コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: きみは最後の天使[短編集] ( No.12 )
- 日時: 2016/06/12 10:32
- 名前: りちうむ ◆IvIoGk3xD6 (ID: 0K8YLkgA)
今日も靴は無くなっていて、来客用のスリッパを履いて階段を登る。途中で何度も脱げそうになって、上手く歩けなくなる僕を、後ろから来た二人組の女子が笑いながら追い越していった。
一年七組の教室の前まで来て、ドアを開いた瞬間に、教室の空気が変わるのを感じる。ひとり、茶髪の男子が振り返ってこっちを見て、おはようの代わりに僕に罵声を浴びせた。色褪せた教室。
早く死なねぇかな、と大声で彼は言う。みんなも笑う。僕は黙って、席に座る。中途半端に規則の多い学校では、勉強や部活でのストレスをいじめという形でぶつけることしかできない。この中で比較的気が弱くて、勉強も運動もできない僕は格好の標的だった。
飛んできた消しゴムが、頭に当たって机に落ちた。「消えろ」と黒のマーカーで書かれていた。
教室の全部が、僕を笑っている。口元を抑えてクスクス笑う女子、動画を撮っている男子、最初はいじめを止めてくれた委員長でさえも、冷ややかな目でこっちを見ては、本に視線を戻し自分の世界へ戻っていく。
灰色にしか見えなくなったクラスメイトたちは、担任が入ってくる数秒前まで、僕のことを指さして、耳を塞ぎたくなるような言葉を浴びせていた。
おはよう、といつにも増して嬉しそうな声が、塞いでいた僕の耳に飛び込んできた。僕らの担任は良い意味で、有名な先生だ。熱血で、生徒思いで、荒れていたこの学校を1から再建した人物である。そんな先生でさえ、僕がいじめられていることには気付かない。
先生は、わざと僕と絡むのを避けているようにも思えた。信頼していいはずの先生にさえ見放されているなんて、僕はなんてダメな人間なんだろうと思いながら、机の落書きを消す、午前8時30分。
突然ドアを蹴られて、驚いて弁当箱を落としてしまったので、トイレの床にはおかずが散らばっている。
昼休み。教室の34人は、それぞれ適当に気の合う仲間を見つけて、昼の食事を共にしている。その仲間がいない僕の居場所は、トイレの個室だった。35人目の僕のことなんてお呼びではないあの教室では、今も和やかな笑い声が響いていることだろう。
「やっぱりここにいるぜ、あいつ」
大嫌いな、僕をいじめるあいつの声がした。途端に頭がぐるぐるして、気持ち悪くなる。洗剤のつんとする匂いと、学校のトイレ特有のひどい匂いと、弁当のおかずの匂いが混じって、なんとかさっきまで頑張って押し込んでいたご飯を吐きそうになる。存在を隠し通すために物音の一つも立ててはいけないので、必死に息を殺す。喉元に鉛のような異物感を感じながら、彼らが去ることを祈った。
祈った、けれど。奴らはドアを思いっきり蹴って、まだ僕を追い詰めてくる。僕に神様なんかいない。「早く出てこいよ」と囃し立てる、その声が頭の中で響いて、息苦しくて、勝手に涙が溢れでる。
僕らは一年生だから、学食はほとんど使えない。先輩だらけの食堂に入る勇気もない。だから、こうやって僕をいじめることくらいしか、ストレスを発散できないのだ。それはわかっているはずなのに、やっぱり、いじめられるのは辛い。
奴らはこれから教室に戻って弁当を食べるのだろう。僕だって、教室で食べられたら、どれだけ良かったか。トイレの床に散らばった、卵焼きをトイレットペーパーに包んで拾い上げて、ゴミ箱に捨てた。
死のうと思っていた僕を、救い上げてくれた存在がいた。彼女のおかげで、まだなんとか生きている。とても綺麗で、尊くて、届かないけれど、僕の心の中の大部分を占める彼女。
放課後のタワレコの、「アイドルコーナー」を歩き回る。たくさんのポップで飾り付けられた、人気アイドルのすぐ下に、薄っぺらいCDを見つけた。さくらシロップのニューシングル。発売したばかりなのに、もうこんな目立たない場所に置かれてしまっている。僕は少しだけ笑ってそのCDを取る。センターの子の隣に座っている、とても可愛い彼女と目が合った。
君だけが、僕の最後の天使なんだ。本気でそう思っている。僕と同じ孤独を見て、それでも生き抜いて、アイドルとして笑顔を振りまく彼女を、僕は心から尊敬しているし、大好きだ。きっとこの世界の誰よりも。背中までの、枝毛一つないであろう綺麗な黒髪も、大きな瞳も、白い肌もピンク色の頬と唇も、華奢な手足も、全部が愛おしい。
