コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: COSMOS ( No.364 )
日時: 2016/01/08 23:25
名前: Garnet (ID: UcGDDbHP)

〔奈苗 5歳秋〕『繋ぎ欠けの星座』※態と違う字にしました



「お父さま…………お母さま、今日も笑ってくれなかったわ。」

癖毛の混じる金色の髪を揺らして、少女は瞳を潤ませる。

「そうか…酷いお母さまだよね。
 可愛い娘が、一生懸命 笑顔にさせてあげようとしているのに。」
「それどころか、怒られてしまったわ。
 勉強するか、ピアノを練習するか、お母さんを手伝うか、早く何れかに決めなさいって。
 だから、ピアノを練習することにしたわ。
 お父さま、何か弾いてくれない?」
「良いよ。」

少し長めの茶髪を揺らす男性———彼女の父親は、しゃがんで目線を合わせ、少女の頭を優しく撫でると、立ち上がって、壁際に置いてある アップライトピアノの方へ歩き出した。
少女も、溢れそうになる涙を飲み込んで、駆け足で彼に付いていく。

「お父さまが一番好きな曲を、聴きたいわ。」
「一番、か……。」

ちらりと振り向く彼に、少女はにこりと笑い掛ける。

彼は暫く、椅子を前にして考え込んでいた。
やがて、彼の中での"一番"が決まったのか、彼はゆったりと、椅子に腰掛けた。

すう、息を吐いて。
男性にしては細く長い、綺麗な指を 鍵盤に乗せる。

高音が響いたと思ったら、低音と合わさって、綺麗な和音になる。
軽やかな指の動きが、まるで…柔らかな陽の降り注ぐ草原を 麗しい少女が裸足で踊っているような、そんな情景を作り出す。
時折覗く可愛らしさ。
女性のしなやかさ、強さが、メロディーラインに現れてくる。
ペダルを踏む小さな音さえ、心地いい。

「うわあ……」

そして、急にテンポが早くなったと思ったら、再び優しい旋律へ。
しかし、また直ぐに、指使いが、強くなる。
繊細なのに、芯のある美しさ。
この曲は、やっぱり『亜麻色の髪の乙女』…!

目を閉じて聴き惚れてしまった。
わたしは、お父さまの弾くピアノが大好き。
お母さまには、敵わないけれど。

最後の2音が辺りに溶け込んでいった後、思わず拍手してしまった。
ぺちぺち、7歳の小さな手だからしょうがないけど、情けない音。

「…そんなに上手いわけじゃないんだけどね。」
「そんなことないわ!
 私にとっての世界一はお母さまだけど、お父さまも、負けていないくらい凄いもの!」
「ハハハ、ありがとう。」

父親はまた、少女の髪を撫でる。

「でもお父さま。如何してこの曲が一番なの?」

少女は、父親にすり寄りながら、彼を見上げて訊ねた。
青い瞳と目が合う。

「The reason's...this song with memories......long long ago...
 (……ずーっと前の、思い出の曲だからだよ。)」
「思い出?」
「ああ。」
「どんな?」
「秘密。」

悪戯っ子のように、白い歯を見せ、彼は笑ってみせる。
その笑顔の裏で、悲しくて、嬉しくて、切なくて、甘い思い出を……心に蘇らせながら。

「えぇ〜っ。
 でも、きっと 素敵な思い出なのね。」
「うん。とっておきの思い出さ。」
「じゃあ、いつか聞かせてね?」
「勿論。」

薄暗かった部屋に、陽の光が射し込んでくる。
それに気付いた彼は、少女を横抱きして 窓際へと歩いていった。

「お父さま……?」

窓の向こうに見えるのは、沢山の木々。
数羽のキビタキが、目の前を横切っていった。

「本当に気付いてない?」
「何に?」
「亜麻色の髪の乙女……まさに 君のことじゃないか、メアリー。」
「え…」

父親は、そんな少女を、メアリーを見て、くすくすと笑う。
しかし、一時の幼い表情が引き締められた。彼はメアリーをじっと見詰め、

「この曲が大切な思い出だということに変わりはないけど、今弾いたのは、君にこの曲を贈りたかったからなんだ。
 これから先、君は、沢山苦労をしていくと思う。
 お母さんを笑わせられるかわからないし、この日本じゃ、見た目を揶揄われるかもしれない。
 だから……メアリーには、強く生きていて欲しい。
 泣きたくなったときは、お父さんやお母さんは勿論、周りの人をどんどん頼りなさい。
 その代わり、大人になったら、ちゃんと皆に感謝を伝えるんだよ?」

悲し気に、らしくもないことを口にする。

メアリーも その真意には気付けなかったものの、彼の真剣な瞳を見て、長い睫毛をそっと伏せた。

「……わかったわ。」

再び目蓋を開き、未来への約束をした彼女は、また、温かな腕のなかで屈託なく笑ってみせた。
父親は、そんな彼女を 堪らなく愛おしく感じていた。



メアリーが父親の過去を知り、飾り気のない 明るい笑顔を闇の底に閉じ込めてしまったのは、それから間もない日のこと——————

Re: COSMOS ( No.365 )
日時: 2016/01/09 22:21
名前: Garnet (ID: m9NLROFC)




10月下旬。
夏の後ろ姿が どんどん小さくなっていく、今日この頃。


「奈苗ちゃん!」
「あ、里沙ちゃん。」

幼稚園の帰りのバスの中、私はいつも通り右の列に。
通路側に座っていたら、同じ組の佐藤里沙(さとう りさ)ちゃんが駆け寄ってきた。

「隣、いい?」
「うん、いいよ。」
「ありがとう!」

彼女が座れるように、私は窓際へとずれた。

真ん丸の大きな瞳。
さらさらと揺れる綺麗な黒髪。
お姉さんの里香さんにそっくりだ。
帽子の端からは、キラキラする飾り付きヘアゴムが覗いている。


——えいりー???
——やだー!超可愛い!!
——え、何々、もしかしてハーフなの?


