コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: 手をつないで、空を見上げて【短編集】 ( No.8 )
- 日時: 2016/04/30 13:43
- 名前: ひよこ ◆1Gfe1FSDRs (ID: IxtPF2j4)
3.『私たちはそれを愛と呼ぶ』
「一緒に死のうか」
様々な感情が混じりあった深い茶色の瞳が見開かれ、私の姿を映す。
瞳の中の私は、とても無邪気に笑っていた。
***
氷のように冷たい空気が私の頬を撫で、思わずぶるりと身を震わせた。
重い瞼をゆっくりと開く。
「ん......?」
ここは、どこだろう。
眠ってしまったのだろうが、こんなところで寝た記憶はない。
真っ白な世界。ところどころに霧が立ち込め、視界はあまりよくない。後ろには透明なガラスのような壁があり、これまた真っ白な床に座り込みながら私はそれに寄りかかって寝ていたようだ。
ふと、目の前にゆらりと影が落された。
「起きたか」
霧が少し晴れ、影の正体が人だと知った。降ってきたのは聞き過ぎて耳に染み込んだ、よく知っている声だった。
「......ここ、どこ?」
幼馴染みの彼は、私の目の前でしゃがみこんだ。
「俺にもわかんねえ」
確か。奥底にある記憶を引っ張り出して、働かない頭で必死に考える。
そう、確か。私は彼の委員会が終わるのを教室で待っていた。暇だった私は恐らく寝てしまったのだろう。だとしたら、目が覚めてまず見るのは、目の前にあるはずの黒板だ。
夢、という可能性も考えた。だがあまりにも意識がはっきりしすぎている。そして、目の前の人物。彼がこんなにもはっきりと見えている。夢だとしたら、輪郭がぼやけていたり、色がついていなかったり、ところどころ現実と異なる箇所がでてくるはずだ。あと頬をつねったがちゃんと痛かった。
「夢じゃないことは確認できたか?」
「とても不本意だけど、どうやらそうみたい」
ところで、と私は目の前の彼に尋ねる。
「これ、なに?」
私の首筋にあてられている、鋭く尖ったナイフを指さした。薄皮ぐらいはもう切れてるんじゃないか。全身冷たいが、それがあてられているところは一等冷たかった。それが妙に現実味を帯びている。
「なにって、ナイフだろ」
「うん、なんでそれを私に向けてるかって聞いてるんだけど」
彼は一瞬きょとんとした顔を向けたが、すぐに破顔した。はは、と空気が混ざった笑い声をもらす。
「そうか、言ってなかったか」
「なにを?」
「俺に殺されてくれねえか」
「嫌だよ」
「即答かよ」
あんたに殺される道理がない、と言うと彼はどこか悲しそうに、そしてほっとしたようにナイフを私の首から離した。
手を当てて確認してみるが、痛くはない。
「で、あんた誰?」
「お前が一番よく知ってるだろ」
「......ああ、うん、言い方が悪かった。あんたは『いつ』のあんた?」
いまだ私の目の前でしゃがんでいる彼に問いかける。
「......さあなぁ」
「私が知ってる今のあんたは、そんな笑い方しないよ」
少なくとも、すべてを諦めたような、そんな笑い方は。
「どんな笑い方してたんだ俺は」
「バカみたいな笑い方」
「なんだそれ」
「ねえ」
答えを促しても、彼はうつむいて口を開かない。どうしたものかと逡巡していると、蚊の鳴くような声でぽつりと言った。
「......お前が、死んだ」
それからなにかが切れたように、またぽつり、ぽつりと次々に言葉が降ってくる。
「一回目は、事故で」
「二回目は、誰かに殺されて」
「三回目は、電車にひかれて」
四回目、五回目、と、私が死んだ理由を彼は表情の無くした顔で語った。
「どれも酷い姿だった」
頭がないときもあった、と彼は吐き捨てるように言う。
そう、そっか。私は彼が捨てた言葉を一つ一つ拾い集め、心の中にしまい込んだ。
「最初にお前が死んだとき、嫌だって心の中で叫んだんだ。そしたらその日の朝に戻っていて」
夢だったら、どんなによかったか。彼の目が、そう訴えてきた。
「それからは繰り返し。何度も、何度も。巡りすぎて、俺は自分が何者なのかもわからなくなった。お前がいつのお前なのかもわからない。ただ、生きてるお前に会いたかった」
「じゃあ、何者?」
「さあ、怪物とかじゃないか?」
ごめん、と彼は言う。
「どうして謝るの」
「お前を一度だって助けられなかった」
「仕方ないよ。それはもう、決められたことだったんだ、きっと」
「はは、随分落ち着いてるんだな」
彼の骨ばった、ナイフを捨てた手が、私の両頬を包み込んだ。
落ち着いているわけじゃないが、この手が、温もりが、私を安心させているのかもしれない。
「なあ、俺に殺されてくれねえか。辛くないようにする、苦しくなんてない、痛みなんて一瞬だ。すぐに俺もいくから」
だから。
