コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: ハオのウィザード ( No.6 )
- 日時: 2015/12/28 17:36
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: cvsyGb8i)
【第一章:悪戦苦闘のプラットホーム】
「いっ……一体なんなのだよーっ! このヤロぉ〜〜〜〜、ふざくんなああ!!」
駅の自動改札機の前で赤みがかったショートボブを揺らして、少女がわめいていた。手には布に包まれた細長い棒状の物を持ち、駄々っ子のように手足をばたつかせて。
彼女の甲高い声は建物全体を揺るがすほどの騒音だった。が、周囲の人間はみな素知らぬ顔でその横を通り過ぎてゆく。
今はちょうど、帰宅ラッシュの時刻であった。サラリーマン風の男性も、学生も、OLのお姉さんも。皆が皆、まるで少女など存在しないようにふるまっていた。
しかし、
成宮 郁人(なるみや いくと)は違った。
彼の眼にはしっかりと、その赤みがかった髪色の少女が映っていた。
否、無視をしようにも無視出来なかったのだ。
(無視なんか……出来ないよなあ)
郁人は、自分が心優しき人間であることを自負していた。
電車に乗って二つ目の駅が郁人の自宅の最寄り駅だった。スムーズにいけばほんの数十分で自宅に着く距離であった。
そんな彼の帰宅後の計画は、「よっし。いつもより早めに家に着けそうだし、帰って早速一昨日買った新作ゲームでもしようっと。……そうだな。ついでに本屋に寄ってマンガの新刊チェックして、仮眠とってからゲームするか。今夜は徹夜だああ!」
希望と夢を存分に膨らませて、少年は帰路に着いた——しかし、そんな彼の計画は始まる前に終わりを告げようとしていた。
全ては「謎の少女」の「謎の行動」のせいである。
彼女の「謎の行動」とは、こうだ。
少女が鼻息荒く改札口にずんずんと進んで行く。目の前に迫る自動改札機。しかし当然のように切符を入れていないためバンッと勢いよく跳ね板が閉じ、「ピンポーン」という音が構内に虚しく響き渡る……しかし彼女は懲りずに改札口に突進していって、また「ピンポーン」とゲートが閉じて、それでもあきらめずに何度も繰り返し——。
「くるっちゃってるよーー!」
そう叫んだのは、少女であった。
「何なのだよこの機械は。
この羽織ちゃんは通してくれないっていうのかなっ。くるっちゃってるよ! くるっちゃってるよ、この機械はぁぁぁぁ!」
くるっちゃってんのはお前の頭だろー。と、すでに冷え切った心で傍から突っ込んだ郁人は、改札横の駅長室をちらりと覗き見て、駅員が不在であることを確認した。
どうやらこの時間帯は二階のプラットホームにいるようだった。
しかしここで駅員を呼びに行く余裕は無いなと郁人は考えた。その間にもこの少女の行動はエスカレートするだろうと少年は考えた。
そうこうしているうちに、少女は遂に改札を乗り越えるという、あまり固まってほしくない決心を固め自動改札機によじ登っていた。
(オイオイオイ、それはさすがにヤバいって! てか、普通に切符買えってオイっ!)