去年の夏、蘭ちゃんの大会前に 応援用の横断幕を作っていたときの1コマ。
持っていたファイルやペンケースを放り出して、凄い勢いで私に抱きついてきたっけ。
可愛いんだけど 態とらしさの無い笑顔が、今も鮮明に思い出される。

拓にーちゃんは、私が四つ葉に通っていることを 里香さんには言いたくなかったらしいんだけど、同じクラスとなれば、其れなりに接触回数は増えてしまうわけで。
遂に、2週間前の音楽発表会のときに、バレた。

「ねえねえ奈苗ちゃん、土曜日と日曜日は何するー?」

里沙ちゃんが、訊いてきた。

そっか、今日は金曜日だ。
膝の上に置いてある、体操服と上履きを入れた 恵理さんの手作りのバッグを見て、今更ながら思い出す。

「うーん、特に予定は無いかな。
 絵を描いたり、ドリルをやったり、後は誰かに構ってもらうことにするよ。」

あはっはっは。
今の湿度と相性良さそうな 乾いた笑い声が溢れてくる。
ほんっと暇人だなあ。私。

「そっかあ。奈苗ちゃん、絵、上手いもんね!
 夏休みに描いた 交通安全ポスター、賞貰ってたし!」
「いやいや、あれは紛れだから…」

我ながら、あれは少し本気を出しすぎてしまった。
上手いとか下手とかいう問題じゃない。
幼稚園生のなかに中高生が紛れているようなものだから。

……夏休み中頃、丁度ネームペンで線をなぞり終わったところで、絵を見たダニエルに飛び上がられちゃって。
目立つのを嫌う 私の性格を知る彼が、せめて色塗りは子どもらしくしたほうが良いだろ……と言ってくれなかったら、今頃大変なことになっていた。
先週、市内の表彰式に行ったんだけど、もっと上の賞だった人は 滅茶苦茶に写真を撮られまくっていたから(勿論彼等は小中学生)。

別に、名誉や賞が欲しくて絵を描いている訳じゃないもの。
他にも理由はあるけど、まあ其は置いといて。

「里沙ちゃんは、土日で何処かに行くの?」
「行くよ!華蔵寺公園!遊園地に!」
「うわあ…いいなあ……。」

辺りが騒がしくなり、気付いたときには バスは動き始めていた。

実質、私の中身は 蘭ちゃんよりも上なんだと知ったら、拓にーちゃんは 如何思うだろう。

「何なら、奈苗ちゃんも一緒に行かない?
 お姉ちゃんも喜ぶと思うよ〜!」
「い、いやあ、遠慮しとくよ……ご両親に悪いから……」

当たり前のように 無邪気な笑顔で言うものだから、顔がひきつってしまう。

小学1年生の眼鏡探偵くん、今なら貴方の気持ちが解ります。

Re: COSMOS ( No.366 )
日時: 2016/01/10 22:08
名前: Garnet (ID: rS2QK8cL)




「ただいま。」
「お帰り、奈苗ちゃん。あ、ダニエルも。」
「…。」

何時ものように、最後のメンバーとして帰ってきた私達。
恵理さんもまた、何時ものように 陽菜ちゃんを迎えに行く格好で(最近寒暖の差が激しいので)、私達と一番に顔を合わせる。

去年までは1人でバスの中に居たけど、今年からは2人だ。
とは言っても、ダニエルは左の列の一番後ろで 何やら難しそうな本をペラペラ捲っているのだけど。
だから、言ってしまえば、去年から何ら変わりは無い。

彼は相変わらずの無表情で、外方を向いている。
ポスターの一件が まるで嘘のように。

「今日も、2人とも元気でしたよ。
 来月の遠足のおたよりを持たせてあるので、ご確認ください。
 家庭数の配付なので、奈苗ちゃんが持っています。」
「はい。了解しました。来週も宜しくお願いします。」

ふあぁ、と隣で漏れる欠伸。
残念ながら、私には伝染らなかった。
気が合わないのかなあ。

「じゃあ、奈苗ちゃん、ダニエルくん、さようなら。」
「さようなら!」
「さよなら」

江藤先生に挨拶して、ミラーに向かって運転手さんにも手を振る。
角度的に 私達からは彼の表情が見えないので、手を振り返す代わりに、軽くクラクションを鳴らしてくれた。

「ダニエル、今日は 陽菜ちゃんを一緒に迎えにいく?」
「いや、僕はパス…」

坂を下りていくバスを見送り、何時も付いてきてくれない銀髪の王子に 恵理さんが声を掛けた。
しかし、そんな行動も虚しく、彼は其の儘 背伸びをして家のドアを開け、姿を消してしまった。

いやもう、酷いとか通り越して何も言えない。
変に運動神経良い癖に、超が付く程のインドアだからね。

「もう、何でダニエルは あんなに陽菜ちゃんを嫌うのかしら。」
「あ、えっと、高い声が苦手なんじゃないかなっ?
 前に、煩いのは嫌いだって言ってたし。」
「あ、そ。」

口を尖らせる恵理さんを、頑張って説得してみる。
童顔気味だから、ぶっきらぼうな彼氏の悪口を言っている女子高生みたいだ。
蘭ちゃんの制服を着させて ファストフード店に放り込んだら、ホントのホントに女子高生。
面白そうだからやってみたいとか思った私って何なんだろう。

