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- Re: 透明な愛を吐く【短編集】 ( No.3 )
- 日時: 2016/11/05 00:35
- 名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: ADRuIPKx)
#1 『透明な愛を吐く』
「君の幸せって、何?」
不意に放たれたその問いの答えを、僕は持たない。
がらんとした教室に、夕日が光を落としている。
グラウンドから聞こえる運動部の声、落書きが残ったままの黒板、机の上のペンケース。そんなどうしようもないほどの平凡な光景に、僕も彼女も溶け込んでいた。
彼女の肩先まで伸ばされたストレートヘアが、風に揺れる。特に何も話すことなどなく、ただぼうっと僕らは時間を潰す。
彼女はいつも通り、彼女の彼氏を待っている。僕はいつも通り、家へ帰る時間を遅らせるために座っている。どうせ、家に帰っても嫌なことしかないのだし。
夕日が差し込んで、僕の読む本が風でめくられた。彼女が隣の席でぼうっと僕を眺める。いや、もしかしたら眺めているのは僕の向こうの窓かもしれない。その窓の向こうでは、まだ蕾のままの桜の枝が赤く染まって眠っていた。
僕が本を読む、彼女は何も言わずに宙を見る。それが、毎日のこの時間の過ごし方。三ヶ月という長い間変わらない光景。
けれども今日は少しだけ違った。彼女が少し身動きしたかと思うと、はっきりと僕を見つめたから。
「園田くんってさぁ、放っておいたら死んじゃいそうだよね」
彼女の声が響く。まるで世間話をするかのように、彼女はその言葉を放った。淡々と文字を追っていた僕の目は止まる。彼女はそれに気付いたのか気付いていないのか、なおも話し続けた。
「雰囲気が透明っていうか。ある日突然、いなくなっちゃいそう」
「……そう?」
ようやく零れた声は掠れたもので、唇も小さく震えた。
うん、と頷く彼女は、僕に何を伝えたいのだろうか。その瞳は明るくて、無邪気で、ただそれだけで。
それでも。……もしかしたら僕をこの世に引き留めようとしているのかもしれない。そんな瞳だ。僕の思い込みかもしれないけれど。
もしそうなのだとしたら素直に感心する。僕がこの世からいつ消えてもおかしくないのは、多分本当だから。
別に大きな病気とか、そんなものじゃない。僕は消えたいと思っていた。おそらくはこの世から。別に明確な理由はないけれど、そう言ったら、多くの人が僕を非難するんだろう。命を粗末にするんじゃない、と。
うん、たしかに僕もそう思う。
それなら何故かと問われても、僕は答えを持たない。強いて言うならば、生きていたくないから、だ。そんな単純明快で、簡単な理由。
もしくは日々呼吸することが、水の中でもがくほどに苦しいからかもしれない。最早慣れつつあるけれど、それでも生きることが苦しくて、切ないことなのは変わらないんだ。
「でもね、そんな透明な園田くん、私は好きだな」
彼女の柔らかな声が響く。誰もいない放課後の教室。夕暮れの日差しは暖かいのに、何故だか突き刺すように冷たかった。
彼女は優しい。誰にでも平等に、残酷なほどに。誰かを救うためなら平気で死んでしまいそうな人間だ。
彼女はだから、誰にも傷つけられることがない。誰にでも優しいから。優しさは振りまくほど、誰もが優しさで返そうとする。だから彼女はいつだって、愛されて生きている。
きっと、友情だろうと恋情だろうと、好意を伝えることに躊躇いがないんだ。
僕とは違う、心の底から。
「……はは、ありがとう」
その自分の言葉に、何故かこの胸は傷んでしまう。彼女といる時が唯一の平穏な気さえするのに、彼女といると僕の胸は悲鳴を上げる。
その理由は、多分もうわかっている。わかっているからこそ、彼女が眩しく見えてしまう。
「香穂」
開かれていた教室のドアの外。一人の男子生徒が立っていた。すらっとしていて、僕より断然かっこいい。彼女はそいつを見ると、心底嬉しそうに笑う。ずきり、また胸が痛むけれど、その笑顔はとても綺麗だった。
僕の好きな笑顔だった。
「私、園田くんが幸せなようには見えないよ」
席を立つ前に、彼女は僕の顔を覗きこんだ。陽の光を受けてはちみつ色に輝く瞳は、僕の暗い瞳を余すことなく映しだす。
まるで自分の内面を見ているようで、少し気分が悪い。彼女はそんなことも知らずに、不思議そうに僕を見つめた。
「ねえ、君の幸せって、何?」
後ろの男子生徒が、しびれを切らしたようにもう一度彼女を呼ぶ。彼女は慌てて立ち上がると、僕に振り返ることなくかけていく。
じゃあね、ドアの前でそう言って手を振った彼女の顔を、僕は覚えていない。
幸せって、何?そんなこと僕が聞きたい。答えがどこかにあるというのなら、今すぐ探しに行きたい。彼女の幸せそうな顔が、頭から離れない。
ぼうっとしたまま、時間がすぎるままに。ふと外を見ると、校門の前に見えた彼女と男子生徒の影。ゆっくりと黒いそれは重なっていく。
決して晴れない逆光の光景は、太陽すら僕を馬鹿にしているみたいだ。
足は自然と屋上へ向かった。理由はやっぱり、ない。
風が頬に当たる。それは教室で感じたような暖かな風ではなくて、まるで刺すような風だ。先程の夕日の光と似ている、かもしれない。
僕を刺して、通り抜けていく風。
僕が今、死んでいったら。明日、彼女は泣くのだろう。僕の死を知って、救えなかったと自身を責めるのだろう。
だって彼女は、残酷なほど優しいから。それでも彼女が泣くのは少し嫌だなあ、と思う。けれど空を踏みしめようとするこの足は止まらないから、その考えも消えてしまう。
空の中に、吸い込まれて消えてしまう。
幸せってなんだろう。僕はその答えを持たない。彼女のことだから、なんとなく聞いたのかもしれないけど。
僕にとっては、意外と大きなことだったのかもしれない。分からない。自分のことは昔から、いつだってよく分からない。
けれど彼女が、僕を透明と称したなら。もしかしたら僕の幸せは、透明なのかもしれない。透明だから、見つからないのかもしれない。
透明だから、彼女には見えないんだ。
指先が空を掻く。頬に当たる風と、近づく灰色と。彼女の笑顔が頭から離れない。もしも僕が、彼女のことが好きだったというのなら。
その愛さえ、透明だ。この透明な指先が綴った、透明な心が抱いた、そんな愛なら。
彼女の愛は何色だろう。僕はあまりにも彼女を知らない。知らないけれど、きっと透明ではない。もっと優しくて淡くて、暖かな、彼女らしい色をしているんだ。
透明な愛を歌おう。届いてしまえ、君へ。僕の透明な愛なら、君にも見つからないだろう。届いたって、気付かないだろう?
忘れてしまえ、透明な僕なんか。こんな僕の死を哀しむ義理なんて、君にはないんだ。どこにも。
だから。
「————、」
僕は最期に、透明な愛を吐く。