コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: COSMOS ( No.378 )
日時: 2016/02/14 20:15
名前: Garnet (ID: V0i9I3Pk)




温かい光が降り注ぐ世界。
ふわり。
身体が軽くなって、何処までも飛んでいけそうな。
此処には、悲しくなるものも、辛くなるものも、苦しくなるものもない。
両親がいないことも、前世の記憶も、全て手放せる、綿雲の上みたいな場所。

ずーっと、此処に居られたら、良いのに。

何もかも、忘れて、夕陽に呑み込まれてしまいたい。





時は止まりも戻りもしない。夜は刻々と深まるばかり。

「奈苗ちゃん…」

細い寝息を立てて、彼女は 小さな布団の中で、眠り続けている。

あの後、急いで夕ご飯を食べて、今晩は早めに消灯することになった。
桑野さんに、ソファーから奈苗ちゃんを彼女の部屋に移してもらって、自分から、彼女の見守りをかって出た。
蜜柑色の豆電球を点して、布団の隣に、パズルマットの上に寝転がる。

毛布に包まって、奈苗ちゃんの寝顔を眺めてみた。
まだまだ子供なのに、その顔立ちは 陽菜ちゃんたちとは桁違いに大人びていた。
長い睫毛が時折揺れるけど、翡翠の瞳が開かれる気配は全く無い。

癖のある前髪が、はらりとこめかみの方へ落ちていく。

「起きたくなかったら、眠っていて良いんだよ。
 悲しいことも、辛いことも、寝てる間は全部忘れてられるさかい、一杯寝たらええ。
 でも……私は、また奈苗ちゃんの笑う顔、見たいで。」

冷たい目。
作り笑い。
彼女の持つ陰がちらつく事はよくあった。
でも、奈苗ちゃんは、沢山の人に愛されてる。
ひとを思いやる心があるから。
ひとを愛することができるから。
ひとを許すことができるから。

少し大人っぽい知美ちゃんとは、良い話し相手に。
純粋な陽菜ちゃんとは、まるで姉妹みたいに。
拓や私や俊也のことは、兄や姉のように慕ってくれる。
ダニエルとは、未来の相棒になりそう。なんて。

私には、奈苗ちゃんみたいな人間になるのに何十年も費やしそうだ。
嘘、恨み、愛、全てが解ける日は、まだまだ遠い。
いつかなっちに真実を話して、お父さんを本当の意味で許して、先立っていったお母さんを…家族として愛し続けることが出来るのか、まだわからない。

「ねえ、奈苗ちゃん。春の頃のこと、覚えてる?
 ダニエルが此処に来たばっかりの時、拓が……奈苗ちゃんにとんでもないことしようとしたとき。
 実はな、私に布団叩き渡してくれたのって、ダニエルなんやで。」

金色の光で溢れる廊下に、ぶっきらぼうに立っていたダニエル。
ちっこい身体なのに大人っぽくて、壁に寄り掛かる姿が、子供服のモデルみたいだった。
……そんなこと言ったら、きっと怒られちゃうけどね。

何でこんなところに居るの?そう彼に訊いたら、親指で 奈苗ちゃんの部屋のドアを示された。
はあ…と、そろりそろり、閉められたドアに近寄って、耳を当ててみたら、聞こえてきちゃったんだよね。


——オレも、奈苗のこと、守りたい。
  だから……
  オレは———っ!


なななな、何をなにをっ?!
流石に、今の奈苗ちゃんに手ぇ出したらあかんやろ!

そう思って、この際何だって構わないと、視線でダニエルに助けを求めたら、その小さな背中から差し出されたのが。

「布団叩きだったんだよねえ…っ」

台詞の後ろに"(笑)"って付けたら女子高生っぽくなるかなあ、なんてふざけた考えが頭を過る。

今でも、笑いが込み上げて来そうだ。
一応私は拓の姉。拓が奈苗ちゃんにそういう気持ちを向けていたことくらい、前からわかっている。
それと同時に、妹のように可愛がってきた奈苗ちゃんのことだって、少しは解っている積りだ。
奈苗ちゃんには……何処か遠くに、大切な人が居るってこと。

「怖かったよね、あんな真っ暗な場所で、ひとりで居たんだもん。
 でも、奈苗ちゃん。あんたは"独り"とちゃう。
 足元ばっかり見てたらあかん、たまには周りを見回して?
 私も、此処にいるから。」