そういえば、外国に居た頃の癖なのか、彼女はダニエルのことを呼び捨てている。
"ダニエルくん"は、私も 一寸違和感が拭いきれない。

「じゃあ、行きましょ。
 3人でファミレスのチョコレートパフェでも食べに行っちゃおっか。丁度お財布持ってるし。」
「えっ?!」
「皆には勿論秘密よ。」
「そういう問題じゃなくて!」

手を引かれて歩き出す。

ああ、恵理さんが飛んでもない甘党だったこと、忘れてた…………。
今凄く、青空に帽子を投げ飛ばしたい。




バスに揺られ、園への帰りを急ぐ2人。
左の列の一番前の席に腰掛ける、普段は"えとうせんせい"と呼ばれる その中の一人が、メモ帳やクリップボードに挟んだ紙に何か記しながら、何気なく口を開いた。

「あの2人、何かとても似ている気がするんだけど、気の所為かなあ……」
「ハハハ、確かに。
 妙に大人びているところとか、言葉遣いとか、結構似てますよね。」

坂を下り切り、運転手はウインカーを点けてハンドルを大きく回しながら答えた。

「うーん、其もありますけど、そういう性格的なものじゃなくて……塩川さん、根本的に、何か似ているんですよ。あの2人。」
「え?まさか、生き別れのきょうだいかもしれないとか?
 それは無いでしょー。江藤先生。」

陽気な小父さんのように笑いながら、髭を生やした塩川さんが言う。

「で、ですよね〜。アハハ…。」

女の勘って、実はよく当たるんだけどなー。
彼女が零した独り言は、窓から差し込む眩しい陽の光に かき消されてしまった。


本日も、晴天なり。

Re: COSMOS ( No.367 )
日時: 2016/01/11 23:38
名前: Garnet (ID: 0LPJk3K6)




知美ちゃんは、金曜日からまた"お泊まり"に行っている。
文化祭の小学校版みたいな行事の代休が、金曜日に当てられたからだ。

今日は土曜日。
昨日に引き続き、よく、晴れている。

壁に掛けられた時計は10時過ぎを指し、秒針が心地好い音で鳴っていた。

殆どの子供たちが出ていってしまった為、時々 赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる位で、とても静か。
ダニエルは、オーディオのある部屋で、保管してあるCDやMDを片っ端から流していた。
だから、10本に1本くらいの割合で 童謡やおかしな曲が流れ出してきて、私も笑いそうになってしまう。

そんな感じでくすくすと肩を震わせながら、私は 彼の居る部屋の隣の部屋……一応リビング的な部屋で、日向の温かさを味わっていた。
ふわふわなソファの上に寝転がって丸まり、目蓋を閉じてみる。

赤と緑の残像がスローで流れて、とても心が安らいだ。

「お…ねえ……ちゃん。」

無意識に手が伸びて、口をつく言葉。
あれ、今って"どっち"?

視界のど真中から、白い輝きが放たれる。
眩しさに、ぎゅっと目を瞑った。

「……っ!」



風が窓を揺らす音がして、光の色が薄くなり始めた。
微かな甘い匂いが喉まで通り抜けてくる。

「…え?」

誰ともない声がして、ぼやけていた世界が 鮮やかに色づいた。
太陽の光に照らされて、庭の奥で 桜の花弁が踊っているのが見えた。

目の前の見開かれた大きな瞳が、ゆっくり元に戻って、お姉ちゃんは、長い髪を耳に掛けながら口を開いた。


———さくら、絵、描くんだね

———ん?描くよ?
   前に見せなかった?学校内の大会で、金賞とったって!


水色の眩しい空に、ひらひらと、何処からか 桜の花弁が舞ってくる。

私の名前の由来。
お母さんは、枝垂れ桜が大好き。
桜と言ったら、ソメイヨシノが 殆どの人の心には一番に浮かぶだろうけど、彼女は、日本古来のしだれ桜が好きだ。
特に、仙台枝垂れ。
しだれ桜の花言葉は『優美』。私にも、この花言葉の通り 品のある、淑やかで美しい女性になって欲しいからと、桜子と名付けたらしい。
"櫻"と"桜"でも迷ったのだけど、お母さんのイメージ的に"桜"のほうが 私には合っていると、思ったんだとか。


———……ごめん、それ、今初めて知ったかも

———え…っ?
   凄いねって、言ってくれたじゃない。覚えてない?


其処まで言ったところで、思い出した。
あの日は確か、何故なのかは解らないけど、お姉ちゃんが ピアノを弾けなくなるかもしれないと、お父さんから聞いた日。
去年の…冬。師走の月。
戦争が———私たちの生活を脅かすかもしれない。お父さんは、そう言っていた。
お母さんには絶対に、このことは言うなと、強く強く釘を刺して。

7歳の冬。
丁度朝ごはんを食べ終えた午前7時。ラジオから聞こえてきた、暗号みたいな言葉が、お姉ちゃんを、お父さんを、お母さんを、苦しめていた。

相当落ち込んでいた彼女を元気付けようと思って、学校から持って帰ってきた絵と賞状を見せたんだ。
お姉ちゃんは 嬉しそうに笑う私を見て「凄いね、さくら」そう言って微笑んでくれたのに。
妹の私には、幼い私には、お姉ちゃんを元気付けてあげられなかったんだ。


———ごめんね、さくら。
   わたし、姉なんかでいちゃ駄目だったかも。

———お姉ちゃん…


ふわりと、引き寄せられる。
懐かしい、甘い匂い。
おかっぱ頭の私が目指すには、軽く一年半は掛かりそうな 背中まで伸びた艶のある黒髪。

何もかもが、遠い。


———お姉ちゃんは、何も悪くないよ

Re: COSMOS ( No.368 )
日時: 2016/01/20 20:57
名前: Garnet (ID: 5AipYU/y)




