コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 因果は巡る風車 〜 風の向く方向 〜 ( No.178 )
- 日時: 2016/10/16 14:59
- 名前: 詩織 (ID: lt5Nu10v)
因果は巡る風車 〜 風の向く方向 〜
「え?叔父さん留守なの?」
ほんのりと湯気の立つティーカップを片手に、ラヴィンが少し驚いたように言った。部屋にはラズベリーティーの甘い香りが漂っている。てっきり皆揃っていると思っていたのに、お茶の支度の整った部屋にはその主と、人懐っこい笑顔を浮かべる金髪碧眼の青年の姿が見えなかったのだ。
「ええ。また少し離れた街に用ができまして。社長はラパスとギズを連れてギリアを離れてるんですよ。まぁあと5日ほどあれば帰ってこられる予定ですけど。」
ジェイド宅のダイニング。
卓上のドーム型ケーキを切り分けながら、アレンが答えた。
「あなたたちが帰ってきたら、ここは勝手に使っていいと言ってましたからね。ほらこれ、社長が取り寄せてた果実酒につけた干しブドウの焼き菓子。ラヴィン、好きでしょう?」
「うん、大好き。帰ってきたら叔父さんにお礼言わなくちゃね。」
「ええ。悔しがってましたよー、早く旅の話が聞きたかったみたいですけど仕事でどうしても出かけなくちゃならなくて。なんだかんだ言って、あの人も気になってたんでしょうね。」
クスリと笑って、アレンは手際よく菓子を乗せた皿を配ると自分も席に着いた。
日当たりが良い窓からは、春先の明るい陽射しが陽だまりを作っている。
少しだけ開けた窓からそよぐ風に、白いレースのカーテンが揺れた。
「それで?どうでしたか、調査の旅は。」
「仕事ですか?それとも私用のほう?」
ジェンが笑いを含んだ声で聞く。
「どっちもです。」
白状するように苦笑して、アレンが言った。
「実は私もね、気になってましたから。その、古代の魔法文字?とやらのこともね。どうだったんです?何か分かりましたか?」
楽し気な様子で尋ねるアレン。
いつもはジェイドのブレーキ役になることが多いから、こんなアレンもなかなか珍しい。
3人は代わる代わる、旅先で見てきた出来事をアレンに報告した。
「・・ふぅむ。・・それはまた・・・、なかなか興味深い話ですね。その青年−−トーヤ、と言いましたか。彼の話だと、過去としてだけじゃない、今現在にも関わる案件だということですね。」
「そうなの。もし本当にあの魔法を解こうとしてるのが悪い考えを持つ人たちで、その力を何かに利用しようとしてるとしたら・・。トーヤの話だと、古代魔法の正しい術式を踏まずにムリヤリ解除しようとすれば、何がしかあの土地への悪影響は避けられないって言ってた。暴発・・っていうのかな?それに何より、トーヤにはリーメイルさんのこともあるしね。」
言って、ラヴィンは焼き菓子を口に運んだ。
果実酒の染み込んだ生地はしっとりとしていて、干しブドウの甘酸っぱさが堪らない。
ラヴィンの好みをバッチリ把握している辺り、さすがのジェイドである。
「でもそのことはシルファがお父さんたちに相談してくれるっていうから大丈夫だと思うよ。魔法のプロだし。」
ラヴィンの言葉に、アレンが目を丸くした。
「おや、珍しいですね。いつもなら我先にと飛び出していくラヴィンが大人しく人に委ねるなんて。」
「・・なにようそれ。だってさぁ、仕方ないじゃない。私たち魔法のことなんて、ぜーんぜん分かんないもん。ねっ。」
拗ねたように言うと、隣のマリーに目を向ける。
マリーも、こくんと頷いた。
「だから今はシルファからの報告待ち。もしそこから必要があれば、ファリスロイヤでの待ち伏せだろうと悪い奴らを捕まえる作戦だろうと全力で参加するもんっ。」
「はいはい。ケガだけはしないで下さいよー。」
苦笑するアレン。
「ねぇ、ジェン。」
「ん?」
マリーに呼ばれ、ジェンは自分とラヴィンの間に座る彼女を見下ろした。