心の中でそう叫び倒した郁人は、「もうどうともなれよっ」と覚悟を決めて駆け出し、ギュッと目を瞑って駅構内に侵入しようとしている少女の脇を両腕でがっと抱え込んだ。
- Re: ハオのウィザード ( No.7 )
- 日時: 2015/12/28 17:49
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: cvsyGb8i)
不意をつかれた少女は、ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせて少年の顔を見つめた。床に布に包まれた棒状の物が転がった。
「えっと……あの、誰なのかな。突然抱きつかれても、 羽織、困るよ……」
「……えっ? あっ……、こ、これは違うってば、その……!」
郁人はそう言いながら慌てて少女から腕を離し、そのまま人差し指をびっと少女に突き出した。
「それはそれとして……っ、お前! なに、してたんだよ! 改札口でっ! 人様に、めっ、迷惑だぞ!」
「……めいわく? 羽織が?」
「自覚ないのかよ。……そう、お前が」
「どうして? 羽織はここを通りたかっただけだよ」
「どうしてじゃねーって! 通りたいんならそこの券売機で切符買えよ!」
「…………」
少女の表情は険しかった。それもそうだろう。突然見知らぬ男子生徒に背後から腕を掴まれ、あげく説教までされて——少女はこの少年を「痴漢」と一蹴できる立場にあった。
しかし少女はそれよりも聞きなれない単語にぱちぱちと大きな瞳を瞬かせていた。
「ケンバイキ……キップ……?」
まるで異国の言葉を初めて話すといったように。郁人の言葉をたどたどしく繰り返した。
「……えっと。それは何かな。新しい呪文か何か? それとも美味しいものかな」
「んなっ……!?」
少年はまたしても心の中で血が出るほど絶叫していた。同時に心がぴきりと凍てつく音を聞いた。
今どき……券売機や切符の存在を知らない人間がいるか——!?
「ケンバイキキップ。へええ。面白いね」
何が面白いのだろう。
「そっかそっか。いや〜、最近の世の中って変わってるね〜。ついさっきだって軒下のカゴの中に『これでもかっ!』ってリンゴが置いてあったからさ、一つだけ貰ったんだよぉ。そしたらその家の人が『こらーっ!』って追いかけてきてさあ。なんであんなに怒ってたんだろう」
「いや……それはお店の品物だったんじゃ……」
「あんなところに置かなきゃいいのにね」
……あれ、なんだか頭が痛くなってきたぞ。
「それでその後ね、その家の人が男の子を連れてはたまた追いかけてきたんだよ〜」
「男の子?」
「キミと同じカッコをした子だよ」
「……同じ学校の奴かな……?」
「まあキミほど貧相な顔はしてなかったけどね」
ほっとけ。
「そっちの人ほど厳つい顔でもなかったねえ」
「だからほっとけ! ……って。…………え?」
「オイ。こんなところで何をしているっ」
ガッと大きな手で肩を掴まれ、郁人は思わずビクリと体を震わせた。
暑くもないのに大量に流れ出る汗をそのままに、郁人はゆっくりと振り返った。
- Re: ハオのウィザード ( No.8 )
- 日時: 2015/12/29 23:48
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: QMJmjark)
警官だった。
しかも厳つい顔で郁人のことをじろじろ舐め回している。
わーい、これはもしかしなくてもヤバいことになってるよなーと、どこか冷めた自分が嘆く。
「近くで不審者が騒いでいるとの通報があったんだが。お前、その制服—— 猩々 学院高等部のものだな。ハイ、名前と住所は?」
いつの間にか 強面 の警官は手帳とペンを手に、尋問を始めていた。
「いやいやいや、僕じゃなくて彼女が不審者ですよ」と弁解しようとした郁人は隣を見て、思わず言葉に詰まっていた。
少女は人が窮地に立たされているというのに、やけにキラキラした瞳をこちらに向けていた。
「そーいえば羽織もキミの名前知らないな。どんな名前なのかな、ワクワク、ワクワク」だそうだ。
——これは、非常に危うい立場に追いやられている。というか、そもそもこの少女はなんなんだ。悪魔か。悪魔が僕を破滅へ導こうと地上に遣わした悪魔なのか! ……まあ、ある種『小悪魔』的な部分はあるよな……。
郁人は暴走する脳内を落ち着かせるために、ふうと息を吐いた。
落ち着け郁人。ここはもう、ああするしかない——!
ついに少年は、額に浮かぶ汗を拭って、一つの揺るぎない決心を固めた。
「——逃げよう!」
学生鞄を抱きかかえ、警官の脇を足早にすり抜けた。
「お巡りさん、こっちです」
数メートル走ったところで、郁人はドンっと壁に激突した——気がした。
正しくは前方からやってきた強靭な体格の警官にぶつかってしまったのだ。
少年の逃走劇は、始まってものの数秒で終わりを告げた。
- Re: ハオのウィザード ( No.9 )
- 日時: 2016/01/01 20:31
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: 02GKgGp/)
——なんでこんなに警官がうろついてんだ? 僕、そんな包囲されるようなことやった覚えなんてないぞ……。あれか。さっきのホールドがいけなかったのか。少女に触れたら法律違反なのかっ……!
