コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: COSMOS ( No.344 )
日時: 2015/12/21 22:41
名前: Garnet (ID: rS2QK8cL)



「翔くんっ!!」

子供でごった返す通学路に見慣れた後ろ姿を見付けたので、思わず声を上げた。
彼も、気付いたのか、振り向いて 手を振ってきた。
フェンスの向こうから木漏れ日が落ちてくる歩道を、人を掻き分けて駆けていく。
校章が判子された黄色の通学帽と、背中まで伸ばしている髪が 生まれたての風にふわりと浮かんだ。

「おはよう、知美。今日は朝から元気だね。」
「だって、今日は一時間目から体育があるんだもん!その次は、理科と算数だし!」
「体育かあ、マラソンの練習は嫌だな。」
「マラソンは、跳び箱とマットと、鉄棒が終わってからだよ。」

何時ものように、翔くんは爽やかに微笑んだ。
彼の左側を、どちらともなくスピードを合わせて歩いていく。
直ぐ先に見える角を右に曲がれば、校門前で 子供たちに挨拶をしている警備員さんと校長先生の姿が見えた。
そういえば、校長先生は、蘭ちゃんの代からずっと変わっていないらしい。花とか鳥の名前を沢山知っている人だ。

……今日は、9月中頃の月曜日。
夏休みの熱りも引いてきて、早い子は、赤く日焼けした顔が白く戻りつつある。
皆は ディズニーやUSJに行ったり、海や避暑地に家族旅行したって言っていた。でも私は、最終週にお祭りに行ったことくらいしか 思い出らしい思い出というものが無い。

ランドセルの中で、筆箱がカタカタと音を立てる。
絵本袋に詰め込んだ 上履きと体操服は、金曜日にはあんなに重いのに、今日はものすごく軽い。

「そっか、マラソン納会があるのは、12月だもんね。」
「うん。だから、まだまだ先だよ!
 ……あ、あのさ、10月に 1年生との交流会があるよね?」
「交流会?歌ったり踊ったり?」
「もう、踊らないってば。」
「あはは、冗談だよ。」

くすくすと、2人で笑う。

「で……交流会がどうかしたの?」

翔くんが、帽子の奥でさらさらと揺れる前髪を垂らして 訊いてきた。
光に当たった瞳の色が、一段と明るくなる。

「うん、最後に 一緒に歌を歌うとき、3年生の中から伴奏者をとって歌うって、金曜日に先生が言ってたじゃん?
 やっぱり、ピアノなら麻衣ちゃんかなあって。」

しかし、私が言葉を発した途端、翔くんが歩みを止めた。
それに気付かず 数歩先まで歩いていってしまったので、慌てて振り返った。
後ろから、邪魔そうに 他の生徒たちが通り抜けていく。

大きな雲が太陽を隠して、コンクリートを黒く塗り潰していく。

「知美は……知らないの?」
「え?」

おはようございまーす。後ろの方で、警備員のおじさんが低い声で言っている。
彼は俯いていて、通学帽のつばに隠れて 表情が見えない。

「"あの後"、一旦は収まっただろう?3年生になるまで、誰も 麻衣のことはいじめなかった。
 でも、クラス替えをして……今は、エマと知美は2組で、僕は1組。麻衣は3組になって、バラバラでしょう?」
「…………うん。」

小学生の視界というのは、吃驚するほど狭いもので。
違うクラスになってしまうと、棲む世界まで違うように感じるものだ。少なくとも、私と翔くんは。
だから、3年生になって 離ればなれになった私達は、あまり話さないようになってしまった。

「僕は塾がいっしょだから、クラスが違ったとしても、何かあれば直ぐ気づくだろうって、高を括ってたみたいなんだ。」

タカヲククル、って言葉の意味が ちゃんとは解らないけれど、しょうがない。
大体は解ってる……と、思うことにしておく。

「気づいてあげられなかった。
 ……音楽の授業のとき、伴奏者のオーディションの知らせを受けた麻衣は、勿論、立候補したよ。それで……」

彼女がピアノを弾けることを初めて知ったクラスメートが、やってみせてよと、彼女にせがんだらしい。
麻衣ちゃんが音楽の先生に 音楽室のピアノを使って良いかと訊くと、授業が終わってからなら良いよ、と言われたので、授業後、ピアノの周りには人だかりが出来た。
……此処までは良いんだけども。
問題は、その先。
「弾いたことあるやつで、いちばん難しいのやって!」と言われ、彼女は、2・3番目を取って、幻想即興曲を弾き切ってしまったらしいのだ。
ただでさえ、何でも出来てしまう彼女がそんなことをしたら如何なるか。
音楽の先生は目を真ん丸にするし、男子は騒ぐし、そうなると女子は……

