コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- 八話 ( No.15 )
- 日時: 2016/08/11 00:18
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: rBo/LDwv)
物置に仕舞ってあったビニール製のプールを広げて空気を入れる。
俺が子供の頃、親父に駄々こねて(記憶に無いが)買ってもらったものだ。子供用プールとはいえ、普通はもう少し大きいものだが、どこで見つけてきたのか、子供一人入るのがやっとなくらい狭い。これなら風呂で泳いだ方がよっぽどマシという物だ。
だが、猫用のトイレにするならちょうど良い。スペースをそこまで取る訳じゃないし、洗うのも楽だ。飼い主が見つかるまでの急場は凌げるだろう。
「ほら、トイレはここでするんだぞ」
その小さな体を持ち上げて、即席ビニールプール(猫のシーツ付き)の上に移動させた。
今日の餌はあげたので、あとはこれさえ覚えてくれれば当面の心配は要らなくなる。猫に限った事ではないのかもしれないが、初めに自分の匂いが付いた所でトイレをする傾向にあるらしい。繰り返しさせる事で、ここが自分のトイレなんだと覚えていく。
何事も最初が肝心という事だ。
「ニャウニャウ!」
「いてててっ、引っ掻くな。ワガママ言ってもちゃんとしないとダメだぞ」
どうにも落ち着かないのか「ここから出せ」と言わんばかりに、身体を掴んでいる俺の手をガリガリと引っ掻く。小さくても爪なので引っ掻かれれば当然痛い。正確には痛痒い程度だが。
「お前がちゃんと一人でトイレ出来るようになったら、掴んだりしねぇから」
「ニャウニャウ!」
得体の知れない所に入れられたのが嫌なのか、猫は必死に俺の手から脱出しようとする。
「分かったから。頼むから大人しく——いてててっ! 刺さった」
この後、猫と押し問答(独り言とも言う)しながら、何とかミッションは達成したのだった。
***
翌日、けたたましいアラームの音ともに起床し、壁掛け時計に目をやり時刻を確認。
六時半。いつもより少し早いが、猫の餌やら自分の飯もあるので起きてしまった方がいいだろう。
そういえば、親父はどうしたのだろう? 昨日はあのまま寝てしまったが、帰ってきた様子もない。帰ってきてるのなら、もう少し物音がしてもいいはずだし……。
昨日と同じように猫が部屋の隅で丸まって寝ている事を確認してから、下に降りる。
「やっぱり帰ってないのか」
リビングは昨日のまま。親父の部屋も確認してみるが、もぬけの殻だった。
一体、親父はどこで道草食ってるんだか。スマホに連絡が来ていないかチェックしてみると、一通のメールが入っていた。どうやら、出先からそのまま仕事に行くらしい。
「朝飯、どうすっかな」
一食くらい抜いた所で差支えないとは思うが、授業中にお腹が鳴って注目を浴びるのは避けたい。それと、今日はあいつを連れていくかどうかも問題だ。
「……昨日の事を考えると、連れていくのはマズイよな。でも、家に残していくってのも心配だし」
過保護かもしれないが、助けた以上は責任として不安要素は一つでも無くしておきたい。
これは、前田にあの部室使わせてもらうのを断ったのは失敗だったかな。部活に入るって適当に言って、流しとけば良かった訳だし。いや、さすがにそれは気が引けるか。
結論が出ないまま、猫の餌の準備をして二階に戻るが起きる気配はない。起こすのも可哀相だし、かといって待ってる訳にもいかないので再び一階に降りて、今度は自分の飯の準備をする。
「卵とご飯があれば何とかなるか」
冷蔵庫から生卵を取り出して、余っていた昨日のご飯をレンジに入れて温める。
料理が出来ない俺でも簡単に出来る……その名も『卵かけご飯』シンプルイズベスト。人類が発見した究極の簡単料理と言っても過言はないだろう。