埃と、紙と木と、思い出の匂い。
窓枠で4つに切り取られた金色の光が、古い棚や箪笥がぎゅうぎゅうと立ち並ぶ薄暗い物置の中に 居座っている。

……ダニエルが、歌っていた場所だ。
如何して、此所で。
如何して、あの歌を。
どんな想いで、あの歌を。

縁に逆立った棘をぴりりと剥がして、紙や本の詰まった 一番上の引き出しを奥へ押し込む。
部屋に眠っているのは、此処に住んでいた先輩達の足跡だ。

「ふう」

台代わりにしているパイプ椅子が 軋む音を立てる。

特にすることもないし、あの日のことが頭に過ったから、興味本位で此の部屋に来てみた。

あの日、部屋に入って直ぐ隣の棚の上に置かれた紙の束がずれていて 埃の跡が薄らとラインになっていたのだ。
もしかしてダニエルが?と思ったんだけど、彼が此所を漁ったところで何の得も無いし、気の所為だと思っていた。
……でも。
彼の行動、言動、そして"後見人"の存在。
然り気無く私のうしろに立って護っているような気配に、珍しく好奇心のようなものを感じた。

もしかして、日本に来たのは、此処に来たのは、此処に何かがあるから?

そう思ったら最後。
動くしかないと思った。

昨日のおやつのチョコレートパフェで 恐らく1年分の甘味を口にし、若干落ち着かないからというのもある。
そして万歳、大人は此処には来ません。

背伸びを少し緩めて、二段目の引き出しに指を掛ける。
随分軽いなあと思ったら 中身は古い文房具だけだ。
鉛筆が20ダース弱程、そして、表紙に時間の経過を感じる 小学生用の学習帳や大学ノートだけが無造作に放り込まれていた。
念の為、ノートをパラパラと捲ってみるけど、機械的で何の変わりもない 緑色の罫線やマス目が続くだけ。
此の調子じゃあ、部屋中の捜索に余裕で年を明かしてしまいそうだ。

「やっぱり馬鹿だよねえぇぇぇっ、こんなこと」

椅子から飛び降りて、冷たいフローリングに横たわる。
"あの日"の縁側は、こんなに固くなかった。こんなに冷たくなかった。こんなに埃臭くなかった。
温かくて、柔らかくて、おひさまの匂いがして…………。

背中に太陽を感じながら、首周りに纏わり付く髪の毛を 指で弄ってみる。
最近はそうでもないけど 癖があって、赤くて薄くて、太くて少ない髪。
桜子だったときとは正反対。
何だか、此の身体は 自分であって自分でないみたいに感じる。

前世とか来世とか、科学的には何の根拠もない。
そういう話を苦手に思う人も居る。
其れでも現に、そんな不思議な現象に葛藤している人間が居るんだから お互い何も言えるもんじゃない。

烏が陽の中を横切って、一瞬だけ背に冷感を覚えた。
重たい胴体をひっくり返して、仰向けになる。

———ただ、60年以上前と何も変わらないのは。

「相変わらず私、眩しがりだなあ。」

明るさを求める心とは裏腹に、直ぐ目を細めてしまう私自身。
今陽菜ちゃんが居ないことを、初めて、良かった、なんて思ってしまった。

Re: COSMOS【良い子の周りには、良い子しか集まらないんだよ】 ( No.369 )
日時: 2016/01/21 22:34
名前: Garnet (ID: emG/erS8)

自分で自分が嫌になることは、もう慣れっこだ。
綺麗事をミルフィーユみたいに積み上げるのもひとつの手だけど、たまには とことん自分を嫌うことも悪くないと思う。

眩しさに目を背けて、重い頭を右に転がしてみた。
棚と床の隙間に 黒い埃が溜まっている。

……と、埃の陰に、黒っぽい何かの角を見つけた。
壁との隙間は其れほどないから、考えられるのは、紙か本か…。

もう一度身体をひっくり返し、其方へ這って 顔を近付けようとした、その時。

「何してんの」

低いのに、幼い。
私みたいな声がした。

ハッとして、慌てて起き上がる。

半開きにしていた筈の襖は音もなく開け放たれ、大きく空いた空間に、ダニエルを見つけた。
丁度日陰の場所に居る所為で、彼の表情は、何時もに増して暗く見える。
バレたら、まずい。

「……前に此所で絵を描いたときに、鉛筆なくしちゃってさ。
 探しても無かったから、何処かに入り込んじゃったのかなって思って。」
「あ、そ。」

興味無さそうに目を細められる。
芸術系が好きな者同士、仲良くやれればハッピーなのに、向こうにはそんな考えが微塵も無いんだから こういうときの対応にとても困らせられる。
具体的に何が困るかって訊かれても"困っちゃう"んだけど。

「で。見付かったのか。」
「あ、ううん。まだ。」

口角を微かに上げて、ゆっくりと首を振る。

ダニエルは、様子を伺うように そっと瞬きしながら部屋を見回した。
私の斜め後ろにあるパイプ椅子で視線を留められたけど、また無表情の儘、もう一度瞬きして 青い瞳で私を見詰めた。

……鏡みたいだ。
私もこうして、外の世界では冷たい目をしているのかもしれない。

「寝言。」

ふ、と、何か思い出したように 彼は薄い唇を開く。

「え?」
「10時くらいに、お前、ソファで寝てただろ。
 その時、何か色々言ってたから。何度も"お姉ちゃん"って…。
 何処か別のところにきょうだいが居るのか?」
「あ……」