「調子に乗ってる、って。その日の放課後、麻衣は クラスの女子に悪口を言われて。
 その中に、ピアノを習ってる子も居たらしいんだ。
 そりゃ僻むよね。麻衣は4歳からやってるけど、その子は1年生になってから始めたんだもん。」
「何それ……麻衣ちゃんは、一杯練習したから上手くなったのに。」
「知美の心は綺麗すぎるよ。女子って、そんなもんなんだ。」
「そんな……っ。」
「その後ずっと嫌がらせを受けて、麻衣は オーディションを目前にして、自主辞退した……。
 結局、伴奏者になったのは、麻衣をいじめた奴だよ。」

なんて酷いことをするんだろう。
大人の死角で、閉めきってじめじめした場所に 麻衣ちゃんを追い込むなんて。人間として最低。

大きなおおきな雲は、まだ太陽を隠している。

エマは、このことを知っていたのかな?
頭の良い彼女のことだから、多分 とっくのとうに知っているだろう。

「ねえ、知美……。」
「何?」

俯いていた彼が、顔を上げる。

「僕、彼奴等を叩き潰したい。真っ正面から。」

麻衣ちゃんと翔くんは、保育園のときからの幼馴染み。
喜怒哀楽を共にした、誰にも解けない絆で繋がれている。

大切な人を、守りたいんだと、彼が潤む瞳で訴えてくる。

すっ……と、雲が退いて、秋らしい光が降り注いできた。
それでも、暑い。蒸し暑い。
蝉は居なくならないし、遠くの空には 小さな入道雲だって浮かんでいる。
脳裏を、真っ直ぐな翡翠の瞳が掠めた。

私は、未だにこどもだ。しょうもないくらい。

Re: COSMOS ( No.345 )
日時: 2015/12/23 20:16
名前: Garnet (ID: XM3a0L/1)



「駿河知美っ、行きまーす!」
「Come on Tomo!!」

1時間目、中体育、跳び箱。
今週に控えた実技テストに向けて、私みたいな阿呆は 精一杯台上前転の練習に励んでいる。
エマも跳び箱(というかほぼ全部)は得意だけど、彼女は断じて、私と同類じゃない。クオリティーが違う。

一応エマに、跳箱の横で補助に付いてもらって、私は 硬い体育館の床を蹴り出した。
生温い空気が体操服にまとわりつく。

「えいっ!」

キュッ、と、上履きが床に摩れる。
新品の 緑色のロイター板に踏み込み、汗臭い跳び箱に手を掛けて 身体をくるりと回した。
一瞬、高い天井に薄暗い水銀灯が見えて、背中にも、きちんと感触が伝わってくる。

5段、どうだっ…………!!

世界が360度したと思ったら、いつの間にかマットの上に着地していた。
空間を捻曲げた所為で、少しふらついてしまったけど。

体育館の外のフェンスの向こうを、自転車に乗ったおじさんが通りすぎていった。

「Wow!トモスゴい!」
「出来た、5段!」

隣で、柔らかいストロベリーブロンドを二つ結びにしたエマが 拍手した。
低めのツインテール。お揃い。
私は緩んだヘアゴムを外して、ささっと髪型を直す。

「次は6段、行けちゃうんじゃないの?」
「えーっ、ムリムリ。」

次の番のクラスメートは 最近出来るようになったばかりの初心者なので、2人で補助する。
さっきエマが立っていた方へ、私が立った。

小さな列ができているスタートラインへ目を向けると、"いかにもな女の子"が、もーやだぁ、とか言って 後ろに並ぶ子と喋っていた。
サイドにシュシュで纏めた髪を揺らして。
後ろの子が「良いから早く!」と言いながら 彼女の背中を軽く叩いている。

「貴方は、自分の奥に眠っている力に気が付いてないだけなのよ。」

……あまりにも大人びた声がしたので、先生かと思った。担任は男だけど。
驚いて、首を回してエマを凝視してしまった。
ふふ。彼女は、意味ありげに怪しい笑みを浮かべる。何時だったか、エマの部屋で見た 彼女の母親の写真…………彼処に遊びに行く度に、どんどん似てきてる気がする。
そのオーラに、身体中がぞくりとした。
転校してきた当初から見え隠れする、この感じ。今も一寸慣れない。

