コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- ファリスロイヤ昔語り 〜冥き闇の手を持つ者よ〜 ( No.137 )
- 日時: 2016/03/21 15:16
- 名前: 詩織 (ID: 4M4hyAMx)
それは、突然の出来事だった。
ある静かな朝、病がちだったファリスロイヤ城当主は、自室のベットの上でそっと息を引き取った。
朝の支度の為に、部屋を訪れた召使の悲鳴が城内に響く。皆が駆けつけた時すでに息絶えていた亡骸は、特に乱れた様子もなく、まるで眠っているように穏やかな表情だったという。
よく晴れた空の下、街中に掲げられたのは黒と白の葬送の旗。
鐘の音が響くファリスロイヤ城では、厳かに、葬送の儀が執り行われていた。
「——— 領主さま・・。」
悲しみに沈む小さな呟きに、トーヤは隣のリーメイルを見下ろす。
うつむきかげんで表情までは見えないが、震える声は涙が滲んでいるようだった。
神殿の代表として葬儀に参列していた彼らは、突然の訃報への嘆きと戸惑いに暮れる人々と共に、領主を見送り別れを告げた。
遠く、広間の一番奥。喪主として父に寄り添うリアンを見て、リーメイルは懐かしさに目を細める。声をかけたかったのだが儀式の間はそのような機会もなく、2人は遠くから彼の姿を眺めていた。
その葬儀の後。
城は新しい当主の着任式の為、慌ただしく動き出した。
「なぁ・・。」
「ん?なあに?」
バタバタと人々が行き交う城内の廊下を歩きながら、リーメイルは隣を歩くトーヤを見上げ首を傾げた。
「どうしたの?」
呼びかけたまま返事のない彼に、促すような視線を向ける。
そんなリーメイルの視線に、トーヤは「ん、あれ。」と顎で廊下の先を示した。
そちらに目をやると、城の役人たちが数人、前から歩いてくるのが見えた。
すれ違った時、彼らの話し声が聞こえてくる。
「いやあ、領主様はお気の毒だったが、しかしリアン様とルーファス様がお帰りになっていて本当に良かったな!」
「ああ。あのお2人ならば安心だ。」
「本当にな。リアン様とルーファス様がいて下さって良かった!」
「・・・誰だ?“ルーファス様”って。」
遠ざかっていく役人たちの声を聞きながら。
トーヤが低い声で呟く。
その言葉を聞いて、リーメイルは気がついた。
よく耳を澄ませば、城のあちこちで同じような会話が囁かれていることに。
——— リアン様とルーファス様がいて下さって良かった。
——— あの2人がいればこの城も安泰だ。
「リアンが居て良かったっつーのは分かる。跡継ぎだからな。けど・・、なんで城の連中は皆そのルーファス?って奴の名を挙げるんだ?しかもリアンと同等に。」
眉根を寄せて問いかける。
リーメイルに聞いても彼女が知るはずないのは分かっていたが、言わずにはいられなかった。
しかし。
「実はね・・、私も、ちょっと気になってることがあるの。」
リーメイルから、予想外の言葉が返る。
トーヤは「ん?」と片眉を上げた。
「なんだ?」
尋ねると、彼女は思案げな表情を浮かべて言った。
「なんかね、変じゃない?ここの空気。」
「空気?」
くんくんと匂いを嗅ぐよう仕草をすると、「違うってば!」と軽く叩かれた。
「空気っていうか、気配、かしら。魔法の気配。この濃さ、重さ・・。おかしくない?」
そう言われて、トーヤは集中して気配を探る。
「俺は特に感じないけど・・。」
魔法への感受性に関しては確実にリーメイルの方が上だ。
彼女が言うなら、本当なのだろう。
「どんな感じなんだ?」
「んー、なんていうか、澱んでる?歪んでるとか、そんな感じ。そう、不自然なんだわ。無理な負荷をかけられてるような。何にしてもなんだか良くない感じがするの。」
「澱んでる・・か。」
そこまで言って、トーヤはハッと気づいたように顔を上げた。
「まさか・・。お前の見た予見と関係するのか?」
「まだそこまではわからないわ。でも・・。」
リーメイルはそこで一度言葉を切る。
確証がないからだろう。迷うような仕草。けれど、トーヤには分かった。その後に続く言葉は・・。
「多分、そうよ。このお城で今、何か良くないことが行われようとしている。魔法の力で。」
声を潜め、リーメイルが囁いた。
トーヤの魔法力が弱いわけではない。リーメイルが飛び抜けているだけだ。
そのトーヤでさえ気づかないというのであれば、多分、魔法の使える人間の少ないこの地において、この城のおかしさに気が付けるのはリーメイルくらいのものだろう。
「でも、一体誰が?そもそもこの城に魔法使いはいないだろ。」
そう。彼らの知る限り、この城に魔法使いは居なかったはずだ。
必要があれば神殿がその役目を担ってきた。
その自分たちが知らないうちに、何かが起きている・・?
