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Re: きみが転校してしまう前に[短編集] ( No.10 )
日時: 2016/05/09 22:40
名前: りちうむ ◆IvIoGk3xD6 (ID: K/8AiQzo)

 「なーつき、こんなとこで何してんの?」

 同じクラスの友人であるハルカが、ぱたぱたと上履きを鳴らしてやってくる。下駄箱の横に座っていた私は立ち上がって、綺麗な夕暮れに照らされているハルカを見た。

 「んー、ちょっとね。部活お疲れ、ハルカ」
 「ありがと。ほんと疲れちゃう、こんな時間までさぁ」

 ハルカはポニーテールを揺らして、苦笑いを浮かべた。こんなふうに愚痴はこぼすけれど、ハルカは誰よりも一生懸命テニスに打ち込んでいるのを、帰宅部の私ですら知っている。大会で次々と勝ち進んでいくハルカを、私はクラスメイトという立ち位置からずっと見てきた。
 真夏日。背中を汗が伝っていく。
 あと一週間で、高校に入って2度目の夏休みがやってくる。来年はきっと受験に追われているから、実質これで最後だろうなあ。もう夜の7時をとっくに回っているのに、外いっぱいに鮮やかな夕暮れが広がっていた。

 「なつきって帰宅部だったよね? こんな時間まで残って、どうしたのさー」

 屈託のない笑顔でハルカは言う。私がここで人を待っている理由は、話さない方がいいのではないか、と一瞬だけ思ったが、よく考えてみるとハルカの部活の先輩も関係している話だ。
 私は「内緒ね」と前置きし、ハルカが頷くのを確認して喋り始めた。制汗剤の、柑橘系の匂いがふわりと香った。

 「鈴南が、テニス部の先輩に告白しに行ったの」
 「えっ、ほんとに!? あの鈴南ちゃんが?」

 最初はうんうん、と小声で相槌を打っていたハルカが、「告白」のワードを出した途端に、大きな目をさらに見開いたので、私は「しー」と人差し指を立てる。
 鈴南とは、私の親友の女の子で、彼女もまた私たちのクラスメイトだった。引っ込み思案でいつも誰かの影に隠れているような子だが、テニス部の先輩に一目惚れしたことをきっかけに積極的になりたいと思うようになり、私も何度か相談に乗った。今日もついさっきまで、先輩に告白するべきか、しないべきかで悩んでいて、そんな鈴南を私は励ましていた。

 「半年くらいずっと片思いしてたんだけど、今やっと告白する気になったみたいで。行ってから三十分くらい待ってるんだけど、まだ帰ってこないのよねー」
 「そっか、そんなことがあったんだ。待ってる方もかなりドキドキするでしょ、それ」

 ハルカは私を気遣うように言って、笑った。ハルカの言う通り、私は今気が気ではない。鈴南が心配で、気になって、さっきから何度も下駄箱のレーンを行ったりきたりしているのだ。

 「私も一緒に待つよ」

 突然、そう言って隣に立つハルカ。そんな、悪いよ。私が言っても、彼女はにこにこ笑ったままだ。
 聞くところによると、次の電車が来るまでは1時間あるらしい。暇だから、ここにいるね。ハルカはそう言って、さっきまでの私みたいに、落ちている暇を潰すように、下駄箱の横をゆっくり歩き始めた。

 「なつきは進路どうするの?」

 隣のレーンに言ってしまったハルカの声。そっちは多分、三年生の下駄箱だろう。

 「まだ決めてない。薬科大学に入りたいって思ってるけど、学費がバカになんないでしょ。奨学金もらえるほど頭も良くないし」

 ハルカに聞こえるように、私は少し大きめの声で言う。言い終わった時、後ろに人がいるのに気がついた。遅くまで勉強でもしていたのだろうか。靴を履き替えて帰ろうとしているクラスの山田くんは、怪訝な目で私を見ている。
 違う違う、独り言を話してたわけじゃないんだよ。そう山田くんに言い訳をするけど、彼は曖昧な笑顔を浮かべて、じゃあねと残して夕暮れの中に消えてしまった。肝心のハルカはこんな時に限って何のフォローもしてくれない。そう思った、その瞬間。