「ごめんねぇ、知美ちゃん!行くよっ!」
「う、うん!OK!」
「ガンバーみっちゃん!」

あ、みっちゃんって言うんだっけ。この子。
エマの掛け声にそんなことを考えながら、台上で少しぐらついた彼女を それとなく補助した。
数秒にも満たない瞬間で、色んな思考が頭の中を交差する。

「うわあい!出来た!」

無事に着地した彼女を見て、こういう子って苦手だなあと思いながら、補助から外れて列に戻った。

授業終了まであと20分。
2時間目も5年生が使うので、片付けはしなくてオッケーだ。だから、あと10分は練習ができる。
跳び箱は楽しいけど、あっつい体育館から早く出たい。

ピンクピンクな"みっちゃん"は、またキャーキャー言いながら、夏村さんの補助に付いている。

「うっさいよ美知みち。」

列の後ろからだから、表情はよく見えないけど 肩の上で切り揃えたショートヘアは今日も綺麗だった。
さっぱりした口調と比例している。

夏村鈴(なつむら れい)さん。
話すことは無いけど、密かに憧れていたりする。
でも、休み時間は殆ど本ばかり読んでいるから、声を掛け辛い。
きっと今も、涼しげな目元を伏せ気味にして、美知ちゃんを見ているんだろうな。

「私、みっちゃんって少し苦手かな」

ひょい。
効果音が出て床に落ちそうなくらい、エマが軽々と言葉を放り投げた。
さっきの明るい対応とは正反対だ。
彼女は 前に並んで喋りまくっている男子を見やって、もう一言。

「女の子ってめんどくさいよねー。」

その言葉に呆気にとられていた私は、夏川さんの華麗なヘッドスプリングを 見事に見逃した。

Re: COSMOS ( No.346 )
日時: 2015/12/24 09:18
名前: Garnet (ID: XM3a0L/1)

そんなことを言うのは、私の記憶と頭が終わっていなければ、初めてな気がする。
大きく目を開いて、彼女をガン見してしまった。
しかし、暫くすると、まさか……と疑ってしまう。しかし、無理はない……と思う。

「違うよ!違うから!God knows that it is true!!!(神に誓って!!!)」

もう二度と親友に盗聴器なんか持たせないよ———と続けようとしたのだろうけど、彼女は グッとその言葉を喉の奥に押し込んだ。
苦い味がするようで、整ったポーカーフェイスが壊れかけそうになる。
仮にも此所は、子供たちの集まる体育館だし、番を終えた夏村さんが帰ってきたから。
美知ちゃんは3段の初心者コースでやり直すことにしたらしく、この列には戻ってきていない。

あの件のことだけは、エマの唯一の弱味だ。
……エマを、信じていない訳じゃない。ただ、未だ何かを隠しているような気がするだけで。
それを分かっていても教えてくれない、奈苗ちゃんも奈苗ちゃんだと 思うんだけど。
でも、また彼女が涙を流してしまうのも嫌だ。

夏村さんが、さらさらと揺れる短い髪を 細い指で手櫛しながら帰ってきた。
ふと足元を見ると、上履きの色が真っ白だ。
月曜日だから洗い立てなんだろうとか、そういうことじゃなくて。
赤とか青とか、この学校では大抵の人が 縁に色がついた上履きを持っているけれど、彼女の上履きの色は真っ白だったから。
因みに、私とエマと麻衣ちゃんは、同じ赤色だ。

「あ……夏村さん、上履きの色、白なんだね。」

……って!何言ってるの知美はっ!!
自然と声が滑り落ちてきて、頭の中でパニックになる。
何しろ、あの憧れの夏村さんに、自分でも無意識に話しかけてしまったのだ。

え、あたし?
と、此方に向いた綺麗な瞳が言っている。
木製の肋木に背を預け、軽く脚を組むその姿さえ、絵になるようだ。

「これが一番安いから。それだけのこと。」

ひゅるりと風が吹いてきて、クラスメートの喧騒がブレる。

「美知みたいなピンクの上履きなんて、論外。」
「そ、そう……」

あああぁどうしよう、今思いっきり顔が引きつった。

ふあ……と欠伸をする彼女には、幸い見られなかったみたいだけど。
それをいいことに、エマに話しかける流れで 前に振り向き直す。
知美ってびびりだ、チキンだ、うへえ。