一体誰が・・。
「帰ったら、神殿長さまにご報告するわ。少し様子を見て、リアンが正式に領主様になったら内密に話をしにきましょう。今は面会も難しそうだし。」
気になることはたくさんあった。
とにかくその暗く澱んだ空気が、リーメイルを不安にさせる。
この城の冥さは、領主を失った悲しみの為ばかりではない。
あの恐ろしい予見を見た時の胸苦しさが沸き上がってくる。
数日後の着任式を待って、すぐにリアンにも報告し内密に調査をしてもらおうと、2人は城を後にした。
- ファリスロイヤ昔語り 〜冥き闇の手を持つ者よ〜 ( No.138 )
- 日時: 2016/03/22 19:55
- 名前: 詩織 (ID: 2XDHCgd7)
ラヴィンたちのいる今現在。
彼らの住むこの国では、「領主」は王都に住む貴族である場合がほとんどだ。
彼らは領地の権利者として自身は王都に屋敷を構え、実際の土地の管理は彼らに任された配下の者が現地で行う。つまり支配権は現地ではなく国の中枢にいる貴族たちにあるのだ。
現にファリスロイヤ遺跡のあるルル湖沿岸地域を領地として治めるグレン公爵も、地元に彼の任じた管理係を据え、彼自身は王都ギリアの屋敷に暮らしている。
そして時はさかのぼり、トーヤたちの生きる時代。
交通の便もまだまだ未発達であり、またこの国が『国』としての歴史も浅かった時代。
領主とは、そのままその土地を治めてきた地元の権力者たちを指していた。
国という大きな括りは形作られてきていたが、まだまだ各地域それぞれの力や個性が強く、民たちにとってはそれぞれの土地を支配する領主こそが主であり、ある意味、それぞれが小さな「国」のような政治体制であった。
つまり。
この地において領主の座に就くということは、実質この地における全ての権限が彼リアン・クロウド・ファリスにあるということである。
自室のソファに深く身を沈め目を閉じていたリアンは、小さく叩かれたノックの音に、ゆっくりと瞼を上げた。
「誰だ。この時間は誰も声をかけるなと命じてあるだろう。」
「ルーファスです。」
控えめでありながら、静かにその場を支配する、不思議な力を持つ声。
「入れ。」
短く告げると、はいという返事と共に濃紺色の瞳の魔法使いが姿を現した。
「お休み中でしたか?失礼しました。」
「かまわない。少しうとうとしただけだ。立て続けだからな、さすがに少し疲れた。」
「そうですね。お疲れ様でした。」
ルーファスは穏やかな微笑みと共に労いの言葉を口にする。
「でもこれで・・、近づきましたね、あなたの求めるこの地の在り方に。」
微笑みを絶やさぬまま、ルーファスはリアンを見つめた。
リアンはしばらくその静かな瞳を見つめ返していたが、ふっと小さく笑うとソファから立ち上がる。
そして机の上にあった数枚の紙を手に取ると、ルーファスに突き出した。
「出来たぞ。例の文書だ。」
ルーファスは受け取るとその文面に目を走らせる。
「我ながら、狂気の沙汰としか思えん内容だな。」
「いえ、十分だと思いますよ。」
皮肉な笑みを浮かべるリアンに、ルーファスは変わらず穏やかに答える。
「さて、彼らはどう反応してくれるでしょうね。」
ルーファスの問いに、リアンはふん、と鼻で笑う。
「どうもこうも。奴らが大人しく従うとは、どうせ思ってないんだろう?・・・見たか?」
何を、とも聞かず、ルーファスは頷いた。
「噂通り、大変美しい方ですね。そしてあの眩しいほどの魔力の輝き。なかなかお目にかかれるものではございません。」
「そうか。」
「願わくば、素直にこちら側へと身を委ねてくれれば申し分ない。」
「・・・」
答えのないリアンを横目で見ながら、ルーファスは続ける。
「そうなったらそうなったで使い道はいくらでもあります。あの魔力は本当に素晴らしい。」
「だが、そうならなかったら・・。」
「そこはそう、予定通りに。」
にっこりと笑った。
「———『身代わりのヤギ』。罪をかぶる役も、この計画には必要なのですよ。」
・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
