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Re: EAT ME UP [短編集] ( No.1 )
日時: 2016/04/07 22:33
名前: りちうむ ◆IvIoGk3xD6 (ID: pGaqjlta)

 「たったひとりの女すら幸せにできないやつが、愛とか求めちゃダメだよ」

 駅前のスターバックス。莉緒は「ね、あんたもそう思うでしょ?」と自慢げに私に問う。
 莉緒は、特に恋愛において達観した素振りを見せることが多い。きっと経験も豊富なのだろう。クラスの女子の何人かは、恋愛で困った時は莉緒に相談しているし、私も付き合っている彼氏のことで相談に乗ってもらったことがあった。

 そんな莉緒は、「委員長が、担任との子供を孕んだらしい」という噂にも動じなかった。

 確かに怪しいとは思っていた。二十代後半の担任、北橋先生と、大人っぽい雰囲気の委員長、茅野麗香。以前から、この二人は付き合っているのではないかと、私は密かに思っていたのだ。
 学級日誌を持っていく時も、課題を提出する時も、いつも委員長が私たちの分までやってくれた。当時は彼女の親切心かと思っていたが、委員長はただ職員室に行く、つまり先生に会いに行く口実が欲しかっただけなのではないだろうか。
 次第に北橋先生も委員長をひいきするようになった。委員長の頭を撫でているのを目撃した生徒もいるらしい。でもここ二週間くらいで、急に先生は委員長を避けだし、委員長は先週から学校に来ていない。
 昨日の放課後、誰かがぽつりと呟いた「委員長、孕んだんじゃねえの」の言葉。その妙な現実味がみんなの気にかかってしまって、クラスはこの話題で持ち切りだった。

 「あーあ。北橋先生、辞職はしなさそうだよね。ってことは、委員長の子供はおろすんだね。サイテー」

 私はフラペチーノを啜る。院まで出てやっと念願の教師になれた北橋先生は、そう簡単に教職を手放したりしないだろう。学校に内緒で委員長の子供をおろさせてでも、教壇に立つことを選びそうである。そういう先生だった。生徒のことなんか、ちっとも考えていないのが見え透いていた。
 私の意見に、莉緒も頷く。なんだか、北橋先生の生徒であることが急に恥ずかしくなってきた。委員長も、なんであんなモテなさそうなダサい先生がいいんだろう。委員長は地味だけど顔は美人だから、付き合おうと思えば誰とでも付き合えそうなのに。わざわざ先生を選んて、それも妊娠までしちゃうって、真面目そうに見えて意外とお茶目な部分があるのかもしれない。

 莉緒はコーヒーのおかわりを頼んで、テーブルに頬杖をついた。長い髪の束がすとんと落ちる。
 私はというと、スマホを開いて時間を確認していた。まだまだ、家で定められた門限までは時間があった。



 次の日の朝、何事もなかったかのように委員長は学校に来た。特別、委員長と仲のいい人はこのクラスにはいなかったから、なぜ休んでいたのかは誰も聞けなかった。
 ひそひそと噂をする声も気にせず、委員長は凛とした面持ちで、自分の席に座っている。規定通りの長いスカート。きちんとまとめて結ばれた髪。委員長はイレギュラーだけど、たしかにそこに馴染んでいた。
 揃ってスカートを上げて、メイクでコンプレックスを誤魔化し合う私たちの方こそがイレギュラーに思えたくらい。

 「やっぱ、妊娠なんて嘘だよ」

 昼休み。私はそう言ってリプトンの紅茶を口に運ぶ。
 しかし目の前に座っている莉緒は、「でも委員長、体育休んでたよ」なんてことを、この後に及んでも言っている。きっと莉緒は、絶対正しいと思っている自分の考えが外れそうなことを危惧しているのだろう。
 真面目な委員長が、イマイチ人気のない担任との子供を妊娠した。それだけ聞くと、興味深くて面白い話だ。キャピキャピしたグループの女子達も、アニメが好きなグループの男子達も、こぞってこの話をしているだろう。現に昨日私と莉緒はこの話題に夢中だった。
 しかし、次第にその話の突飛さ、非現実さに気づいてきた生徒達は、「やっぱり違ったんだ」と口々に言い始める。日常に面白みを感じていなかった人は少し残念そうに、委員長を密かに狙っていた男子は安堵したように、妊娠なんかガセだと言う。平凡な日常は帰ってきていた。

 莉緒は飲んでいたカフェオレを置いて、学食のスパゲッティをフォークに絡める。
 その日の帰りのホームルームでの出来事だった。

 明日は金曜日。一週間も終わりだ。しっかりやれよ。担任の北橋先生はそう言いながら、黒板を消していた。当然真面目に聞く人は居なくて、私も後ろの席の莉緒と、明日のミュージックステーションの話をしていた。だから、先生がこっちを振り返って、「大事な話がある」って言ったのも聞こえなかった。
 すうっと立ち上がった、窓際一番後ろの委員長が、音もなく歩いて前へ出ていく。それでも私たちは私語をやめなかったけれど、委員長の席の周辺の人たちは、口々に、え、なになに、どしたの、と動揺し始めている。その波紋は徐々に広がって、委員長が先生の隣に立った時、教室はしんと静かになった。
 隣のクラスの先生が喋っている声しか聞こえない教室。異様な沈黙を破ったのは、北橋先生だった。

 「突然ですが、先生は今日でこの学校を退職する事になりました」

 先生は、それきり黙って私たちを見つめている。まっさきに立ち上がったのは、副委員長の黒田。口角泡を飛ばして、「どういうことですか!」と、先生に噛み付いた。
 黒田に責められても、先生は表情を変えなかった。強い意志を持った瞳が、しっかりと私達三十三人を写している。
 そして、その隣に寄り添うように立っている委員長も、同じ色の瞳をしていた。

 「私達は、すべてを捨てて一つになる決心をしたんです」

 静まり返った教室。
 誰一人、言葉を発せなかった教室で、ふたりはキスをした。



 「......莉緒?」

 放課後。スターバックス。莉緒は、自分の予想が当たったことを嬉しがるでもなく、悲しがるでもなく、ただ、フラペチーノの上に乗ったホイップを見つめていた。

 「ねえ、みちる。愛ってなんなんだろうね。地位も名声も全部を投げ出す程の愛ってさ」
 「あんなの、綺麗な愛じゃないのは確実だよ」

 私は私で、頼んだキッシュを胃に詰め込みながら、返事を返す。
 経験豊富な莉緒がここまで思い詰めているのを初めて見た。私だって、あれは自分の脳内のキャパシティを超えている。

 「委員長も先生も、これからどうするんだろうね」
 「さぁね? 三十三人の生徒を見捨てた担任なんて、どうでもいいよ。ただひとつ言えるのは、これから委員長も先生も、大変な苦労をするってことだけ。あの言い方だとたぶん、二人、これから駆け落ちするんだよ」

 不安げに問う莉緒に、私はそう返す。あと一言だけ言いたかったことはかぼちゃのキッシュと一緒に飲み込む。

 すべての愛は綺麗ではない。恋愛と死は一直線上にある。正直、委員長も先生も不幸になってしまえばいいし、多分その確率の方が高い。数ヵ月後に産まれるであろう、先生と委員長の子供だけが可哀想。
 午後六時のスターバックス。莉緒の答えは出ない。私の足元には、ガムシロップの残骸が転がっていた。