コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

十三話 ( No.25 )
日時: 2016/08/20 01:27
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: RnkmdEze)

「さすがに遅いよな。連絡してみるか」

 時計の針が天井を指す頃、今の時間になっても連絡もなしで帰ってこない親父に、さすがに心配になった俺は電話を掛ける事にした。
 プップッと無機質な音がしたあと、コール音に切り変わる。数回コールしてから電話は繋がった。

『おう、優斗か。こんな時間にどうした』

「どうした、じゃねーよ。連絡くらいよこせ」

『ガハハッ、お前が俺を心配するなんて珍しい事もあるもんだ。明日は雪だな』

「ちょっと気になっただけだ。心配なんかしてねーし」

 電話口の声は、元気そうで安心した。特に問題はなさそうだが、一体何でこんなに遅くなってるんだ?

「そんな事より、まだ帰ってこないのかよ?」

『あぁ、悪いな。それより沙夜ちゃんの飯、今日はどうしたんだ?』

「質問に答えろよ。……秋野さんは、俺が余計な事を言っちまったせいで、怒らせてからそれっきりだ」

 俺のミスなので言いづらいが、ここで隠しても仕方ないので正直にそう告げる。
 願わくば親父には早く帰ってきてもらって、秋野さんに飯を作ってもらいたい。いや、まぁ秋野さんも子供じゃないし、自分の飯くらい作る事は問題ないだろうが、慣れない家で勝手に冷蔵庫を開けるのも気を遣うだろう。
 かと言って、友好関係が最悪な俺に頼みづらいだろうし。この八方塞がりな状況を打開するためには、親父の介入が不可欠。
 これほどまでに親父の帰りを望んだことは間違いなく今回が初めてだ。

『まったく、しっかりしろよ優斗。そんなんじゃ少しばかり心配だな』

 嘆息混じりのその言葉に、受話器越しで親父の渋い表情をしているのが分かる。
 無茶を言ってくれる。この状況下でそつなくこなせる強者が居るなら見て見たいってんだ。

『なんだ、ちょっと言いにくいんだが……帰るには帰るんだが、少しばかり野暮用ができてな』

「野暮用? またかよ、今度は何だよ?」

『あぁ、それがな、今度のはちょっと時間が要りそうでな。今日、会社に無理言って有休休暇の届け出したんだよ』

「……は?」

 親父のバツの悪そうなその声に、嫌な予感が脳内を過る。
 有給休暇? 何? この流れだと休み取って家に居るって事じゃないよな?

『まぁそれで、休む前に仕事を片してたんだ。そしたらこんな時間だよ、ガハハッ。……それでだ、すまんが、一週間だけ家を空ける』

「は……はぁぁぁぁ!?」

 ——驚愕した。親父は今の状況を理解した上で、言っているんだろうか?
 一週間、二人きりだと? この針のムシロのような状態で? あり得ないだろ。殺す気か?

「待て、待て待て待て! そんなの絶対無理だ! 大体、そんなに休んで何処に行くんだよ!?」

『あぁ、まぁ、お前には言っておくべきか』

 少しだけ親父の声が強張る。

『沙夜ちゃんのお母さんな、本当は今入院してるんだ。まぁ、本人も大丈夫だとは言ってるんだけどよ』

 入院? 秋野さんのお母さんは、今出張に行っていて、その関係で家に来たんじゃなかったのか?

『娘に余計な心配かけたくないって言うんで、沙夜ちゃんには出張だなんて言ってたらしいがな。……あいつは他に頼れる人も居なくてな。何かと一人じゃ大変だろうから、少しばかりお節介しにいこうと、な』

「……そ、そうなのか」

 秋野さんのお母さんの病状は、もしかして余程悪いのだろうか? だが、親父のお人好しは今に始まった事でもないので、本当のところはそこまで酷い訳じゃないけど、念の為にという可能性もある。いずれにしても、推論なので何とも言えないが。

『まぁ、いずれにしても荷物もあるし、一回帰るから安心しろ。それと、今の話は絶対に沙夜ちゃんに言うんじゃねぇぞ?』

「あ、あぁ。それは、もちろん」

 色々と聞きたい事はあったはずなのに、頭の中は真っ白になってしまっていて、親父にそれ以上の問い掛けを重ねる事は出来なかった。


 ***


「で、どういう事なんだよ?」

 草木も眠るなんとやら。ようやく止んだ雨、開け放した窓からは湿度を乗せた風と、虫の声が聞こえてくる。
 帰ってきた親父に俺はそう尋ねた。理由はさっき電話で聞いたが、もう一度ちゃんと整理しておきたかったというのと、確認の為。あり得ないとは思うが、これが冗談だったとしたら騙されて狼狽えている俺は酷く滑稽だろう。まぁ、親父がこんな大事な事を冗談で言う訳はないだろうが。
 少し疲れた顔をして、親父は俺に視線を合わす。

