コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

—— Short × Story —— ( No.2 )
日時: 2015/06/02 14:18
名前: 御子柴 ◆InzVIXj7Ds (ID: SnkfRJLh)





 私の愛する人は、ハチミツと珈琲の匂いがする。


 授業が終わり放課後のこと。私は帰らず、教室で“ある連絡”を待っていた。他に教室に残っていた数人の友達と他愛も無い話をしていると、ポケットからバイブ音がした。私は「ちょっとごめん」とその場から廊下へ行き、電話に出た。
 それは、望んでいない連絡だった。

『ごめんね、急に会議が入っちゃって……。だから、その、今日は……』
「あー、うん、……そっかぁ」

 電話口から聞こえたその言葉は、今日のデートを取り消すものだった。

 電話口の相手は年上の社会人の彼氏。一週間ほど前にデートに行くという約束をしていたのだ。
 今日という日を何日も前から楽しみにしていた私は、正直、一瞬泣きそうになった。けれどそんなワガママを、電話の向こうで申し訳なさそうに謝る彼に直接言えるわけもなく。
 私はひどく寒く感じる学校の廊下で、彼に気付かれないよう小さく深呼吸をした。

「しょうがないよ、お仕事だもんね!」
『本当にごめんね、埋め合わせは必ずするから』
「ありがとう! あんま無理しないでね! ほら年なんだから!」
『俺、まだ大丈夫だよ……』

 私のつんけんな態度と意地悪な言葉に、少しだけむくれて「やっぱり怒ってるんだ」と拗ねる彼。そんな彼が愛おしい。
 ああ、せめて電話が匂いだけでも届けてくれれば良いのに。あの、甘くて苦い、この人の香りを。

『じゃあ……、本当にごめんね』
「気にしなーいの! 友達と遊ぶよ。女子高生なんて誰かしら暇だしね」
『……分かってるとは思うけど』
「はーい、あまり遅くまで遊んじゃダメ、でしょ? 耳にタコだよ、おじーさん」

 私がそう、少しふざけた声で言ったその言葉の後に、ちょっとだけ揺れるノイズの音。ふ、と息を吐くように笑うのがこの人のクセ。彼がその笑い方をする時は、いつも甘い顔で私を甘やかす時だ。いつもの、こっちが恥ずかしくなるくらいに緩んだ顔の彼が私の脳裏を過ぎった。

 ……うぅ、会いたいなぁ。

『じゃあ、またね』
「うん、お仕事がんばってね!」

 ぷつん、と途切れた彼との繋がり。

 1分18秒。
 携帯電話の液晶画面には、短時間で私をこんなに暗い気持ちにさせた会話の、その短さを物語る文字が浮き上がっている。短いようで、長く感じた時間。
 暫くそのまま画面を見詰めていたけれど、その光がふわりと消えた瞬間、真っ暗になった画面を見た瞬間、待ち構えていた寂しさと悲しさが襲って来た。
 私は教室に居る、大きな声で笑い合いながら話している友達の背中へとダイブする為走り出した。

「えーちゃん! あそぼー!!」
「あれ? ななみこの後デートじゃなかった? また仕事って?」
「……うん。会議だってさ! なーんで大人って急に『会議しよう』とかなるんだろう」
「まぁ、仕事だからねえ」
「分かってるよー! 分かってるけどぉー!」

 頭では分かってるし、納得してる。仕方がない、って諦めとかそういうのではなく、恋人としてそう思ってる。だけど、だけど。

「あー会いたいなぁーー」
「頭では理解してるけど、体がおっつかないって、なんかそれ授業でバレーやった時も言ってたね」
「仕方ないじゃん! 不器用なの!」
「不器用な人間が年上の社会人と付き合おうとするから痛い目見るのよ、ばーか」
「えーちゃんのバカ! フラれて彼氏いないからって僻(ひが)んじゃって!」
「なにをー!!」

 そう言いながらも彼女はカバンを肩に掛け、私に「で、どこ行く?」と訊いてくれる。

「キャーえーちゃん大好きー! カラオケ行こ!」
「カラオケぇ? 好きだねアンタ歌うの」
「良いじゃん、ダメ? えーちゃんってカラオケ嫌い?」
「カラオケは嫌いじゃないけど、カラオケボックスのニオイが嫌い」
「あー、確かにタバコ臭いもんね」

 そこまで言って、私は気付く。ああ、そう言えば私はタバコのニオイが大嫌いだったなぁ、て。だけど、あの人の、少し甘いハチミツの香りがするタバコのそれは嫌いじゃないなぁ、て。よくよく考えてみれば、タバコと珈琲の匂いなんて“おじさん”の代名詞なのに。全然不快じゃないのはなんでなんだろう。

「……あー、ほんと寂しくなってきた」
「じゃあさっさと行こう」






( 続 ) >>003

—— Short × Story —— ( No.3 )
日時: 2015/06/01 21:30
名前: 御子柴 ◆InzVIXj7Ds (ID: SnkfRJLh)





 >>002




 そうして行ったカラオケボックスはやっぱりタバコ臭かった。

 私とえーちゃんは、暫くは歌も歌わずドアを開けっ放しにしてタバコ臭さを少しでも無くそうと、持ってた教科書で空気の入れ替えをしていた。途中通りすがりの店員さんにギョッとされたりしたけれど。
 私も沢山歌ったが、えーちゃんの完璧なまでの失恋ソングメドレーに、彼への溢れる愛しさを募らせている内に、遂に私は耐えられなくなった。