郁人が愕然とした思いに打ちのめされていると、真正面からぶつかってしまった警官は「あ、ごめんよ」と一言、彼の脇をすり抜けていった。
「……ん、あれ?」
てっきり自分が警官にご厄介になると思っていた郁人はまさかの展開にただただ呆然とするしかなかった。
しばらくその場にぼーっと立ち尽くしていると、
「——郁人」
先ほど警官を呼びつけた男子生徒に声をかけられた。
郁人がはっと顔を上げると、そこには実の弟が立っていた。
「 光希 ……なんでこんなところに……?」
「郁人、改札口は向こうだぞ。それともなんだ。いきなり方向音痴にでもなったのか」
「ちがっ……!」
「なんてな」
「………………」
郁人は現状を説明しようとして、わめき叫んでもどうにもならないことが分かっていたので、二回ほど大きく深呼吸をすると、迷惑そうに眉をしかめている光希に向き合った。
「そういう光希の方こそ、……なに、やってんだよ」
「万引き犯がこの近辺にいるらしい。さっき店のおばさんに一緒に探してくれと泣きつかれた」
「……はあ……」
「赤みがかったショートボブに、見るからに怪しい棒状の物体を携帯している少女だ。心当たりはないか?」
「…………え」
間違いない。奴だ。
世界中どこを探しても、その二つの特徴にぴったり当てはまるのはあの少女しかいないだろうと郁人は深く深くうなずいた。
しかし、ここで知っていると断言してもいいのか、と郁人は考えた。
もし間違っていたとしたら、無実の罪に問われてしまう可能性だってあるのだ。
「でも……僕は知っている……。知っているんだあああああ!」
決心を固め、郁人は勢いよく顔を上げた。
しかしすでにその場に弟の姿は、なかった。
「……ってあれ。光希……?」
郁人はきょろきょろと辺りを見まわした。
その時だった。
「だぁれが万引き女なのかなぁぁぁぁ!? 羽織ちゃんは羽織って言うんだよおお!」
改札口の方から、聞きなれた甲高い声がした。
- Re: ハオのウィザード【12.30更新】 ( No.10 )
- 日時: 2016/01/01 20:39
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: 02GKgGp/)
嫌な予感がしてそちらに向かうと、改札口の周りには二重にも三重にも人だかりができていた。
どうやらその中心に、先ほど叫び声を上げた人物はいるらしい。
郁人は、ヤジが飛び交う人ごみの中を「すみません。すみません」と断りながら進んでいき、ぷはっと顔を出すと、そこにはやはりあのヘンな少女と、警官を二人ほど後ろに従えた光希の姿を見つけた。
二人は対峙していた。
どうしたものか。
うろたえる郁人をよそに、少年少女の緊迫した会話が続く。
「万引き女に万引き女と言って、何が悪い」
「だぁから、どーしたもこーしたも、羽織は羽織なんだよっ! なんで万引き女呼ばわりされなくっちゃいけないのかなっ!?」
「あんたが万引きしたからだ。しかも白昼堂々と。万引きは立派な犯罪だぞ」
「……ハンザイ?」
「ああ、そうだ」
少女はキュッと眉を寄せると、そのまま『こめかみ』に人差し指をあてがった。
「むーん。そんな覚えなんか無いんだけどなあー」
「犯罪者は皆そう言う。あんたがいい例だ」
「じゃあ逆に聞くけどねえ。道端にポーンっとリンゴが置いてあったら、君ならどうする? しかも、と〜〜ってもお腹が空いてるとき。……食べちゃうでしょ? こう、パクッて」
「あいにく、俺はあんたとは違う人種のようだ」
「人類、皆家族だというでしょう!」
「意味が分からない」
「つまりだよっ!」
