コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: EAT ME UP [短編集] ( No.2 )
日時: 2016/04/09 23:54
名前: りちうむ ◆IvIoGk3xD6 (ID: pGaqjlta)

 夜中の高速道路を飛ばしている。取ったばかりの免許、父親が昔乗っていた古い車。隣に乗せた、三月までクラスメイトだった女の子。これから僕らは、隣県の大きな駅へ向かう。

 「ありがとね、乗せてくれて」

 上京。僕らの住む田舎には大学も専門学校もない。
 黒髪で化粧っ気もなくて、全然垢抜けない雰囲気だった宮本が、東京にあるヘアアーティストの専門学校に合格したと聞いた時は驚いた。小学生の頃からずっとこいつを見てきたけれど、お洒落になんて一ミリも興味がなかったじゃないか。口を開けば、映画や音楽の話ばかりだったくせに。
 僕はというと、受けた公務員試験に落ちて、大学に行く頭も金もなくて、この春から地元の小さいスーパーでバイトすることになった。つい先月までは同じ教室でバカやってたのに、宮本は大都会東京でキラキラした学生生活を送り、僕は陰湿でクソつまらない地元でレジ打ち。人生っていうのはどうもうまくいかない。

 車もまばらな夜中の高速。トンネルの光がゆらゆらと揺れている。
 僕らの住む田舎にある、一番大きい駅でさえも、東京行きの電車はなかった。始発の電車で東京に向かうためには、夜中から高速を飛ばして隣の県の駅に行く必要があったのだ。
 本当なら今日僕は、大阪の大学に行くことになった友達のレイジと焼肉をするはずだったのに、その約束を断ってまでも宮本を乗せて走っている。車内に流れる、宮本の好きなビートルズ。僕は最後の最後に宮本に言いたいことがあった。
 次会うのは何年後だろうか、とふと考えてみる。もしかしたら、これから一生会うことはないのかもしれないな。

 トイレと自動販売機しかないサービスエリアに入った。時刻は午前四時、思ったより早かったな。
 助手席から降りた宮本は、運転してもいないのに、はー、疲れた! と伸びをして、コーヒーを買おうとする僕を見る。そして、とてとてとこっちに駆け寄ってきた。

 「運転お疲れ様、私がジュース買ってあげる」

 自販機の淡い電灯に照らされて、宮本は自販機の前に立つ。その時初めて僕は、宮本の長い髪が赤茶色に染まっていることに気付いた。僕の中の宮本は、黒髪で、毛先がパサパサしてて、ダサくて、お洒落をしてもせいぜい口紅を塗る程度だったのに、今目の前にいるこの女は、もう僕の知っている宮本ではないことに気づいてしまった。

 青春を殺して、僕らは大人になっていく。宮本は僕にいちごオレを差し出して笑った。いちごオレは、小学生の頃から好きだった。僕だけが取り残されたまま、宮本は大人になる。受取りたくなかったけれど、気付いたらいちごオレの冷たい感触が手の中にあった。
 サービスエリアには、僕の車の他に数台停まっているだけだった。キラキラした夜空には星が浮かんでいる。オリオン座くらいしか知らない僕は、星空を見ても特に感想はない。ただ、東京の空は狭いんだろうなと、頭のどこかで呟くように思う。
 隣でコーヒーを開けた宮本も満天の星空を見上げて、僕の方に視線を向けずに言った。

 「私は東京に行って、人生全部変わる気でいるけどさ。空見てると、東京も地元もちっぽけで、大して変わんないんだなーって思うよね」

 そんなことない。思わず声に出してしまった。宮本は、不思議そうに星空から視線を落として僕を見る。
 宮本が、東京に行ってしまうことは、僕にとってちっともちっぽけなんかじゃない。はっきり言って嫌だ。同じ空を見るのはこれで最後だろう。東京の人ごみに流されて、空なんか見てられないほど忙しくなるんだ。大人になるってそういう事なんだよ。なんで、地元を、僕を、捨ててまで都会に行くんだよ。ヘアアーティストなんか絶対なれねえよ、手先も不器用で家庭科の成績もずっと3だっただろ。東京の髪の長い変なバンドマンみたいな男に捕まって、汚れていくのがオチなんだよ。このいちごオレだって飲みたくない。飲んでしまったらまた車を走らせなければいけない。高速道路を出たらすぐ駅で、始発で宮本は東京へ行ってしまう。僕は帰り道、宮本が持っていくのを忘れたビートルズを聞きながら、どんな気持ちでいればいいんだよ。