「あのトーヤの過去の中の話なんだけど。リーメイルが眠りの唄を使う時、石碑が出てきたよね?夜の、森の中で光ってる・・。」
「ああ、あれな。俺も思った。あれはきっと・・」
「ノエルさんの話に出てきた、女神エルスの掲示の言い伝え、よね。」
マリーの言葉に、ラヴィンも振り向いた。
「あ、私も思った!ノエルさんのご先祖様が見たエルス様って、あの時のリーメイルさんだったんだよね?!」
--------- 『淡い光が辺りを照らす中、その中心に、それはそれは美しい女神様の姿が浮かんでいるのをご先祖様たちは見ていたらしい。
言い伝え通り、薄金色の長い髪、宝石のような真紅の瞳をした女神エルスは、優しい微笑みを浮かべ手をひと振りした。
すると、光の輪が広がり、女神とその周りにあった石碑が燦然と輝きだす。
光は更に大きくなると、辺り一面を包み込み、流浪の民たちはあまりの眩しさに目を閉じた。
思わず意識が遠のくほどの光だったそうだ。』 −−−−−−−−−
そして彼らはそこに住み、女神の石碑を守り続けることを誓った。
ノエルの語った村の石碑にまつわる昔話。
夢物語のような言い伝えが、トーヤの昔語りによってその輪郭をはっきりと現してきた。
バラバラだったモノから糸は紡がれ、だんだんと1枚のタペストリーが編みあがっていくような感覚。
マリーは両手に包んだカップを口元に寄せる。
少し冷めた紅茶は、それでもまだ甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「これから、どうなるんだろうなぁ。」
マリーの呟きに、皆それぞれの思いを馳せた。
窓の外。遠くで小鳥の鳴き声が聞こえている。
しばらく歓談した後アレンは仕事に戻っていき、3人はなんとなく夕暮れまで、ああだこうだと今回の出来事について話し合っていた。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・
その日の夜。
ギリアから少し離れた、とある街の酒場 ---------
「おっせーよ!ったく。」
ドン、と音を立て煽っていたビールジョッキをテーブルに置く。
「なぁにうろちょろやってんだおめーは。」
「やだなぁ、別に遊んでるわけじゃないってば。」
わいわいと騒がしい夜の酒場。
そこここで乾杯の声が上がり、力自慢のごつい男たちが飲み比べで盛り上がっている。裏通りのここはあまり柄の良い店ではなかったが、酒にこだわる店主の趣味でかなりマニアックなものまで揃っていた。食事も見た目の雑さにしてはなかなかに旨かったから、ジェイドはたまの出張で訪れるこの店を結構気に入っている。
椅子に寄りかかり顔を赤くしたジェイドに、遅れてきたギズラードはいつものようにへらっと笑いながら言った。
「お疲れっすギズさん。」
爽やかに笑ってラパスが片手を上げる。
反対の手には豪快なぶつ切りの肉が刺さった串を持っていて、ギズは思わず喉を鳴らした。濃厚そうな茶色のタレには、肉汁がたっぷり混ざっている。
「あーもう腹減ったぁ〜。俺もその肉食いたい!」
「あいよ。おーいおっさん!この肉もう3本追加で!あと酒も追加ね!」
ラパスが振り返って声を上げると、奥から野太い店主の声で了解の返事が聞こえた。
「そんで?待ち合わせ時間まるっきり無視しといて、なんかいい情報は手に入ったか?」
呆れたようなジェイドの問いに、ギズラードはふふんと笑う。
「ま、ね。でもまずは腹ごしらえが先だよー。」
「俺らに荷物持たせたままあちこちふらふらしやがって全く。」
「仕事はちゃんとしたじゃんかー。せっかくここまで来たんだからさ。もう一つの仕事もね、しないとさ。ほら、俺ってプロ意識高いしー。」
軽口を叩くギズラードにジェイドは口をへの字に歪めるが、どれだけ冗談めかして言ってもこの男の仕事に対する意識の高さは本当なので、とりあえず否定せずに聞き流した。