キュキュッと靴を鳴らして華麗なターンを決めた少女に、野次馬たちは口々に「ブラボー!」と、叫ぶ。
なんのこっちゃ、と郁人は小さくつぶやいた。
「食物連鎖! これ、自然界のオキテなのであ〜る!」
「……何が言いたいのか、さっぱりわからない」
「だから簡潔に述べると、だね。『羽織はリンゴを食べたけど、万引きはしていない』と。まあ、そういうことなのだよ」
少女が名探偵よろしく人差し指をぴっと立ててそう言うと、野次馬たちの間から「さっすが羽織ちゃーん!」という声があがった。こんな短時間でファンを作るなんて、この少女はいったい何者なんだと、郁人を含め、通りがかりの他の女性のたちは冷め切った視線で一連の騒動を眺めていた。
「つまり、自己中心的な女だ、と」
光希はこくりと頷いた。
「————お巡りさん。そういうことなので、連れていってください」
「だ〜か〜〜らあ〜〜っ!」
だんだんと地団太を踏む少女に、光希は決定的な一言を放つ。
「あんたが何を言おうと、こちらには目撃者がいる。そして俺もそのうちの一人だ」
「むう〜〜……」
「諦めるんだな。あんたは犯罪者だ」
思いっきり頬を膨らませている少女に、光希はくるりと背を向けた。入れ替わりで警官が二人、少女に近づいてゆく。
「さ、お嬢ちゃん。名前と住所を……」
「ヤダ」
「けどねえ」と諭すように警官が話しかけると、少女はそれまで大人しく手に持っていた棒状の物体をいきなり突き出した。
まとっていた布がはらりととれ、まるで魔法使いが当然のように携帯している杖のような、節くれだった木の棒が姿を現した。杖の先端にはテニスボール大のガラス玉が虹色に輝いている。
「なっ、何を……?」
突然の出来事に、うろたえることしか出来ないでいる警官を見て、少女はニッと微笑んだ。
野次馬がざわりと波のように動く。
郁人と光希もこれから起こる事象に、身構えることしかできないでいた。
「さてっ——と」
少女はそう言って、深く息を吸った。
そうして杖を握りなおすと、舌先で唇を濡らしてつぶやいた。
「【汝と此方の契約に誓い、真の名のもとに請う。ルクス——我の姿形を霞と化せ!】」
呪文のような言葉の羅列に人々が呆気にとられる中で、少女を中心にぶわっと風が巻き上がった。続いてガラス玉から目がつぶれるほどのまばゆい光が弾け飛んだ。
人々は反射的に手や腕で顔を覆い、しばらくしてから目を開けたとき、そこにあったはずの少女の姿が忽然と消えていた。
「————!?」
郁人と光希は思わず顔を見合わせ、それからすぐに周囲を見渡した。
しかし、どこを捜しても少女の姿はなかった。
「だから消えたんですよ、目の前で、少女が!」とトランシーバーに向かってわめく警官の声が耳に響き、いつまでも反響していた。
- Re: ハオのウィザード【あけましておめでとうございます】 ( No.11 )
- 日時: 2016/01/02 12:25
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: ctVO2o7q)
二人が呆然と立ちつくしていると、警官がすぐそばまでやってきた。
「すまないが、君たちもあの少女を捜すのに協力してくれないかな」
もう一人の警官は、トランシーバーで応援を頼んでいるようであった。
郁人は間髪入れずに答えていた。
「もちろんです! 弟の光希もやる気まんまんです!」
「……俺は何も言ってない……」
「捜しに行くぞ! 本人に会って、確かめるんだ。色々気になるだろ!」
郁人は不服そうな顔の光希の腕をがっしり掴むと、そのまま人ごみをかき分け、構内を猛然と走り始めた。
