、蘭。」
「いーってことよ！」

にっ、と眩しく笑って、白い浴衣を揺らす背中が小さくなっていく。
蘭は、笑うのが上手だ。私は下手くそ。
迷われたら困るからと、俊也くんが彼女に付いていった。
そういえばさっき「あんたみたいな綺麗な笑顔が欲しい」って言われたな。意味がよく解らない。

再び 辺りに沈黙が訪れて、欠伸がひとつ。
うん、かちわり氷は結構好きだな。

ヴー、とケータイの震える音がして、向かいにしゃがむ拓センパイのほうを見ると、彼が笑みを洩らしていた。
……あんな顔をする彼を、初めて見た。

「陽菜が———施設に居る、もうすぐ５歳になる女の子が、甚平着たまんま、寝ちゃったんだってよ。」

あんまり自然に言うから、私に対して言ってるんだと気付くのに、５秒くらい掛かってしまった。

「可愛いね。」
「だろ？天使みたいなんだよ、ほんとに。」

カチカチと指が走って、暫くすると、彼はケータイをジーンズにしまった。

特に喋ることも見つからなかったので、２人で星空を見上げる。

「泣きたくなっちゃうくらい、綺麗。」

想いを直ぐに言葉にできてしまう貴方なら、解ってくれるかな。
まわりくどいくらい、遠回しの、コトバ。
少しだけ、期待が膨らんでしまう。

彼は、ゆっくり、睫毛を伏せて。

「—————綺麗だけど、此の手には掴めないんだよなあ。」

……哀しいような、美しいような。

中学のこと、高校のことを 互いに情報交換しながら、カステラの優しい甘味を飲み込んだ。

夜が終わってしまう。
寂しい夜に、また瞼を閉じなくちゃいけない。
喉に冷たさが伝っていく度に、微睡みから覚めそうになって、悲しくなってしまう。ずっと、此の儘、世界が止まってしまえば良いのに。

滲んだ汗が冷えて、一瞬 鳥肌が立つ。

神社の入口の階段に腰掛けて、殆ど氷が解けてしまったカチワリを 皆で啜る。
蘭のは、赤。良樹くんと私は、青。拓センパイは、黄色。俊也くんは、緑色。
価値観は似てるのに、好みというものは全く被らない私達だ。変に家族みたいで、可笑しくなっちゃう。
そしてまた、そんな皆の好みを確り解っている蘭にも 笑っちゃう。

拓センパイは、私と同じ段で、２人分くらい間を空けて座っていた。
つまり真ん中。神様の通り道を塞いじゃ、バチが当たりそうだ。

「ねー蘭ちゃん、宿題終わった？」
「とっくに終わっとる。うちは、最初に終わらせるタイプやねん。」
「うわあ、嫌味〜。」
「じゃあもっと言ったる、よっしーは最終日に徹夜するタイプや！」
「いってぇなその言葉！」

数段下に座る蘭が、彼女の隣で項垂れる良樹くんを見て、けらけら笑った。
細い腕に通されたヨーヨーのゴムが伸び縮みして、水玉の風船の中で 水が鈍く煌めく。

「なっちは宿題終わったん？」

不意に蘭が振り返って、栗色の短い髪を風に浮かばせた。

「……もうちょっと、かな。数学の問題集がまだでさ。読感とかは終わったんだけど。」
「数学苦手なんだっけ、なっち？」
「うん、中学入ってからかな。蘭は数学得意だよね。」
「得意とは違うけど、好きっちゃ好きやな。」

好きなのって、大事じゃん？と、彼女はふにゃりと唇を緩ませた。

「それが勉強にしろ、テニスにしろ……恋愛にしろ。
　うちは テニスは好きやけど、今はやっとらん。
　せやからて、嫌いだとは言わんでしょう？
　勝手に線引きしてるだけで、ほんとは好きなんと違う？よーっしー？」

…………すき

「何でオレの名前を強調するんすか、ランセンパイ？」
「べーつにぃ？滑り止めにでも桜沢受けて欲しいとか思ってへんしぃ？」
「止めてよ、オレの偏差値知ってるんでしょ？私立は前橋秀徳にするのーっ。」
「えーっ。とーいじゃーんまえばしー。」

果たして、私は、その２文字を口にする為に あと何回、星空を見上げることになるだろう。
あと何回、流星に願えばいいだろう。
想いは確かに其処に在るのに。
今にもすり抜けて、居なくなってしまいそうだ。