聞かれてた。
聞かれちゃってた。

暫く、何も言えないでいた。
此の儘、全て話してしまおうか。
知美ちゃんさえ知らないことまで、全部ぜんぶ、話してしまおうか。
ダニエルなら、何でも受け止めてくれるような気がした。

……でも、

「きっと夢だよ。
 もしきょうだいが居たのなら…家族が居るのなら…お母さんは、私をひとりにさせる訳がないもん。」

また、彼女たちを、閉じ込めてしまった。

「お母さん、ねえ……」

彼は半ば呆れたように溜め息を溢して、腕を組む。
その態度に、私も何か思うものがある。

「ねえ、ダニエル。
 貴方、私のお母さんのこと、何か知ってるんでしょう?」

感情に任せて鎌を掛けるのは、得意だ。

「知らないよ。」
「じゃあ如何して、お母さんの名前を知ってたの?」
「恵理から聞いたんだ。」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘つき!」
「嘘じゃないって!」

穏やかだった周りの空気が 急に熱くなる。

ブレーキが壊れた。
急傾斜を真っ逆さまに落ちていく。

「じゃあ何で日本なんかに来たの!」
「そんなの僕の勝手じゃんか」
「理由を言ってよ!絶対何か隠してる!!」
「何だよ、ダブリンに帰れって言うのか?!」
「……っ、嘘つき、サイテー、卑怯者!!」

こんなに怒鳴ったのは、こんなに叫んだのは、生まれて初めてだった。
私の言葉に、ダニエルが大きく目を見開く。
その瞬間に、やっと自分の失態に気付いてしまった。

でも、遅かった。
沸点に達しそうになっていた怒りが冷めた頃には、彼が物凄い勢いで駆け寄ってきて、左手で 私のパーカーごと、強い力で胸ぐらを掴んでいたから。

「いっ…ぐあっ、離してっ!」
「やっぱりお前はルビーの娘だ、お前なんか、直ぐに母親のところへ連れていってやるさ!!」
「いだ…ぃ……」

きりきりと、服の繊維が伸びる音がする。
同時に、ダニエルの 怒りに満ちた顔が目の前に迫ってくる。
細い銀髪が、小さく波打った。

「おかぁ、さん…は……何処に居る…のっ?」

答えは返ってこない。
ああ、どうしよう。これじゃあ、私……。

視界が暗くなり始めたところで、どたばたと、人の走ってくる大きな音がした。
恵理さんが、何か叫んで、ダニエルを私から引き剥がしてる。
小さな手が離れて、私は、其の儘力無く 崩れ落ちていく。
いつの間にか、背中が汗でぐっしょりと濡れていた。

なんて情けない。

桑野さんに肩を揺さぶられ、無色になり掛けた世界が 色を取り戻していく。
同時に、聴覚も蘇ってくる。
ガシャン。椅子の倒れる音がした。

恵理さんに羽交い締めにされても、まだ抵抗し続ける彼。
澱みの無い瞳の奥には、目を逸らしたくなるほどのサツイが混混と湧き出ていた。
耳が痛くなる叫び声が止んで、苦しそうに息を乱す音が 心を混線させる。

ふざけるな、ふざけんな。
アイツハアノヒトヲコロシタンダ。
離せ、馬鹿野郎。

黒江さんもやって来て、恵理さんと一緒に、細い身体を思いきり抑え込んだ。
また何か、英語やよくわからない言葉を混じらせて叫んでる。

何も理解できないのに、涙が溢れてきちゃうよ。
何でそんなに、何で……。

「お前の母さんは…っ!ルビーはっ!!とっくに死んだんだよお!!!!」

Re: COSMOS ( No.370 )
日時: 2016/01/22 23:11
名前: Garnet (ID: 6k7YX5tj)

「え」

喉の奥が、一気に冷たくなったような気がした。

そん、な。
そんな筈ない、お母さんが死ぬ訳がないじゃない。
うそ、うそだ。
嘘、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘うそうそうそっ、ウソだ。

辺りがしん、と静まる。
ねえ、ウソだと言ってよ。
如何して皆、そんな顔をするの。

恵理さんが、信じられないというように ダニエルを凝視している。

変わることのないものは、何も知らない太陽の光だけ。

ぜえぜえ呼吸を荒げる彼も、すとんと抵抗を止めて、俯いた。
左腕が垂れて、端の割れた親指の爪が 眩しく光を跳ね返す。

「なになに!何があったの?!」

蘭ちゃんと拓にーちゃん達が、この騒ぎに飛んできた。
裸足が床に擦れて、彼女の短い栗毛が揺れる。
行き場を失った視線が、私のとぶつかった。

「な…なえ、ちゃん?」

掠れた声に、隣に居た拓にーちゃんが、そっと彼女を引き寄せ、視界から外してくれる。

「ダニエルか、ダニエルがやったのか。」

今迄に聞いたこともない位の低い声がした。
怒りの滲み出る声。

「たくっ、に———」
「お前、奈苗に何をした?!!」
「拓!貴方は此所から離れなさい!」

恵理さんと黒江さんを振りほどき、ダニエルに掴み掛かろうとする拓にーちゃんを、黒江さんが制する。
ダニエルの左半身が拘束から解かれ、音もなく崩れ落ちた。

「嫌だね!誰がお前なんかの言うことを聞くかよ!
 おいダニエル!お前が飛び降りたとき、コイツが何れ程取り乱したか、何にも知らねえだろ!!
 それでまたか!!またお前はそうやって———」
「やめい拓っ!」