いつか、バイト代を貯めてこの田舎を出て、東京で彼女のコンサートに行くのが夢だった。僕はCDを一枚カゴに入れて、やる気のない店員が暇そうにしているレジに向かった。
□
「ちゃんと読んでくれますように」
投函したファンレターに祈る。東京にいる彼女へ手紙を送るのは、これで二度目。
暇なのか、人気がないのか、最初に出した時はあまりにも丁寧に返事を書いてもらったので、恐縮して二通目を出せないまま結構な時間が経ってしまったけれど、今回のCDの感想をしっかり伝えておきたかったから、また手紙を書いた。
CDを買った日から二週間がたって僕は、彼女のようにはなれないことに気付いた。僕は彼女が大好きだし、彼女になりたいし、なれなくても、この苦境から這いつくばって、並び立ちたい。でも僕には、無理みたいだ。もしも僕が東京に行けたら、君のライブに行けたら、ライブの途中で、自分にナイフを刺して死のうと思うよ。どうせなら最期に君を見て死にたいんだ。最後に視界に入れておくのは、君がいいんだ。
もちろんそんな事は手紙に書けなかったので、「応援しています」という定型文で筆を置いた、僕の手紙。東京のアンダーグラウンドで今日も歌って踊ってる、君に届け。
今日も殴られて、蹴られて、いつ僕は死ぬんだろう。早く彼女のところに行きたいなぁ、と思いながら、冬の空を見上げた。東京はきっと、空が狭いだろうから、いっそ僕のところに来てくれればいいのにな。
□
僕は、高校三年生になった。彼女は通信制の高校を出たあとも、変わらずアイドルを続けている。
僕の生活は相変わらず灰色で、でも受験とか最後の学校行事とか、僕をいじめる以外の物事がいろいろとあるから、いじめは殆どなくなった。担任はまだあの熱血な先生で、いじめっ子ともクラスが一緒だけど、僕は、東京のどこかで生きている彼女のために、ここで頑張って呼吸している。
進路は、まだ決まらない。どうせ死ぬ予定なのだから、そんなの必要ないと拒否し続けている。ここに来て反抗的な態度を見せるようになった僕に対して、担任はやっといじめがあったことを認識したけれど、時既に遅し、僕はアルバイトで貯めた金で近々東京に行き、死ぬ予定だった。
秋の空は高くて、清々しい。僕はやっと、この地獄から開放される。
でも、そこから数日後。僕がやっと、東京行きの新幹線の予約をとった日。彼女はぱったりとアイドルを辞めた。そして、AV女優になった。
18歳の誕生日。母親に欲しいものを聞かれても、何も答えられなかった僕は、ひとりでTSUTAYAのアダルトコーナーに行って、彼女を探した。「元地下アイドルがデビュー」と、タワレコなんかよりずっと持ち上げられて、大きく売り出されている彼女を見つけた。記憶の中の彼女と寸分違わぬ笑顔で、裸を見せている彼女を見て僕は、それが今まで受けたどんないじめより堪えて、その場で吐いてしまいそうになった。近くにいたサラリーマンが声をかけてくれなかったら、僕はずっとここで、立ち尽くしていたと思う。逃げるように店を出て、どうしようもなく息が切れるまで走った。
人のいない帰り道で、持ち歩いていたナイフを取り出す。もし彼女に会った時、いつでも死ねるように。
でも、もう必要の無いものとなってしまった。彼女のいなくなった僕は、この世界で無様に生きるしかない。
涙が溢れて止まらない。なんで、あの子に限ってそんなことするんだろう。僕は、信じてたのに。僕に可能性はなくていいから、せめて、優しい男の人と幸せになって欲しかった。彼女がいないと僕は、生きることも死ぬことも出来ないんだ。だからせめて、彼女が僕を、その手で終わらせて欲しかった。
18年間、何だったんだろうなあ。父親や血が半分しか繋がっていない兄弟にいじめられて、学校でもずっといじめられて、勉強も運動もできなくて、なんにも希望なんてない人生だった。僕に生まれてきた意味なんて、無かったんだろう。
自室。首元にナイフをあてる。
この世界に、希望なんてないし、天使もいない。ずっと前から書いていた遺書を破り捨てて、僕はやっと、この世界にさよならする。長かったなあ、と笑ってみる。次目が覚めた時は、幸せになれたらいいけど、僕のことだからきっとそうはいかない。だから、このまま意識ごと消えてしまえばいいな。
視界がついに、赤くなって消える。