 「私ね」
 「う、うわ! びっくりした......」

 隣の下駄箱の影から、ひょっこりと顔を出すハルカ。私は驚いて心臓が止まりそうになる。やめてよ、もう。そう言ってやる余裕も無く、ハルカは喋り始めた。

 「専門学校に行こうかなって思ってたんだけど、やっぱり就職する。兄貴はドカタ辞めて今ニートだし、妹は定時制に転校してから一回も登校しないし、私が頑張らなきゃって思って」
 「そ、そっか。ハルカも大変なんだね」

 やっと余裕が出てきた私は、ハルカがとても真剣な目をしていることに気付いた。
 なんでもできるハルカのことだから、てっきり兄弟や家族も同じなのかと思っていた。私が大学のことで悩んでいるあいだ、ハルカも同じように悩んでいたのだ。

 「まあ、お互い気合入れてこうね」
 「もちろん」

 だんだん濃くなってきたオレンジ色の中で、ハルカはやっぱり笑っていた。

 20分くらい経っただろうか。鈴南が一人で歩いてくるのが見えた。ハルカと二人で息を飲んで見守る。表情までは見えないけれど、夕焼けの中をとぼとぼと歩いてくるその様子は、かつての自信が無い頃の鈴南のようで、なんとなく嫌な予感がした。

 「ダメだったかな......?」

 ぽつりと小さな声で呟いた言葉は、夕日のせいで伸びてしまった、私とハルカの影に溶けていく。
 下駄箱の前までやってきた鈴南は、泣いていた。

 「鈴南......」
 「振られちゃった」

 キラキラしたオレンジの空に照らされて、鈴南は必死に笑顔を作ろうとしている。声は震えているし、涙がぽたぽたと伸びた影に落ちて、私とハルカは何も言えずにいた。
 恋の終わりってこんなに苦しかったっけ。鈴南は、先輩と話せてよかった、優しい人だったと吐き出すように私たちに話す。告白はしたが、その先輩には好きな人がいて、鈴南の思いに答えることが出来なかったらしい。

 「ありがとうね、二人とも。すぐ立ち直れはしないけど、すっきりした」
 「それならよかった、けど」

 私はハルカと顔を見合わせる。あまりにも報われない結末を迎えて、鈴南は無理に笑っているけど私たちは笑えない。それでも、鈴南がこの事を引きずらないために、私たちは無理にでもいつも通り振る舞う必要があった。
 夕陽が落ちかけている空を見上げる。もうすぐ夜になってしまうだろう。門限の8時に間に合うためには、今すぐ学校を出なくてはいけなかった。

 帰り道は、無言だった。いつの間にか日は落ちて、星空の下を三人で歩いて帰る。電車通学のハルカとは、途中に通りかかる駅で別れた。バイバイと手を降るハルカの笑顔は、もういつも通りに戻っていた。
 二人になってしまった道を歩く。三人なら無言でも耐えられたけれど、二人になってしまうとやっぱり気まずくて、テレビの話題でも振ろうとした時、鈴南はまた声を震わせながら言った。

 「......先輩ね、ハルカちゃんのことが好きなんだって」
 「......」

 そこからまた始まる、長い長い沈黙。
 何度も頭の中で言いたい言葉をくり返して、やっと私は鈴南に聞く。思い沈黙を破ったのは、私だった。

 「鈴南は、ハルカのこと恨んでる?」
 「......ううん。悔しいけど、ハルカちゃんなら仕方ないって思う」

 夜の街灯の下、鈴南はさみしそうに笑った。
 鈴南は凄いなあ、と喉まで出かけた言葉を飲み込む。
 そこから先はまた無言で、私たちは家まで歩いて帰った。