ファリスロイヤ城にて当主の着任式が終わり。
リアン・クロウド・ファリスが正式にこの地の領主としての地位に就いた。
神殿ではリーメイルとトーヤの話から、何やら不穏な動きがあるファリスロイヤ城への対策について話し合いがなされていた、まさにその頃。
城から一通の書簡が届く。
それを見た神殿幹部の者たちは皆一様に驚愕に息を飲み、そして信じられないと口々に叫んだ。
その書簡に書かれていた内容。
新領主であるリアンの今後の政治方針。
この領地を強くする為の改革案とその実施計画。
そして・・。
『この地を磐石にする為に、権力を分散させてはならない。寄って領主であるファリス一族本家の当主を中心に、ファリスロイヤ城と女神の神殿の機能を一元化することとする。』
今まで独自の権限を持ち守られてきた女神の神殿は、今後ファリスロイヤ城当主の支配下に置かれ、全ての権限は当主に一任されるというのだ。
神殿のやってきた業務は城へと移行し、緩やかに縮小化。そしていずれは神殿そのものを不要とする。
それまで神殿長の地位は本家当主であるリアンが兼ねる。
つまり、分家の神殿長制の廃止である。
さらに、書き添えられた最後の一文に、神殿長ラウルは目を疑った。
——— 『城と神殿の一元化の象徴として、高位の魔法使いでもある巫女長リーメイルを、当主リアン・クロウド・ファリスの妻として、ファリスロイヤ城へと迎えること』———
(リーメイルを・・、城へ?)
震える手で握り締めた書簡が、くしゃりと歪んだ。
- ファリスロイヤ昔語り 〜冥き闇の手を持つ者よ〜 ( No.139 )
- 日時: 2016/04/24 22:01
- 名前: 詩織 (ID: IhKpDlGJ)
「ふざっけんなよ!!」
ガゴンっと激しい音を立て、トーヤの蹴り飛ばした木の椅子が勢いよく床に転がった。
椅子が当たった衝撃で、その隣にある大きなテーブルも軋んだ音を立てる。
だが、トーヤを咎める者は誰もいない。
夕闇の迫る薄暗い部屋。
もうほとんど暮れかけた夕日の最後の光が、山際の向こうに消えてゆく。
ランプの明かりの揺れる部屋の中には今、トーヤとリーメイル、神殿長であるラウルと、ジルを含めた数人の幹部たちが集まっていた。
議題はもちろん・・。
「何なんだよこれは!!」
バン!と大きな音を響かせて、トーヤはその手をまさに今、かつてない程の衝撃を自分たちに与えている書簡の広げられたテーブルへと叩きつけた。
本日届いた城主リアンからの書簡。
部屋の中央に置かれた会議用のテーブルの上に広げられたそれを、集まった彼らは皆一様に緊迫した面持ちで見つめている。
「・・・落ち着け、トーヤ。」
低い声で静かにそう制したのはラウルだった。
彼は息子を見、次にその視線をチラリと窓際へと向けた。
彼らから一歩窓の方へと下がった辺りに立つリーメイル。
その顔は青ざめ、もともと色の白い彼女がいつもよりもずっと白く見える。
唇をぎゅっと引き結び、体の前で握りしめる両手は心なしか小さく震えているようにも見えた。
いつも気丈に振る舞っている彼女だが、やはり今回は動揺が隠しきれていなかった。
視線はずっと下を向いたままだ。
「・・・・。」
そんなリーメイルから、ラウルは視線をトーヤへと戻す。
「とりあえず落ち着くんだ。冷静にならなければ、何も見えてこない。」
「ちっ。・・分かったよ。」
ラウルに合わせてリーメイルを見つめていたトーヤは、深く息を吐くと書簡へと視線を戻す。
「しかしながら・・、真意が全く読めませんな。」
全員が事態を把握した後、しんと張りつめた空気を破るように、ジルが眉根を寄せながら呟いた。
「形としては正式な領主の命令書簡の形をとっています。通常なら強制力があり従わないわけには行きません。けれど・・、内容があまりにめちゃくちゃすぎる。向こうにしても、こんな内容がすんなり認められるなどと思っているとは思えません。我らが・・いえ、この地の女神を崇める全ての民たちがこのような暴挙を許すなど、どう考えてもあり得ないのは分かり切っているはず。」