「もう、あんな姿で死なないでくれ」
手が震えてるくせに、なにを言っているんだろう。
どうして、彼はこんなにも優しいんだろう。
彼の手に自分の手をそっと添える。一緒に育ってきた、こんなにも大きくなった手。
「ごめん、殺さないで」
「どうして」
「私の世界にはまだ、あんたがいる。彼を置いて先にはいけないよ」
「......それなら、俺はどうすればいい?」
そんな顔をして、本当に私を殺せるのかと思うと、どこかおかしくなった。
彼も怖かったんだ。私を殺すなんて。殺したくなかった、でもどうしようもない。
だったら、
「私があんたを殺すよ」
彼と同じように、彼の頬に両手を添えた。深い茶色い瞳がゆらゆらと揺れ、不安げに私を映した。安心させるように、優しく微笑む。
「私が死ぬ時、あんたも一緒に連れていく。約束。それじゃだめ?」
そっと顔を引き寄せて、額を合わせる。鼻の頭がくっつきそうな距離で、囁く。
「あんたを怪物になんかさせない。私が知ってる幼馴染みのあんたのまま、私が、殺すから」
だから、そんな顔しないで。
「......ほんとか? 本当に、俺を殺してくれるのか?」
「うん」
「そう、そうか......俺は、もう、お前がいない世界で生きなくていいんだな......」
細めた茶色い瞳から、透き通った雫が溢れて零れる。こんなに綺麗な涙を流せる人が、本当に怪物なのだろうか。
「......まだ、泣けたんだな......とっくに枯れたかと思ってた」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う。その笑顔をみて、心臓がきゅうと掴まれたように痛くなる。
怖い。怖い。こんな彼を、私は殺せるだろうか。殺して、いいのだろうか。
ああ、きっと、彼も同じだったんだ。
「でも、少し羨ましいな。そっちの俺はお前と一緒にいけるんだな」
「......いずれ、あんたも通ることになる未来だよ」
「それでも、ここにいる俺じゃないだろ。ああ、いいな」
羨ましい、なんて言いながら彼は笑う。その笑い方は、私がよく知っている彼だった。
「愛してる、愛してるんだ、もうずっと」
「......うん、知ってる」
「相変わらず可愛くねえな」
ふはっ、と、屈託なく笑うその顔には、もう諦めの色はなかった。
「......ありがとう」
そう言って、彼は消えた。
音もなく、静かに。
「......私も、愛してたよ。これからも愛してる」
未来の彼も、過去の彼も。全部全部、私が愛した彼。
「......さよなら」
私を愛してくれた、優しい怪物。
- Re: 手をつないで、空を見上げて【短編集】 ( No.9 )
- 日時: 2016/04/30 13:47
- 名前: ひよこ ◆1Gfe1FSDRs (ID: IxtPF2j4)
「......い、おいってば」
ゆさゆさと肩を揺すられ、重い瞼をゆっくりと開けた。
「悪い、待たせた」
目の前には、私が知っている彼がいた。
どうやらここは教室で、私は机に突っ伏して寝ていたらしい。
「帰ろうぜ」
自分の鞄と私の鞄を肩にかけ、彼は教室を出ようとする。
「ねえ」
その背中を、咄嗟に呼び止めた。
「なんだ?」
「一緒に死のうか」
様々な感情が混じりあった深い茶色の瞳が見開かれ、私の姿を映す。
瞳の中の私は、とても無邪気に笑っていた。
「......寝ぼけてんのか?」
「そうかもね。でも、悪い考えじゃないでしょ?」
ぱくぱくとなにか言いたげに口を開けた彼は、結局なにも言葉にすることはなかった。
「今すぐってわけじゃないよ。いつか、いつかね、私が死んだら、あんたも死んでよ」
べつに、嫌ならいいけど。拗ねたようにそう付け足すと、彼は呆れたように笑った。
「嫌じゃねえよ。どうせお前がいなくなったら生きる意味もねえしな」
「そっか。じゃあ、約束」
差し出した小指を、彼は迷いなく自身の小指と絡めた。
「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本だからね」
「はいはい」
「ねえ、愛してるよ」
「......どうしたんだお前、なんかあったのか」
「ううん。ただ言いたくなっただけ」
そう言って笑うと、彼もまたつられるように笑った。
「あっそ。まあ知ってるけど」
「うわ、かわいくなーい」
「お前に言われたくねえ」
「......帰ろうか」
「ああ」
夕焼けで赤く染まった教室をでて、誰もいない静かな廊下を二人並んで歩く。
はたから見たら、愛し合う二人が死までもをわかちあう、そんなふうにみえるのだろうか。でも、違う。
恋や愛なんて、そんな優しくて美しいものじゃない。悲しみや憎悪といった負の感情が入り交じった、もっと暗いものだ。それでも、他に呼び名を知らない。
だから、
私たちはそれを愛と呼ぶ。