ダニエルと奈苗ちゃんを引き合わせた闇の正体を、私はまだ知らない。
仲良くしてとはいわないから、困ったときだけでも、互いに寄り添っていて欲しいんだ。

布団の中を探って、小さな手を握る。
ひやりと冷たくて、細い指で、壊れてしまいそうなのに。
ずっと温もりを待っていたかのように、彼女の手が、少しだけ 私の手を握り返してくれたような気がした。

Re: COSMOS ( No.379 )
日時: 2016/02/22 22:46
名前: Garnet (ID: w4lZuq26)





———……そう、だったんだ


軽い意思で訊いてしまったことを、後悔した。

私が思っていた以上に、ノアくんは酷い目に遭って、沢山傷付いていた。
それなのに 私よりずっと、ずーっと、強くて優しい。


———そんな顔しないでよ

———だって……


涙が出そうになる。
人って、幾ら泣いても泣き足りない。

ノアくんが、私の傍にしゃがんで、そっと身体を引き寄せる。


———……今、こうして二人で居られているじゃないか。
   あの人達のことは、今はどうだっていいよ

———ノアくんっ……


もうこれ以上は何も言わないでと、言うように、彼は目の前で、ゆっくり首を振った。

私は、とても馬鹿だ。
お母さん、お父さん、お姉ちゃん。親戚も多いほうだし、彼等には其れなりに可愛がってもらっている。
こんな恵まれた環境を、私は自ら捨てたんだ。
注がれた愛を、無知の小さな手で放り投げてしまった。

——ノアくんに、代わってあげたかった。

すっ、と、腕が解かれて、不意に寂しさが込み上げる。


———捨てられた僕を拾ってくれたのが、今の父と母。
   まあ、正確に言うと、養子に出される前から、前の家と今の家とで話し合ってたんだけどね。
   大人の事情ってやつかな?

———……。


何時もなら"ほんと!大人って自分勝手で、なんでもかんでも…………"なんて、悪口がすらすら出てくるのに 今は何も言えなかった。


———前の家のときから、日本には縁があってね。
   言語にはあんまり困らなかったけど、想像していた以上に、カルチャーショックが重かった。
   でも、そんな僕を"ふたり"は優しく支えてくれたんだ。
   …怒られることも、比べられることも、打たれることもない。僕の出来ることを少しずつやっていけばいいんだ、って、ふたりは教えてくれた。


……更けていく、夜。
コスモスは萎まない。

何も言ってあげられない自分が情けなくなって、雲ひとつない夜空を見上げた。
名前も知らない星が チカチカと瞬いて、漆黒の空を飾っている。

ノアくんが、近くに置いてある枝を何本か手にとって、火の中へ投げ込む。


———そうして、ゆっくり、本当にゆっくりだけど、新しい生活に馴染むことができて、勉強とか、音楽とかに手を出し始めたんだよ。
   日本ここじゃあ飛び級は使えないし、目立ちたくなかったから、歳に合わせた学校に行くことになったけどね。

———すごいよ、ノアくん

———そんなことないって、"あの人"に比べたら、僕なんか……。
   それに、桜子ちゃんのお姉さんのほうが、もっと凄いって

———え?


おねえ、ちゃん?

彼の一言に、バッと音が出そうなくらいの速さで隣を向いた。

どうして?
姉が居るなんて、私、一言も言ってないのに。

目を真ん丸にしてぐらぐらせている私とは対照的に、ノアくんは、ぽかんとした顔で私を見詰めていた。


———……あー、やっぱり忘れられちゃってたんだ。
   信じたくなかったけど、しょうがないか。


すると彼は、困ったように笑って、薄い色の髪をくしゃくしゃと掻き回した。


———ど、どういうこと?
   何で私にお姉ちゃんが居るって知ってるの?
   忘れられた、って、私とノアくんは、前に会ったことがあるってこと?

———ごめんごめん、言わなかった僕が悪かった。
   でも、そう焦らないでよ

———あ、うん


乱れていた座り方を直して、膝を揃え顎を埋めた。
ゆらゆらしている炎が暖かくて、眠くなってきてしまう。


———えーっと、そうだなあ、桜子ちゃんが 4歳か5歳の頃。
   僕の今の家と、桜子ちゃんの家族とでパーティーをしたことがあるんだよ。
   双方とも昔からの家系だし、何処かでよくお世話になったみたいで、10年に1回位、片っ端から親戚を呼んで集まるんだ。

———あ、それ、覚えてるかもしれない

———ほんと?
   そのときには僕も日本に来てて、パーティーにも出てたんだけど……覚えてないかなあ……?