「じゃあどうしてリアンの野郎はこんな書簡を送りつけてきやがったんだよ!」
ジルの言葉に食いつくようにトーヤが怒鳴る。
「何か裏の意図があるということか?それとも・・何かそれだけの改革を成し遂げるだけの力と理由があるのか。」
ラウルが呟く。
「まずは真意を確かめて、対応はそれ次第かと。」
ジルの言葉に幹部たちが頷く。
早急に、領主リアンとの直接対話が必要だ。
「リーメイル。」
ラウルの呼びかけに、下を向いていたリーメイルはびくりと顔を上げる。
「明日の朝、私と共に城へ来てくれ。お前にも関わることだ。リアン様と直接話せるよう面会を申し込む。」
「・・はい。」
小さく返事が返る。
—— 震えた声。
「俺もいくぞ。」
いきり立つトーヤに、ラウルは首を振った。
「だめだ。お前はここで待機だ。」
「あぁ?!なんでだよ!」
「神殿の代表は私だ。どちらにしろ今のお前に冷静に話し合うことなどできん。向こうの意図が分かるまで、とりあえず明日はリーメイルと2人で城に向かう。・・ジル。」
「はっ。」
「こいつの見張りを頼んだぞ。明日は1日城からだすな。」
「はい、承知致しました。」
「勝手に決めんな!」
「神殿長命令だ。明日、お前はまだ動くな。」
いつもの軽い口調ではなく、いつになく重い声音で放たれた父の言葉に、トーヤは不満げにではあったが口を閉じた。
「ではリーメイル、明日は早い。今日はゆっくり休みなさい。」
「・・はい。」
話し合いを終え、ラウルとジル、そして幹部たちそれぞれが部屋を後にする。
パタン、と扉の閉まる音がして、部屋は再び静寂に包まれた。
オレンジ色の炎が揺れるランプの明かりが、ただ静かに、部屋に残った2人の影を落としている。
トーヤは黙ったまま、リーメイルに近づいた。
「・・トーヤ。」
憂いを帯びた声。
見上げる彼女の顔は、相変わらず白い。
「どうして・・リアンは突然こんなこと・・。あの夢は、このことだったの?あの・・葬儀の時に感じた魔力の違和感は・・、不自然さは・・何か見落としていた?!私・・」
「落ち着けよ。」
トーヤが珍しく優しい声で言った。
視線を彷徨わせていたリーメイルは、再びトーヤを見上げる。
そして震える両手で、ぎゅう、と自分を抱きしめた。
「どうしよう・・、私、私・・・!」
トーヤは思わず、彼女に手を伸ばす。
腕を掴んで引き寄せると、強く抱きしめていた。
「大丈夫だ。」
強い、声。安心しろ、と。そう言いたかった。
「・・トーヤ?」
リーメイルは驚いて視線を上げると、彼の名を呼んだ。
「神殿はなくならねーよ。そんなことさせるもんか。それに・・。」
落ち着いた、けれど、固い決意の響きのにじむ声でトーヤは言う。
「安心しろ。お前も城へは渡さない。」
「・・トーヤ・・。」
昔からいつも近くで聞いていた彼の声。
いつもいつも意地悪ばかりで、素直な時なんて滅多になくって。
でも。
ずっと傍にいてくれた、安心できる声。
(あったかい・・)
大きく息を吐いて、リーメイルはそっと、トーヤの背中に腕を回した。
「ぜってー、渡さねーから。」
「・・・・うん。」
「神殿、守んぞ。」
「もちろんよ。」
腕の中の華奢な体から、ありがとう、という小さな呟きが漏れるのが聞こえた。
リーメイルを抱きしめたまま、トーヤは窓の外、今は冥い闇に支配される夜の町のその先にあるファリスロイヤ城を睨みつけた。
(・・リアン・・お前一体何を考えてんだ?!)
夜の闇は、深まってゆくばかりだ。
- ファリスロイヤ昔語り 〜冥き闇の手を持つ者よ〜 ( No.140 )
- 日時: 2016/06/13 10:30
- 名前: 詩織 (ID: y/HjcuQx)
「ここは・・・」
辺りを見回す。
真っ暗な闇の中に一人、リーメイルは立っていた。
身体の重さを感じない、不思議な浮遊感。
『立っている』というよりは『浮いている』というほうが近いかもしれない。
真空のように物音ひとつない暗闇。
この感覚には覚えがあった。
(あの白昼夢と同じ?)
