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- Re: 【短編集】この一杯を貴方と。【開店中】 ( No.7 )
- 日時: 2017/01/10 18:36
- 名前: てるてる522 ◆9dE6w2yW3o (ID: VNP3BWQA)
- 参照: http://From iPad@
#3 「有名」
「いらっしゃい……おや?」
いつも言葉に一言、圭介は付け足して今店に入ってきた客を見つめる。
「初めてのお客様だね」
秋乃が父である圭介の方を見てそういう。──あまり大勢のお客が押し寄せないここ「chestnut」で働く圭介と秋乃は大体の訪れた客の顔は覚えている。
「そうだな、とりあえず席に案内してくれ」
分かったわ──と秋乃は一言。そしてメニューを持ってお客のところへ駆け寄った。
「こちらは全席禁煙ですが、よろしいですか?」
「構いません」
「それではこちらへどうぞ……」
まだこの人以外誰もいない。1人では少々広いかもしれないが秋乃は窓際の席に通した。
「ご注文お決まりになりましたら、お呼びください」
「……はい」
若干、さっきの「構いません」よりも細々とした声でその客……彼女は言った。
むろん秋乃もそれに気付き、そちらへ視線をやりながら少しずつ離れた。
*
「お待たせ致しました」
秋乃は彼女が注文したものを持って再び席を訪れた。
「あっ……」
雑誌くらいの大きさ。けれど表紙はシンプル……そんな本を何冊もテーブルに広げていた彼女は慌てて秋乃の姿を見るなり端に寄せ始める。
「急かしてしまい、大変申し訳ありません。こちらはアイスコーヒーと『chestnut流モンブラン』でございます。シロップやミルクはご自由にお使いください」
相変わらず顔色の優れない彼女。秋乃だけでなく圭介も心配し始める……が彼女は何かを決めたかのように口を開いた。
「あ、あの!」
秋乃はパッと振り返った。
「はい?」
「あの、私に対して何も言わないんですか……? 言って欲しいとかでは無いんですけど……」
「何か──と言いますと……?」
秋乃がキョトンとして、圭介の方へ視線をやるが圭介も「さぁ」と言った様子で肩を竦めた。
「わ、私のことどこかで見たことはありません……か?」
「すみません失礼します」
秋乃は彼女の顔を覗き込んだ。
──少々日本語がおかしいかもしれないが、他人に顔を覗かれてもそんなに躊躇しないところから彼女が普通ではない、というのは感じられる。
眉毛よりもほんの少しだけ長い位置で切りそろえられた前髪に、ゆるいウェーブがかったボブショート。特徴的な垂れ目に……泣きボクロ──?
「もしかして……」
「──多分そうです」
彼女は……芸能人だ。
最近すごく有名になり、毎日テレビをつけると必ずその画面に映っている。
笑顔が可愛いと、目尻に寄る皺とその傍にある泣きボクロが特徴だ。
……秋乃は思った。そんな有名人がなぜこの「chestnut」に?
「噂で耳にしていました。すごく聞き上手な店員さんがいると……。多分それは貴方のことでしょうか?」
「そうです」
彼女……芸能人の若水青は、まるで秋乃の心が見えるのかのように、返答した。
「有名になったのは嬉しいけど、あまり人目に出るのが得意ではなくて……。ファンの人とかにも「テレビで見たのと違う」なんて思われたらどうしよう、って思ったら怖くて不安で……。今日もここに来るまですごく人目気にしていました。ちょっと自意識過剰かもしれませんね──」
一気に言い切って、若水青はふぅっと息を吐いた。
「きっと、貴方のことをそんな風に思う人はいません。テレビでも実際でも若水さんは素敵でした」
秋乃は微笑んだ。
これは本音だ……。
「ありがとうございます!」
目が潤んでいる。
「これからも、ずっと応援していますから」
秋乃は今までただ別世界に住んでいる同い年くらいの女の子、という目で若水青を見ていたけれど、何も変わらない──同じように悩んでいた。
*
「それではこれ飾っておきますね!」
圭介は、若水青のサインを見て頬をだらしなく緩めている。
大ファンなのだ。
「ありがとうございます! みんなにもおすすめしておきます」
「是非に!」
圭介は本当に分かりやすい。
デレッデレしてお店の目立つところにサインの色紙を飾る。
普通ならば迷惑してしまうようなこんなファンにも愛想よく出来るのは彼女の培ってきた努力だ。
ドアに掛かるベルが鳴ったのが、確かに彼女が店を出ていったということを示していた。
**
若水 青(わかみず はる)
今売れている秋乃と同い年の芸能人。
人目を気にしてしまい、少々ネガティブである。
垂れ目と泣きボクロが特徴。