———うーん…


記憶の引き出しをあっちこっち漁ってみる。

でも、今溢れてくるのは、家族の記憶ばかり。
こんなときにばっかり邪魔してきて……もう。
頭をぶるんぶるんと振って、余計なモノを仕舞う。


———覚えてないな

———そう……、しょうがないか。

———ごめんね。私、自他共に認める人見知りだし。
   …あ!もしかして私、ノアくんに失礼なことしてた?!

———あははっ、それは無いって。
   桜子ちゃんは、八幡の伯母様と ふたりで隅っこに居たよ。
   そのあと、お姉さんの弾くピアノを、キラキラした目で見てた

———ピアノ……

———そう。御挨拶にって、彼女が弾いてくれたんだよ。
   ドビュッシーの月の光。

———あ、その曲、お姉ちゃんが大好きな曲だ


頷く彼に、目を閉じて、心の奥に、懐かしい旋律を蘇らせた。
最後に聴いたのは何時だっけ。

軽やかな、細く長い指の動き。
さらさら揺れる綺麗な髪。

思わず手を伸ばしたくなる幻想が目の前に現れて、悲しくなって、夢を見るのを止めた。


———淡い色のドレスを身に纏って、月光の射し込む窓辺のピアノを弾いてくれた。
   桜子ちゃんのお母様は、癖のある弾き方だ、って言っていたけど、僕は……百合江さんの"月の光"、凄く好きだよ

———今も、覚えてるの?

———勿論


そっかあ。
そっ、かあ。

もう一度見上げた空には、ぽっかりと、真珠のような美しい満月が浮かんでいた。

Re: COSMOS ( No.380 )
日時: 2016/02/24 09:40
名前: Garnet (ID: MHTXF2/b)

ノアくんとは昔、出会っていて。
大好きなお姉ちゃんの、ピアノを 彼は好きだって、言ってくれてる。

もしかして、私達がこうやって再会したのも、運命だったりするのかな?


———それで……桜子ちゃんには、言っておかなくちゃいけないことが、あるんだけど


…でも、そんなことは、やっぱり有り得ない話だった。

彼はゆっくりと、その 整った顔を私のほうに向けて、じっと見詰めてくる。
ひやり、冷たい風が、花を、草を、炎を、二人の髪を、夜空を揺らした。


———……何?

———実は、…………、………………


う、そ。
なんで、何で。


———似てるんだよ…本当に。
   だから、こう見えて、結構辛いんだよね。


何も、言葉が出てこない。
何か口にしようとするのに、空気の抜ける音しか出せない。


———本当は嫌なんだ。でも、二人には 感謝しきれないくらい、良くして貰ったから。
   今度は、僕が、恩返ししなくちゃいけない。


さっきまで引っ込んでいた涙が、また溢れてきそうになる。


———でも、桜子ちゃんのことは、心から好きだよ。
   ふたりと、百合江さんには、それは死ぬ迄隠し通すつもり

———……ずるい

———え?

———お姉ちゃんのことを好きでいなくちゃいけないなら、私のことは忘れてよ!
   如何してノアくんは、私のことが好きなの?私が、お姉ちゃんに似てるから?!
   だったらこんなこと止めて、家に帰ろうよ!お姉ちゃん、きっと今も、必死になって勉強してるもの!!


土の上に落ちていく大粒の滴なんて構わずに、よろけながら立ち上がった。

うそ、嘘。
今までのことは、全部、嘘だ。
夢だ、幻だ。

やっぱりそうだよね、何処にも私の居場所なんて無いの、誰も受け止めてはくれないの。

身を翻して、この場から立ち去ろうとした、その瞬間。


———さくら、行かないで


強く腕を引かれて、温もりの中に閉じ込められた。

抵抗しようにも、動けない。
物理的にも勿論そうだけど、でもいちばんは……。


———あいしてるから


曇った声。
初めて"さくら"と呼ばれた。
初めて言われた。
『あいしてる』


———'Cause I love you

Re: COSMOS ( No.381 )
日時: 2016/03/01 14:56
名前: Garnet (ID: rBo/LDwv)