それになんだかんだで長い付き合いだ。突然ふらっと出かけたかと思うと、いつの間にやらとんでもない情報を掴んでくるこの男の習性にはもう嫌というほど慣れてもいた。
運ばれてきた熱々の肉に目を輝かせかぶりつくと、感嘆の声が上がる。
「うっめー!肉やわらけー!やっぱ仕事の後の飯は旨いねぇ。」
上機嫌で頬張る。
幸せそうに飲み込んでから、ギズラードはジェイドとラパスに向かって言った。
「ちょっと面白いネタ仕入れたんだけどさ。聞きたい?」
「あ?なんだよ、俺たちの仕事に関係することか?」
こう見えて情報屋を名乗る彼はかなり口が堅い。
軽口ならジェイドが呆れるほど飛び出してくるくせに、掴んだネタを必要もないのに自分から語ることはしない男だ。
だから、ジェイドは少し意外そうに眉を上げた。
「いや、直接関わることじゃないけど。ほら、旦那が気にしてたあの城。」
「・・ファリスロイヤか?」
ピンと来て、ジェイドは丸めていた背を伸ばしてテーブルの方へ身を近づけた。
ラパスも少し前のめりになってギズラードの話を聞く姿勢をとった。
「ん、あの辺りでしばらく前に盗賊騒ぎがあったんだ。そこまでは知ってたけどその後音沙汰なかったからさ。どうなったのかと思って。被害も結構大きかったし。で、ちょっと情報仕入れにあちこち回ったんだけど、そしたらさ、出てきたんだよ名前が。」
「名前?」
「そ。あの、グレン公爵の名前がね。しかもそれが、ちょっと妙な話なんだ。」
- 因果は巡る風車 〜 風の向く方向 〜② ( No.179 )
- 日時: 2016/10/22 21:57
- 名前: 詩織 (ID: BYRZvQv9)
少し前、ルル湖付近にある鉱山の町で頻発していた盗賊騒ぎ。
貴重な鉱石は奪われ怪我人も続出。付近の街道を通る者たちも不安を募らせていた。
だが、ある時を境にその賊の集団はぱったりと姿を現さなくなったという。
そして一時期かなりの勢いで広がっていた騒ぎの噂もなぜか同じように途切れ、それに代わるように今度は別の噂で近隣の住民たちは盛り上がっているという。
「俺が前に仕入れてた情報だとさ、盗賊騒ぎはあの町のやつらにとってかなり深刻な問題だったはずなんだ。辺りの村にだってバンバン情報流れてきてさ。だけど最近じゃ噂もぱったり途絶えて、しかも結局その後どうなったのか誰に聞いても曖昧だった。」
「曖昧?」
ラパスが首を傾ける。
「そう。町のやつにそれとなく聞いても、もう大丈夫だとしか言わない。なーんか変だなと思ってさ。ま、ここからは俺のマル秘ルート情報なんだけど・・・どうやら箝口令、ひかれてるみたいだな。」
「箝口令・・誰にだ?」
「これは口外しないでくれよ、2人とも。」
身を寄せるように2人に近づくと、ギズラードは声を潜めて言った。
「例の、公爵様だよ。実際命令したのは町役人だけどな。あそこはグレン公爵家の領地だ。情報を手繰ってくと、どうやら命じたのはグレン公爵本人で間違いなさそうだな。」
さらに、とギズラードは小声で続ける。
「その後入れ替わるように出回ってる新しい噂ってのがさ。グレン公爵に関するものなんだよ、しかも公爵側に都合がいいような噂ばーっかり。人気取りみたいなやつさ。中にはホントかウソか物語並みにドラマチックな恋愛話なんかもあって、酒場でいい酒の肴になってるって。よりインパクトの強くて信憑性ある噂が流れりゃ、進展のない盗賊の噂なんかあっという間に薄れてくってわけだな。--- こりゃぁ裏で操作されてるね。」
「公爵がかぁ?町の噂を?」
眉を寄せて問うジェイドに、ちっちっと人差し指を左右に振って、ギズラードは訳知り顔で言った。
「人の噂をあなどっちゃいかんぜダンナ。尾ひれはつくしどこまで広がるか分かんねぇし、拡散したくない情報は早めに手を打たなきゃ一気に広がるよ。そういう時意図的に別の噂を流すのも常套手段。」
「もしかしてその公爵、その盗賊騒ぎになんか関わりがあったんすか?公になるとまずいような。」
ラパスが尋ねる。
