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Re: 星屑チョコレート【短編集】8/2更新 ( No.63 )
日時: 2015/08/02 09:22
名前: 蒼 ◆udrqXHSxjI (ID: A9wxTbZM)



【 人魚は星の上 】


 落とした雫は、満ちる月へと吸い込まれる。宙を彷徨う碧い瞳が、その様子を捉えていた。捉えていた、といっても何か感情が湧いている訳ではなく、ただ、あぶくになって去る雫と、燃える様に彼女の身体を包み込む月を眺めていたいだけだったが。

「ああ……。また塩辛くなったね」

 浜辺で仰向けになる彼女の下半身は1つに繋がっており、氷よりも低い温度のかけ布団を待っている。長く伸びた手の先で、細かいからか柔らかく感じる砂を抓み、月をバックにしてゆっくり風へ乗せた。決して強くはない風だが、一瞬にして砂を運んでしまう。まるで自分と彼みたいだな、と唇の端を上げてみせる彼女。

「約束だもの。忘れないわ、貴方がどれだけ否定しても。此処で待っている。けど、貴方は来なくて良い。だってね」

 貼られた笑みの後ろから現れる、崩れたはずの想いに、思わず彼女は顔を歪ませた。眉を寄せて、耐え切ろうとするのだが、月明かりが眩しく、瞬きをした瞬間、一筋の雫が流れ始める。上も下も向かずにいるので、スピードは遅く、顎まで到達するのに時間がかかった。到達し終えてから、砂の山に埋もれた手を伸ばす。後少しで、遠い月が掴まりそうだったが、掴む前に止めてしまう。


「……貴方を、愛しているから」





 眠気に襲われる。それはもう慣れっこな青年は、大きな欠伸を1つして、洗面台へ歩いた。足取りは今にも転びそうなくらいで、この家に他の者がいたら視力があるのか疑っているだろう。青年は鏡に映る自分の姿を数秒見つめた後「眠……」とまたも欠伸をした。
 寝起きの自分を見、昨日の夕食で残った材料を使い朝食の準備をする。食べ終わると、歯を磨き、片手で軽く寝癖を直してから、制服姿で外に出る彼は、変わらない日常をぼんやり黒ずんだ目で、乾き切った心で見ていた。そこに感情などはない。あるはずがない、青年は呟く。

「あんたがいない世界は、どうやら退屈みたいだね」

 自嘲的に微笑むと、床に放置されたスクールバッグを拾い、叩いて汚れを落とす。玄関で靴を履き、誰もいない家に向かって、発した。


「……行ってきます」





 空気は何時の間にか汚くなったんだと、青年はクーラーの効く教室で感じた。来たくもない。そう思っていた学校へ気が付いたらいるのは、彼女に言われたからだろうか。息を吐き出し、「呪われているよ」とだけ言って、腕の上に頭を乗せる。学ぶ為に来たのではなかった。前に立つ老人の言葉が右の耳から左の耳に抜ける。聞こうと思っても、無理なのだと改めて彼は思う。

「はっ、未練がましいねえ」

 窓際に座る青年の声は、端の席に届くはずもなく。ただただ、浮かんでは落ちた。





 毎日降りている駅より、4つ先の駅。そこで青年は降りた。特に深い理由は存在しなかったが、何となく此処で降りたいと思い、大通りまで行く。小石を蹴りながら歩いて約5分。焦げ茶の土から薄茶の砂に変化したのに気付き、顔を上げる。

「…………すご」

 言葉が奪われて上手く紡げない青年。靴を脱がず、何かに突き動かされて濡れる事も気にしないで奥へ奥へと入る。服を着たままの所為で、水の抵抗が大きく、日の光に肌色が透けた。水が腰よりも少し上になる程度の深さ。気温が高いとはいえ、口に含んだ温度はかなり低かった。それでも、青年は綺麗だと、素敵だと。水面が星明りみたく煌めいた。とても優しくて、失った彼女の笑顔が浮かぶ。