がくりと肩を落とす私の背中に、全部解ってるよと言うように エマが手を置く。
全力で泣きたくなってたから助かるよ。

彼女の 青みがかった灰色の瞳が捉える視界の端で、夏村さんは じっ、と、彼女を見詰めていた。
そして、誰にも聴こえぬように、エマにしか聴こえぬように、夏村さんは 薄い唇を重たそうに動かした。

「神様なんて居ないのに。」

Re: COSMOS ( No.347 )
日時: 2015/12/25 21:27
名前: Garnet (ID: z5Z4HjE0)

背中に置かれた手が、ぴくりと動いたように感じた。

「どうしたの?エマ?」

横目で夏村さんを見ている彼女をちらりと見上げてみたけれど、何時ものように、その表情から 感情は読み取れない。

「……何でもないよ。」

僅かに唇を震わせながら、エマが言う。
彼女は前を向き直し、自分の番になったからと、この時間の 最後の台上前転をやってみせた。

そのまま、私も続けてやったけど、跳び箱の段数が一つ増えていたことに気付くのは、もう少し先の話だ。



夏村さんの家は、母子家庭なのだと、聞いたことがある。
トイレで女の子たちが噂していた。
でも私は、その横を、何も聞いていない振りをして通り過ぎる。
噂話に乗るのは夏村さんに失礼だと思うし、何よりも、両親とも居ない私にとっては 片親が居るだけでも充分じゃないかというのが正直なところ。
……この考えは甘ったれていると、後々気づくことにはなるのだけど。

彼女とは、今年初めて、同じクラスになった。席が近くなったことは 今まで一度もない。
意外と伸びるのが早いその髪は、2ヶ月に一・二度切り揃えていて、何時も遠目に見ている私は、その度に声を掛けようか迷っていた。
でも、いざ休み時間になると、一番前の窓際の席で 表紙が薄汚れた学級文庫を片っ端から読んでいる後ろ姿を、もどかしい思いで見詰めることしか出来なくて。
時々 美知ちゃんが夏村さんに話し掛けに行くけど、彼女はその度にさっさと退かしていた。
そうして彼女は、周囲に透明なカーテンを引き、文字を追う瞳を輝かせながら、白く細い指で
日焼けした紙を捲っていく。
カーテンが風にはためいて、短く軽そうな髪が陽に透ける、その姿はモデルさんみたい。
教室のなかで、彼女が居る陽だまり色の世界だけが、何だかとても幸せそうな場所に見える。そんな光景は、いつの間にか日常に溶け込んでいった。
皆も、慣れてしまったのか 他人のことなど眼中にないのか、夏村さんのことを何も言わなくなってきた。
4月には散々な言われようだったのを覚えている。
友達居ないんじゃねーの?とか、ガリ勉、とか。
そんな幼い棘を当たり前のようにはね除けた彼女を、私は今でも尊敬し続けている。

それなりに 抱えている秘密は多いのだろうけど、そんなこと、知ることが出来なくても構わない。
仲良くなりたい。ただそれだけを、密かに思い続けてきた。

けれど、1つだけ、知りたいことがある。
あんなにも読書好きな夏村さんが、図書室から本を借りても 決して家に持って帰ろうとしないのは何故なのか。
何時も机の脇に掛けた絵本袋に入れているから、何となく気になっていた。


……と、何だかんだと言い訳を並べて、今日はずっとエマと一緒だった。
学校の近くの公園で遊んでいる 今の瞬間も含めて。
2時に学校が終わるという早帰りの放課後を満喫しようってことで、太陽が低くなり始めた3時頃、少し遠くにある川へ行くことにした。
勿論徒歩で。

因みに、この川は 千葉県や東京都の川へも繋がっているらしい。
清流の向こうで、彼等はどんな風に生きているんだろう。
冷房の効いたオフィスで パソコンと睨めっこしてるかもしれないし、水撒きしたアスファルトの上を、セーラー服姿のお姉さんが駆けているかもしれない。
私達と同い年の子は、私達と同じように笑って、同じように勉強してるのかな。
何時か、行ってみたいなあ。

遠くに聞こえる蝉の鳴き声に想いを馳せ、近くで足音を立てる秋に、手を振ってみる。
もうすぐ其方に行くからね、と声がする。

「行こう!トモ!」
「うん!」

縄跳びの縄を纏めて、熱い空気を吸い込んだ。

夏休みに買い換えてもらった水色の靴で、地面を蹴り上げて。
柔らかい髪を揺らす後ろ姿についていく。

ふたりで、大好きな川原へ行こう。

Re: COSMOS ( No.348 )
日時: 2015/12/27 11:43
名前: Garnet (ID: C6aJsCIT)