卵を割ると、それを溶いてご飯にかける。ただそれだけ。あとは醤油を垂らせば完成。
「うまい」
安定の美味しさ。このコスパで、この美味しさなら文句のつけようがない。
「……でも、何か物足りない気もするな」
前までこんな事を思った事も無かったけど。昨日の霧咲さんの料理を食べたからか、そんな事を感じる。親父の料理もいいけど、霧咲さんの料理はもっと優しくて胸の中が満たされるような感じで。そういえば、霧咲さんって何処の高校に行ってるんだろう? その辺の話はしなかったけど、今度機会があったら聞いてみるかな——って、こんな事している場合じゃない。もうそろそろ行かないと。
残っていたご飯をかき込むと、洗面台で手早く身支度を整え二階へと上がる。
「今日は留守番しててくれ。終わったらすぐ帰ってくるから」
まだ眠る猫の頭を撫でて、そんな事を言ってみる。もちろん聞いちゃいないし、そんな事を言っても分からないだろうけど一応。初めて留守番させる事に一抹の不安を残しつつ、俺は家を出た。
***
授業終了のチャイムが鳴り響き、昼休みになった。
今日はあいつを連れてきてないから、つつがなく午前中の授業は終わった。でも、授業中も家に残してきたあいつが心配で集中出来なかったので、昨日とあまり変わらないかもしれない。
「逢坂優斗、今日はあのモンスターは連れてきてないのか?」
今日の昼飯はどうしようかと考えていると、背後から前田の声が聞こえてきた。
「毎回連れてきたら大変だからな。……ってか、でかい声で俺をフルネームで呼ぶな。あと、モンスターじゃない」
「はっはっは、いいじゃないか。ところで今日の昼は空いているか? 良かったら一緒にランチをしないか?」
「なんでよりによってお前と飯なんか……断る」
溜め息を吐きつつ不満気に俺がそう言うと、前田は秋野さんの席に視線をやる。
「ふふん、逢坂優斗は秋野沙夜にフラれたのだろう?」
「おまっ——!? どうしてその事を!?」
触れられたくない部分を急に触れられて、心臓が勢いよく跳ねる。
「見ていたからね。夕暮れの教室、君が秋野沙夜に向かって恥ずかしいくらいの告白を——」
「やめろぉぉぉーーーー!! それ以上俺の傷口に塩を塗るなら泣かす! 絶対泣かす!」
パニック気味にそう叫ぶと、教室に残っていたクラスメイトの視線が俺に集中しているのが分かった。
周りでひそひそと囁かれている。昨日も「ニャウ」とか、授業中に注目を浴びるような事をしていたから、話されているその内容は察する事は容易にできた。
何故に俺がこんな目に……俺はただ好きな人に告白して、フラれただけじゃないか。他の誰にも迷惑なんて掛けてないじゃないか。
心の中で嘆いてみても、状況は変わらない。幸いだったのは秋野さんが居なかった事だ。今日は休みのようで、朝から見ていない。
「別に驚く事はないだろう。我が部活はそれが活動内容なのだから」
「お前の所の部は、人のプライバシーを尊重するという言葉はないのか?」
「そんなものを気にしていたら活動できないだろう? それに、あんな公共の場で堂々と告白なんぞしていた君がそんな事を言えるのかい?」
「……くっ!」
前田はいやらしい笑みを浮かべながら、にじり寄る。
「僕はね、君に興味があるんだ。君が望むなら、秋野沙夜と付き合う為の手助けをしてやってもいい」
耳元で囁かれたので、身体に悪寒が走る。
テカる七三分けの髪が目の前にあって、別の意味でドキドキしてきた。言うまでもないが、決して甘い方ではない。恐怖とかそっちの類だ。
「俺に近寄るな」
とりあえず後ろに下がって距離を取る。
「大体、秋野さんにはもうフラれたんだ。キッパリ断られたし、これ以上秋野さんに迷惑は掛けたくない」
声を抑えて、周りに聞かれないようにしながら前田に言う。
あれだけキッパリ言われたんだ。これ以上、俺が秋野さんに好意なんて持っていたら、彼女にとってそれは迷惑以外のなにものでもないだろう。