蘭ちゃんも後ろから 力一杯彼の腕を引いていた。
得体の知れない恨みが黒い感情を呼んで、周りもどんどん真っ黒になって…………。
こんなのは、もう。

「もう、いやだ……」

涙も出なかった。
私には、涙なんて綺麗なものを流す資格は無いんだ、きっと。

ふらつく身体に鞭を打って、立ち上がる。

「おい、奈苗。」

桑野さんの指が背に触れたけど、構わずに足を踏み出し、数歩前に出て止まった。
反対側に集まっていた黒い塊が、一気に私のほうへ流れ出す。一瞬、恵理さんと目が合ったけれど、気まずそうに逸らされてしまった。

「私は……生きていても、誰も笑顔に出来ない。
 知らないうちに誰かを傷付けて、その悲しみはドミノ倒しになって、ずっと終わらない。
 …ダニエルは、悪くないの。
 お母さんが貴方に何をしたかはわからない。でも、お母さんが貴方を傷付けたのなら、娘である私が、その罪を一生抱え続けるから。」

そう、私が全部背負えば良い。
生きている意味が無いんなら、誰も笑顔に出来ないんなら、静かに、ひとの悲しみや苦しみを、ぜんぶ、私が引き受ける。
前の人生で、流すだけ涙は流してきたから。

銀髪を垂らし、袖口から真っ白な手を覗かせるダニエルを捉えて、目蓋を下ろす。

お姉ちゃん、お母さん、お父さん。ノアくん。
Rubyという名のお母さん。名も知らぬお父さん。
……ごめんなさい。
貴方たちを汚すような人間で。

「奈苗ちゃんっ、お姉ちゃんはね……」
「ひとりにさせて…」
「奈苗ちゃん…。」

隙間を縫って、部屋を出ていく。

複雑な表情で見てくる彼等を横目に、自分の部屋へ戻る為、階段のほうへ廊下を進んでいった。

階段を上っていく途中に、壁に寄りかかる俊也お兄さんが居た。
腕を組んで、伸ばした前髪の奥に見える 鈍く光る目。

「罪を被ることが如何いうことか、お前はまだ解ってない。」

冷たい空気に溶かし込んだその言葉を、私は冷めた目で聞いていた。

「でも、俊也お兄さんは、人を亡くす哀しみを知らないでしょう。
 大好きな人が居なくなった世界で、何を信じて生きていけばいいの。
 思い出す度に心を抉られる嫌なおまけまで、神様に持たせられちゃうしさ。」
「その、おまけってやつは…俺には教えてくれないの。」
「ごめん、何時か話すから。」
「……そうか」

小さな段を軋ませて、彼の横を通りすぎる。
細められた薄い色の目は、ダニエルと同じ目をしていた。

やっぱり私って、最低だよね。
純粋で明るかった桜子は、もう此処にはいないみたい。

Re: COSMOS ( No.371 )
日時: 2016/01/25 22:36
名前: Garnet (ID: RZ8p8W3p)




とても寒い日暮れ後だった。

微かに痛みが走る首筋を擦り、風呂上がりの温い身体を冷やしに 一階の物置へ急ぐ。
人と関わりたくなかったし、さっき見つけた黒い角の正体を知りたかったから。
食堂のほうから 何時もの蘭ちゃんの笑い声が聞こえてくる。


———お前の母さんは…っ!ルビーはっ!!とっくに死んだんだよお!!!!


「あんな言葉…信じない。」

涙を浮かべて怒りの塊を塗りたくった、あの顔。
思い出したくもない。

影も落ちぬ 暗闇の中の床を踏み締め、白く浮かび上がる襖の前で立ち止まった。

誰も信じない代わりに、私は、私の目で真実を見つける。
この目を、信じる。

襖に手を掛け、ざあっ、とあの世界を開いた。
今日は、夜が青くない。
目に映る全てが、眠りこけていた。
埃も見えない。
シミも見えない。

電気を点けると誰かに見つかりそうだったから、私は其の儘、黒い夜に足を浸してみた。
その感触は 思ったより心地よくて、堪らず全身で飛び込んだ。冷たい。柔らかい。
心に等しい浸透圧。
思うよりも早く、手は後ろに伸びて、部屋の中に夜を閉じ込めた。

パジャマのポケットに放り込んできた懐中電灯を取り出し、スイッチを入れた。
部屋の豆電球と同じ色の光が床に刺さって、細かな塵が白く反射した。

大きさの割りに重い懐中電灯をふらふら動かして、周りの様子をうかがってみる。
派手な音を立てて倒れたパイプ椅子は 折り畳まれて壁に立て掛けられていた。
他に何かした痕跡は見当たらず、取敢えずひと安心。
一番奥にある例の棚の前にやって来て 身体を横たえ、下の隙間へ絞った光を這わせた。

……あった。

光は埃を押し退け、黒い物体の角を明るく照らし出している。壁に薄っぺらく、影も作っていた。
それを見たら、自然と口角が吊り上がった気がした。今 私の全てを支配している感情の正体は、一体何なのだろう。
絞りを緩め、適当に床に置き、辺りに薄く光を行き渡らせた。

ここからは少しだけ力仕事だけど、何とか頑張ろう。

「…ふう。」

息を吐き、棚の角へ 手のひらを密着させる。
足を踏ん張らせて、力の限り此方側へ引き寄せた。
低く細く、棚が床と摩れる音が響いて、ゆっくり、ゆっくり、それは動いた。
15センチ程動いたところで手を離し、窓際の隙間から左半身を突っ込み、一杯に腕を伸ばして届くところまで探る。
全神経を指先に集中させる。
誰も来ないように、この気配を外に漏らさないように祈りながら。
すると、鬱陶しく絡まってくる髪を掻き上げたところで、薬指に何かが触れた。
追って、残りの4本も それを掴む。
感触で、それは 薄めのアルバムなのだと判った。表紙がざらざらしていて固い。
指が攣りそうになるのを堪えながら、アルバムを引っ張り出した。



