コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: COSMOS ( No.389 )
日時: 2016/03/24 21:38
名前: Garnet (ID: rRot.YS5)




幸い今日は、塾の個別授業の先生が欠勤になったみたいで 気兼ねなく休むことが出来た。

何時もなら、誰もいない家にいても退屈だからって 自習室に籠ってるんだけど。
部屋にひとりだけの時にこっそりお菓子を食べてるとかは秘密の話。

「熱は下がってきたみたいね。気分はどう?」
「普通だよ。」

ベッドの隣で腰を下ろして、体温計の窓を見詰めるお母さん。
前髪を避けて額に当ててくる手は ひんやりしている。

何も考えずに横になって、静かな部屋にお母さんと二人きりで。
こんなことは何年振りだろう。

「……お母さん。」
「何?」

木目の柄の入った天井を見上げながら、呼んでみる。

「この家から出ていくことになったら、遠慮しないで言ってね。」
「翔——」
「引っ越し先が、もし、学園のある市内なら、編入試験受けるよ。
 もしこのままでも、春から もっと勉強頑張って、中等部の受験に受かるようにするから。」

きっと、僕が受験に失敗してから、お母さんとお父さんは変わってしまったんだ。
厳しかったお母さんは 風船が萎んだみたいに優しくなってしまって、頑張れよと そっと声を掛けてくれていたお父さんは、気づけば僕に背を向けていた。

外の世界には変わらず笑顔を振り撒いていて、良い夫婦だと、良い親子だと誉められているけど……マンションの一室では、ただのすれ違う3人。
傷付きたくなくて、傷付けたくなくて、感情おもいを心の奥に仕舞い込んでしまってる。
そうして、相手を守るつもりが、逆に切りつけてしまってる。相手は勿論のこと、自分自身まで。

もしかしたら、今も、お母さんを傷付けているのかもしれない。

だって、彼女は今、僕の死角で目を赤くして、音も立てずに泣いているんだもん。

お母さんから目を逸らして、直ぐ隣の壁に填め込まれた窓の外を眺めてみた。
随分と高くなった空に 暗い色の雨雲が層を作っている。そうかと思えば、一昨日磨きあげたばかりのガラスに細い滴が走っていった。
……雨の音。
雨は、人が流せなかった涙。

「自分の痛みに鈍感過ぎるわよ、翔は。」

Re: COSMOS ( No.390 )
日時: 2016/03/26 18:02
名前: Garnet (ID: TzumX7NS)

「鈍感なんかじゃないよ。
 皆が笑っていられるのなら、僕は痛くも痒くも何ともない。」

起き上がって、冷たい窓枠に指を掛ける。
うっすら、窓ガラスの向こうは 雨で煙っていた。

黒く塗り潰されるアスファルト。電柱。
羽根を濡らしながら低く飛んで 住み処へ急ぐ1羽の鳥。
慌てて傘を開いたらしく、荷物にハンカチをあてがうお婆さん。
そんな光景を眺めていると、何とも言えない気持ちになってくる。
今僕は、悲しいの?苦しいの?それとも   

「もう良いのよ。
 ……さ、夕ご飯出来たらまた呼びに来るから、それまで寝てなさい。何も考えずに、眠っていい。」
「うん。」

お母さんに促されて、毛布を被り直し、目蓋を閉じた。
そっと髪を撫でられる感覚がして、人の気配が遠ざかり、部屋のドアが閉められる。
未だ体に留まる熱に引き込まれる感覚。

痛みを感じないのは、麻酔があるからでも何でもないんだ。
元々、そんな感覚を認識していないだけ。認識できないと思い込んでいるだけ。そんな自分しか好きになれないだけ。
それがつまり、痛みに鈍感だという意味になるのかもしれない。
結局理由なんてわかってないんだ。きっと。

拘束から解かれる瞬間、遠くで何かが呼んでいるような気がした。





次に目覚めた頃には、日の落ちた暗い街に 雨上がりの匂いが流れていた。
風で雑に千切られた雲の隙間から、ちらほらと星も覗き始めている。
中でも一際明るいのは、宵の明星……金星?