「んーーーっ。綺麗、気持ちいい。」

エマが岩の上に立って、ぐーっと伸びをした。
私はその隣に体育座りする。
時々思うんだけどさ、エマって 脚、長いよね〜。

きらきら。
流れが輝いて、所々に上がる白く不透明な水飛沫。
水の底に見える、流れに逆らう黒っぽいものは、魚。何て名前だかは知らない。
此処の空気だけ、包み込むようにひんやりとしていて、川の匂いがする。
予定よりも可也上流に来てしまった。

「私、日本の川、結構好きだな。」
「日本とアメリカの川って、違うの?」
「うん。アメリカは国土が大きいから、流れが緩やかなの。
 だから、この川を初めて見たときは、滝なのかと思っちゃった。
 日本って山だらけね。」

群馬に来たばかりの頃を思い出しているのか、エマは懐かしそうに笑みを零した。
そして、すとんと腰を下ろし、脚をぱたぱたさせる。

整った横顔を見ると、思い出したくもないことを思い出してしまう。


——わからなくていいの


そう言って、大きな瞳に涙をいっぱい溜めた、彼女の表情を。
恋って、愛って、時が経ってしまうと あんなにも哀しいものになってしまうのかな。

私には、奈苗ちゃんが何を思って生きているのか、正直解らない。
如何して 前世の記憶を捨てられなかったのか。
如何して "此処"の人間になったのか。
彼女の言う通り、知らないほうが良いのかもしれない。

川の流れは、今も止まない。
奈苗ちゃんが前の人生を歩んでいたときも、きっと、同じように この川は綺麗だった。
…………時の流れには、逆らえない。

「ねえ、ずっと気になってたんだけどさあ……」

だから、彼女が背負っている重たいものを、少しでも無くせたらいいのになって、思って。

「エマは、奈苗ちゃんのこと、ずっと前から知ってるの?」

初めて二人が出会った、あの日。
絡み付けて離さなかった視線も。
まだエマがアパートに住んでいた、あの日。
話してくれた、過去も。
私の誕生日パーティを開いてくれた、あの日。
招待状に、盗聴器なんか付けたのも。
お父さんが 奈苗ちゃんと対面してしまったのも。

全部、全部———


"彼等"と同じ、長い睫毛を伏せて。
エマは、もう無理だと観念したのか、尖った目元を引き締めて、此方を向いた。

太陽が、金色の光を帯び始める。

「知ってるよ。」

風が私達の髪を撫でて、この場所だけ、別世界にする。
近くに掛かる橋を渡る 子供たちの声が、遠退いていく。

「奈苗ちゃんが、彼女のお母さんのお腹のなかに、居るときから。」

胸に引っ掛かっていた物が、少しずつ溶けて、何処かへ流れていく。

「奈苗ちゃんのお母さんは……私のお父さんの、よく、知っている人なの。」

Re: COSMOS ( No.349 )
日時: 2015/12/29 10:10
名前: Garnet (ID: I.inwBVK)




縄跳びさん縄跳びさんここにいますかー。

学校から帰って家に戻ってから、一昨日来た川原へ再び足を向けて 心の中で我が友へ問い掛けてみる。
いやー、2日も君のこと忘れてごめんよぉ、謝るからさあ、ねえねえ。

なんて馬鹿な茶番は此処迄にしておく。
浮気がバレて家を出ていってしまった、同棲したての彼女を探しに来たみたいで気持ち悪い。
こういうこと話してると嫌な人のことを思い出すから、というのもある。昨日、そんな 泥まみれの汚ない記憶を引っ張り出してしまったばかりなのに。

「…………あ。」

前にエマと座っていた大きな岩。
その直ぐ隣の地面にぶっ刺さる古臭い木の棒に、それは丁寧に引っ掛けられていた。
棒の直径は、手のひらを乗せると 丁度掌紋が録れそうな位。多分、船を留めるやつを、態々此所に持ってきたんだと思う。