愛っていうのものが何なのか、私はまだわからない。
でも"好き"より"大好き"より、大きくて、重くて、想い合っている間なら 何よりも綺麗なものなんだってことは、解る気がする。
……今、解った気がする。


———両親に、言ってみるよ。
   誰よりも大切な人がいるんだ、って

———でも、それじゃ お姉ちゃんが──


そう言って遮ろうとすれば、もっと強く抱き締められた。
温もりが 素直に心に染み込んできて、何も言えなくなってしまった。

彼と出逢ったときの 春の暖かさが嘘のように、最近肌寒くなってきた。
……正直、この生活にも限界を感じ始めている。
食糧の面は勿論のこと、病気になったときは如何すればいいのか。空襲に遭った時、もしものことがあったら。
そして何より、私が居ないことに気付いた大人たち、お母さん、お姉ちゃんがどうなってしまったのか。
考え始めればキリが無い程、問題は積み重なってくる。
きっと、いつか。近いうちに、家に帰らなくてはいけないんだ。その日はどんどん近付いているんだ。
そのことを、ノアくんも感じ取っていると思う。

そうなってしまえば……。
大人たちはきっと、私たちを酷く叱って、引き離そうとするに違いない。

…………だから、もう、我慢するのは止めようと思った。


———ごめんね。
   私も、ノアくんが好きだよ。誰にも負けないくらい。お姉ちゃんにも負けないくらい。
   ……私も、ずっとあなたと一緒にいたい。いたいよ

———桜子ちゃん……


直接口にしたのは初めてだった。
好きだ、って。

こんな真っ暗闇の中じゃあ、こんなに広い星空の下じゃあ、私たちはちっぽけな存在で、直ぐに消えてしまいそうな子供に過ぎない。
だから……だから、きちんと形に残しておきたかった。あやふやな形でも、ちゃんと気持ちを伝えておきたかった。

消えてしまうのは、人混みにかき消されてしまうのは嫌だから、背伸びして、強さを取り繕って、無理して笑ってきた。
でも、どうしても辛いときに、背を預けられる相手が欲しかった。


———じゃあ、約束しよう。
   …何があっても、離れないって。僕も、桜子ちゃんからは離れないよ。
   皆が反対したら、僕は、両親のもとから去る覚悟だってしてる

———うん


そっ、と、温かさが離れていく。
その感覚が、何となく寂しかった。

ノアくんの前髪が 弱い風にさらさらと揺れ、長い睫毛が伏せられる。
整った顔立ち。
再会したばかりの頃は、絶対に見せようとしなかった、そのきれいな顔。

ぱちりぱちりと火の粉を散らす炎以外、音を立てるものは何も無かった。


———………ねえ


静止していた空気を、指でそっと揺らすように、問いかける。
緩やかな波紋が広がって、彼は静かに瞼を開く。


———もし、もしも…私が、怪我をしたり、病気になったり、空襲に遭ったりして、死んじゃったときは、その……どうなる、の?


正直、こんなことは訊きたくなかった。
とても、怖かったから。


———また、逢いにいく


それなのに、やっぱり彼は、そんなに真っ直ぐな瞳で……。


———……え?

———後を追って 自らの手で命を絶ったりはしないよ。
   さくらの分までせいいっぱい頑張って、後悔しないように生きて…永い眠りに就く日が来たら、神様にお願いする。
   来世でも、また、逢わせてください、ってね

———のあ……くん


また泣いてしまいそうになる。喉の奥が熱くなる。
ほんと、泣き虫だ。
泣き虫になってしまった。

貴方を好きになってから。


———桜子ちゃんが居なくなるなんて、考えたくないよ。
   でも、どう足掻いても、いつかは生命が終わってしまう日は来るでしょう?

———私もだよっ、そんなこと考えられないし、考えたくもない

———……じゃあ、もうひとつ、約束しようか

———もう、ひとつ?

