コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ
- Re: たそがれ繚乱 ( No.6 )
- 日時: 2017/02/04 14:02
- 名前: 薄葉あた丸 (ID: r5KTv1Fp)
ネックレスを胸に抱きながらはしゃいでいる女の子の、この言葉に、今まで自分のものを買いに来ていたとばかり思い込んでいた私は度肝を抜かれた。
店の主人も同じように思っていたらしく、一瞬うろたえる。
道理で子供に相応しい雑貨をことごとく断っていた訳だ。
はっはっは、何だ、そうだったのか、と頭を掻きながら店主は言った。
「それなら少し安くしてあげよう。そうだな、二十ラウルくらいでどうかな」
銀貨二枚分か。
随分と手の込んだ物にしては、安いものだ。
しかし女の子は腕に引っ掛けていた巾着袋の中身を見てから、恥ずかしそうに顔を歪める。
恐る恐る取り出したのは、銅貨五枚と、綺麗な三角の形をした紫色の石。
「これじゃたりないよね……」
ネックレスを戻し、涙声になりながら、じっと巾着袋を見つめる。
どんなに悲しそうな顔をされても、店主は商人だ。折れるわけにはいかないらしい。
二箇所からもれる重いため息を聞いて、私は黙っていられただろうか。
「少しよろしいかしら。——私はこれとこれが欲しいですわ。金貨一枚で足りる?」
私は簡素な台に並べられた小さな鏡と、少女の欲しがっていたネックレスを指差した。
「あ、ああ勿論」
「それでは、頂いていきますわね」
私は店主の左手の中に金貨を一枚握らせ、有無を言わせずに少女の手を引いて立ち去った。
呆然と立ち尽くしているのが見なくても分かる。
ああ、甘い。甘すぎる。こんなだから私は人々の花のような存在になってしまうのだ。
額に手のひらをかざして自分を責める。
「あの、それ」 女の子は私の握っているネックレスを見つめた。
初めは大人ぶった子供だと軽蔑していたが、母親の為だと知ったからには突然愛らしく感じる。
よく見れば、彼女の身なりも決して裕福そうには見えなかった。
「どうぞ。お金はいらなくてよ。私からの贈り物」
青い雫のネックレスを少女に手渡す。彼女は怪訝な顔でそれを受け取った。
——なんですって?
「でも、そうしたらおねえさんがあげることになっちゃう」
もう、面倒くさい小童だ。
私は少し考えてから「では、こうしましょう」と持ちかけた。
「あなたの銅貨一枚で、これを買ってくださいな。私が売ります」
すると、少女は花が飛びそうなくらい嬉しそうに笑った。
子供と話すのも、悪くない。
開かれた道の真ん中で、私たちは銅貨とネックレスを交換する。
ありがとう、と目尻を下げて微笑んでからぱたぱたと駆けていく幼い後ろ姿を見送ったあと、私は受け取った銅貨を懐へ入れた。
もう一つ、握っていた小さな鏡は、突っ込む前に自分の顔を確認するのに要した。
水面のように当方を映したそれに、私は大きに満足する。
透き通りそうな程、優しくきらめく雪のように白い肌。それと対照的な、艶やかで滑らかな黒髪。
高い位置に結った髪は、金と赤が基調の小さなかんざしで留めている。
少々つりあがった瞳が妖艶だ。我ながら、今宵も大変いい眺めである。
「朔」
突然後ろから名前を呼ばれ、何を思ったわけでも無いが、私は咄嗟に鏡を隠した。
振り返ると、背の高く端正な顔立ちの若い男が、両手を背中に隠して立っていた。
その男が私の連れだったので、まずは安心しつつ、とりあえずの質問を投げかける。
「ああ翠さん。数分ぶりですわね。先ほどおっしゃっていらした、欲しいものは見つかりましたの?」
市場に来てからすぐ、彼は私と別れて探し物を探しに行ってしまったのだ。