たださえ気まずいし、俺だって人並みにショックぐらい受けてる。もう一度なんて、そんな気持ちにはならない。死ぬと分かっている場所に自ら飛び込むほど俺もバカじゃない。
「ふふん、人生はいつだってトライ&エラーだ。一度の失敗で怖気づくのは面白くないだろう」
したり顔でそんな事を言ってくる前田を無視し、俺は立ち上がって教室を出る。
何がトライ&エラーだ。知ったような事を言いやがって。俺にとっては一世一代の告白だったんだ。そう何度も何度もトライする程、俺の心は鋼じゃない。
「購買に行くのかい? 今の時間だともうほとんど売り切れだと思うよ」
背中から掛かる前田の言葉にハッとして、教室内にある壁掛け時計に目をやれば、既に休み時間の半分は過ぎようとしていた。
購買はいつも混雑していて、昼時はさながら戦場のようになっている。もちろん、早く行かなければ人気のパンはおろか、不人気のコッペパンだって食べられるか怪しい。
つまり、この時間の意味するところは、今日の昼飯は絶望的という事だ。俺は恨みを込めて前田を睨む。
「何だい? そんな熱い視線で見られると照れるね」
「……俺はお前が大嫌いだ」
結局、この日は前田と話していたせいで、昼飯を食べられなかったのだった。
- 九話 ( No.16 )
- 日時: 2016/08/11 22:34
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: y36L2xkt)
放課後、少し早足で帰路に就く。
今日はあいつを家に一人にしてきてしまったので、内心かなり心配だった。特に問題は起きていないだろうとは思いつつも自然と足が速くなる。午後の授業では案の定、俺の腹がグーグー鳴って「またお前か、逢坂」と、国語の教師に飽きれた目で言われてしまった。
「……ぜーんぶ、あいつがいけない」
前田のせいで昼は食べられないわ、傷口に塩を塗りたくられて心が騒ぐわで今日は散々だった。結局、昨日と同様に終日授業に集中出来ていないし、猫の飼い主捜しも出来なかった。もうすぐ期末考査も控えているというのに、こんなんで大丈夫なんだろうか、俺。
一抹の不安を抱えながら玄関の扉を開けた。
「ふぃー、腹減った。とりあえず、汗流したいから先に風呂か……おっと、その前に」
二階に上がって自室の部屋を開ける。
出掛けた時とは別の場所で丸まって寝ている猫。一度起きて多少動いたのだろうが、本当に生きているのか心配になるレベルでこいつは寝ている。
霧咲さんは、猫は寝る子からきていると言っていたが本当にその通りだな。
何事もなかった事を安堵しつつ、トイレの確認。……とは言え、まだこいつだけじゃここに上る事は出来ない。部屋のどこかに粗相しているのかと思っていたが、どうやら大丈夫のようだ。
一階に降りて猫用のミルクを作ると、二階に戻り猫を起こす。ほっとくとずっと寝ていそうなので少し可哀相だが。ミルクを飲ませたら、トイレを促す。
「ふぅ……とりあえずこれで一安心」
あとは俺の飯だが、どうしようか? さすがに親父も帰ってくるよな。
なら今日の晩飯は買いに行かないで、先に風呂に入って待ってるとしようかな。
この後の予定が決まったので、足早に浴室へと移動。すると、浴室から水音が聞こえてきた。
「あれ? シャワーの音がするな。親父、帰ってたのか。おーい、親父。今日の夕飯どう……す」
シャツを脱ぎ、半裸になりながら浴室の扉を開ければ、そこに居たのは厳つい顔の親父ではなく、絹のようにきめ細やかな肌をした女の子だった。というか——
「……あ、秋野さん!? な、なんで」
整った容姿、艶やかで長い栗色の髪がしっとりと濡れている。ちょうど出てくる所だったのか、肌の露出が激しい。
湯上りなのか頬は上気していて、水分を弾いた透き通るように白い素肌が眩しく——って、何で冷静に観察してるんだ! えっえっ、何でどうして俺の家に!? もしかして、家間違えたのか!? って、そんな訳ないよな。何だこの異次元に迷い込んだような感覚は!?