特に起こされた訳でもないけれど、勉強机の上に置いてある時計がそれなりに進んでいたので、抜け落ちた熱の残る布団を退かして ベッドからおりた。
レースと遮光カーテンを閉めて 電気を点ける。
人工的な明かりを纏う壁と床が寒々しく見えたので、早いけれど暖房を回すことにした。少々匂うのはもう仕方がない。

「翔?起きたの?」

歩き出しドアノブに手をかけようとしたところで、ドアの向こうから お母さんの声が聞こえてきた。
下に隙間が空いてるから、きっと光が漏れていたんだろう。

「起きたよ。ご飯、もうできたの?」

ぶつかったりしないように、恐る恐る開けてみる。

「ええ、もうすぐできるわよ。
 饂飩を茹でてるの。麺が伸びちゃまずいから、早めに起こしに行こうと思ってね。」
「わあ、饂飩かあ………おだしの良い匂いもする。昆布と鰹でしょう?」
「ふふ、流石ね。だしの素じゃなくて、ちゃんととったのよ?」
「あ、じゃあもしかして、麺も……」
「やーね、それはスーパーの袋麺よ!」
「そうですよね〜。」

目元に湿り気をつくる僕を見て、お母さんもくすくすと笑いを溢す。

軽く冗談が言えるほど、可也楽になった。
それでも食欲が弱いのを見越してか、風邪をひくといつも作ってくれる饂飩は出汁がきいていて、とても美味しい。
これが食べきられたら、次の日には学校に行ける、というバロメータでもあるんだ。

食卓に向かい合い、丼に水を切った麺を入れ、熱い汁を注ぐ。
薄く切った蒲鉾とワカメを少し、端に添えれば、出来上がりだ。

「うわぁ、美味しそう。」
「召し上がれ。」
「いただきます!」

早速二人で、饂飩をすすり始めたけど、麺を冷たくしてもらっていても、この猫舌にはやっぱり辛い。
あちちち、と慌ててお茶を口に含んだところで、玄関の鍵の回る音がした。

Re: COSMOS ( No.391 )
日時: 2016/03/27 23:00
名前: Garnet (ID: hl.ozr8z)

がしゃり。
重たい回り方。

廊下との区切りやドアは この部屋には無いみたいで、玄関の物音はよく聞こえる。
同じマンションに住んでる 麻衣とエマの部屋にはドアがあるらしいんだけど。
ていうか、エマが此処に引っ越してきたって聞いたときは吃驚したね。
しかも最上階の角部屋だって。

「あら、お父さん帰ってきたみたい。お帰りなさ〜い。」

お母さんが、丼と箸を置いて席を立つ。

「悪いな、お前から電話が掛かってきたとき 丁度会議が長引いてて。
 それで……翔の具合は?」
「昼から一眠りしたら、随分良くなったみたい。今、二人で夕食をとってたとこよ。」
「…そうか。」

ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外しながら お父さんがリビングに入ってくる。

最近太ったような気がするのは気のせいかな。
元々痩せてはいないけど。

「もう大丈夫だよ……お父、さん。」

心なしか震える声に、彼がちらりと僕の方を向いた。
大人独特の、濁りと上澄みのよく判るような目をしている。正直、ときどきそれが怖いと思ってしまう。

「……そうか。薬飲んで、今日は早く寝ろよ。」
「うん。」

再びリビングを出ていく彼。
遠い背中。
ぺたぺたと足音が短く響いて、ドアの開閉音が静かに聞こえた。

部屋のある後ろを気にしながら、お母さんが苦笑いで此方に戻ってきた。

「全く、もう少し心配してくれたって良いのにねぇ?」
「気にしてないよ、それくらい。お父さんだって仕事で大変なんだから。」
「もう、少しくらい甘えなさいよ。
 あんまり大人だと、お母さんもお父さんも困っちゃうわ。
 さーって、饂飩もう1人分茹でないと。」
「はあ…」