念のため、動かした棚を元の位置に直して、懐中電灯の光も絞り直した。
無地の表紙にこびりつく埃を手で払い、床にそっと置く。

この表紙を開いた先に、何かがあるのだろうか。
そう思うと、開きたくてうずうずすると同時に、あっさりと手に届いてしまった空しさが背中合わせになった。
それに、もしかしたらこれは、見るべきものじゃないのかもしれない。
だったら、今見てしまっていいのだろうか。
沈黙を呑み込んで、無意識に呼吸を止めてしまう。

それでも手は伸びていって。
時をたっぷり吸い込んだ 重い表紙を、そっと、持ち上げてしまった。

Re: COSMOS【良い子の周りには、良い子しか集まらないんだよ】 ( No.372 )
日時: 2016/01/30 22:23
名前: Garnet (ID: 1fp0/ElW)

表紙を開くと同時に、古い紙の匂いが 風にのって辺りに広がった。
噎せてしまいそうなんだけど、懐かしくて安心してしまう匂い。
薄い白い紙が2枚ほど続き、更にもう一度捲ってみる。
……Memories
シンプルな 万年筆の筆記体で、ページのど真ん中に記してあった。

「誰の…?」

誰の思い出?
もう一枚捲ろうと、写真を貼り付けてあるだろう厚い紙に指を掛けた瞬間。

カタカタと、部屋の中で何かが音を立てた。
指をアルバムから離し、其の方向へ目を凝らす。
左に置いてある、金属製の机の上のペン立てだった。
木彫りの細いペン立てに入れてある鉛筆が、何故かひとりでに、微細、に、跳ね、 て   、

「いやっ!」

次の瞬間、床が大きく波打つように揺れ始めた。
まさかこれって、じ、しん?



———お姉ちゃあん!

———大丈夫、空襲警報なんて直ぐに解除されるわ



過去の記憶が急に引き戻される。
真っ暗でじめじめしたあの場所で、私は。

パニックになりそうだった。
瓦礫から覗く、煤けた死人の足、流れてくる血の臭い、火花、遠くに立ち上ぼり続ける黒い煙。
それらが目の前に現れては、何処かから人の叫ぶ声がして。

つ、机の下っ、潜らなきゃ————   

すかすかに抜けてしまった腰を引き摺って、力の限りに這いつくばった。
あちこちで物の落ちる音が聞こえる。
ペン立ては倒れたし、何処か高いところにあったのか、硬式の野球ボールも視界の端に落ちている。
そう思っていたら、紙の束まで……。
これ、ヤバいかもしれない。

震える手で懐中電灯を握り締め、アルバムは何処かと探し回ったけど、見当たらない。

「だ、誰か…ぁっ。」

声を上げようとしたけど、掠れた声が喉の奥からたらたらと零れてくるだけだ。
窓ガラスが大きな音を立てて揺れている。
空いた手で冷たい机の脚を掴み 身体を引き寄せた、其の瞬間。
…アルバムの隠れてた棚が、倒れた。
幸いぎりぎり机の下に入れたので、棚は机に引っ掛かり 其の儘止まってくれた。
上段の引き出しが開いて 詰めていた紙が飛び出したらしく、床にぱらぱらと、紙が 千切れた花弁のように落ちてくるのが見えた。
ほっと胸を撫で下ろす間もなく、今倒れた隣の箪笥も 揺れに負け、向かいの倒れたカラーボックスの上にその身を雪崩れ込ませた。



———大丈夫、大丈夫だから。
   桜子ちゃん、僕から離れちゃ駄目だよ。



固く目を瞑ったとき、ノアくんの声が、聴こえた気がした。
隣には、誰も居ないのに。
此の冷たい手を温めてくれる人は、居ないのに。

低く響く地鳴りが止んで、揺れが少しずつ収まり始めた。
天井から吊るされている電灯が軋み、紐が笠に何度も当たっているみたいだ。

揺れ自体は、5強か6弱辺り…だから、そんなに大きくない筈なのに、なんで此処迄酷いことに……。

頭が痛い。ぐらぐらする。
周囲を静けさが包み込む。恐る恐る目を開いた。

目の前で懐中電灯が、変わらず 何処かへ細い光を伸ばしていた。
その光を手繰り寄せる。
黄色い灯りが、乱雑に開かれた本の中身を照らし出していた。

…………え?

その"本"は、今さっき開こうとしていたアルバムだった。
モノクロに切り取られた世界、には……。
こんなところに居るなんて有り得ない人が、笑ってた。

「うそ、どーして、あなたが」

手を伸ばそうとしてみるけど、目蓋がすとんと落ちてきてしまう。

「鈴木さん!桑野さんっ!」
「皆、大丈夫だったか?!怪我は無いか?!」
「大丈夫や!震源は?!電気とかはへーきなん?」
「黒江さんがテレビをつけてるわ、ライフラインは今のところ大丈夫よ、大丈夫。」

襖の向こうに、皆の声が混じりあっていた。

……やっぱりだ。
私の声は誰の耳にも届かない。
お姉ちゃんを元気付けられなくて、お母さんとは蟠りが解けなくて、ノアくんとは最期まで生きられなかった。
Rubyという名前のお母さんと、名も知らないお父さんは遠くに行ってしまった。
こうやって、真っ黒で埃の立つ場所で、擦り切れて薄汚れた声を垂れ流すことしかできない。
誰も、私を見つけてはくれない。