「……き」
「き?」
俺と目が合うと、秋野さんの顔がみるみる内に紅潮していく。のろのろと持っていたバスタオルで肌を隠すと——
「きゃあぁぁぁぁぁぁーーーー!! ……こ、この、変態っ!!」
大絶叫された挙句、変態のレッテルを張られ、バッチーンと物凄い音を立てて脳内が揺れるほどの平手打ちをくらったのだった。
***
「いやぁ、悪い悪い。まさか、お前が沙夜ちゃんと知り合いだったなんてな」
帰ってきた親父がガハハと豪快な笑いをしながら、俺の背中をバンバンと叩く。
リビングのダイニングテーブル、俺と向かい合わせに座る秋野さんは、さっきの一件から話してくれないどころか、目も合わせてくれやしない。
事の経緯はこうだ。秋野さんの母親が仕事の急用で出張しなきゃいけなくなったのだが、母子家庭の秋野家に娘をひとり残していくのは物騒だっていうので、古い友人の親父にしばらく預かってほしいと頼んだらしい。
ここからなら学校も近いし、出張に付き合わせて学校を休ませる事もない。——まぁ、そこまでは良かったのだが、俺は何も知らされてない訳で。
ついこの間、秋野さんにフラれたばかりで、そしてさっきは見てはいけないものを見てしまって、もう俺、生きていけないんじゃないかって、わりとマジで思ってる。
「まぁ、許してやってくれ沙夜ちゃん。こいつは馬鹿だし無愛想な奴で、そのうえ性格も捻くれてやがる。だが、進んで覗きをするような勇気もねぇんだ」
「おいっ! フォローすんなら、ちゃんとしろ! ほぼ悪口じゃねーか!」
フォローにすらなってねぇし。息子をこれ以上貶めてどうしようってんだ。
「……私、この人と一緒の空気は吸えません」
「ぐはっ! ……う、うぅぅ」
秋野さんの心臓を抉るような一言に、俺は胸を押さえて蹲る。
「嫌われたもんだな、お前」
「誰のせいだ! 誰の!」
元はと言えば、親父がちゃんと俺に伝えてればこんな事にならなかったんだ。
仲良くなれそうにないとかならまだいい。俺もフラれた時からそれは覚悟はしていたし。
でも、一緒の空気を吸いたくないって言われたんだぞ? もう存在否定だぞ? ついこの間まで片想いしてて、フラれた相手に言われたんだぞ? 追い討ちにも程がある。もう、俺は無理だ。世界は俺にどこまでも優しくなかった。
「……ふんっ」
秋野さんのゴミを見るような目は、俺に死にたいと思わせるには充分な威力だった。
***
奇妙な事に秋野さんとの共同生活が始まった訳だが、それは誰もが想像するバラ色の未来なんかじゃない。イバラの未来だ。だってそうだろう。
つい数日前に俺は秋野さんに告白してフラれたんだ。それだけでも気まずいってのに、今度はその子が家に来るっていうのだ。
しかも、浴室事件のせいで俺の印象は最悪。まるで犯罪者を見るような視線で見られるのだ。もう気まずいなんてレベルじゃない。
「ニャウニャウ」
寝っころがったまま呑気に俺の指にじゃれ付く子猫。
ぴょこぴょこと尻尾を左右に動かし、俺の指を甘噛みする。痛いというよりくすぐったい。
「お前は呑気でいいよなぁ」
俺もこの猫みたいに飯を食べて、面倒な人付き合いなど無い生活を送れたらいいのだが、現実はそうはいかない。どれだけ現実逃避をしようと、目の前に佇む問題は消え去ったりしないのだ。
「はぁ……」
俺の部屋の隣、母さんが使っていた部屋は空き部屋になっているのだが、その部屋を少し片付けて一時的に秋野さんが使うらしい。
隣の部屋からガタガタと物音が聞こえてくる。部屋の整理を親父と秋野さんでやっているはずだ。変態の烙印を押された俺が部屋の片付けなど手伝える訳もなく、こうして猫と戯れながらジッとしているしかない。
「沙夜ちゃん、これはここでいいのかい?」
「あっ、はい。そこでお願いします」
壁は薄いので二人の声は筒抜けだ。
妙にドキドキしてしまうが、既に罪人(ほぼ冤罪)である俺は耳を塞いで嵐が過ぎ去るのを待つのみ。下手に会話の内容を聞いてしまって、また濡れ衣を着せられてはかなわない。
