コメディ・ライト小説 ※倉庫ログ

Re: たそがれ繚乱 ( No.15 )
日時: 2017/02/23 20:48
名前: 薄葉あた丸 (ID: r5KTv1Fp)


それから数分は、ただひたすらに、雲間から差し込む月の光に視線を注いだ。

その青白い光を見つめていると、何故だか安心するのだ。

と言いつつ、ふと飽きて立ち上がる。

爺はそれに合わせて盆を片付けに出向く。

縁側を後にし、寝室へ戻ろうと廊下に足を滑らせていると、差し掛かった広間から妙な気配を感じた。

人の声が微かに会話をしている。

確かこの部屋は、母上の接客間では無かっただろうか。

このような遅い時間にも人が訪ねてくるとは、皇妃も忙しいものだ。

俺は足の動きを止めて、襖越しに耳を澄ませる。

その時、俺の耳は高らかな笑い声をはっきりととらえた。

「あははは、お前は肝の据わった娘と聞いていた。まさかここまでとは、な。わらわに歯向かうなぞ、生きて帰れるとは思っていないであろうな。あっははは」

母上の声だ。この口調は不機嫌な証である。

壊れた楽器のような声色と相まって、姿すら見えぬものの、まるで鬼の様だ。

昔から感じていたことだが、母上は感情があからさまになりすぎているのではないか。

つい盗み聞きに夢中になり、俺はさらに耳に神経を集中させた。

「私は誰かの代わりなど務めたくはありません。どちらを選んでも、同じ運命を辿るのでしょうから」

何か不穏な話をしているようだな。

というのは母上が怒っている時点で気付くべきだっただろうか。

それにしても、母上の言うとおり、対話している女は大分強者のようである。

皇妃を目前にしても、ぴんと張った弦を弾いたようにしっかりとした声を出すのだから、怯えていないことは確かだ。

「物分りの悪い娘だ。皇子の代わりに河へ沈むことが、そんなに嫌か。いっそ皇子も交えてお前を言いくるめるべきか」

はて。

皇子、という名が己を指していると気付くには、数秒かかった。

理解した直後、この仕切りの奥で行われている話し合いが途端に怪しげなものに変わっていく。

河に沈むとは? 俺の代わりにとは?

興味深い話題であることは間違いないだろう。

今すぐ襖を開け放ちその場に居合わせて話を聞きたいものだが、そんな事をしては母上に睨まれること請け合いだ。

とは言えやはり気になる。

音を忍ばせながら指二本分の隙間を襖の間につくり、こっそりと中の様子を伺うことにした。

瞳に映ったのは暗い部屋に灯りひとつ、豪華な食事を間に挟み、向かい合わせに座る二人の女。

母上側に付きがいないのは異例の事態だ。

「河の神が望んでいるのは私ではなく皇子なのでしょう? 私なぞを送れば百華皇国に災いをもたらすに違いありません」

「神が光河真を望んでいるのなら、あやつの身体にモノを憑かせるようなことなどしないであろう」

「も、モノ、とは」

一瞬眉をひそめた女が、怪訝に聞き返した。

俺も全く同じ表情をしているだろう。

「あやつには少年時代から何かがとり憑いていてな。それが、あやつの肉体に善ではないことは明らかだ。三百年に選ばれた皇子ならば、決してそのような魔物に侵されることはないはずだ」

「だから生贄には出来ない、と」

「お前は皇族にも劣らぬ美貌の持ち主だ。武術の腕も上物。それに皇宮の兵士二人に一人で立ち向かう勇気となれば、河の神はさぞお喜びになろう。嫁にでもなれるのではないか?」

暗闇の中でにわかに女の顔が歪むのが分かった。

それを見てにやりと唇の端を吊り上げた母上は、すっと真っ直ぐに立ち上がって部屋を出ようと歩み始めた。

俺は廊下の角の影へ咄嗟に隠れる。

立ち去り際に「また会おう。了承の返事ならいつでも待っておるぞ」と呟き身を翻す母上を横目で見送ったあと、俺はもう一度部屋の中を覗いた。

切ないくらいに残されたご馳走が部屋の真ん中を陣取っている。

女は、青ざめたというか、やつれた様子でぽつりと正座でそのまま佇んでいた。

急に寂しくなった空間に、部屋を明るくしていたのは母上の装飾品だらけの装束だったのだと思う。

俺は近くに誰もいないことを確認してから、小さな声で女を呼んだ。

「ちょいといいか。少しばかり、いや、沢山聞きたいことがある」

Re: たそがれ繚乱 ( No.16 )
日時: 2017/03/04 21:39
名前: 薄葉あた丸 (ID: nwPs/loq)