「さっき言った通りだ。昨日も言ったが、あんまり人の家庭事情を嗅ぎ回るなよ?」

 リビングの椅子にどっかりと腰掛けると、にべもなくそう返された。
 これ以上は聞いても何も答えないと言われているのだろう。気になるところであるが、俺も強くは聞けない。

「……あぁ」

 やはり親父も冗談で言ってる訳ではなさそうだ。親父の答えはあらかじめ想定していたので、特に驚きもない。
 色々と問題はあるが、今のところ秋野さんのお母さんの容体は俺が心配してもどうなる訳ではない。だとしたら、目下の問題は秋野さんとの距離感だろうか。このままでは秋野さんは居心地が良くないだろうし。どうしたものか。

「そういえば、あの猫の飼い主は見つかったのか?」

 不意にそんな事を尋ねられて、思考が停止する。
 もちろん、忘れていた訳じゃない。今もまだ放課後に飼い主探しは継続中だし、ただもう四日目。親父との約束で期限は一週間となっているから、あと三日しかない。休みも入れると、さらに日数は少なくなる。

「あ、あぁ、まだだけど、絶対見つけてみせる」

 強がってみるが、状況は芳しくない事は事実。
 親父は有言実行を地でいく人なので、ここまでと決めたら、それ以上の日数の変更は許してはくれないだろう。
 もしこのまま見つからなかったら? あいつに希望を与えてしまった分だけ、俺は余計に残酷な事をしてしまう事になるんじゃないだろうか? 一瞬だけそんな考えが頭を過り額に嫌な汗が滲む。

「優斗、約束ってのは守る為にあるんだ。破る為にある訳じゃねぇぞ」

「……分かってる。必ず見つける」

 念入りに釘を刺されて、俺は胸の中にどっと重い物が入ってくるような感覚に囚われる。
 自分が言い出した事、それだけにその責任は重い。

十四話 ( No.26 )
日時: 2016/08/23 23:45
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: MHTXF2/b)

 あの後は結局、親父は荷物を纏めると一時間もせずに出かけて行った。
 行き先は、秋野さんのお母さんが入院している病院らしい。詳しい経緯までは分からないが、秋野さんのお母さんの容体が良くなる事を願うしかない。
 滞在は一週間と言っていたので、帰ってくるまでには猫の飼い主も見つけておかなければならない。それと——秋野さんとの距離感を少しだけでいいので改善したい。せめて、お互いがギスギスした雰囲気にならない程度には。

「……今日もダメ、か」

 放課後、今日も今日とて飼い主探しは難航した。
 今日は文化部を中心に部室を回ってみたが、昨日と同じ様な反応が返ってきただけだった。連日降り続く雨のせいで、屋上に出て気分転換という訳にもいかない。こうなってくると、焦燥感に駆られ気分も滅入ってくる。
 シトシトと小雨が降る中、ビニール傘を差して歩く。降り続いた雨のせいで、道路のあちらこちらに大きな水溜りが出来ている。
 今日は親父が居ないので、家に帰る前にスーパーに寄って何か買っていかなきゃな。そんな事を考えながら歩いていると、いつもの旧橋に差し掛かった所で見知った顔を見つけた。

「あれ?」

 セミロングの黒髪に、大きな瞳、華奢な体躯、そこに佇んでいるだけで、まるで映画のワンシーンのように絵になる。霧咲雨音さん、お隣さんで、先日俺が猫を拾った時に色々アドバイスをくれて、夕飯まで作ってくれた親切で少し独特の雰囲気がある子だ。
 旧橋の隅に立ったまま、水色の傘を差して、流れる川を眺めている。水面には落ちてくる雨粒で細かな波紋が広がっていた。降り続いた雨のせいで、川の水嵩が増している。これ以上振り続けるようだとこの橋は危険かもしれないな。それにしても、霧咲さんは一体何を見ているんだろう?
 少し不思議に思いながらも、俺は霧咲さんに声を掛ける。