「……俺は、桜沢まで頑張ろうかな。
　もしそっちになっても、姉弟で同じ高校とか、おもしれーし。」
「やーいシスコン。」
「俊也は黙っとけ。」

今まで空気のように この場に溶け込んでいた俊也くん。
私の斜め後ろにある 灰色の鳥居の柱に寄り掛かって、少々名残惜しそうに 解けた氷水を飲み込んでいた。

すぐ目の前の、お面屋さん兼スーパーボール掬い屋さんが、静かに店を畳み始めた。
小父さんの背中が丸くなる。

私の抱える星は、流れちゃいけないのかなあと思った。
一瞬だけ、目にする人の心を奪うことも、いけないような気がした。例え、虚しく煤になっても。
青く小さな星が、赤く大きくなって、星雲を散らすまで、天の川に紛れて じっとしていればいい。
そうすれば、近くに居ても私のことは判らない。
だから、火傷だけはしないように、白い星をこの胸に抱いておくことにする。

彼の明るく低い声が途切れて、ズボンのポケットに手が伸びる。
黄緑色の光が点いて、次に、「小母さまがお怒りになっているそうですよー」と 面白い台詞が飛んできた。
こんな時にも怒る人なんて、施設に住んでいない私でも知っている。
小学生のときも、今と変わらず ド直球なのか遠回しなのかわからない攻撃をしてきた。
其の顔が怖くて、彼処に遊びに行ったときは、必ず４時に帰ってたっけ。
其が効いてしまったのか、門限は必ず守る人間になった。

蘭が驚きのあまりに階段からずっこけて、ヨーヨーを割りそうになってしまっている。
バラエティ番組のロケなら、此処で割れた方がもっと面白いのかな、なんて下らないことを考えた。
テレビばっかり見てるからこうなるんだ、もう。

「そろそろ帰ろうか、なーっち。」
「うん。」

何事もなかったように素早く立ち上がる彼女につられ、私も身体を持ち上げる。
夢の中だから、脚がふわふわする。

未だ熱気が空気に絡み付く お好み焼き屋さんの前を通り過ぎて、山盛りになったごみ袋に 笑いながら脱け殻を乗せていった。

横断歩道のあるところまで出ていってしまうと、振り返ったお祭り通りはもう、別世界だった。
ファンタジー映画の主人公が、もといた世界に戻っていくシーン。
彼等はこんな気持ちだったのかなあ。

何処からか、ビールの苦い残り香がしたような気がした。

「私と良樹くんは此方だから。ばいばい。
　今日は凄く楽しかったよ。」

左足を踏み出して、しましまの横断歩道を渡っていく。

「わたしも楽しかったよ！
　気ぃ付けてな、二人とも！よっしーは、明日から宿題ファイトー！」
「うるせーっ！」

最後まで彼等らしいやり取りにボールドが打ち鳴らされて、拓センパイと俊也くんにも、何も言わずに手を振る。

笑顔と一緒に返されたバイバイが、何だかとても、懐かしかった。
そう感じて、少し長い袖を翻そうと、したら。

(な、つ、み、きれい、だったよ)

小さくなっていく拓センパイが、暗がりの中で、そっと、唇を、動かし——て—————

(でも、おまえには)

あ、涙が……

(た、い、よ、う……の、したに)

音もなく、誰にも見つかることなく。
弾けて、落ちていく。

(いて、ほしいんだ)

冷たい、つめたい風が吹く。
浴衣の袖を小さく揺らして、夏には如何しようも出来ないお終いがあるんだと、囁いている。

拓センパイは、そっと手をあげて、背を向け ゆっくりと歩き始めた。
その向こうで、蘭が何か叫んで 彼を呼んでいる。

「終わっちゃったな。」
「そうだね。」

良樹くんが、寂しそうに笑いながら さっと立ち上がった。
緩んでいた靴紐を締め直していたらしく、私たちのやり取りには気付かなかったみたい。

「夜も遅いし、送ってこうか？夏海ちゃん。」

お祭りの余韻に半身浴しながら、カラカラ下駄を鳴らして歩いていく。
隣を歩く彼が、ズボンのポケットに手を突っ込みながら訊いてきた。

車道で、ライトを照らす車やトラックが、何台も行き交っていた。
こんな時間でも車が多いのは、高速道路が近いからだと思う。
パーキングエリア代わりに開放されている、広い無料駐車場もあるからかな。其の隣には24時間営業のコンビニもあるし。

「ありがとう、でも大丈夫だよ。お母さんが車で迎えに来るの。」
「そっか。なら大丈夫だね。」
「良樹くんこそ、家まで乗っていきなよ。
　…………ほら、彼所でハザードランプ点けてる、水色の車。あれだからさ。」