駅構内を歩いている人々がぎょっとなって立ち止まる。途中で忙しそうな会社員にぶつかり、書類を派手にぶちまけてしまったが、郁人はそれでも走り続けた。郁人に腕を掴まれ引きずられるようにして走っていた光希が、兄の代わりに心の中で謝罪の言葉を唱えておいた。
しばらく走って息が切れてきたところで、仏頂面のまま走っていた光希が突然立ち止まった。
当然、腕を掴んでいた郁人も仰け反るようにして立ち止まった。靴が床とこすれて、キキーッとブレーキ音を立てた。
「はぁっ……はぁっ……。んだよ、光希。僕はあの謎の女の子を……」
弾む息を整えながら郁人がそういうと、同じスピードで走っていたはずなのに汗一つかいていない光希が「郁人」と言った。
「あの万引き女がどこにいるのか、心当たりがあるのか」
「ないっ」
きっぱりと言い張ると、光希の顔が険しくなった。
「無いけど……でも、とりあえず捜さないとさ。ほら、お巡りさんとも約束しちゃったし」
「だったらこのまま走り回ってても無駄に体力を消耗するだけじゃないのか」
「ん? なんでだよ」
「闇雲に探し回るのは効率が悪い。家に帰った方が良いと、俺は思う……けど」
「でもあれだぞ、光希。さっきも言ったけど、お巡りさんにも見つけるって言っちゃったしさ。それに……やっぱりアレだ! 最終的には、男のプライドだね!」
汗を飛ばしながらも、元気いっぱいに言う。
がしかし、郁人のこの自信に満ち溢れたセリフは、
「くだらない」
光希の言葉に一蹴された。
「早く帰ろう」
「………………」
帰宅するために一度離れた改札口へ向かう光希のあとを大人しく追いながらも、郁人の顔は腑に落ちない様子だった。
なんだかすっきりしないと頭を振り、顔を上げたところで、郁人は思わず声を上げていた。自分の前を行く光希を呼び止める。
「なんだ」
ものすごく不機嫌そうに光希が振り向く。
郁人はぱくぱくと口を動かし、もう人がまばらになっている改札口の辺りを指差した。
「あ、あれ……。光希。あれ……」
言われるがまま、光希も改札口を見て、
「————万引き女だ」
赤みがかったショートボブを揺らし、改札前で右往左往しているひとりの少女を見つけた。
- 参照100ありがとうございます!(*^^*)! ( No.12 )
- 日時: 2016/01/02 15:07
- 名前: 明鈴 ◆kFPwraB4aw (ID: jJ9F5GeG)
二人がじいっと見つめていると、少女はその視線を感じ取ったのか、びたっと立ち止り、キョロキョロと辺りを見回し始めた。
そうしてそれが郁人と光希のものだと気づくと、ダダダダと、ものすごい勢いで向かってきた。
「え……」
まさか——。
郁人にとって、少女の行動は予想外の行動であった。
思わずたじろぐ郁人の隣で、光希はハアとため息をついていた。
「あ、えーっとお……」
「キミはあのときのキミぃ——ッ!!」
笑顔で飛びついてきた少女をどうするか——考えるより先に、郁人は全身で受けとめていた。
そのとき反動でガツンと床に頭を打ち付けてしまったが、少女はそんなことなど気に留める様子はなく、彼の両肩を掴んでガクガク揺さぶりながら、喜ばしい運命の再会につかの間浸っていた。
「……ン。じゃあ帰るから」
光希はその傍らでため息交じりにつぶやくと、早々に立ち去るべくきびすを返した。
郁人が慌てて叫ぶ。
「ちょっと待て、光希ッ! お前、万引きがどうとかは、もうどうでもよいのかよっ!」
「ああ……」
相変わらずガンガンと床に頭を打ちつけられている郁人をしばし見つめ、光希はうなずいた。
「そうだな」
「でもっ、だって、さっき警官二人をひきつれて言ってたアレは……!」
「あのときはそういう立場にいたからね。今は警官もおばさんもいない。よって俺は赤の他人だ」
