コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: COSMOS ( No.396 )
日時: 2016/04/01 23:42
名前: Garnet (ID: FCVTIPcN)





眠気が酷いのに、身体は起きたがっている。
ぐらぐらする意識を振り切って、冷たい布団の中をもがいてみた。

毛布を退かして、辺りを見回すと。
部屋の豆電球が点いている。

「……ごめん、起こしちゃった?」

橙色の光を遮って、目の前に浮かぶ影。
お母さんだ。
その影の奥で後退る、もうひとつの大きな背中が見えた。

「おかぁ…さん。」
「翔ったら、布団を1枚も掛けないで ベッドで寝てたのよ?
 風邪を拗らせたら元も子もないでしょう。」

そうだ、窓ガラスに濃く曇りを付けたら、眠くなっちゃって…。何も考えずに、身体を横たえていたんだ。
通りで寒いわけだ。

「もう私の力じゃ重くって。だから、お父さんが翔を抱き上げてくれたのよ。」

———あと、一歩だよ。

……あっ。

「お父さん…が?」
「悪かった。お父さんが悪かったよ。お前の気持ちに気付いてやれなくて、ごめんな。
 只でさえ、昔のお母さんは厳しかっただろう?だから、少しでも翔に寄り添っていたかったんだ。そうしたら、あんな結果になってしまった……。
 父親として、もっと厳しくやっているべきだった。でも、俺にはあの後、何もしてやれなくて……。」
「お父さん」
「あの後から、翔が凄く努力してたこと、本当は知ってんだ。
 学校の成績はずっと上位。塾の宿題だって忘れたこと無いだろう。
 ……もっともっと、褒めてやりたかった。それなのに、無関心を装って。」

———頑張って。翔くん。

その時、心の中で何かが解けてきたような気がした。
重たく詰まっていた塊が 何処かから解れていって、するりするり、外へ流れていく。

「ごめんな。」

ゆっくり、彼が近付いてきた。

闇の中だからか、その目には沢山の光が溢れている。
いや、これは…。

「ごめんなあ、翔……!」

掠れた声が響いて、そう思った瞬間には、もう、

「許してくれとは言わないよ……。」

ぎゅっと、温かさに閉じ込められて、肩に滲みてくる熱い涙。

「お父さん…」
「翔、私も駄目なお母さんだった、ごめんね……ほんとにごめんね……っ」

温もりが、もうひとつ重なる。

いつの間にか、僕も目の奥が痛くなって、頬が濡れてきてしまった。
情けない、泣くなんて、幼稚園生の頃に転んだ時以来だ。

「お父さん、お母さん、ごめんなさい…っ!」

もっと最初から、自分に素直でいれば良かった。

壁を作っていたのは、僕の方。
巧い言葉が見付けられないことを言い訳に、背伸びして、大好きな人に背中を向けていた。
でも、言葉なんて、心がこもっていればそれで良いんだ。
格好つける必要もない。
一番美しい言葉は、一番素直な言葉だ。

「ごめんね、ふたりとも、大好きだよ。」

星屑ひとつ、転がった。

Re: COSMOS ( No.397 )
日時: 2016/04/03 01:57
名前: Garnet (ID: 7kpbMYSn)

 




結局、塾は続けることにした。
中学受験するかどうかは、また後からゆっくり考えればいいと、お父さんもお母さんも言ってくれたし、何より、受験をしなくても 自分の力にはなるだろうって思ったから。

そんなこんなで、風邪もすっかり完治して、再び日常が戻ってきた頃。

「ただいま。」

11月1日、月曜日。
知美が、1週間ぶりに登校してきた。
8時前の、薄暗い教室に。

1組に誰も来ないものだから、つい、エマの居る隣の2組に行って、教室後ろのドアの近くで話していたんだけど……。
本当に、久し振りな声だった。
教室にいた誰もが、その声に、はっと目を見開いて 一斉に顔を向ける。
少しの時差を作って、彼等がぱたぱたと彼女の方に駆けていった。
大丈夫?待ってたよ、とか、皆もそれなりに声をかけているけど、知美は、無理して笑っていた。
笑顔の奥には悲しみが覗いていた。