そう言って、100メートル位先に停まっている乗用車を指さした。
その前後にも、広く間を開けて 車が何台か停まっている。

「いいよ、おばさんに迷惑掛けちゃ……あれ？車変えたの？」
「うん。２年前に。そういえば、良樹くんには言ってなかったっけ。」
「言ってないも何も、ここ数年、殆ど喋ってないじゃないか。
　確か、前に会ったときは ビーフコロッケのときだし、その時でさえ、目が合った位だし。」
「ビーフコロッケ？」
「此方の話。何でもないよ、あははは……。」
「……？」

首を傾げる私に、何でもないってば、と良樹くんがあたふたする。

……数年、振り？
そんなに話してなかったっけ。
今日のお誘いを受けたときも、お互い 当たり前のように電話して、当たり前のように待ち合わせて、当たり前のように楽しんだのに。
時が経った実感とか、全然無いよ。

そうこう考えているうちに、家の車の前まで着いてしまった。

「あら、良樹くんじゃな〜い！久し振りね！」

態々車から降りて、お母さんが 良樹くんのところへと歩いていく。

「今晩わ、おばさん。」
「そんなに改まらなくてもいいのよ！うわー、背が伸びたわね……。」

前はこんなに小さかったのに、と、彼を見上げながら 身長の比較までしている。

「よかったら、良樹くんも乗ってきなよ。ガソリン入れに行く序でにーって感じだから。」
「有難うございます、おばさん。でも、母さんが五月蝿く言うと思うので……。
　お気持ちだけ戴いておきます。」
「そう……残念だわ〜、もっとお話したかったのに。」

白い手に握られた、車のキーに付いた鈴が 低い音で鳴る。
そういえば、お母さん、何時も爪が整ってるなー。間違えて引っ掻かれちゃっても、怪我したことが全く無い。

「じゃあ、気を付けて帰るのよ？」
「はい。……夏海ちゃんも、またね。受験の相談とか、しに行くからさ。」
「うん。ばいばい。」

複雑そうな表情の良樹くんに 小さく手を振って。
車に乗った。
何時もは助手席に座るけど、今日は、後ろの席に座った。そういう気分、ってやつだ。
シートベルトしなくていいから、楽だし。




「ガソリン入れに行くなんて、嘘だよね。満タンだよ。」

彼に見送られ、車が動き出す。
信号を曲がるまで、彼は ずっと手を振っていてくれた。

窓が閉まった車内にクーラーが掛かって、随分涼しい。

「……気の利いた嘘が、吐けないのよ。いい歳して。
　それよりも、お祭り楽しめた？夏海。」
「うん。でも……」

窓に寄り掛かって、外を流れるモノクロの世界を眺めながら、今までずっと握り締めていた 柔らかい毛を撫でてみる。
少し汗で湿ってしまっていた。

「…………来年は、お母さんと行きたい。」

……と、言ってはみたものの、返事がかえってこない。
如何したのかなあと、ミラーを覗き込んでみると、彼女は 目を真っ赤にさせて 涙を流していた。

「ごめんね、ごめんね、ごめんなさい……っ。」

こんなに取り乱したのを見るのは、初めてだった。

何で、泣いているんだろう。
そんなに綺麗な顔に、雫を走らせて。
時々咳き込んで、小さく嗚咽を漏らして。
アナタは、誰に謝っているの？

良樹くんを見て、昔のことを思い出してしまったのかもしれない。
私にはわからない父に、詫ているのかもしれない。

例え母娘おやこでも、解らないことは当然にある。
ひとつだけじゃない。何十個も、ううん、もしかしたら、何百個も。

「ごめんなさい……っ……」

ただ、今まで、お母さんは 何時も私の味方でいてくれたから。

「お母さんは、何も悪くないよ。」

友達と喧嘩しちゃった日にも、お父さんが居ないからと虐められた日にも、インフルエンザにかかって、高熱の中でずっと怯えていた夜にも……。
お母さんは、ずっと、私を守ってくれたから。

「なにも、あやまらなくていいんだよ。」

私の言葉に、涙が止まらなくなってしまったのか、急に車のスピードが落ちて、路肩に停まってしまった。
ダッシュボードからハンドタオルを引っ張り出して、分厚い生地に顔を埋めている。

私達は、今まで 何れ程の涙を流してきたのかな。
蘭も、拓センパイも、良樹くんも、お母さんも。
でも、誰も悪くないの、きっと。

——わるいのは、ぜんぶ、おほしさまのせいだよ。

小さな黒い瞳を向けて、白ウサギが言っている。


抱える星に呑まれたって構わないから。
今度は私が、お母さんのことを……みんなのことを、守りたいの。


夜が明けて、この空が白むまで。



《『夜這星より儚く、闇黒より揺るぎなく』完》