「あーダメだ! ちょっと行って来ます!」
「えっどこに」
「彼んとこ!」
「でも仕事なんでしょ?」
「もう帰ってるんじゃないかな!」

 見下ろした腕時計は午後7時前を指している。それに丁度フリータイムも終わる頃。

「ちょっと行ってごはん作って『ありがとうななみ、大好きだよ、ハート』ってなってイチャついてくる!」
「アンタの妄想ってバカな上に欲望に忠実過ぎて怖いのよね。よくこんなんと付き合えてるわ、社会人」

 そう言って呆れるえーちゃんと店の前で別れ、私は通い慣れた道を小走りで進む。彼の家は私の家よりも学校に近いので、十数分で見慣れた高層マンションへと到着した。
 渡してもらっているカギを使ってオートロックのロビーを抜け、五階まで上る。そして、行き着いた彼の部屋の前でドアにパスワードを打ち込んでいたら、ご近所さんらしきおばさまに微妙な顔で見られてしまった。

 ……まぁ、イイ年した未婚男性の部屋に制服姿の女の子が合い鍵使って入ろうとしてたら変に思うよね。

 それにへら、と笑い返してから私は彼の部屋へ入る。見慣れたシンプルな部屋の中にはうっすらとハチミツの匂いがして、どこかくすぐったい気持ちになった。カギを貰ってる訳だから部屋には勝手に入って良いって言われてるし、ここに来るのももう何十回目。勝手知ったる、なんて言わんばかりにソファに広げられたままだったシャツとネクタイをクローゼットに仕舞って、「失礼します」と手を合わせてから冷蔵庫を物色して夜ごはんのチャーハンを作った。

 見上げた時計は8時半過ぎを指しているから、彼もそろそろ帰ってくるだろう。
 因みに、私が悠々とこんな時間まで外出していられるのは既にお母さんに連絡したからで、更に言えば随分前に彼が家に挨拶に来たからである。がっちがちに緊張してギリギリまでタバコを吸いまくっていた様は、いつ思い出しても笑えてしまう。

 そうこうしている内に時計は9時を指し、更に暫くすると、大型のテレビを眺めていた私の耳に流れ込む、ドアの開く音。がちゃん、という音に嬉しくなった私は彼を迎えに玄関へと走り出す。

「おかえりなさっ……うっわぁ」

 迎え入れた愛しい恋人を見た瞬間、あろうことか思わず顔が引き攣り、声が漏れた。
 だって、あまりにも彼が草臥(くたび)れていたから。

「…………え、ななみ?」
「あー、ごめんね。ごはんだけ作るつもりで来たんだけど」
「……まさか、俺が帰るまでずっと待ってたの?」
「ううん。さっき来たとこだよ。それまでは遊んでたし。……大丈夫?」

 ふらふらしながら靴を脱ぐ姿に思わずそう問い掛ければ、「ん、まぁ……」とあまり大丈夫ではなさそうな返事が返ってくる。本当に大丈夫なのだろうか。どことなく目が窪んでるように見える。それに若干窶(やつ)れてないか。

「会議が長引いて……ごめんね、こんな遅くまで。親御さんには」
「あ、うん、大丈夫。ちゃんと連絡したし。うん、まぁでも、もう帰るよ」

 流石にこの状態のこの人をどうこう出来るほど私はバカでも勇者でもない。「ごはん食べて早く寝てね」とそう言ってから、彼と入れ違いに玄関へと足を進めた。

「送るよ」
「えっ、いーよいーよ、疲れてるでしょ? 家まで明るい道通って帰るし」
「そういうわけには——」
「……うん?」

 突然言葉を止めた彼を不審に思い、私はくるりと振り返る。そこには、何か考え込むように口元に手を当てる彼の姿。稀に見るほど難しい顔付きをしたその人は、その眉間に皺を寄せたまま呟いた。

「……今日、誰と会ってた?」
「へ? 誰って、べつに——」
「このタバコ、俺は吸わない」

 とん、と私が背にしていたドアに手を突き、目の前の彼は見たことないほどに目をギラつかせる。

 え、なに? なに怒ってんの? タバコ?

 ぐるぐると廻る頭の中でそこまで考えて、私はやっと合点した。

 あっなるほど、タバコ!

 彼は多分この、カラオケボックスで染み付いてしまった僅かなタバコのニオイを、私が誰か違う喫煙者と会っていたのだと勘違いしているのだろう。それなら話は早い。誤解は解けば良いのだ。

「あのね、違くて」

 だけど。
 誤解を解くために口を開きかけた私より、彼の行動の方が早かった。

「チェリー、か……中々渋いモノを吸うようだね」

 私の頭に口付けるように頬を寄せた彼が、すん、と空気を吸い込む。突然の接近に頬が熱くなるのを感じながら見上げた先には、普段の優しい姿とは似ても似つかないほどに荒々しい雰囲気を携えたその人。
 少し怖いけれど、でも。

「俺以外に、誰かと会ってるの?」

 そう言って私の首に唇を押し付けてくるその人からは、珈琲の香りがして。

「…………じゃあ、確かめてみる?」

 甘いハチミツだけじゃないこの人を見てみたくって。私は、ゆっくりと目を閉じた。




■ におい






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焼き立てのパンの香りが好きです。