「しかし、とんでもない事になったよなぁ……」
膝の上に上がってきてじゃれる猫を横目に、俺は溜め息を吐く。
せめて告白する前なら違った展開になったかもしれないが、これは生き地獄かもしれない。壁の向こう側に居る秋野さんを想像して、一層気分が重くなるのだった。
- 十話 ( No.17 )
- 日時: 2016/08/12 23:16
- 名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: RnkmdEze)
「ガハハッ、優斗は沙夜ちゃんに惚れてたのか。そらぁショックだわな。だが沙夜ちゃんからしてみれば、鏡見てから出直してこいって話だ」
「おいっ! デリカシーって言葉を知らないのか! それと、この厳つい顔は遺伝だ遺伝。間違いなく親父のな!」
夕食は俺と食べるのは気まずかろうと親父が気を遣い、今日は時間をずらして秋野さんとは別々に食べた。それだけ嫌われているのかと思うと鬱になる。
秋野さんが部屋に戻ったので、俺は親父とリビングで今日の事で話をしていた。
「俺に似たらもっと渋い感じで、周りがほっとかないと思うんだがな」
「何で不思議そうな顔するんだ。親父がもっと——って、そんな事はこの際どうでもいいんだ。何で秋野さんが家に来るって、事前に教えてくれなかったんだよ」
「んな事言ったって、しょうがないだろ。最初はその予定じゃなかったんだ」
「どういう意味だよ?」
「お前、しつこい男は嫌われるぞ? それと、他人のプライベートな事情にズカズカ入り込む奴はモテない」
「……ぐっ」
ビシリと指を差されて、親父にそう指摘される。
確かに秋野さんのプライベートな話だとしたら、俺が無遠慮に話を聞く事は、秋野さんがいい気はしないだろう。わざわざ知らない家に来るっていうんだから、聞いた話よりそれ相応な理由があるのだとは思う。
親父は顎鬚を触りながら、少し真面目な顔つきになって俺を見つめる。
「まぁ、あの子も色々あるんだ。お前がフラれた相手で辛いのは分かるが、家に居る間は出来るだけ仲良くしてやってくれ」
「……俺が仲良くしたくても、向こうは嫌だろ」
「そこを何とかするのが、いい男の条件ってやつよ。ガハハッ」
「それが簡単に出来たら苦労しねぇっての」
***
風呂に入り、着替えを済ますとおもむろに猫と戯れる。
さっきも遊んだが妙にじゃれてくるので、きっとこいつは俺を慰めようとしてくれているのかもしれない。って、そんな訳ないか。なーんも考えてなさそうだしな。
腹の辺りをわしゃわしゃと触ると、猫が両手両脚で俺の手を掴んで怒った。
腹を触られるのは嫌なのだろうか? 俺の手を掴んだまま、両脚で連続蹴りをしてくる。爪が引っ掛かって地味に痛い。
「悪かった、もう腹は触らないからやめろ」
皮膚に刺さった爪を抜くと、猫を抱きかかえていつもの寝床スペースへと運ぶ。
猫は夜行性だとネットに書いてあったので、こいつはここからが活動時間なのだろう。
俺は夜行性ではないので、これ以上こいつに付き合ってはいられない。立ち上がってベットまで移動すると、電気を消して布団へと潜り込んだ。
目を閉じるが眠れない。隣の部屋から微かに聞こえてくる物音。いつもは聞こえないはずの音が妙に気になってしまう。目を閉じているからか、聴覚は鋭敏になっているみたいだ。
「……くそ、眠れねぇ」
仕方なく目を開けて寝返りを打ちつつ、隣の部屋へと繋がる壁に視線を移す。
ついこの間まで恋焦がれていた相手が隣の部屋に居る——その事実に胸が自然と高鳴る。
けど、もう俺の好感度は地の底まで落ちてしまった。最初から進展なんて望めないし、これまで通り友達として付き合うという一縷の望みさえも潰えた。
神様ってのは、人に困難を与えるのが趣味らしい。馬鹿げた考えだが、そうでも思わなきゃやってられない。こんな偶然があってたまるか。
「——は、大丈夫。うん」
壁越しに秋野さんの声が聞こえてくる。誰かと電話をしているのだろうか?