「よかったあ。」

ひょいと棒から外して、纏めて結んである縄を手首に掛ける。
百均のでも、やっぱり見つかると嬉しいものだよね。

持ち手が透明なプラスチックの、ピンクの縄跳び。持ち手の中でからから音を立てる細い紙には 大人の字で"ともみ"とだけ書いてある。
偶然なのか何なのか、私を除くと 小学校には6年生に1人だけしか"ともみ"が居ないからだ。
もしあっちの"ともみ"の物だと勘違いされてしまっても、彼女は こんなに短い縄で体育の授業45分間を耐えられる筈がない。
1回会ったことがあるけど、それなりに身長はあったし。

……さて。
目的を遂行した今、私は何処までも暇になってしまった。
9月も終盤に向かおうとしている水曜日の午後3時半。
いい感じに太陽が傾いて、川面をキラキラと光らせている。
温いかなあと思って、流れの方へ行って片手で水を掬ってみたけど、予想以上に冷たい。
近いうちに、本格的に夏が失踪してしまいそうだ。

しゃがんで水面に近付けた顔が、ぐちゃぐちゃに揺れながら 影のように映る。

ああ、何しよう。
川の匂いが蒸発していく手をハンカチで拭いて、立ち上がる。

今日は散々な日だったような気が、しなくもない。
朝からサラダにパプリカが入ってるし、通学路で翔くんに会えなかったし、エマは用事があって遊べないし、何だか知らないけど 学校内では美知ちゃんに付け回されるし、いつものことだけど夏村さんには話しかけられないし。
書き出したらキリが無い。
給食に大好きなわかめご飯が出て、発狂せずにいられたのが唯一の救いだ。

今日の嫌な出来事を頭の中で書き出して、くしゃっと丸めてポイ捨てする。
その辺に捨てるのはやっぱり気が引けたから、拾い直してごみ箱へ 全力で腕を振って投げる。
私にとっての 思い出のごみ箱は、空の向こう。早くも薄い金色に輝き始める、低い空の、向こう側。
今日も無事に、手のひらサイズの原稿用紙は、太陽の熱で燃えて消えていった。
 

Re: COSMOS ( No.350 )
日時: 2015/12/29 22:34
名前: Garnet (ID: MRwb6zkQ)


「知美ちゃんは 両親の育児放棄によって此処に来たと聞いていますが……桑野さん。」

「そっかー、清水さんが此方で働くようになったのって、知美が来てからだもんね。
 あのときの話とか、あんまり聞いたことが無いでしょう?」

「あのときの、話……?」

「どうやって此処のことを知ったか、とか、泣き喚く知美を如何に落ち着かせたとか、さ。」

「……何か、知美ちゃんには問題があるのですか?」

「ああ、そういう意味じゃないよ。
 勿論、来たばかりのときはそれなりに大変だったけど、病気とかなわけじゃないから。心のほうも含めてね。」

「はあ…………」


不用心にもほどがあると思う。戸をちゃんと閉めないなんて。
以前……此処に来てから2・3年経ったときにも、私の目の前で私の過去を話したりなんかして、泣き出した私を ぶっ壊れた玩具を見る子供のような視線で見てきたのに。

5センチくらい開いている隙間に近いて中を見てみれば、桑野さんと清水さんが 私の話をしながら温かそうな紅茶を飲んでいるじゃないか。
戸と壁と床から、冷たさが伝わってくる。


「何か、恵理ちゃんが関わっちゃってるらしいんだよねー。」

「鈴木さんが?」

「いやあ、ほんとにひっくり返っちゃったんだから。
 相手が子供だから真偽は怪しいところだけど、恵理ちゃんが、知美に上手く訊いてくれたみたいでね。
 恵理ちゃんのお陰で、書類の空欄が減ったようなものだし。」

「彼女、子供の心を開くのが上手いですからね……。
 私には無理です。」

「まあまあ。君もそのうち、出来るようになるって。」


随分と失礼なことを言われてる気がする。
ていうか、なんで桑野さん、恵理ちゃんって呼んでるの?あの2人って仲良かったっけ。

二人は、テーブルクロスの上に厚いビニールを被せた、長方形の机を挟んで向かい合っていた。
部屋の中にある小さな電子レンジが音を立てる。
清水さんは椅子から立ち上がり、フローリングに足を引き摺らせながら、温まった何かを取りに行った。

