コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

最終章 おわりとはじまりの物語 〜光の歌〜 ( No.215 )
日時: 2018/08/04 12:39
名前: 詩織 (ID: RSw5RuTO)

最終章 おわりとはじまりの物語
〜 光の歌 〜



ルル湖の周りに駆け付けたラヴィンとシルファも、満身創痍のライドネル家やウォルズ商会の面々も。
遠く離れた場所に避難した村人たちや、この地を去ろうと足を進めるクロドたちでさえ、みな空を見上げたまま息をのんだ。
湖のちょうど真ん中、灰色の雲に覆われた昏い空と湖面の間に浮かぶ光。
その中心にあるのは、——光の粒子をまとい揺らめくリーメイルの姿だった。
「……歌、が」
誰かが呟く。
聖女の姿から目が離せないままの彼らの耳に、女性の歌声が聴こえる。
空から降るような歌声は限りなく透明で、何にも遮られることなく聞く者の心に入り込む。
「リーメイルが歌ってるんだ……」
ラヴィンの口から、かすれた声が漏れた。


リーメイルは、閉じていた瞼をゆっくりと上げる。
魔力のうねりと風の悲鳴が渦をまいている。
重い空気に逆らうように、両手を空へと差し出した。
全身から声を響かせ歌う。女神の歌、言祝ぎの歌を。
歌う彼女の眼前で、空気が陽炎のように歪んだ。
リーメイルは歌い続ける。
そして陽炎はゆっくりと変化し、次第に人の形を作っていった。
(ああ)
リーメイルが小さく微笑みを浮かべる。
(久しぶりね。——リアン)
名前を呼ばれた人影は……リアン・クロウド・ファリスの姿をしていた。

黙ったまま、唇を噛みしめているかつての幼馴染を、リーメイルは優しいまなざしで見つめた。
分かってしまったから。ひとつの魔力になって、長い間眠っていたから。
彼の、『ほんとうの』気持ち、が。
(大丈夫よ、リアン)
怖がらないで。大丈夫。
もうすべて、終わったのだから。

”リーメイル”
リアンの形をした陽炎の、口元が動いた。
オリーブ色の瞳を、紅い瞳が見つめ返す。
どこまでも強く優しい紅色に、リアンの表情が歪んだ。

”僕は間違えたのだろうか?”
「何が間違いで何が正しいのかなんて、私たちには分からないわ。今更それを裁くことにも意味はない」
魂が会話する間も、リーメイルの歌声が止むことはない。

”力を手に入れたら、楽になれると思ったのに”
いつも苦しかった。悲しかった。——愛してくれた母を亡くしてから。
厳しい父。孤独。
きっと助けてくれると信じた女神は母を助けてはくれなかった。
信じた分だけ、襲う絶望。
何も信じられなくなった。
大切な友人だと思っていた相手さえ、嘘つきだった。彼らの女神は自分を見捨てた。
全部壊してしまえば、つきまとう苦しみが恨みが憎しみが消えると思った。
それなのに。
”消えないんだ、ずっと”
痛みは痛みのままで、苦しみは苦しみのままだった。
”全部壊して消してしまえば、居もしない女神なんかより強い力を手に入れられれば、この感覚も消えるのだと思っていたのに”
悲しみ、怒り、憎しみ、狂気。

「リアン、あなたは……本当は何が欲しかったの」

沈黙ののち。
視線を落としたリアンは微かに呟く。

”……よく分からない。ただ……幸せになりたかった。笑いたかった。笑いかけて欲しかった。誰かに助けて欲しかった。
——愛されたかった。”
でも、どうしたら救われるのか、いくら考えても分からなかった。