「おーい、霧咲さん」

「ん、逢坂君。こんにちは」

 俺が背後から声を掛けると、霧咲さんはゆっくりと振り向いた。
 相変わらず表情の変化が乏しいのと、声音に抑揚が無いのでイマイチ機嫌が分からない。
 学校の帰り——という訳ではなさそうだな。霧咲さんは既に私服だ。カーキー色の七分丈パンツに、英字のロゴが入ったラフな白シャツ。少しボーイッシュな服装だ。
 そういえば、プライベートな話はあんまり聞いていないな。両親が不在気味というのはこの前聞いたけど。まぁ、知り合ってからそこまで経ってないし、どこまで踏み込んで聞いていいのかも分からないので、迂闊には聞けないんだけどな。
 きっとこの辺の踏み込めない距離感みたいのが、秋野さんともあるのかもしれない。いや、もちろん秋野さんとは他の要素が大きい事は言うまでもないが。

「今日はどうしたの——って、買い物か」

 俺が尋ねる途中で霧咲さんは、片手に持ったエコバックを見せてきた。中には野菜やら肉などが入っている。
 なるほど、一人が多いとは言っていたけど、ほぼ毎日のように霧咲さんは料理をしているのか。本当に偉いな。

「逢坂君は、今帰り?」

「あぁ、これから帰って猫に餌やって、夕飯の準備かな」

 最初こそ心配して学校まで連れて行ったりしたが、あいつは意外に賢い奴という事が分かったので、俺は特に心配していない。
 きっと帰ったらトイレをして、餌をあげたらまた眠るか、一人遊びをするんだろう。寝る前にちょっと俺が遊んでやればいいだけだし。
 が、問題はもう一人の客人の方だ。
 昨日の一件で秋野さんの怒りをさらに買ってしまったので、今日もコミュニケーションは難航すると思われる。それに、今日から親父も一週間帰ってこない。緩衝材の無い我が家で何が起こるかなんて予測不能。地雷原を歩くような緊張感を持って接しなければならない。いやマジで。
 猫の飼い主探しに、家での秋野さんとの距離感。難題は続く。

「何か作るの?」

 抑揚のない声音で問われて、俺は苦笑する。

「いや、買う。その方が安い」

 ハッキリ言って、俺も秋野さんも料理の腕前は同じ(昨日の様子から察するに)くらいだ。
 目玉焼きも卵かけご飯もそう変わらないだろう。まさか三食とも目玉焼きという訳にはいかないし、三食とも卵かけご飯という訳にもいかない。
 もちろん、練習していけば作れるようにはなると思うが、その手間や費用を考えると買った方が断然お得なのだ。どうせ一週間だし、問題ないと思う。

「良かったら、私が何か作ろうか?」

 透き通った眼で俺を覗き込むようにして、霧咲さんはそう言う。
 嬉しい申し出だけど……いや正直、霧咲さんの料理が食べられるのなら、光の速さでお願いしたいんだけど、秋野さんとの絡みを考えると非常に難しい。せめて俺がもう少し普通に話せるようになってからの方がいい気がする。

「ん? 都合悪い?」

 不思議そうな眼差しで、霧咲さんが問いかける。
 俺は心で血の涙を流しながら、作ったような笑みを無理矢理浮かべた。

「いや、今日は知り合いが来ていてさ。色々気を遣わせると思うから。悪い」

「ん、なら仕方ないよ。あっ、こんな時間。私、そろそろ帰るね」

 霧咲さんは思い出したかのように小振りな腕時計で時刻を確認すると、そう言う。
 基本的に霧咲さんは感情の起伏が乏しい。けれど、なぜか寂しさが混じったような声音で言われた気がして、申し訳なさが込み上げてくる。踵を返して帰ろうとする霧咲さん。俺は買い物をしていかなければいけないので、ここからは別の道だ。
 何かこのまま別れるのは嫌で、霧咲さんの料理はまた食べたいって伝えておきたくて——

「あ、また今度! ……また今度作ってくれないか? その、この間の料理、凄く美味かった」

だから、思わずそんな言葉が出た。もちろん嘘じゃない。本当に霧咲さんの料理また食べたいのは事実だ。あの時から、あの味は忘れられない。

「ん、また作るね」

 振り返って、言葉少なに返事をした霧咲さんの相変わらず表情の変化は乏しく、感情は読めない。
 けど、少し嬉しそう微笑んで見えた気がしたのは俺の願望だろうか? 霧咲さんに対しては俺の願望が先行してしまっている気がするな。都合の良い解釈ばかりにならないように注意は必要かもしれない。秋野さんの事もあるし、な。あの時も勝手に盛り上がって、勝手にフラれて、勝手に落ち込んだ。そして、今は毛嫌いされている始末。
 本当に人生ってのはままならないものだ。たかだが十何年ぐらいしか生きていない俺が言うのもおかしいけどな。
 弱い雨が降り続く中、霧咲さんの背中が見えなくなるまで見送ってから、俺はいつものスーパーへと歩き出した。