この部屋は、食堂にあるキッチンとは別の、台所。
多分、大人たちが 来客の為に使った食器を洗ったり、軽い夜食をとるのに使ってるところだ。
何時だったか、鈴木さんがスープを作ってるところをみたことがあって、結構お邪魔している。
皆の夕食に出してみたいからと、先ずは3人分、試しに作っていたらしい。
具が沢山入っていて、ぽってりとしていた。
家族から教わった、スコッチブロスっていう、スコットランドの料理なんだって。
スコットランドって何処ー、って訊いたら、あーごめんね、イギリスのことよ〜、って、お玉で鍋をかき回しながら教えてくれた。
「イギリスに住んでたことがあるの?」と訊いたら「何回も引っ越しちゃって、ずっとはいなかったけど、合わせれば6年以上にはなるんじゃないかしら。あ、生まれは日本よ。」と、どことなく複雑な顔をして言われた。
もっと色々知りたかったけど、その顔を見て、やっぱりやめておこうと思った。
後日、休日の夕ご飯に出てきたスコッチブロスは、少ししょっぱかったけど美味しかった。

Re: COSMOS ( No.351 )
日時: 2015/12/30 08:14
名前: Garnet (ID: C6aJsCIT)

……うん、桑野さんのことへと話を戻そう。子供だからって失礼極まりないと思うんだけど、桑野さんの言ってることに間違いは無いとも思ってる。
矛盾してるとかそんなこと考えない。人間なんて矛盾の塊だし。あはは。

確かに鈴木さんの話術については、3年生になった今振り返ると、普通じゃないものだ。
自分からオープンになって、近付き過ぎず、離れすぎず、同じ目線になるようにしてくれた。
辛くなる前に気付いてくれて、優しく背中をさすってくれた。
肝心の此処に来た理由も、頷きながら、何も否定しないで聞いてくれた。

清水さんが、睫毛を伏せ、摺り足で 白い皿に何かを乗せて机に戻ってくる。
音もなく視界に再出現されるものだから、驚いて物音を立ててしまいそうになる。


「すみません、お話の続き、どうぞ。」

「ああ、うん。」


あまーい匂いが 此方まで流れてくる。
これは、クッキーかな。レンジで温めると 粒々のチョコが溶けて美味しいやつ。
桑野さんの大きな手が皿へと伸びて、クッキーを掴む。甘いものが好きなのか、ほろりと口で解けるクッキーを味わい、うまい、と頬を緩ませた。
大人ってどうしてこう、何でもかんでもあったかくするのかなあ。コーヒーも紅茶もお酒も。
まあお酒はどうでもいいとして、コーヒーとお茶は、熱いと飲めたものじゃない。
ふーふーしてたら酸欠になりそう。

さあ何を言ってくれるのかと、戸の開いた隙間から、気配を消して成り行きを伺う。
何となく、桑野さんが話し出した言葉が、小さく、聞こえ……て…………?


「恵理ちゃんが関わってる、って言うのはさ……実は、此処のことを教えたのが、恵理ちゃんのお母さんらしいんだよー。」


……………………は?


「はい?」

「そのー、彼女の巧みな話術でね、訊いてくれたんだよ。誰が此処を教えたのか。
 顔の特徴や話し方、年齢と服装と、最後には 髪の色と目の色まで、少しずつ訊ねていって。
 恵理ちゃんも、まさかとは思ってたんだってよ?」


いやいやいやいや、ちょっとまって。
それって何、鈴木さんのお母さんは、あの怖いお婆さんなわけ?
彼女から見た長女は 奈苗ちゃんのお母さんにあたるんでしょう?
じゃああのお婆さんは、さあ———


「言っちゃうと……、奈苗のお祖母ちゃんにあたる人が、知美に会ってたことになるんだ。」


———ああ、やっぱり。そういうことだったんだ。
だからここ数年、デジャヴに悩まされてたのか。あの少し怖い目元が、固めた表情が、私も気付かないほど、違和感無く似ていたから。
奈苗ちゃんのお母さんには会ってないけど、きっと彼女も、2人にそっくりな筈だ。

そうか……そっか、そーか。

戸から離れて、廊下を歩き始める。
まだ桑野さんが何か言ってた気がするけど、私のお母さんのことだとわかったから、聞かないことにした。
あの人のことを頭で理解しようとすると、身体中を引っ掻き回されているように気持ち悪くなって、それでも帰りを望んで泣き出す自分が信じられないから。
どうせなら忘れてしまえばいいんだけど、それが出来れば苦労しないんだよね。

山の中からは、すっかりセミの声は聞こえなくなっていた。
代わりに、足下に纏わりつくのは ちめてー冷気。
この感覚、今年は今日が初めてかも。

うーん、でも、なんで。
あんなに歩き回れる元気なお祖母ちゃんが居るのなら、お母さんが難しくても 彼女に奈苗ちゃんを育てられないことは、ないのにね。

Re: COSMOS ( No.352 )
日時: 2015/12/31 20:45
名前: Garnet (ID: J/brDdUE)