———うん


薄汚れた袖で、目をこすって、姿勢を正す。
それを見たノアくんも、背中を少し曲げて、私と目線を合わせた。

また風が吹いてきて、夜のコスモスの海を、さわさわと揺らしていく。
何処かに残っていた夏の残り香が、流れてくる。


———いつか、死んでしまっても、絶対に忘れない。
   そして、また生まれ変わって、もう一度出逢おう。
   僕、桜子ちゃんのことを探すから。


その言葉を、一文字ずつ丁寧に拾って、大切に心に仕舞ってから、私は 力強く頷いた。

この記憶は、決して、誰にも奪われたくない。
悲しいことも、苦しいことも、憶えていたって構わないから、何にも侵されたくない。


———わかった。約束する。
   私も、生まれ変わっても ノアくんのこと、探すよ


暫くの沈黙のあと、どちらともなく手を差し出して、指切りをした。
何も言わずに、そっと。


———忘れないでね、ずっと。

———うん。忘れないよ。ずっと。


もう一度、頷いて。
今度は私から、ノアくんに触れた。
腕を引き寄せて、抱き締めた。



そのあと、子守唄のように読んでくれた、あの英語の本のなかで、忘れられない台詞がある。


———辛いときは、夜空を見上げてごらん。
   そこには たくさんの先人たちがいるから。
   雲で空が覆い尽くされていても、見上げてごらん。
   その向こうには、必ず答えがある。
   心の瞳で、見るんだ。


あの頃の私と同じくらいの歳の、男の子が、あるお爺さんに言われた言葉だ。

決して豊かだとは言えぬ環境で育った少年が、絵を描くということに触れ、其処から 沢山の経験をし、時には挫折をしたり、時には色々な人に出逢ったりして、成長していく物語。
……少年が、ノアくんと同じくらいの歳になった頃、彼の両親は病に倒れ、彼も、筆を捨てようとしたとき…。
少年を本当の孫のように可愛がっていたお爺さんが、彼にそう言ったのだ。
今にも溢れてきそうな満天の星空の下で。

まるで、私にも言われていたようで、とても印象に残っている。

お話が、そろそろ終わるか終わらないかとなったころには、私は ノアくんの膝の上で、すっかり眠り込んでいた。
 

Re: COSMOS ( No.382 )
日時: 2016/03/02 14:52
名前: Garnet (ID: ihccHRsB)






柔らかい陽の光を感じる。
身体が自然にそれを求めて、目蓋が勝手に開いた。

何故か自分の部屋に居て、布団で眠っていたみたいだ。
優しく、肩まで毛布が掛けられている。
それを退かして、身体を起こそうとしたのだけど、右手が何かに引っ掛かっていることに気がついて、其方のほうへ目をやった。

「……あ」

蘭ちゃんだった。
毛布に包まって、温もりのなかで 私の手のひらを握っている。

そうか。
あの後、私…。

そういえば、拓にーちゃんも、同じように傍に居てくれてたっけ。
あの日のことが、遠い昔のよう。

そんなことを考えているうちに、段々と、部屋が金色の光に染まり始めた。
そして、また"あの日"と同じように。
音もなくドアが開いた。

偶然か否かはわからないけど、蘭ちゃんも、寝惚け気味に起き上がる。
とろりとした瞳が私を捉えると、その目は大きく見開かれた。

「な、奈苗ちゃんっ?!」

気が付いたら、繋がれていた手は解かれていて、また、あの日と同じように ぐっと抱き締められた。
ずっと前からお揃いの、甘酸っぱい香りに包まれる。

「良かった……!
 心配したんやで、ほんまに…もう二度と目を覚まさないんじゃないかって、心配したんだから……っ。」
「ごめんね蘭ちゃん、大丈夫だよ。私は大丈夫だよ。
 ……ありがとう。ずっと傍に居てくれたんでしょ?」
「せやで、物置から奈苗ちゃんが見つかってから、ずっと隣に居ったんよ?
 ほんま良かったっ、痛いとこは無い?気分は悪くない?」