白けた空気を煽るように、涼やかな風が廊下を駆けた。

誰だ、と言わんばかりの怪訝な顔を俺に向けた女は、不機嫌そうに応える。

「何でしょう」

俺を警戒しているのか、腰が抜けているのか、決してその場から体勢を動かそうとしない。

遠い距離を保って会話しても面倒だろう。

仕方なく俺は自分から接客間の中へ足を踏み入れ、女の前で胡座をかいた。

「俺は——」

名乗ろうとした矢先、皇子である己の正体を打ち明けるべきかと思いとどまった。

先程までどのような話をしていたのかはよく知らないが、断片だけ聞いた会話から察するに、きっと女は俺のことを憎んでいるに違いない。

皇子の代わりに河へ、と言われていたのだから、皇子である俺を。

「——通りすがりの兵だ。まあ、通りすがった際に面白そうな話を聞いてしまってな」

それなら、伏せるべきだろう。

自分で振っておいて適当にあしらったが、女は違和感に気付いたという風ではなく、胸中で一安心する。

「兵士様に知っていただくようなお話ではありませんわ」

俺は兵だ、と言った途端に女が冷たくなった。

地位というものは大事なのだな、と学ぶ。

ここは暗闇であるから、服装についても区別がつかないのだろう。

都合が良いのやら、寂しいのやら。

「いや、それがな、詳しく話してくれたらお主を救うことが出来るかもしれないのだ」

半分そのつもり、半分話の聞きたさで出来た言葉に、女はやや興味を示したようだった。

顔がくいっ、と前を向く。

「一体どのようにして?」

「それは話してくれないと分からない。だが、打ち明けてくれた暁には必ずや手助けをしてやろう」

少しばかり上からの言葉になってしまうのは、もう癖なのだろう。

言い放ったあとに後悔した。

それでも女は不快な様子を見せずに、真剣に悩み始める。

顎に手を添えたまま数秒黙って、にわかに、はっと目を見開いた。

「あなたを信用する理由などどこにもありませんわ」

身も蓋もない。

そのような事を言われても、俺は詳しい話が一刻も早く知りたくて、うずうずしていた。

「信用する理由がないのは俺も同じだ。君が話を盛ることも割くことも可能であろう。お互い様だ」

俺は自分で何を言っているのか途中よく分からなくなったが、女のほうはやけに納得したようで良かった。

それなら、と暗がりの中で女が微笑む。

「私も大まかな話しか聞いておりませんわ。でも、助けてくれるというのなら。絶対に内密にしてくださりますの?」

勿論だ、と大きく頷くと、後に、女は次のように語った。


百華皇国には三百年に一度の儀式があるらしいのですわ。

その内容とは、この国の守り神である鈴音河の主のもとへ生贄を沈めること。

さすれば国は富み、災害からも守られる。

起源は不明なものの、ここ最近に戦争どころか大きな騒ぎすら起きなかったのは、三百年前に贈った一人の少年が神に気に入られたおかげらしいのです。

この年は三百年に一度にあたり、儀式の準備も内密に進められていたというのですが、一番重要なものが足りない。

それは、沈める価値のある贈り物。

皇妃様がおっしゃっておりましたわ。

生贄になる運命を背負って生まれた皇子はいた。

しかし皇子には正体不明のモノが憑いてしまい、それは生贄に相応しくない証拠だと。

ですから、国中に兵を送りその器になりそうな若者を探していたところ、丁度見つかったのが私だと。

容姿も能力も申し分ないと、褒められたことはとても嬉しいと思いましたの。

皇家に匹敵すると煽てられたことも悪い気はしませんでしたわ。

でも、やはり何か違う気がしてならないのです。

私に務まる保証など微塵もないのですから。

と、このように抗ってみても、皇妃様の言う事は絶対。

もう逃げ道など、どこにもありません。