私の問いかけに対して翠はうんうんとにこやかに頷き、後ろへ回していた手をさっと前へ持ってきた。
ゆっくり開かれた手のひらの内には、翡翠色の小さな輪っかが収まっている。
それが何か、私には見当もつかない。
「これは?」
「翡翠石の指輪だよ。朔に買ってきた」
「まあ、嬉しいですわ。ところで、一体何に使うものですの?」
指でつまんで太陽の光に透かせば、指輪はきらきらと反射した。
穴のなかを覗き込めば、世界が澄んだ緑色に見える。
いずれにしても正しい使い道ではなさそうだ。
翠は、あはは、と私の行いをからかうように笑ってから、つまんでいた指輪を取り上げた。
そして、少しだけ頬を赤らめながら私の右手をとる。
「こうやって使うんだ」
翠の手によって、翡翠石の指輪が私の薬指をぴったりと通った。
なるほど、中央が空いていたことに合点がいく。
何て綺麗なの! 白くて細い私の手に、緑色が映えた。
- Re: たそがれ繚乱 ( No.7 )
- 日時: 2016/12/28 08:15
- 名前: 薄葉あた丸 (ID: V9u1HFiP)
お礼の言葉以外には何も語らない私に、翠はにわかに自嘲するような薄笑いを浮かべた。
「朔は鈍感だからなあ」
何故そんな事を言われなければならないのだ。
かっと頭に血が上る心地がした。
言い返そうと口を尖らせると、私の声よりもはるかに大きな誰かの声が、向こうの方で響いた。
「喧嘩だぞ! 誰か止めてくれ!」
あまりにも鬼気迫る声色だったので、その場にいた殆どが一斉に同じ方向を向く。
ここは皆の気休めの場であるのに、喧嘩とは物騒な。
呆れながらも、私は人混みをかきわけて現場へ赴いた。
その後を翠が付いてくる。
市場に漂う美味そうな匂いも、不穏な空気と一体化していた。
人の壁で囲まれていたところを躍り出ると、何とそこには、つい先ほどの女の子が縮こまってしゃくり上げていた。
雫のネックレスを抱いて睨みを効かしている先には、黒い着物をまとった二人の大男が。
その間で少女を庇うようにして立っているのは、これまた驚くことに雑貨屋の商人だ。
気の弱そうな顔をしていたのに、割って入るとは勇敢である。見直した。
誰が最初に言葉を発するのかと気を張っていれば、黒い男の一人が口を開いた。
「その首飾りを渡してくれ」
ひどく冷淡な口調で手を差し出す。
女の子は何も言わずに頭だけを横に振って、後ずさりした。
それが癪に障ったようだった。
もう一人の男が雑貨屋の胸ぐらを掴んで揺さぶり、何であいつに売ってしまったのだと怒鳴り散らす。
雑貨屋はみるみる怯えた表情になり、揺れながらただただ謝っているだけだ。
私は一度でも「なかなかやるな」と思ってしまった事を後悔する。
今見た流れは事の一部だろうが、それでもくだらない喧嘩にも程があるだろう。
「——って!」
無意識のうちに、私の手は雑貨屋を掴んでいた男の頬を、したたかに打ち付けていた。
一歩遅れて、私の手のひらにも痛みが広がる。
「これは、店主さんに迷惑をかけた罰です」
頬を押さえ、怒りを通り越して呆然と私を見つめる男の眼差しを、より一層強く見つめ返した。
我に帰った男が殴りかかってこようとしたその手を、瞬時に掴む。
空いている方の手で、今度はもう片方の男の頬を叩いた。
「女の子を怖がらせた罰。そして、あのネックレスは彼女の母親への贈り物です。貴方のような野蛮な方に渡すわけにはなりません」
観衆の輪が少しだけ引いた気がする。
それもそうだろう。
私のようなおしとやかなお嬢様が、大きな男二人を相手に立ち向かったのだから。
また私に惚れる男が増えてしまうわ。
「分かったらお帰りなさい」
背を向けて去ろうとした時、誰かの金切り声が頭に響いた。
「後ろ!」