 言いたかったことは、最後まで言わないことにした。もうすぐ、この車は駅に着き、僕の役目は終わる。
 宮本は僕の隣で、眠そうに目をこすっていた。ずっと好きだったと言えない代わりに、高速沿いにある適当なラブホテルに連れ込んで無理矢理襲おうとしたけれど、馬鹿らしくてやめた。僕と宮本の距離は限りなく遠い。きっとさっき並んで見た、もう水色になった空よりも遠い。
 駅の駐車場に車を止めて、重そうなキャリーケースを引きずって、宮本は歩いていく。その数歩後に僕はいる。途中で見つけたゴミ箱に投げ入れようとしたいちごオレの缶は、綺麗に外れてコンクリートにカランと転がった。

 土産屋を興味深そうに見ている宮本を引き剥がして、改札の前。切符はもう持っているらしい。宮本の他にも、大荷物を持った若いやつらが居て、家族や友人との別れを惜しんでいる。僕らは赤いベンチに座って、ぼーっとその人たちを眺めていた。

 「宮本、お父さんとお母さんは?」

 僕は、なんともなしに宮本に聞く。僕が宮本をここまで運んできたけれど、普通なら駅までの送迎くらい家族がしてくれるはずだ。宮本のお父さんもお母さんもとても温和な人で、なんどか夕食をごちそうになったことがある。
 しかし宮本は、とても不思議そうに首をかしげる。

 「あれ、言ってなかったっけ。私、親と喧嘩して来たの。美容師になるなんて認めないって言われてさ。両親は私を医者にしたかったみたいだけど、でも私は、どうしても美容師になりたくて」
 「......本気だったんだ。美容師になりたいって」
 「本気じゃないとわざわざ東京に行かないよ! 私、絶対立派な美容師になるからさ。そしたら、花枝の髪も切らせてよ」

 そう言う宮本の瞳は、将来への希望に満ちている。逆に、宮本の瞳に映る僕は、たぶん死んだような目で宮本を見ているんだろう。
 ごめん、と一言だけ謝った。宮本は美容師になんかなれないって思ってしまったことに対する謝罪だった。僕と違って、しっかり者で、誰よりも優しい宮本は、ちゃんとした美容師になる。東京でもうまくやっていく。最後だから、ちゃんと褒めてやるよ。だから、絶対途中でやめたりするなよ。
 綺麗にまとまった毛先をくるくるして遊んでいる宮本は、僕がそう思っていることを多分知らない。宮本にとって僕は、ただの便利な同級生だ。こっちがどんな思いしているのかも知らないで、出発の10分前になっても、世間話なんかを振ってくるんだ。

 「そろそろ行こっかな」
 「気をつけろよ」
 「わかってる!」

 あまりにあっけなく、時間はやってきて、宮本は改札の方へ歩いていく。
 宮本の中の僕はもう過去で、新しい生活がこれから待っている。お願いだから、変な男にだけは引っかかるなよ。ちゃんとした彼氏と、幸せになってくれよ。
 切符を改札に通して、重そうに鞄を引きずって、とうとう届かないところに宮本は行ってしまう。最後に僕の方を見て、口パクで「またね」って、大きく手を振った。
 僕は、黙って手を振り返す。死にそうなくらい、胸が詰まって叫びたくなる。背中が遠くなっていく。さっきはちゃんと宮本のことを認められたはずなのに、嫌だ、行くなと言いたくなる。いくら叫んでも走っても、改札より向こうへは行けない。ホームへと続く階段を下りていく。最後に一回だけ振り返って、僕の方へ手を振った。
 そこで初めて、僕は自分が泣いていることに気がついた。宮本は一瞬驚いた顔をして、それでもおかしそうに笑っていた。

 「さよなら、香苗」

 ここまで来ても、好き、だけは言えなかった。でも、それでいい。僕の大好きだった幼馴染み、宮本香苗は、最後の最後で僕を名残惜しそうに見つめていたけれど、電車のアナウンスが鳴り、慌てて階段を降りていってしまった。最後に、「ばいばい」と口パクで告げた、それだけを残して。

 外はすっかり明るくなっていた。また、それぞれの春がやってくる。もう同じ空を見ることは出来ないけれど、帰りの車では、やっぱり忘れていったビートルズが流れていた。もったいなくて取り出せなくて、僕はいつまでもそれを聞いていた。