暗闇に浮かぶファリスロイヤ城を視た、あの恐ろしい幻影だ。
視線を下げて自分を見ると、いつもの白い巫女服をまとい、内履き用の簡素な靴を履いている。夢だとすれば、自分自身への最も定番なイメージ像なのだろう。神殿内にいる時は、いつもこの格好だから。
不思議なのは、これが夢だと自分が認識できていること。
眠りについたベットの中で、夢と気づかずに夢の中の世界にいることは、まぁよくある。
でも。
(何でかしら、夢だとはっきり分かるし、意識もちゃんとしてる。)
身体の感覚は薄いが、夢にしては思考がやけにハッキリしていた。
足を一歩、踏み出してみる。
前には進むようだが、地面に足がつく感触がない。
リーメイルは大きく息を吸い込むと、静かに吐きながら、意識を集中し、念じた。
(ここはどこ?私に、何を視せようと言うの。)
すると。
「!?」
帆に勢いよく風を受けた船のように、リーメイルの身体はふわりと宙を舞いどこかへと運ばれてゆく。
「あ、あれ?」
ぐにゃり、と空間が歪み、瞬きするような一瞬のあと。
気がつくと、どこか建物の中らしき場所にいた。
目の前には、古い石造りの廊下が続いている。明かりとりの小さな窓が天井近くにあるだけの薄暗い、けれども充分過ぎるほどの広さの廊下を、ゆっくりと、リーメイルは進んでゆく。
相変わらず、音の無い世界。人の姿も見当たらない。
廊下の突き当たり。
大きな古びた木の扉があった。色あせた両開きの扉の取っ手部分に見覚えのある意匠を見つけ、リーメイルの表情が険しくなる。
(やっぱり。ここは・・)
取っ手に両手をかける。
「・・・ファリスロイヤ城。」
何度も目にしてきたその意匠を、自分が見間違えるはずはない。
それは確かに、ファリスロイヤ城の紋章だった。
だが、リーメイルはこの場所を知らない。
もちろん外部の者である彼女が知っている場所ばかりでないのは当たり前だが、子供の頃から式典などで何度も歩いたことのある城だ。リアンやトーヤと遊び回ったこともある。
ここはたぶん城の中でも、外部からの人間の目には触れないような場所なのだ。
小さく放ったリーメイルの呟きと同時に、分厚く重い木の扉が音もなく開いた。
力は全く入れていない。
まるで彼女を誘うかのように、自然に開いたのだ。
奥に向かって開かれた扉の向こうには、石造りの階段が下へと向かって螺旋を描いていた。
「入れ、ということかしら。」
一歩足を踏み入れる。
「きゃっ?!」
暗闇の中からおそらくは城の最奥へとやってきた時と同じように、ふわりと宙を舞う感覚。
リーメイルの意識は、掲げられた蝋燭の薄明かりだけが揺れる階段を、風のように通り過ぎる。
そして。
「何なの、ここは・・。」
たどり着いた部屋。
暗い地下室のようなその部屋に窓はひとつも無く、けれど何の用途の為なのか、広さだけは十分にあった。天井も普通の部屋よりずいぶん高い。
広い床に何かが置いてあるのはなんとなく分かったが、リーメイルの今の位置からは中がよく見えなかった。
正方形の部屋の壁沿いには、階段と同じようにぼんやりと明かりが灯されている。
暗闇に浮かぶ小さな明かり。
今は身体の感覚はほとんどないが、もし現実なら、石造りの地下室のひんやりとした空気や、独特の臭いなどを感じただろう。
だが、その見た目よりももっと本質的な所で、リーメイルはこの部屋に存在するなにか底知れない冥さを感じとって、その背筋が冷える感覚に思わず身震いする。
思い切って、一歩足を踏み入れた。
ゆっくりと部屋の中へ進むと、次第に暗闇に慣れてきた彼女の目に、床に置かれた物体と
それらと共に床自体に描かれたモノが少しずつ、姿を現す。
突然
響く、穏やかな、男の声。
「ようこそ、私の城へ。お美しい聖女殿?」
部屋の明かるさが一気に増した。
息を呑み、リーメイルは勢いよく振り返る。
実体ではない金色の髪が乱暴に舞った。
見開かれた紅い瞳の視線の先。
濃紺の瞳。 静かで深い海の様な。
同じ色でありながら、紫や深緑や白や黒・・まばらに色が混ざり合った、不思議な色の髪。
ゆったりとした黒いローブを纏い、悠然と微笑む一人の男。
「私の名はルーファス。お会いしたかった、・・・貴女に。」
そう名乗ると男は微笑を崩さないまま、リーメイルへと、一歩足を踏み出した。