リーメイルはリアンに近づくと、その魂をそっと抱きしめる。
「ねぇリアン。何が正しかったのか、間違えたのか、私たちには分からない。でももう十分よ。あなたも、皆も、たくさん傷ついて苦しんできた。闇の中で、もがいて、苦しんで、それでも最期まで懸命に生きた」
リアンの頬を両手で包んで、柔らかく微笑む。
「あなたはちゃんと、最期まで生きたのよ、リアン。そして、ちゃんと愛されていたし、今も愛されているわ。ここから解放されて、還りましょう—— 一緒に」

ゆるゆると、リアンの瞼が上がる。
そのオリーブ色の瞳に、愛と光を称えた笑顔が、幼かった彼が愛した少女の花の咲くような笑顔が映っている。
「また、みんなで一緒に笑いましょうよ」
あの頃いつも自分に向けられていた、掛け値なしの笑顔。


ああ、なんだ。
こんなところにあったのか。

リアンの強ばった心から力が抜けていく。
頑なで強固な結び目が、溶けるようにほどけていく。
失くしたと思っていた。僕が笑える場所も、愛する場所も、ずっとここにあったのか。

”まだ、大丈夫かな”
リーメイルの頬を両手で包かえしながら、リアンはその瞳を覗き込む。
久しぶりに見る、穏やかな表情の自分がいた。
”僕も、一緒にいけるのかな”
”当たり前じゃない。ずっと一緒よ、私たち”
ふふ、と楽し気な声でささやくリーメイルに、全身が愛しさでいっぱいになる。
リアンは、幸福だった。

”いろいろと済まなかった、リーメイル。……ありがとう”

リアンの姿が、淡い光に包まれる。
「すべて終わったら、私もすぐにいくから」
晴れやかな笑顔を浮かべ、解放されたリアンは風に溶けた。

はじまりの物語 ( No.216 )
日時: 2019/04/30 21:01
名前: 詩織 (ID: 7JU8JzHD)

風が吹き上げる。
渦巻く空に吸い上げられるような流れのなか、
目の前の光景に、ユサファは目を見開く。
思わず呼吸を忘れた。

向こうが透けて見えるほど薄い光の粒子。
それでも見間違いようのないその顔立ち、瞳、舞い上がるのは銀色の——。
「……あなた、は……」
波打つ野原の中で、柔らかな笑みを湛えてこちらを見ている『彼』を、ユサファはじっと見つめた。
「ああ」
間違いない。
姿など知らないはずなのに、本能が告げる。
祖父が、自分たち兄弟が、ずっとずっと待ち焦がれた瞬間だ。
気付けば一筋、温かいものが頬を伝っていた。
「やっとお会いできましたね」
背中から静かに声がかけられた。リュイだ。長男として、次期当主として、唯一ユサファの胸中を知っていた息子である。
「ああ」
振り返らずにユサファは呟いた。自分でも驚くほど、穏やかな声がでた。
あんな手を使ってでも望みを叶えようとした父親を責めるでもなく、自分に寄り添おうとしてくれる息子に、ユサファは感謝した。

幻想の風に銀髪をなびかせながら佇んでいた『彼』の顔が、くしゃ、と笑み崩れた。
兄のもとへ行かせてくれて。
一族を守ってくれて。
ここまで、逢いに来てくれて。

『ありがとう』

音にはならない声なき声はその場にいたライドネル家の者すべてに届き、隠されていたすべてを伝えた。
(やっと、終わったな)
はるか遠くから運んできた大きな荷物を届けるべき場所に納められたというような、寂寥感とも達成感ともひとことでは言い表せない感情とともにユサファは空を見上げていた。



「ジェン、これって……」
湖のほとりまでやって来ていたマリーは息を飲み、繋いだジェンの手を強く握る。
「あの赤い花……?」
リーメイルの歌声に合わせて、ルル湖の周りの野には赤い花の幻想が浮かび上がっていた。
咲き誇る赤い花弁が、現実の風に合わせてさわさわと揺れる。
リーメイルが好きだったあの、赤。
一面を美しく彩っている。まるで、祝福するかのように。
歌声が一層高くなった。