「公爵自身かその関係者かまでは分からない。けど、実際盗賊被害にあった町のやつらには、見舞金として結構な額の金が支払われてる。もちろん公爵からね。」
「口止め料か?」
「だろうね。盗賊を捕まえる為の作戦云々とか都合良いこと言って情報を外部に漏らさないように通達を出す。その上で金を与える。」
「けどもともと盗賊の噂はもう流れてたんだろ?意味あんのか?」
「実際その後から盗賊は姿を消してるし、そもそも俺の情報じゃ、公爵側が押さえたかった情報ってのはどうやら盗賊そのものじゃないみたいだ。」
「どういうことっすか?」
「実は最後に盗賊騒ぎがあった日、現場に奴らを手助けする魔法使いが居たんだってさ。」
「魔法使い?」
何かに気づいたように顔をしかめるジェイドに、ギズは口の端を上げた。
「そう、魔法使い。黒いマントで姿は分からないけど、銀の髪と銀の瞳をしてたって。そいつのせいで鉱山の男たちはケガを負い、盗賊は姿をくらませた。そこからの口止め、情報操作・・・これをどうみる?」
ジェイドは黙ったままため息をついた。
グレン公爵の名と共に語られる魔法使いの名など、今のジェイドにはひとつしか浮かばない。しかも銀色の髪、瞳。もはや確定したようなものである。
「まさか、その盗賊騒ぎにクロドの奴も関わってたりするのか。」
ギズラードはニヤリと笑みを浮かべたまま言った。
「さすがダンナ。俺の仲間が確認した情報によると、あちこちの飲食店で公爵の噂ばら撒いてる奴らの中に、幾つか知った顔があったってよ。--- クロドの部下だ。間違いない。」
2人のやりとりを眺めていたラパスが困ったように口を挟んだ。
「えっと、どういうことっすか。クロドって、あの、商人の?確か隣国に行ったんじゃ・・。」
ギズラードはジェイドを見る。2人の視線を受けて、ジェイドは仕方なさそうに再びため息をつく。
「ギズ、頼む。」
「あいよ。」
ジェイドの様子から全てを察したギズラードは、以前ジェイドには伝えていたクロドとグレン公爵、そしてユサファ・ライドネルの関係についてラパスに語った。
ジェイドは迷っていた。だから、ラパスにも、アレンにさえもこのことは伝えていなかった。必要となるギリギリまで黙っていたかったのだ。
(シルファ・・。)
ラヴィン、ジェン、マリー、ラパス、アレン・・。大切な店の仲間の中に、最近加わったもう1人。
最初は緊張で固くなっていた彼が、日が経つにつれて笑顔が増えていくのをジェイドは微笑ましく思っていた。
素直で裏表のない、実力主義の魔法使い一家で育ったにしては優しすぎるくらいの少年を、ジェイドだけでなく皆が好きになっていた。
だからこそ、確証もなく余計な水を差したくないとジェイドは考えていた。
年頃なりに色々と悩んではいるようだが、できればこれから歩む彼の道を、身近な大人の1人として後ろで応援してやれたらいいと思っている。
だから。
(なに考えてんだ、ユサファ・ライドネルは。)
裏世界と繋がる武器商人に、きな臭い公爵。シルファは多分知らない。父親が、そんな奴らと手を組んでいるということを。だがもし『ライドネル家』として動くことがあれば、シルファも巻き込まれることは必須だろう。できれば、そうなって欲しくはないのだが。
「ダンナ?聞いてる?」
ギズラードの声にハッとする。
「あ、ああ。悪い。なんだって?」
「だからさ、俺も今別件の仕事で情報集めてて。グレン公爵についてもうちょい突っ込んだネタが欲しいなと。」
「だからなんだよ。俺はそんなネタ持ってねーぞ。」
「ダンナは持ってなくってもさ。ほら、いるじゃん、お得意様のお偉いさん方。」
ウォルズ商会はその専門性と質の高さで今や王都でも名うての商店である。
城にも出入りするし、貴族からの個人的な注文も請け負っている。
人の悪い笑みを浮かべてギズラードは笑った。
「こっちもいっちょ手を組んで情報交換しないかい。俺はこのままクロドと部下の情報を追う。ダンナはギリアに帰ったら得意先回ってグレン公爵の情報を集める。どう?」
