コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: 短編集. ( No.4 )
日時: 2016/01/13 17:03
名前: 納豆 (ID: kaDNG7L3)

「ねぇ、せんせー。ここわかんない」

放課後の教室。
運動場からは野球部の掛け声と、サッカーボールが土を蹴る音が聞こえてくる。
それに対して教室は随分と静かだった。
今日は、数学の小テストが4点だった私だけが居残り補習。

「凛子さー。いつも思うんだけど何でこの高校入れたの?」
「だってがんばったもん」

教卓で本を読んでいた先生が困った顔で私の座っている机に近寄る。
『たっちゃん』という愛称で親しまれている橘 大輔という数学教師。
私の前の席にまたがるようにして座る先生は、長い指でボールペンを持ち、解答欄が埋まっていない問題の解説をし始めた。
ほんのりと、タバコの匂いが漂う。
"凛子"、先生にそう呼ばれるだけで、自分に名前があってよかった、と当たり前のことに喜んでしまう。
実は先生が生徒のことを名前で呼ぶのは私だけであり、特別感で溢れている。
数学の補習なんて常連で、全て故意である。
ただ、先生が近くに居て欲しいだけ。
解説なんて全く耳に入ってこない。
先生の癖毛、太く濃い眉毛、少し細い奥二重の瞳、スラッと通った鼻、特徴なしの唇、ワイルドに生やしたヒゲ、1つ1つに見惚れていた。

「何見てんの。」

その言葉に、ハッと我に返る。

「みっ、見てないから」

慌てて問題を解き直すフリをする。
その様子を見た先生からの視線を感じる。

「何ボーーッッとしてんだよ。そんなんだから数学は4点しかとれねーんだよ」
「う、うるさいな」

先生が小テストの結果を見ながら嘲笑う。
それに私は動揺を装うことしかできなかった。
見惚れていて解説を聞いていなかったなんて悟られてはいけない、と必死に問題を解いているフリをする。
先生のことを、『教師』としてではなく、1人の『男性』として見ていることは、もうとっくに自覚している。
あと1ヶ月で高校3年生になり、大人に近づくのだけれど、大人になんてなりたくない。
想いを届けることができないから、ずっと先生のちかくにいれるだけでいいの。
そう思っていると、先生は、5時半を指す掛け時計をチラリと見て

「もう終わるか」

との一言。
ああ、今日ももう終わってしまった。


**


「凛子また補習だったの?」
「そうだよ」

翌日、友達の桜が呆れた顔で聞いてくる。
桜は成績トップで、きっと頭の良い国立大学に進学するのだろう。
桜は唯一、私が先生のことを好きでいることを把握している存在。
だからきっと、私がわざと悪い点数をとって補習を受けていることにも気付いているだろう。
桜と昨日見た番組の話で盛り上がっていると、
隣のクラスの生徒と、橘先生が話している。
実は盗み聞きというものも得意分野で、桜と盛り上がりつつ片耳を傾けると、すぐ耳に入ってきたこと。
それは、

「え!たっちゃん来年度に転勤するの!?」
「おう」

この会話を聞いた瞬間、それ以降のこと全てが聞こえなくなり、頭が真っ白になる。
桜の話も、橘先生の話も、何も耳に入ってこない。

「…だよね、ね?凛子?」
「え?ああ、うん、そうだね」

呼びかけられたその会話の内容もわからなくて、桜はその私の様子を見て首をかしげていた。
その後の、今年度最後の数学の小テストの再試も、わざとではなく本気で良い点がとれなかった。


放課後。
少人数教室に入る。
いつものタバコの匂いが、鼻をくすぐる。
教卓に足を乗せて組み、本を読む先生の姿があった。
私の姿に気がつくと、先生は本を閉じて教卓に置き、

「お前はまたか!」

と笑みを浮かべた。
そのいつもの先生の表情に、今日はなぜか切なく感じるが微笑んで、特等席に座る。
先生が立ち上がり、数学のプリントを私の机に置いた。
そしてまた、教卓の椅子に座り、本を読み始めた。
私がその始終を見ていたことに気がついていないようだ。

(なんだ、構ってくれないのか…)

そんな幼い気持ちが生まれ、かき消すように問題を解いてみせる。
が、見事なことに、問題の7割が空欄である。
頬杖をつき手を止め、うーんと言うような顔でため息をつくと、それに察した先生が様子を見に来る。
すると先生は、こりゃヒドイ、と笑った。
いつものように、前の席にまたがり、頬杖をつきながらボールペンを動かす先生。
高校3年生になったら、この姿はもう見れない。
学校に行く楽しみも半減する。
そう思うと、無性に悲しく、辛くなる。
解説は着々と進み、もうあと1問解いたら終わりになる。ついに口から出てしまった一言が、

「先生、転勤するの?」

しばらく黙り、私の顔をふと見る先生。
そのあと先生はフ、と笑って、

「そうだよ」

とあっさり答えられる。
誰から聞いたの?とか、何で知ってるの?とか、聞かれなかった。
私のことに何も興味も持ってくれない先生に少しだけ腹が立ち、質問攻めをしてみる。

「何で転勤するの?」
「転勤って言われたから」
「どこに転勤するの?どこの高校?」
「県外らしいよ。花岡高校ってとこ。知らないだろ」

私の質問に、迷うことなく淡々と答える先生。
私が黙り込むと、何も気にせずにラスト1問の解説をし始める先生。
離れたくない。でも、そんなこと言えるはずがない。
それでも行って欲しくない。
頭が混乱するほどそう思っていると、ついに解説が終わってしまう。

「ちょっと早いけど、もう終わるか…」

時計は5時15分を指す。先生が時計を見てそう言いながら立ち上がると、咄嗟に私も立ち上がって、

「行かないで!!」

言ってはいけない言葉を叫んでしまった。
呆然とする先生。しばらくして、動じずにいつもの笑顔を見せながら先生は言う。

「なに?そんなに俺がいなかったら寂しいの?」
「寂しいよ!先生がいなくなったら学校に行く意味半分くらいなくなるし!数学も嫌々受けなきゃいけないし!補習も楽しみじゃなくなるし!私、先生のことが本気で好きなの……!!」

言ってしまった。何から何まで、全て。
言ってはいけなかったはずのことも。
先生は、私にとって本来はただの『教師』で、先生にとって私はただの生徒でしかないのに。
さっきよりも呆然とする先生。
私はストンと席に座る。

「本気で言ってんの?」

先生はようやく口を開いたかと思えば、苦笑を浮かべ困った顔でこっちを見ている。

「さっき本気って言ったじゃん。私のこと、女として見てよ」

28歳の教師に対して、自分でも大分生意気なことを言ってしまったと思った。
でも、数学の小テストは今年で今日が最後だったし、2人きりになれるのは今日の今しかない。
膝の上で握った拳は少しだけ震えている。返事が怖くて、先生のことを直視できず、俯いてしまう。
すると先生は、もう一度私の前の席に座って、


「今凛子のこと女として見ちゃうとさー、俺捕まっちゃうから。


お前が20歳になったら、考えてやるよ」


早く大人になりたい。


**


2. "教師に"

日下部 凛子 Rinko Kusakabe (17)
橘 大輔 Daisuke Tachibana (28)