大丈夫だってば。なんて笑いながら言ってみる。
髪を撫でられながら、ほんと、きょうだいだな、なんて思ってしまった。

そんな笑いも止まぬうちに、部屋のドアを開けた人物も、此方へやって来た。
眩しい光の中、歳の割りに細い影を落として、綺麗な銀色の髪を揺らして。

「ダニエル!!」

蘭ちゃんが声をあげる。
しかし、黙って見つめ合う私たちを見たからか、彼女は 次に出てきそうになっていた言葉を 喉の奥へ押し込んだ。

——何時も通りに、感情の見えない表情。
何時も通りに、透き通った青い瞳。

「私を見付けてくれたの、貴方なんでしょ?」

無意識に微笑んで訊けば、彼は 驚いたように微細に目蓋を震わせた。

「何となくだよ、何となく。勘、ってやつかな。
 ありがとう。ダニエル。」
「……何故礼を言う」
「え?」
「僕は、お前を殺そうとしたんだぞ。なのに如何して……」

何だ、そんなこと。
落ち着いていた口調が また荒れそうになっていたので、私はゆっくりと立ち上がって、ダニエルに近づいていった。

「前にも言ったでしょ。貴方は、私たちの家族だ、って。
 それ以外には何も理由なんてないよ。理由なんか要らないよ。」
「ナナエ…」
「ありがとう、ダニエル。」

もう一度、お礼を言った。
例え、ダニエルが 私を家族だと見ていなくても、私は。
私は、彼のことを家族だと思っているから。

そして、じっと見詰めてくる私に困ってしまったのか、

「降参だよ」

白い眉毛を下げて、諦めたように微笑された。

あ……やっと。
やっと、冷たい氷が解けた。

後ろで、蘭ちゃんが微笑む気配がする。

「頭も首も、打ってないか?」
「うん、大丈夫」

訳もなく、互いに笑みが零れる。

「さ、二人とも!早く支度せな!」

すると、栗色の髪をぼさぼさにした儘の蘭ちゃんが、スキップしながら私たちのところへやって来た。

「は?まだ朝食迄は時間が有り余ってるじゃねーか」
「何言うてんのダニエル。
 昨夜の地震から、未だ連絡の取れてない子供たちは大勢居るんやで?
 私たちも何か出来ることをしないと。」
「……そうか」
「えっ、皆と連絡つかないの?」

初耳の事実だ。
あれから眠り姫と化していた私には、衝撃的すぎて 文字通り頭が痛くなってしまいそうな話。

「ああ…うん。結構混み合ってて……。
 震源近くの小千谷市に行ってる知美ちゃんにも、電話が繋がらんのよ。」
「うそ…」

ふわふわと空の上を浮かんでいた気分が、一気に谷底へ落ちていくような感覚。
辺りが一気に陰って、気温がぐんと落ちた。

「そんな顔せんでよ奈苗ちゃん。きっと、皆無事やで。」
「うん……」
「んー、じゃ、まあ、兎に角 顔洗って着替えよ!詳しい話はそれから!ね!」

私の肩を軽く叩いて、蘭ちゃんはささっと部屋を出ていった。
ドアを開けっ放しにしていってくれたのは、細やかな心遣いだろうか。

「ほら、奈苗も行くぞ。僕は、食事以外の支度は済ませてあるけどね」

最後の一言に驚いて、ダニエルをもう一回見やると、確かにきちんと洋服に着替えてあった。
この人は一体、何処まで確りしているんだろう。

うん、と頷きながら、彼に付いて部屋を出ていく。

何時もの 見慣れた殺風景な廊下を歩き続けていると、前を歩いていくダニエルが、何気なく口を開いた。

「……そういえば」
「ん?」

大人びている背中に、聞き返す。

「奈苗が見付けたあの本、隠しておいた。
 もう一度見たければ、後で渡すけど、如何する?」
「え……」
「他人に見られたらマズい物なんだろ」
「そ、そうだけど、何で……」

"私の考えたこと、わかったの?"
階段に差し掛かったところで、彼が歩みを止めた。
飛び出しそうになっていた言葉を飲み込んで、私も 彼の数歩後ろで足を止める。

彼は、そっと振り返って。

「勘、ってやつ」

随分日本語にも馴れたといった口調で、さっきの私の真似をするように、おどけてみせた。
口元が柔らかく動いて、嘘のない動きで銀の睫毛が震えて。

—————あ、笑った

「えっと、落ち着いたら、元の場所に戻しておいてくれる?
 ありがと、態々、気を遣ってくれて。」
「別に。じゃ、先に行ってる。
 あ、あの本、昨日見つけてからは、中身は見てない。見る積りもないから」

再び、素早く背を向けて階段を駆け降りていく後ろ姿に、ついこの間初めて覚えた 彼の故郷の言葉を投げ掛けてみた。

「Go raibh maith agat.(ゴローマァガット)」

気持ち切り替えて、頑張らなくちゃね。
知美ちゃんたちが、無事でありますように。


《『繋ぎ欠けの星座』完》