ジェイドはふむ、と頷いて考える。
「情報はさ、多い方がいいよ、いざという時。」
酒のジョッキを手に取りながら、ギズラード言った。
「今回の動きがダンナたちに関わると決まったわけじゃない。こっちから関わらなければなにも起きないかもしれない。けどさ。クロドとは昔のことがあるから、俺は少し心配してるんだ。あいつは執念深い奴だし、ダンナの店を恨んでてもおかしくない。それに・・。」
酒をひとくち飲んで、口を拭う。
瞳は鋭くジェイドを捕らえながら。
「もし何かあった時・・・、あの子、切るつもりないんでしょ。」
『あの子』・・ライドネル家の少年を。
ジェイドはギズラードを睨んだ。
「当たり前だ。」
その答えに、ギズラードは笑みを浮かべる。いつもの飄々としたものと違った、柔らかい笑みだ。
「だったらさ。何が起きても守れるように、情報だけはもっとかなきゃね。」
「わーかったよ。その話乗った。手分けして情報集めようぜ。」
「よっしゃ!それでこそダンナ。」
ギズラードは破顔して、ジョッキを差し出した。
「もっかい乾杯!そんで宿に帰ったら、さっそく作戦会議だ。」
- 因果は巡る風車 〜 風の向く方向 〜③ ( No.180 )
- 日時: 2016/11/01 10:32
- 名前: 詩織 (ID: a4Z8mItP)
「はぁ〜〜あ。」
窓辺に腰かけていたラヴィンから、今日何度目か分からないため息が聞こえる。
窓枠に両腕を乗せて寄りかかり、なんとはなしに外を眺めていた。
「ラヴィン、そんなに暇ならこっち手伝ってくれよ。」
見かねたジェンが研究道具を並べた机をいじりながら、彼女に声をかけた。
「暇じゃないもん。これからアレンの手伝いに行くんだから。」
よっと掛け声を上げて椅子から立ち上がると、大きく伸びをして、つまらなさそうに言った。
「シルファ来ないね。あれからもう5日目だよ?」
「『まだ』5日だろ。あれだけ複雑そうな話だったんだ。そんなにすぐに対処できることじゃないんだろ。」
相変わらず手元を見つめたままのジェンが落ち着いた声で言う。
視線の先には完成間近の香料。原料になる花の澄んだ赤色と柔らかい香りがバランスよく調合されている。
部屋の空気はほのかに甘い。
「そうなんだけどさー。なんか落ち着かなくって。あーあ、叔父さんも早く帰ってくればいいのにぃ。」
「帰宅予定は今日だろ。午後には着くんじゃないか。ま、のんびり待ってろよ。」
「ん。焦れててもしょうがないよね。」
もう一度ため息交じりに言うと、気持ちを切り替えるように玄関へと向かった。
「じゃあ向こうの仕事行ってくるね。」
「ああ。気をつけてな。」
いつもと変わらない様子のジェンに見送られ、ラヴィンはアレンの元へと向かった。
「・・・これでよし、っと。」
ラヴィンは手元のメモ用紙にペンでチェックをいれながら頷く。
アレンから頼まれた配達は、今の家で最後だ。
紙とペンを肩にかけた鞄にしまい、帰り道に向かおうとして。
ふと、足を止めた。
(この道・・、確かシルファの家ってこの辺だったはず。)
実際に行ったことはなかったが、おおよその位置はシルファから聞いたことがある。
なかば無意識に歩き出していた。
通りを抜け、記憶を手繰りながらいくつかの角を曲がる。
中心街からさほど離れていないその場所に、目指す屋敷はあった。
「・・・でっか・・」
思わず呟いたラヴィンは目の前の景色に目を丸くする。
予想より、だいぶ大きな屋敷だった。
立派な門の奥には緑の前庭が広がっていて、気持ちよく整えられた植木には季節の花が色を添えている。
奥にそびえる建物は、貴族の屋敷にもなんら見劣りしない風格が漂っていて、さすが名門ライドネル家だと感嘆せざるを得ない。
(シルファ、こんなとこに住んでるんだ。)
会う時はいつもシルファが来てくれていたから、ラヴィンは初めて垣間見るシルファの暮らしになんだか新鮮な驚きを感じた。