腕に引っ掛けた縄跳びをぶんぶん振り回しながら、川の流れに沿って アスファルトの道路を歩いていく。

気温に関してはまだまだだけど、日は結構短くなったと思う。

時々 緩やかなスピードで軽トラックが横切ったり、柴犬を連れてジョギングをしているおばさんが通ったりして、当たり前なんだけど、あ〜 生きてるんだなあ、って 指で水風船をつつくみたいに、曖昧な実感をしたりして。
大人たちがよく言う"今を大切にしなさい"。じわじわ、意味が心に染み込んでいくような気がした。

そんなババクサイ考えを巡らせる、午後4時前。
感傷的な気分になっていたというのに。

「ばかっ!」

何処からか、清流に似合わぬ汚ない言葉遣いが飛んでくる。
声の主に、邪魔すんなこんにゃろー!と怒鳴り付けてやりたい。そんなことしないけど。

ボソボソと、まだ言葉が紡がれている。
水飴みたいに 甘くてねっとりする声。世間一般的には、女の子らしいといわれる声。
道路の下の川原から聞こえることに気付いて、そっと、ガードレールに手を添えて 様子を伺ってみた。
もしかしてとは思ったけど、私よりも下流のほうに、5・6人の女子が固まっているじゃないか。
これは、あれ?うん、多分あれ。

なるべく 数少ない通行人に溶け込んで、彼女たちに近付いていく。

この辺は 他の小学校の学区にもなってるから、知らない人かなあとも 一瞬思ったんだけど、水飴ボイスを聞いて、誰だかは確信がついた。
汚ない言葉からして、やってることも、多分汚ないこと。

「まじアンタうざいの。」
「明日から学校来ないで。」
「きもいから。」

ああああ耳が耳が。
きょうだい喧嘩とは天と地程の差がある。悪意と愚かさを垂れ流されて、聞けたものじゃない。
見なかった振りをして、回れ右して帰ろうとしてしまった。
もう、右足下げて、後ろ向いちゃったし。
……でも。

「マイってさあ、うちらのこと馬鹿にしてるでしょう?
 自分が何でも出来るからって。せんせーにもイイコぶってるし。」

マイ?
背中に氷水をぶっかけられるみたいに寒気がする。
濡れたシャツが肌に張り付くみたいに、不安がのし掛かってくる。

「私はっ、そんなこと…………」

一寸前まで、当たり前に 隣で聞いてた声が。

恐る恐る、回れ右から直れして、かくかくふるふる、足を 震わせながら進める。
少しずつ、彼女たちの見える角度が変わってきて。
……4人の女子が、下ろした髪をボサボサに乱した麻衣ちゃんを 囲むように立っている。その端っこに、見たことがある顔ぶれを捉えた。
視力が良いほうだと言われている私には、正体がはっきりと判ってしまった。

普段の喋り方と気持ち悪いほど合っている 年の割りに幼い顔立ち。
跳び箱のときに付けてたのとは違う、蛍光色のピンクのシュシュが "彼女"の長いポニーテールを留めて、その存在を主張している。

「み、美知ちゃん……。」

私の口から零れた彼女の名が、アスファルトにちっぽけな影を作った。

美知ちゃんまで、麻衣ちゃんをいじめていたなんて。
信じらんない。
体の奥が熱くなってくる。

頭じゃ、直ぐに飛び掛かってやろうと 怒りが荒波を立てているのに、頼りない膝は 無理だよう、とけらけら笑っている。
自分が情けない。
彼女たちは目の前に居るのに、何も出来ないのだから。

「……………!」
「……………………!!」

声が辺りに小さくこだまする。
彼女たちのなかから、リーダー格らしき人が1歩、前へ出てきて、右手を上げる。

だめ、だめ、だめだめダメダメ駄目だってばっ、ねえ。
どうしよう、逃げ出すこともできない。
怖くて、恐くて、気絶しそう。
視界が滅茶苦茶に涙に支配される。

ちっちゃな彼女が、そのまま手を高く振り上げた、その時。
何処からか、人影が猛スピードで駆けてきて、片手で軽々と ガードレールを飛び越えていった。

「駿河さんの友達をいじめてんじゃねえよこの糞がアァァ!!!!!」