コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

終わりだけが見える ( No.1 )
日時: 2016/08/04 04:22
名前: 有村めぎ (ID: /48JlrDe)




 小さい頃のこと、覚えてるか。淡々とした口調でそう呟く彼の輪郭は、いつのまにか幼い柔らかさを失って、ただシャープな影を落としている。ゆっくりと出来れば気づかれないといい、と、考えたその僅かな頷きを見てしまった彼は、迷うような目をしたあとすぐにうつむいてしまった。彼の見透かすような黒い瞳が見えないことをいいことに、私のグラスからはぽたぽたと水滴の汗が落ちる。私の涙は出なかった。もしかしたら、私は、もうずっと、今から告げる彼の言葉を、何年も待っていたのかもしれない。

「小さい頃、凄く楽しかった。お前がうちの近くに引っ越してきて、毎日遊んで、中学ん時は離れたけど、また高校で一緒になってさ。本当、毎日、楽しくて、嘘じゃない、うそ、じゃないんだ」

 彼は私の好きだった黒い髪を茶色に染めてしまったらしい。みんなやってるから、と不器用に顔をそっぽに向けた彼に少し笑い、少し寂しくなったのを、よく覚えている。彼は顔をてのひらで覆って、ごめん、と呟いた。あなたが謝ることなんてない、と言いたかったのに、彼を知らぬ唇は閉じたままで動こうともしなかった。
 それは逃げ出したかったからなのか、私は窓から見える夕日に視線を寄越す。爛々と煌めくその光に、見覚えがあった。そうだ、学校にあった錆びれた焼却炉だ。嫌なものはなんでもかんでもあそこに投げ入れていた。算数の宿題、夏休みの絵日記、点数の悪いテスト。こんな関係も燃やせたら、と遠く思った。

「あの頃はなんにも怖いことなんか無かった。でもさあ、もう無理なんだよ。俺たちどうあがいたって兄妹で、このままじゃ二人とも馬鹿みたいな色んなものに押し潰されて死んじまう。なあ、このまま生きてけるわけないんだよ」

 どうしようもなくて、目を瞑る。何も小学校の時から「仲良し」だったのは、私たちだけじゃなかった。母子家庭の私と父子家庭の彼。子どもの私たちが仲良くなれば、自然と親たちだって顔を合わせる機会が増えるだろう。つい先月のことだ。彼のお父さんと私の母が結婚すると聞いたのは。関係はあなたたちが小学校の頃からだった、でもまだ幼かったから、でも高校でもあなたたちが一緒になって。本当にごめんなさい。
 涙声で謝る私と彼の関係を知らない母を責めることなんて出来なかったし、彼もそうだったのだろう。どちらもその日は泣いた。わんわんと子どもの頃に戻ったように。でも現実は違う。幼い頃になんて戻れなかった。
 二人だけでいった海の塩辛い温さを知っている、沈んだ布団のやわらかさも、靴を飛ばして遊んだ心の軽さも。どれも今は手に入らない、失われたものだった。

「俺たち、もうだめだ」

 彼は聞いたことないような冷たい声で言った。それでも、彼の顔をぐちゃぐちゃに濡らす涙は、昔と同じで、なにもかわっていなくて、それだけでもうわかっていた。私も彼と同じように、ぐちゃぐちゃに泣いた。これからは私たち別々なんだって、そう、感じて。