「どーいう意味だそれーっ!」
ガンガン。
「そのままの意味だ」
「善人ぶって裏の顔はそれかーっ! 光希ぃ——!」
ガンガン——
そこで、少女は郁人を揺さぶるのをやめた。
郁人は後頭部をさすりながら、思わず目の前の少女の顔を凝視していた。
「ねえ、キミ」
「は……い?」
「名前はなんなのかな。そういえばまだ聞いてなかったや。名前」
先ほどの郁人と光希の会話は一切聞こえていなかったのか。それは満面の笑みを浮かべて、少女は郁人に尋ねた。
郁人は後頭部をさすっていた手をとめると、
「あ……僕は 成宮 郁人、だけど」
「いくと、くん! わあ——ッ。いい名前だねえ——!」
そんなふうに盛り上がられても、返答に困る。
ははは、とひきつった笑みを返した郁人に、少女は大きくうなずくと、瞬間、ギッと光希を睨み据えた。
「なんだ万引き女」
それに動じもせずに光希が言うと、少女は無言で立ち上がった。
郁人は呆気にとられて彼女を見上げ——少女はそのままつかつかと光希との距離を縮めていく。
「ねえ、キミ」
そう言った少女は、すでに光希の鼻の先にいた。
「キミは誰で、郁人くんとどういうご関係、なのかな」
「なんでそんなことを聞くんだ」
「キミは羽織の質問に答えてくれればそれでいいんだよ。ね。キミは郁人くんの、なんなのかな」
「………………」
ずずいっと少女が光希に顔を突き出し、それを傍らで見守っていた郁人の心臓は鳴りっぱなしであった。
——この雰囲気はヤバい。
郁人はそう思ったが、思っただけで、そこへ介入しようにもその場から動けないでいた。
それほどまでに、嫌な緊張感に包まれていたのである。
「……俺は 成宮 光希 。成宮 郁人は、俺の兄だ」
光希の言葉に、少女の目がくるんと反転した。
刹那、バッと光希の肩を掴み、少女は目の前の顔を食い入るように見つめた。
「なんだ」
「…………似てない」
ぽつりと吐き出された言葉は、郁人の心に凶器のごとく刺さった。
確かに、十七年間生きてきて、弟とそっくりだと言われたことは一度もなかった。
それでも——やはり正面切って言われると、こうも辛いものが込み上げてくるんだな。
そうつぶやいて、郁人は人知れず涙をのんだ。
「そうか。そんなに似てないか。俺と郁人は」
「そりゃあね」
光希の言葉にうなずくと、少女は肩から手を離して指を折っていく。
「顔は似てないし、オーラも違うし、言葉遣いも違うし、性格も真逆! 真逆の真逆!」
「真逆の真逆は、同じじゃないか」
「なによおっ! 強調しただけなんだからねぇ! これで勝ったと思うなよキミィ——!」
一体何の勝負なんだと、光希はため息とともに吐き出した。
そこで息をひそめていた郁人が「そうだよ、あのさあ」とすかさず割って入った。
「僕たち、そろそろ家に帰んなくっちゃいけないんだよね。ってことで、短い間だったけど、ありがとう。お世話になったよ」
ここは『お世話になられた』が正しいよな、と心の中でぼやきつつ、郁人は笑顔でそう言い放つと、一方で非常に迷惑そうな顔をしている弟の腕を自分の腕に絡めた。
「………………」
黙って腕を見つめる光希を引っ張りながら、郁人は振り向きざまに少女に告げた。
「そうだ。もう万引きすんなよーっ。あ、あとついでに無賃乗車もダメだからな——っ!」
ひらひらと手を振って弟と共に改札口へ消えていった成宮 郁人を見つめ、しばらくしてから赤毛の少女はぽつりとつぶやいた。
「あの人なら……絶対大丈夫だ……」
そして不敵な笑みを残して、少女は文字通り、『消えた』。
一方で、忘れ去られていた警官だが、いまだに郁人と光希の帰りを待っていたりする。
【第一章:悪戦苦闘のプラットホーム 了】