十五話 ( No.27 )
日時: 2016/09/03 18:55
名前: ゴマ猫 ◆js8UTVrmmA (ID: y36L2xkt)

「しゃーせー。あっ、ちっす」

 通い慣れたスーパーの自動ドアをくぐると、ここ最近で見慣れた顔が視界に飛び込んでくる。長く伸びた茶髪に、耳ピアス、首元がよれたTシャツの上から店のエプロンを付け、ダメージ加工され、膝の部分がバックリと裂かれたジーンズ。相変わらず見た目がチャらい。

「どうも、じゃ」

「ちょ、なに急いでんすか? トークしましょうよトーク」

 雑に返事をして横をすり抜けようとすると、腕を掴まれる。
またかっ。前田といいコイツといい、どうして俺は変な奴に絡まれるんだ。ギロリと睨みつけてやるが、チャラ店員は意に介さず、カラカラと笑う。

「変顔好きっすね、俺的にはもうちょいアレンジ加えた方がおもしろ——」

「睨んでるんだよ! 察しろよ!」

「今日も猫の餌っすか?」

「……話を聞けよ」

 別に話したくなどないのだが、無視されるとそれはそれで腹が立つ。
 というか、もう敬語とかいいか。そういうの特に気にしなそうだし、面倒になってきた。

「違う。今日は夕飯を買いにきたんだよ」

「おっ、なら今タイムセールやってるんで、弁当とか安いっすよ」

「マジ?」

 おい、初めて有益な情報くれたぞ。今までは猫の餌の場所を聞いても知らなかったし、急いでいるのにトークしましょうよとか言って、イラつかせられたけど。セールで安くなっているのなら財布にも優しいし。
 一応、一週間分の生活費は親父から貰っているのだが、無駄遣いは出来ない。秋野さんの分も預かっているので渡しておきたいんだけど、タイミングが合わないんだよな。

「マジっすマジっす。今日はハンバーグ弁当が五十パーオフっすね」

 俺が反応したせいか、チャラ店員は嬉しそうにブンブンと首を縦に振って、俺の腕を掴んで引っ張る。

「お、おい、引っ張るな!」

「急がないと売り切れちゃうっすよ」

 グイグイと引っ張られて、弁当が置いている総菜コーナーへ。
 セールという事と時間も時間だからか、棚に置いてある弁当やおにぎり等は少なくっており、残り僅かという状況だった。チャラ店員が言うように急いで良かったかもしれない。秋野さん分も買っていった方がいい、よな? ハンバーグ好きだろうか?
 平棚に並べられたハンバーグ弁当を一つ手に取り、二つ目を手に取ろうした瞬間、伸びてきたてに最後のハンバーグ弁当を掠め取られた。

「ちょっと、今俺が——なっ!?」

「やぁ、すまないね逢坂優斗。つい君と同じ物が食べてみたくなってね」

 そこに居たのは、前田憲之だった。
 七三分けで油を頭から被ったようなテカり具合、顔を覆い隠すような大きな眼鏡、一度帰ったのか制服でなく私服だった。赤と黒のチェックのシャツをINして、夏だと言うのにボタンを最後までキッチリしめている。……いや、前田の服装の情報なんて正直どうでもいいのだ。だが、最後のハンバーグ弁当を奪った罪は償わさせねばなるまい。

「……その弁当返せ。今なら許してやる」

「君が持っている弁当となら、交換してあげてもいいよ」

 口の端を釣り上げて、前田は不気味に笑う。
 それは意味がないだろうが。コイツは俺の嫌がる事を率先してやってくるな。あれか? 俺が部活の勧誘を断ったから嫌がらせでもしてるんだろうか?

「あれ、知り合いっすか?」

 不意に俺の後ろに居たチャラ店員がそんな声を上げる。

「はっはっは、ただの知り合いじゃない。親密な、だよ」

「呼吸するように嘘を吐くんじゃねぇ」

 前田がチャラ店員の声に気付き、そんな事を言うものだから思わず語気が荒くなる。
 ってか、どうでもいいが、ハンバーグ弁当を返せ。手を伸ばして、前田の弁当を奪い取ろうとするが、手首を返してヒラリと躱されてしまう。くそっ、意外に反応が早い。

「おっと、そんなに僕と話したいのかい?」

 前田は俺に近寄ると、耳元でそう囁く。あまりの気持ち悪さで、鳥肌が全身に立つ。その気持ち悪さと言ったら、黒くて皆が嫌うあの虫が顔面にへばり付いてきたような感覚だ。うぅ……寒気がしてきた。