気になって仕方ないが、他人の会話を盗み聞きするほど俺は落ちぶれてはいない。掛け布団を思いっきり引っ張って、頭をすっぽりと布団の中に入れた。
これで少しくらいの音ならシャットアウトできる。これ以上、罪状が増えるのはごめんだ。目を閉じて何か別の事を考えてれば朝が来る。そうしたら、隣の部屋に気を遣う必要はない。そう呪文のように頭の中で繰り返して、必死に眠ろうと努力をしたのだった。
***
「い、一睡もできなかった……」
爽やかな陽光が窓から射し込む。梅雨の晴れ間なのか、久々に雨音がしない。
けど、そんな爽やかな天気とは対照的に、俺の気分はブルーだった。いや、もうディープブルーと言っても過言ではない。
眠ろう眠ろうと思えば思うほど眠れなくなり、結局そのまま朝を迎えてしまった。
「……寝てないとか、シャレにならん」
昨日、一昨日と俺は授業に集中出来ていない。
今日もこの調子だと頑張って起きていても、授業の内容は頭に入ってきそうにない。このまま二度寝して、学校なんて休んでしまいたい気持ちに駆られる。
だが、そういう訳にもいかないので、気力を振り絞って布団から這い出た。手早く着替えて一階に降りると、猫の餌の準備を始める。
そろそろ離乳食を検討してもいいかもしれない。今度、霧咲さんに相談してみるか。
「ニャウ」
部屋に戻り、俺が揺すって起こそうとすると「まだ眠いんだから、起こすなよ」という目で俺に訴えてきた。少し気は引けるが、帰って来るのが夕方になってしまうので食べてもらわないと困る。
「ほら、ちゃんと飲まないと後で腹減るぞ」
宥めるように言って飲ます。
本当はトイレも今の内に済まさせておきたいが、こればっかりはタイミングもあるので仕方ない。この間、用意したトイレはお気に召さなかった上に、こいつ一人ではトイレに行けないので、近々新しい方法を考えなきゃな。いや、その前に飼い主を見つけないと。
それが済むと、今度は洗面所へとダッシュする。昨日から秋野さんが来ているので、また不幸な鉢合わせをする前に準備は済ましておきたい。
「——あっ」
「……またですか?」
洗面所へと続く扉を開けると、昨日と同じ様な光景が広がっていた。いや、もちろん今回は一糸纏わぬ姿じゃなく制服姿だが、秋野さんの刺し殺すような視線が痛い。
「ち、違うんだ。俺は顔洗って歯を磨こうとしただけで!」
「……外で待ってて下さい。すぐに終わりますから」
そう言うと、勢いよく扉は閉められた。
俺はなんて間の悪い奴なんだ。扉の前でガックリと項垂れていると、背後から肩を叩かられる。
「優斗、扉が閉まってる時は家でもノックする癖を付けた方がいいぞ? 俺もこれ以上は庇いきれないからな」
「……親父、意外とちゃんとしてるんだな」
「ガハハッ、だてに母さんと一緒に暮らしてない」
いつものように豪快な笑い声を上げながら、再び俺の肩をバンバンと叩く。
そっか。俺は覚えていないけど、親父は母さんと一緒に暮らしていたんだもんな。その辺のマナーというか、デリカシーみたいのはある訳か。こんな厳つい顔してても。
「お前、今凄い失礼な事を考えてたろ?」
「いやいや、さすが人生の先輩だなって思っていただけだ」
適当な言葉でお茶を濁してその場を去る。
秋野さんは外で待っていろと言っていたが、またここで待っていて変な不信感を抱かせるような真似をする訳にはいかない。秋野さんが出てくるまで別の場所に居た方が安全というものだ。そう思い、俺はリビングへと戻った。