開け放されたドアの レールを越えずに、廊下に立っていた。

「……と、と、と、トモぉ〜っ!!」

エマが大声を上げながら、廊下を猛ダッシュしていく。
そして間もなく、目を真ん丸にする知美に抱き付いた。

僕も、ゆっくり、ふたりの元へ歩いていく。

「エマごめんね、心配かけて……もう、大丈夫だから。」
「ほんとに、心配したんだよ!
 …あ、右手、どうしたの?その包帯。」
「うん……水曜日くらいだったかな、荷物運ぶの手伝ってたら、転んじゃって。
 傷は浅いんだけど。」

エマがそっと握った知美の右手には、巻き直したばかりらしい包帯が 上着の奥から覗いていた。

「あ、翔くん。」

と、此処で漸く僕の存在に気付いたらしく、前のめりになっていた通学帽を後ろに引っ張って 彼女が近付いてきた。

「知美。おかえり。」
「ただいま。」
「週末にエマから電話が掛かってきたの、吃驚しすぎて飛び上がるかと思った。」
「そんなに〜?」

おどけるように、また笑ってる。

「だって、それくらい酷かったってことだろ?」
「あ〜、うん。
 地域の人から聞いた限りだけど、家が壊れたり、液状化っていうのが起きたりしたらしくて……。
 復興は、年単位で掛かるんじゃないかって言ってた。」
「そう…。」

そのあと、また 昼休みと放課後に改めて話を聞くことになったんだけど……やっぱり、あの地震で、おじさんたちは怪我をしてしまった。
交通機関は復旧したけれど、電車に乗るには危険な道を通らなければいけないらしく、同伴してくれそうな大人も忙しさで中々見付からなかったんだとか。
それで、帰るまでの間、避難所の手伝いなんかをしていたそうだ。

「荷物は持って帰ってこれたし、松井さんの奥さんが交通費を負担してくれたの。
 でも、何か、もう……申し訳なくて…。」
「知美……」
「今回の件は、保留って形にはなってるけど、落ちついたら、断るつもりでいるの。
 私を見る度に 松井さんやお姉さん達が辛い思いをしてしまうのは、嫌だから。」

本当に、それでいいの?
そう言いかけたとき、知美の後ろから 誰かが叫びながら走ってきた。

「知美〜っ!」

ほっそりした、髪の短い女の子。
ランドセルの横にぶら下がっている給食袋には"夏村"と書いてあった。

「レイ!」
「知美、帰ってきたのか!ずっと待ってたんだぞ!」

何だか口調がボーイッシュだ。
それに、いつの間に、そんな友だちを作っていたなんて……。

「あ、右手に包帯が……」
「ああ、大したことじゃないから。」

同じことを訊かれているものだから、思わず笑いそうになってしまった。
きっと、麻衣が来たら質問攻めだ。そろそろ学校に来るはず。

普段通り、世間話に花が咲き始めたのを見ながら、それとなく3人に声をかけた。

「じゃあ、そろそろ席に着いてた方が良いだろうし、僕は1組に戻るよ。」
「うん、ありがと、翔くん。」
「昼休み、トモと麻衣とでまた話すから、2組に来てね。」
「わかった。」

夏村さんには軽くアイコンタクトを送る程度に、3人の横を通り抜けて、廊下を歩き始めた。
気づけば、さっきより人通りが随分増えている。
当たり前だけど、確実に時は流れているんだ。

まだ、辛い道のりを行く人々は多いのかもしれない。
でも、いつか、きっと……。

「翔くん。」
「ん?」

大好きな声に、歩みを止めて振り返る。

「1歩、踏み出せた?」

少し遠いその言葉には、驚いてしまったけど。

「うん。まだまだ、はじめの1歩だけどね。」

そう言って微笑んでみせれば、彼女は、そっとドアに指を掛けて"1歩"踏み出した。

まだ、蕾さえ、僕等には見えないけれど。
いつか、枝の先の小さなふくらみは、花開く時が来るんだろうか。
僕は、そう遠くない未来を、信じてみようと思う。
信じていたいと思う。

揺れる声の流れに、ちっぽけな願いを織り込んだ。




《『まだ、蕾さえ。』完》