「やめろ、俺に近寄るな!」

「おや、それは残念だ」

 即座に距離を取るが、目的の物(ハンバーグ弁当)は奪えなかった。
 くそっ、この間から気持ち悪い事ばっかり言いやがって。聖水とか掛けたら浄化されたりしないだろうか? なんとなくゾンビとかアンデット系に近い部類だと思うし、光とか聖なる力には絶対弱いだろ。俺はどうにもコイツは苦手だ。
 そんな俺の怨嗟の視線なんて意に介さず、前田は買い物カゴに弁当を入れる。

「あぁー、それラストっぽいすね。他にも値引きしてるのあるっすけど」

 チャラ店員は少し申し訳なさそうに他の棚に視線を向けながら俺に問い掛ける。
 確かに他の棚には、おにぎりや蕎麦がまだ残っている。
 けど、おにぎりは人気の具ではなく、普段ならそうそう選ばないような、シャレで作っちゃいました的なゲテ物の具だ。かと言って、夕飯が蕎麦というのも俺には物足りない。

「……何でお前がここに居るんだよ?」

「少し調べものをしていてね。小腹が減ったので来た訳だが——なんだい? 僕がここに居るとマズイ理由でもあるのかい?」

「べ、別にある訳ないだろ」

 咄嗟にそう言うが、コイツには色々知られたくない事がある。
 それは俺の住所もそうだが、秋野さんが今現在において、保護者不在の俺の家に住んでいるという事なんかが知られたらどんな事態になるか想像もつかない。

「ふふん、嘘が下手だね。顔の筋肉が動いているよ?」

「——なっ!?」

 思わず自分の顔を触って確かめてしまう。だが前田は、そんな俺の様子を見てから堪え切れないといった感じで吹き出して笑った。

「ふっ、ふははっ、嘘だよ。君は素直だね」

「……こ、この野郎」

「まぁまぁ。よく分かんないっすけど、お店でケンカすんのやめましょ。ほら、パインむすびとか俺のオススメっすよ」

「そんなもん食えるかっ!」

 強引にこの場を収めようとしたのか、それとも空気を読んでいないだけなのか、チャラ店員は輪切りにしたパインの間に挟まったおにぎりを勧めてくる。
 時間が経ったせいか、白米の部分がパインに侵食されて黄ばんでいる。どう考えてもパインと白米はミスマッチだ。考えた奴出てこいと大声で言いたい。

「じゃあ、こっちの岩むすびとかどうっすか? 岩みたいに硬くて、歯ごたえ抜群の新作おにぎりっす」

「……分かった、お前の趣向はよく分かった」

 一瞬でも今日はまともな事を言うじゃないか、と思った数分前の俺を殴ってやりたい。
 前田と違って、天然でふざけた事を言ったりやったりしてくる分タチが悪いな。

「すまないね、うちの者が迷惑を掛けて」

「誰がうちの者だ!」

 今度は前田が嘆息混じりにチャラ店員にそう言ったので、速攻で突っ込む。もう処理しきれない。さっきから声を上げ過ぎたせいなのか、周りの人達からは奇異の視線を向けられている。
 あぁもう、何でこんな事に……。

「僕は本当に食糧を買いにきただけだったんだが——」

 前田はそこまで言って、チャラ店員からチラリと視線を俺に移す。
 獲物を狙う蛇のような視線がまとわりついてきて、正直なところ弁当などどうでもいいから逃げ出したくなった。

「思わぬ収穫だったよ」

 前田は、そのまま舌なめずりでもしそうな表情でそう言う。
 ひぃぃ! と、鳥肌が! とりあえず今討っておかないと厄介な事になる! 武器は、何か武器は無いのか!? パニックになりそうな所で、チャラ店員が俺の前に割り込む形で前田に駆け寄った。

「おぉ、このパインむすびの良さが分かるんっすね! これなんかもどうっすか?」

 自分のお勧めを気に入られたと勘違いしたのか、にこやかに笑いながら前田に別のお勧めを説明していくチャラ店員。だが、そんな事はどうでもいい、本当にどうでもいい。
 とりあえず今の選択肢は前田を討つか、全力で逃げるかだけだ。さもなければ、家の特定をされた上に要らない情報を前田に与える事になる。運命の悪戯か、今は家に秋野さんが居るのだ。そんな情報をこの男に握らせたら、どんな事態になるのか考えるだけで恐ろしい。
 俺は前田がチャラ店員と話している間に適当におにぎりを掴んで、その場を足早に後にした。