はじまりの物語 最終章 おわりとはじまりの物語 ( No.217 )
日時: 2019/06/20 15:01
名前: 詩織 (ID: sNU/fhM0)

ごうと空が唸り、重く立ちこめた雲が中心から渦巻くようにうねる。
リーメイルから光がほとばしる。
うねりは大きくなり、雲の隙間から幾筋もの光のはしごが降りてくる。
次の瞬間。
光は輝きをいっそう強め視界を埋め尽くし、ラヴィンは思わず腕で目をかばった。
「シルファ?!」
隣に立っていたシルファが突然座りこんだため、ラヴィンは慌ててそばにしゃがむと、光をよけながらその顔をのぞき込んむ。
「大丈夫シルファ! どうしたの?」
「・・・・・・魔力の圧、が」
「え?」

消えた。

かすれたようなつぶやきと同時に、あれほど強く世界を支配していた光が視界から消え去った。反射した夏の日差しのように、煌めいて飛散した。
何が起こったかわからず困惑するラヴィンの背後、バタバタと音がして振り返れば、あちこちで同じように膝をつく魔法使いたちの姿があった。皆一様に呆けた様子で今までリーメイルがいた場所ーー雲は消え去り、高く抜けるように広がる青空ーーを見上げている。
嘘のような静けさが漂う中、ラヴィンはハッとして声を上げた。
「圧が消えたって・・・・・・魔法が解けたってこと? え、じゃあリーメイルは? トーヤは? どうなったの」
魔法使いたちは一様に動けないまま、茫洋とした表情で空を見つめるだけ。
答えはない。
まさか。
「このままお別れってこと・・・・・・?」
トーヤは、ちゃんとリーメイルに会えたのだろうか。
魔法は解けたというけれど、リーメイルは解放されたのだろうか?
自分には何もわからないままなのに。
『大丈夫だ、ラヴィン』
風に乗って、低く落ち着いた声が届いた。
「トーヤ!」
かすかなその声は、確かに彼のものだった。
必死にあたりを見回すラヴィンの服の裾をシルファが引いた。
「ラヴィン、こっち」
ラヴィンがシルファの視線をたどるとそこには、向こうの景色が透けて見えるほどうっすらとした人影がふたつある。
「トーヤ」
安堵の声をもらすラヴィンの呼びかけに、
トーヤは微笑みを浮かべる。彼の隣には、寄り添うように立つ女性がいた。地下の隠れ家で見た肖像画を思い出す。聖女、リーメイル。その表情は穏やかで満ち足りていて、紅い瞳は清々しい輝きを放っていた。
描かれた姿よりずっときれいで、ずっとずっと、幸せそうに微笑んでいる。
『ありがとう』
トーヤが言う。声と言うよりも、音だ。耳からではなく身体全体に直接響いてくるから、言葉を超えた彼の感情そのものが伝わってきて共鳴する。
『すべて終わった。歪んだ魔法の力は、すべて世界に還った。お前たちのおかげだ』
常に滲んでいた憂いは消え去り、晴れ晴れとした面持ちだった。
その腕はしっかりと、リーメイルを抱きしめている。
「良かったね、彼女と再会できて」
世界ももちろん大切だけれど、今目の前の二人から溢れる幸福感がラヴィンは何よりも嬉しい。
照れくさそうに、けれど素直にうなずくトーヤに、リーメイルがクスリと笑った。
『良かったねトーヤ。会いたかったでしょう? 私に』
トーヤは顔をしかめてみせようとしたが、結局、仕方ないなというように笑った。
長い長い別離を経ても、二人の間は変わらない。
リーメイルが声を上げて笑う。
空気がぱあっと華やぐ。
(わあ、このひと、すごく可愛い)
綺麗で強くて、確かに女神みたいにもみえる人だけれど、くすぐったそうな顔でころころと笑う姿は間違いなく人間で、自分たちと変わらない一人の女性だ。
何も変わらない、一人の優しい女の子なんだ。
ラヴィンはゆっくり立ち上がると、まぶしげに目を細めて二人を見上げているシルファに手を差し出した。シルファも同じような気持ちでいるような気がする。伸ばしたてのひらを、シルファの大きくて見た目よりもがっしりとした手がつかんだ。
つないだ手は暖かかった。