(ずいぶん仲良くなれたと思ってたけど・・私、まだまだシルファについて知らないことがいっぱいあるんだ。)
正面から覗くのはなんだか気が引けたので、生垣の合間からそっと顔を出す。
外には人の姿は見えず、一体はとても静かだった。
昼間はそろって外で修練に励むこともあると聞いていたから少し期待していたのだが、日当たりのよい庭には誰の姿もなく、がっかりしたラヴィンはそのままそこを離れ帰り道に向かった。
(つまんないの。早く会えるといいのに。)
たった5日のはずなのに、なんだかもう随分と会っていないような気がする。
あの屋敷の中で、シルファは今何をして、何を考えているのだろう。
少し照れたように微笑む彼の顔を、早く見たいと思った。
***
「あれ、ラヴィンは?」
店の手伝いがひと段落し、今日はもう大丈夫ですよありがとうとアレンがくれたお菓子を貰って部屋に帰ったマリーは、ジェンだけがいる部屋をぐるりと見回して首を傾げた。
「ああ、アレンさんのお使いで出かけたよ。なんか用事あったか?」
机に向かいながらジェンが聞く。
「あ・・、ううん。大丈夫。それよりおやつに甘いものもらったから休憩にしたら?お茶いれるよ。」
「あー悪い。今ちょっと手が離せなくて。お前先食べてな、俺もあとでもらうから。」
「ん、じゃあ私もいいや。あとで一緒に食べる。」
ジェンは分かったと軽く返事をするとまた目の前の作業に集中し始めた。
部屋の中にはカチャカチャと器具のぶつかり合う音とペンが走る音だけが響いている。
マリーは彼の広い背中を見つめた。
本当は、ラヴィンを誘って図書館に行こうと思っていたのだ。
あの坑道でシルファから自分の持つ魔法の力について話を聞いて、ずっと気になっていた。魔法、魔力。自分にできること。
シルファは今忙しいのだろうから。まめな彼がこの5日なんの連絡も寄こさないのだ。自分の相手をしている暇などないはず。そう思って、まずは自分で出来ることをしてみようと考えた。
王都図書館に行けば、きっと魔法についての資料もたくさんある。
今までは過去の事情や人込みへの恐怖心で1人で外出したことはなかったし、図書館もジェンやラヴィンと一緒にしか行ったことはなかったから、本当は今日も一緒に行きたかったのだけど。
(大丈夫。1人でもいけるわ。・・・邪魔なんてしたくないもの。)
------ 『君は、なりたいものになれるんだよ。楽しみだね、これから。』
そう言って笑ったシルファ。
強くなりたい。早く大きくなりたい。
お荷物じゃなくジェンの役に立てるような、彼を支えられるような存在に。早く、早く。
真剣に仕事に向かうジェンの後ろ姿を眺めて、心の中で決意する。
(ジェン…。私はあなたの隣に、並んで立ちたい。手を引かれて歩くだけじゃイヤ。守られるだけじゃいやなのよ。)
自分の中から想いが溢れる。
(あなたを、守れるようになりたい。)
「ん?どうかしたのか?」
視線に気づいたのか、ふとジェンが振り返った。
心の声を聴かれたようなタイミングの良さに、マリーの心臓がどきんと鳴った。顔には出さないように、ぐっと堪える。
「マリー?」
窓から降り注ぐ陽射しが、2人の間を照らす。
床には、飾られた花の影。
マリーは笑って首を横に振った。
「ううん。なんでもない。」
「そうか?何かあったなら聞くぞ?」
「大丈夫だって。ジェンは仕事に集中して。あのお菓子は夜にでも食べましょ。」
そう言って部屋を出て行こうとする。
なんとなく、ジェンはその姿を見送る。
「あ、ジェン。」
部屋の入口をくぐろうとして、マリーが振り返る。
「お仕事、がんばってね。」
柔らかな笑みを浮かべて、ジェンを見ている。
春のひだまりの中、光を浴びた柔らかい髪がきらきらとして綺麗だ。
「ああ、ありがとな。」
ジェンが答えると、満足そうに出て行った。
1人になった静かな部屋。
「・・・うし、やるかー。」
誰とはなしに呟いて、ジェンは一度大きく伸びをして机に向き直ると、再び仕事の世界に没頭し始めた。