「行ける、かな」


 笑顔の先に。腕を振って、足を動かして、浜辺から遠退いて。海底にあった硬いものに躓き、顔から飛び込んだ。息があぶくになり掴めなくなる。苦しい、口元を両手で押さえ、酸素を吸おうと両足をバタつかせた。しかし、身長と同じくらいの深さ、水着でもない重い制服。——終わりか。彼は諦める様に両手を離した。同時に意識も手放して。





 強くぶつけた痛みで目覚めた。耳は水をたっぷり飲み込んだらしく、温まっている。起き上がろうとして、目覚めた時よりも酷い激痛が走り、それは青年が頭を押さえて横になるまで続いた。すると、彼の上から透き通った声が響く。

「馬鹿ね。自分から逝こうとするなんて」

 声の主は溜息を吐いて、上唇を微かに上げる。

「ほんと馬鹿」
 
 青年は重たい瞼を何とか持ち上げ、声のする方向を見た。薄暗い夜空に散らばる星々。橙色に燃えた月に照らされ見えたものは、水滴が付き地面まで伸び切った黒の髪と、神秘的なエメラルドグリーンの瞳を持つ、人魚だった。
 一瞬、自分の目を疑ってしまった彼だが、見た事のない美しい微笑を浮かべる彼女を人間だとは思えず、ああと納得する。人魚はそんな彼に「勝手に逝ってはだめよ?」と言って、痛みが増す頭をそっと撫でた。

「逝きたかったんじゃない」
「あら。溺れて死にかけていたのに?」
「……行きたかっただけだ。溺死しようと思っていない」
「ふーん」

 信じないとでも言いたげな彼女へ「助けてなど頼んだ憶えはない」と噛み付く青年。まだ感覚が鈍っている為、少しでも動けば痛みが生じるはず。だが、青年は人魚から顔を逸らして、背を向けた。

「素直じゃないのね」
「素直だ」

 他人に懐いていない大型犬の様に、冷たく言い放った彼に対し、繋がった下半身——人間でいう膝の部分を青年の頭を乗せる台にして、ゆっくり頭を下半身に乗せた。

「なっ」
「こうしておいた方が痛まないでしょ?」
「頼んでなど」
「頼まれたわよ」

「————ずっと前に、ね」

 憶えていないだろうけど、と付け足した彼女は、青年の瞼に手を当てて光を遮断する。「まだ眠っていなさい」という声を、彼は何故か懐かしい。そんな風に感じた。彼女に言われるまま、またも意識から離れて行く。隠した手の内側には、冷たい雫が溢れていた。





 彼の寝息を聞き、はあっと息を口から出す。相変わらず寝顔は変わらないなあ。彼女はそう思って、もう1度頭を撫でた。もう痛くはなくなったのか、安定した呼吸をしている。本当は彼女も気付いていた。彼女の方が早く気付いていた。それでも、その事を言わないでいたのは、運命を感じていたいと願ったからだろう。頭を撫でていた左手を閉ざした瞼へ持って来る。瞼の下に、黒い痣が出来ていたのも、知っていた。痣の近くが赤く腫れていたのも、知っていた。

「私ばっかりだよ。もう」

 先程彼に見せていた笑顔とは違う、前の顔で彼女は告げる。エメラルドグリーンに変わってしまった瞳の奥が、優しく彼を映した。


「良いんだよ。忘れたって。海に来なくたって。貴方の中に私がいなくなっても、怒らない。だからお願い。笑って」

 
 自然と目の縁が熱くなり、雫が彼の輪郭をなぞる。今ある時間を噛み締める様、声を上げて彼を抱き寄せた。時間の終わりを知りたくない、今だけは。彼女の腕にいる彼もまた、微笑んだ。





(さようならを言わなくちゃいけないね)

 きっともう、彼女は彼に逢わないんだろうなあと書きながら思いました。多分ですが、彼が海に来ても、見守っているだけだろうかと。こういう話を書きたいのに、中々書けない。タイトルは妹が付けてくれました! タイトルから話を考えるのって、結構大変なんですね((