ごめんね、ノアくん。
生まれ変わってもまた逢うって、約束、守れないかも。

闇を漂い 力なく抗う小さな意識は、情けなく沈んでいった。
 
 
 
 

Re: COSMOS ( No.373 )
日時: 2016/01/31 22:39
名前: Garnet (ID: rS2QK8cL)






「奈苗ちゃん、大丈夫なんやろか。」
「大丈夫よ蘭ちゃん、気を失ってるだけだから。」

ソファーの上に奈苗ちゃんを寝かせ、鈴木さんが 厚めの毛布を肩まで掛けてあげた。
気を失っているだけとはいっても、その眠り方は、まるで死んでいるように静かで。

昼の一件を思い出して、私は しゃがんで彼女に近付き、柔らかい髪をそっと撫でてみた。

「見たところ、何処か強打したりはしてないみたいだけど、念の為に病院に連れていこうとは思ってるわ。
 それにしても……ダニエル、もうあんな危険な真似はしないで。」

隣に居る鈴木さんの言葉に、ゆっくりと振り向く。
背後から皆の視線を浴びているダニエルが、無表情で私たちを見詰めていた。
毎日見ていてもまだ慣れない、青いあおい瞳で。

「ごめんなさい」

薄い唇が そっと空気を震わせる。
綺麗な目の中に波を立てる海。其処には僅かに 雨の降った跡があった。

部屋の真ん中に移動させたテレビから、忙しないアナウンサーたちの声が エンドレスに流れ続ける。
———2004年10月23日、午後5時56分発生。震源は新潟県中越地方。
後に、新潟中越大震災と命名された震災だ。

本震のあと、数分に一度は余震が続いていた。
子どもたちは"お泊まり"に行っている為、此処に残っている子どもは年齢の高い者が殆どだけど、不安なことに変わりはない。
最年少の赤ちゃんは泣き止まず、清水さんに抱かれて 部屋の隅に退避している。

「僕の所為なんじゃないかって、不安だったから……」

本震の後、皆をリビングに集めたのだけど、奈苗ちゃんの姿が見えないことに気付き、大人たちで探すことになった。
その後余震の続く中でも見つかる気配はなく、皆の顔に焦りの色が見え始めた時。
ふいにダニエルが立ち上がり、何も言わずに部屋を出ようとしたのだ。
この部屋でじっとしていなさいと、言われているのに。


「一寸、ダニエル!
 何処行くの!動いたらあかんて言われたやろ!」

「あんな役立たずに任せる程、僕は馬鹿じゃないよ。
 アイツらは何も解ってない。奈苗の居場所なら大体見当はついてる。」


拓や瑞くんたちも止めようとしたのだけど、彼はそれをすり抜けて、闇の中に消えてしまう。

部活なんかで此処に帰ってきていない子どもと連絡を取るのに 電話を繋げようと試みるも、失敗に終わった黒江さんがリビングに戻ってきたのは、私と拓が部屋を出てからだった。

情けないけど 余震に怯えながら拓の部屋着の裾を掴み、ダニエルを探してみる。
電気を点けると大人に見付かりそうだったから、真っ暗な廊下を 息を潜めて歩いていった。
滲んでくる涙に、もう戻ろうよ…と口を開き掛けたとき。
例の物置の前で立っているダニエルを見付けた。


「おい、勝手に動くな、つってんだよ。」


拓が感情を露骨に曝して、彼の腕を引こうとする。
しかし彼は、それを払い退け、白い襖をさっと開いた。
何の躊躇もなく入っていくダニエル。思わず中を覗き見たけど、酷い様だった。
地盤、土砂、部屋の向き、並べた棚の向き等……不幸なことに、それらが全てマイナスに働いてしまった場所だった。
7割方の棚や箪笥が倒れ込み、埃や木材の臭いが漂っている。
そんな最悪な部屋の奥に、小さな灯りが見えた。
ダニエルはそれに向かって 散らかった物の上を軽々と乗り越え、進んでいく。


「た、拓……。」

「もうどうしようもねーだろ、誰か呼んでくるから。」


……と、拓が振り向いた先に、怖い顔をした黒江さんが立っていた。



その後、埃塗れのダニエルが 物置に入ってきた大人たちを懐中電灯で照らし、机に引っ掛かり倒れていた棚を起こし直した。
その下に 守られるように奈苗ちゃんは丸まっていた。

……私たちは勿論のこと、ダニエルもこっぴどく叱られた。
とは言っても、物分かりの良い彼だから、私たちの幼いの頃のように怒鳴られたりはしていない。

日の早まった秋。
夜が深まろうとする6時半を過ぎたところで、約20分振りの大きな余震が伝わってくる。
うわあ、と、瑞くんが小さく悲鳴を上げた。

「なあ、鈴木さん。
 新潟県いうたら、友美ちゃん……小千谷市に居るんやろ?
 火事が起きてるって…今テレビで…」

友美ちゃんだけじゃない。陽菜ちゃんだって隣町に。
他の子達だって、ばらばらに離れている。
皆のことを思うと、どうしても声が震えてしまった。
ダニエルを見詰めていた鈴木さんが ハッとして私を見る。
綺麗な瞳と目が合って、心の奥に押し込んでいた不安が溢れ出しそうになった。

「大丈夫、大丈夫よ……」

細い温もりに包まれて、顔を埋める。
背中を優しく叩くその手を、信じるしかなかった。
電話で必死に連絡を取ろうとする声が、廊下で歪みながら反響する。
鈴木さんからは、奈苗ちゃんと同じ香りがしていた。