まだ拳で解決しようとする気なのか。
私はすぐさま振り返って、勢いよく振り下ろされたそれを素手で受け止めた。
痛い。
何かが擦り切れるような鈍い痛みを感じた。
何が起きたのか気付くまでに、数秒はかかった。
拳だと思ったそれは、真剣だったのだ。
「朔!」
翠の声がどこかで叫んだ。
人が多すぎてどこにいるのか分からない。
何故か刀を握り締めるその手が離せず、刃がめり込み、滴り落ちる赤い液体は地面へ溜まる勢いを増す。
男の刀の振り方が下手くそで良かった。
腕の良い剣士だったら間違いなく、切れ味よく右手を失っていた。
「翠さん、私の刀を」
ひどく頭にきていた私は、冷静さを失っていたのかもしれない。
- Re: たそがれ繚乱 ( No.8 )
- 日時: 2017/01/21 21:44
- 名前: 薄葉あた丸 (ID: r5KTv1Fp)
血を見てから泣き叫ぶ子供やら、震えて私達を見守る老人やら、「やっちまえ朔ちゃん!」「見せてやれ!」などと叫ぶ若い衆もいた。
足下から一陣の風が舞い上がり、私の袴と黒髪を揺らす。
それが引き金となり、私は口を開いた。
「最後の忠告です。綺麗なお顔のままでいたかったら、すぐにお帰りなさい」
もともと出来た顔立ちではないのだが、と心の中で付け足す。
少し待っては見たが、男が更に強く刀を押し付けてくる様子から、立ち去る気は無いようだ。
「残念です」
もう一人の男が抜刀すると同時に、私の手の中に翠の投げた木刀がするりと舞い込んでくる。
望んでいたものとは違うが、これでも十分だ。
体が緊張から解けたように楽になり、私は一旦飛び退いて二人の男から距離をとった。
人混みの中、蒸し暑い市場を暮れかけた太陽が照らす。
誰もが固唾を飲んで、ざわざわと道を開けた。
ふいに吹いた風が、冷ややかに私の頬を撫ぜた。
瞳の奥に、不安そうな少女の姿が映る。
ぎゅっと、傷を負った右手を隠すようにして木刀を強く握り締めた。
あの時女の子と話していなければ、ここに立っている事も無かったかもしれない。
いや、そんなことはないだろう。誰彼構わず助け舟を出していたに違いない。
それでも母親の為だと知らなければ、ここまでは……。
自分を落ち着かせるために、胸の中でくだらない堂々巡りを繰り返した。
ふう、と深呼吸をしてから、私は木刀を勢いよく振り上げ、助走をつけながら引き上げた集中力とともに、手前の男の目前へさっと移動する。
強く手首に打ち付ければ、乾いた音に混じって微かな呻き声がもれた。
彼が刀をことん、と落としたのを片目で確認し、今度は奥の男の胸に切っ先を突きつけた。
「私も、さすがに子供の前では酷くできませんもの。私の為にも諦めてくださいな」
顔だけ男の耳に近づけて、囁いた。
すると、男も同じようにして話す。
「なめやがって。その餓鬼がさっさと寄越せばいいだけの物を、怪我をしてまで守るつもりか」
つくづく頭に来ることしか言えない男らしい。
奴の胸に突きつけた刀を、少しだけ奥へやった。
木刀とはいえ先は尖っている。これぞ地味に痛い攻撃だ。
「逆にお聞きします。あの代物、あなたが直接欲しがっているとは思えないのです。あなたもまた、誰かの為に奪いたいのですね」
切っ先の痛みと質問対して顔をしかめた男は、もう一人を引っ張り起こして雑に足を踏み鳴らし、大きな背を向けて市場を抜けていった。
その姿を見た衆は、一斉に歓声を上げる。
「朔ちゃんが大男を追い返したぞ!」
「やはり朔様の剣の腕は確かですわ」
「怖いもの無し、だな!」
「朔、傷を見せて」
真っ先に私の事を心配してくれたのが翠だと分かって、安堵からか、一瞬で全身の力が抜けた。
私が皇宮の帝に呼ばれたのは、それから間もなくの事だった。