『あなたが、魔法の力を分けてくれたのね』
つ、と動いたリーメイルの視線の先、同じように手を携えたマリーとジェンが近づいてきた
ゆっくりと歩み出て神妙な顔
で自分を見上げるマリーに、リーメイルはふわりとしゃがみ込むと、まだあどけない水色の瞳に目線を合わせる。
『はじめまして。あなたはラト族の子よね』
「知ってるの?」
『ええ』
うなずいて、そっとマリーの頭をなでる。優しい手つきだ。経験はないけれど、母から受ける愛情というのはこん
な感じなのだろうか。心地よい。
言葉はないけれど、リーメイルはすべてを知ってくれているんだとマリーには分かった。
唇をきゅっと結ぶ。
これまでの人生を、生き方を、ねぎらい認めてもらえた気がして、どうしてか泣きたい気持ちが生まれた。
リーメイルは微笑んでいる。
彼女の纏う空気は安らかで、例えるなら癒やしとか浄化とか、そんな風に強ばった心を溶かしてくれる。そう、優しい春の日差しのようだ。
『その姿と力のせいで悲しい思いをたくさんしてきたのでしょう』
「うん」
マリーは正直に答えた。
『私はあなたの力に救われたわ。トーヤも、この地自体もね。大きすぎる力
は諸刃の剣だから、今まであなた自身もたくさん傷ついてきたでしょう。でも私には分かるの。あなたなら必ず、その力を自分のものにすることができる。ちゃんと、力をあなたの味方につけることができる。だから、お願い。どんなときも、あなたはあなたを大切にして。自分を価値のないものだとみて諦めてしまわないで。あなたは幸せになれる。絶対よ。だから、あなたとして生まれてきたあなたを嫌ったりしないでほしいの』
黙って聞いているマリーに、リーメイルがにっこりと微笑みかける。
『あなたが幸せでいることが、あなたの大切な人の幸せにつながるわ』


優しい手が肩に置かれ顔をあげると、いつも彼女を見守ってくれる彼の瞳がマリーを見下ろしていた。愛情深い、大好きな人。
「・・・・・・ジェン」
視線を合わせて小さくうなずくと、マリーはリーメイルを見た。
「分かったわ。約束する。私、ちゃんと自分を大事にするわ。まわりのみんなのことも幸せにするわ」
静かな決意を湛える少女に、過ぎ去った世界の巫女と戦士は慈しむような眼差しを向けた。
「わっ! え、ちょ、ラヴィン?」
後ろから思い切り抱きしめられて戸惑うマリーの耳元で、彼女の頭に額をつけたラヴィンはそっと告げた。大好きよ、と。
そんな少女たちの光景を、まわり
の人間たちも眩しげに眺めていた。

『さあ、お別れの時間だ』
トーヤの声と同時に、彼らの姿から急速に色が失われていく。瞬きをするような間に、ぼんやりとした光に包まれ、そのまま巻き上がる風にさらわれていく。
『ありがとう! ほんとうに』
『ありがとう』
出会えて、よかった。

二人の声が高らかに響き光が一瞬強くなる。
そうして__。

光は中心から外側へと散っていき、水に溶けるように消えていく。光も二人の笑みも空気に溶ける。
「花が!」
髪を煽られながら、マリーが叫んだ。幻想と現実、混ざり合う赤い花びらは風に舞い上がり、空に吸い込まれていく。
永遠のような、一瞬の幻のような。煌めく光と風、空。




いつしか風は止み、皆が顔をあげるとそこには、一点の陰りもない青空だけがどこまでも穏やかに広がっていた。