お母さんの言っていることの意味が解らず、適当に流して 夕食を再開した。
少し冷めてきて丁度良い。

彼女が 伸びた麺に食欲を無くしてしまうのは、もう少しあとの話。

Re: COSMOS ( No.392 )
日時: 2016/03/29 00:23
名前: Garnet (ID: 7Dfda974)

「ごちそうさま。」

薄くなった汁が揺れる丼を持って、流し台の蛇口を捻る。

「ああ、良いから良いから、翔は早く薬飲んで寝なさい。お風呂は朝で良いから。」
「ぁ…うん。」

つい何時もの癖で スポンジと洗剤を手に取ろうとした僕を、お母さんがさっと制してくる。

手を洗って、直ぐ近くに置いてあった箱の中から薬を取る。
舌にくっつく感覚が好きじゃないので、前歯でくわえた儘 冷蔵庫に手を掛けた。

何時もの癖……というのは、普段ならこの時間に両親が帰ってくるから。
夜は所謂孤食というやつになるので、気が付いたら 片付けも自分でやるようになっていた。
塾の友達にそれを話すと、そんなことは親がやるよ、と、有り得ないとでもいうように聞き流されてしまうんだけど。

ぼんやりと湧いてきたもやもやを一緒に押し込むように、緑茶を飲み下した。

「お前はまたそうやって甘やかして……」

…と、突然聞こえてきたお父さんの声に 思わず噎せそうになってしまったけど。
いつの間にか、シャワーまで浴びて戻ってきてる。

「別に良いじゃないの。
 あなたはあんまり風邪引いたことないから忘れちゃったでしょうけどね、熱が出たときってすごく辛いのよ?」
「そんなことを言ってるんじゃないよ。」

あっ。
これはちょっと。

「じゃあ何なの、普段は無関心で翔のことなんて何も見てない癖に。」
「……はあ?!」
「甘やかす分だけ甘やかして"落ちた"途端、責任放り出して……っ。
 翔が小さい頃からもそう、子育ても家事も全っ部私任せじゃない!」
「責任を放り出すとは随分な物言いだなあ、元々、やりたくもない入試なんて受けさせたのはどっちだ?!おい!
 それで随分金も無駄になって———」

其処まで言い掛けて、赤くなったお父さんの顔が 一気に青ざめる。
見詰められるのが気持ち悪くて、思わず目を逸らして俯いてしまった。濁りが波を立てている。

何だろう、この気持ち。
責任?お金?……ねえ、何?

痛みなんか忘れた積りだった。
でも、今は、心が痛くて堪らない。

怒られないように、傷付けないように、精一杯、今まで生きてきた筈。
得意なことを一生懸命伸ばして、苦手なことは真っ先にその芽を摘み取る。勉強だってそうやって頑張ってきた。
宿題、宿題、復習、予習、入試問題。
多分 麻衣とかよりもずっと。
僕は、間違ってなかった?
ちゃんと、結果だって出せたのに。
なのに。
なのに。
どうして……。
ああ、ちがう、違うよ、僕が言いたいことはこんなことじゃない、でも、うまい言い回しが出てこない。

突然、記憶の奥底に眠っていた、あの日のことが蘇った。
もう過去の事になった、2年以上前の日のこと。
校内掲示の模造紙のなかに、僕は入れなかったこと。
笑顔とか、抱き締め合う親子ばっかりのなかに、僕らだけが、ふたりぼっちの世界に居たこと。
住宅街に入って、もうすぐマンションに着くとなったとき、お母さんは 泣いていた。僕の手を握って、泣いていた。
怒るわけでもなく、叩くわけでもなく、ただ泣いていた。
今迄、あんなに僕を叱っていたのに、そんな彼女が 初めて涙を見せたんだ。
部屋に着いたら、ごめんね、ごめんね、とひたすら言われた。
苦しいくらい引き寄せられて、どうしたらいいか解らなくて、そっと背中をさすった。
……あの瞬間だよ、僕が、いけないことをしてしまったんだって理解できたのは。
だから、だから…………。

