コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

アリスブルーに融ける ( No.3 )
日時: 2016/08/07 16:54
名前: 有村めぎ (ID: a0p/ia.h)



 月がぼんやりと暗闇に浮かんだ夜だった。昼に降った雨のおかげで水たまりにその美しい光を注いでいたが、透き通っているその水面は、けれども底の見えない深さがある。その不思議な水たまりに誤って片足でも突っ込もうものならそのまま落ちてしまいそうだった。どこへって?底のない海にだ。

「今、何考えてるの」

 彼の呟きを咀嚼してしまったかのように、私の顔を映していた水たまりはゆるりと歪む。特に何も、とうつむき、歪んでしまった私を見つめた。彼も同じように水たまりを見る。歪んだ顔がもう一つ増えた。二つの顔の上に位置する丸い月は鈍くも暖かな光を放ち、そこにゆらゆらと浮かんでいる。彼が空を見たので私も空を見る。そこには同じく綺麗な月があった。

「ね、知ってる?水たまりの向こうにはもう一つの世界があるんだよ」

 彼が言う。おぼろげな脳の奥を辿ると、そんな絵本を見た記憶があった。水たまりに偶然落ちてしまった主人公は、そこでたくさんの宝物を手にする。それは主人公の貧しい家に幸福をもたらす財宝だったり、大切な友だちだったり、素敵なあの子、だったり。
 そんなものが手に入ったならどんなに素敵だろうか。確かその物語のオチは、欲を出しすぎた主人公は一生水たまりのなかから出られませんでした、なんてものだった。ならば私は、彼を貰ってそして家に帰り、幸せに暮らすことが出来るだろうか。私が欲しいのは素敵なこの子、ただ一人なのだから。

「あの話は本当なのかなぁ」

 ばしゃんと音を立て、彼の足が水たまりに沈む。水は彼の存在を認めず、じわじわと波紋が広がり、月は揺れるだけだった。彼は落っこちることもなくただそこに存在している。どうやら私の予想は間違いだったらしい。そして彼の予想も間違いだった。

「残念、」

 彼がぱっと顔を上げた。悪戯が成功したような明るい顔に反して、今にも泣きそうな掠れた声が耳に響く。

「なかったね」

 彼の欲しい世界は無かった。ということで、私の欲しい世界も、きっと無いのだろう。