「……翔、違うんだ、俺はなあ、」
「何が違うの」
「おい翔っ。」
「僕だって、2人をこんな風にする為に勉強してきたんじゃないんだよ。
 そういうこと言うなら、塾なんて解約して。
 こんなことなら、皆みたいにいっぱい遊んでたかった。ゲームとか、漫画とか、いっぱいやりたかった。
 …家族で遊園地とか、そういうこと、いっぱいしたかった。」

流し台の上に 力なくコップを置いた筈なのに、随分大きな音が立った。
足を引き摺って、2人の横を通りすぎていく。

あ、もしかしたら、可也歳並みに怒ってるのかもしれない。
本当は、この感情の正体は怒りなんかじゃないよ。でも、怒りの仮面を被ってないと、悲しさでどうにかなってしまいそうなんだもん。

ドアを開けて、閉めて、また歩いて、歩いて、開けて、閉めて。
真っ暗な部屋のなかをふらついていたら、無意識のうちに、窓辺のカーテンの中に辿り着いて、泣きじゃくっていた。

窓の外に見える星は、いつにも増して綺麗だっていうのに、ゆらゆらぼやけて ちゃんと見えないよ。

Re: COSMOS ( No.393 )
日時: 2016/03/29 22:39
名前: Garnet (ID: W3qX.Arf)





「ねえ、翔くん。」

……ん。

「翔くん、起きて。」

懐かしい声が聞こえるような気がして、何故か横たえていた身体を ゆっくり起こした。

丈の低い草が一面に広がる、柔らかい草原。
その中に、僕と、目の前に 髪の長い女の子が座っている。
満天の星空を背に。

「と、知美……?」
「ごめんね翔くん、連絡できなくて。
 おじさんがね、今、大変なの。街の皆も大変なの。」

何日ぶりだろう、彼女に会ったのは。

何時もみたいに控えめに笑って、一言ひとことに重みがあって。
当たり前だったことが突然消えてしまって、あのときは、本当にどうしようかと思った。
でも、今、彼女は目の前にいて、この手を伸ばせば触れられる距離。

「友達を亡くした人もいる。家族を亡くした人もいる。家が燃えてしまったところもあるの。
 皆が大変だっていうのに、私だけ帰るわけにはいかないでしょう?
 それに、仮に帰ろうとしても、今は少し、難しくて……。」

プラネタリウムみたいに、星たちが空を廻っていく。

「だからね、夢の中だけでも会えたらって……思ってたら、ほんとに会えちゃった!」
「…夢?なの?これ?」
「うん。」

また、知美が柔らかく笑ってみせる。

その証拠にほら……と、手を差し出された。
反射的に、僕も同じように手を伸ばしてみる。てのひらが、ぴったり重なるように。

「あ…っ」

でも、触れることは出来なかった。
CGみたいに透けている。

夢を「夢だ」と夢の中で考えたのは、今日が初めてだ。
ていうか、今眠ってるってこと?いつ寝ちゃったんだろ?

「……あ、ねえ、怪我はしてない?」
「してないよ。」

腕を下ろしながら、彼女がそっと首を振る。

「良かった…」

心の底からホッとした。
知美の身に何かあったらどうしようって、すごく不安だったから。

「それよりも……翔くんのほうが、私は心配だよ。」
「え?」
「その顔、家族と喧嘩したんでしょ。」
「えっ、何で…」
「顔を見れば解るよ。」

そよ風が吹く。
海のように、辺りに波が広がる。

「ちゃんと、言いたいこと、言えたんじゃん。
 あと、一歩だよ。」

この風景の美しさに見惚れていたら、僕たちの身体が段々と透け始めた。
知美の声も、エコーが掛かったみたいにぶれてきて、うまく聞き取れない。
星の声に、負けてるよ。

「私は、ちゃんと此処にいるよ。絶対、皆のところに帰るから。」
「知美…?」

夢が終わってしまう。
待って、消えちゃ、駄目…

「頑張って。翔くん。」