コメディ・ライト小説(新)
- Re: 狐に嫁入り ( No.27 )
- 日時: 2017/11/18 12:48
- 名前: 一匹羊。 (ID: YohzdPX5)
12話
「高坂さん!」
こいつの声にここまで安堵したのは初めてだ。
「高坂さん!」
少し前までなら鬱陶しかったその声。帰れと冷たくあしらいたくなったその声。——それに、こんなにも救われた心地になる時が来るなんて!
白金が並々と揺れる長髪に、切れ長の黄金の瞳、線の細い高身長——カガリがそこにいた。
「カガリぃ」
と、私は繰り返す。涙が出そうなのを我慢しようとして、出来なかった。涙はボロボロ決壊して頰に川を作った。怖かった、不安だった、心細かった!
突然こんな世界に巻き込まれているが耐性なんてないのだ。何気ない日常をただ愛している。非日常なんてカガリだけで十分で、つまり、命の危機だとか誰かの命の責任を持つだなんて、どう考えたってお呼びじゃない。
カガリは闇の中から唐突に現れると、力強く速やかに修斗を私の腕から取り上げて、私と蛇女との間に体ごと入った。蛇女がギリギリと目を吊り上げる。
「貴様……! 人の昼餉を邪魔するか、下賤め!」
そう言われた瞬間、ふわりとカガリの背中から何かが逆立った、気がした。
「下賤はそちらです、下郎」
そう鋭く言い放ち、修斗を下に座らせると、ぶんと腕を振って駆け出した。
「馬鹿め! 隙だらけだわ!」
叫んだ蛇女の腰からずるりと這い出てきた大蛇が鎌首をもたげて、一斉に飛びかかる。その一匹一匹がカガリに牙を向いていて、私は青くなった。あんなの絶対避けきれない。ところが細腕を一本掲げたカガリは、そこに突っ込んでいく。無茶だ……!
瞬間、空間が5つに裂けた。
「ぎゃあっ」と悲鳴。飛びかかっていた大蛇がまるでただの肉塊を扱うように容易く、ちりぢりに千切れていく。カガリの爪跡が空間をも裂いているのだと気付いたときには惨状が広がっていた。カガリは2度3度と腕を振るう、その度細々に千切れた蛇が散らばり、鮮血が飛んだ。
そのまま走りよったカガリは、腰から上だけになった蛇女に腕を振り上げる。
「結界を解きなさい。さもなくば」
殺す、と意味だけが結界に響き渡る。
「貴様……貴様……神か……」
「如何にも。あなた程度どの様にも始末できます。さあ、答えを」
さらに爪が蛇女に迫る。蛇女はゼエゼエと息を整えていたが、やがて顔を上げ、そして笑った。
「嫌じゃ」
次の一瞬、その声を私は耳元で聞いた。真横に蛇女がいたのだ。その腰からは大蛇が元の様に生えていた。思わずひっと悲鳴があがる。蛇女は私を見てニンマリと笑うと、腰を抱き寄せた。ああ、そうだ、行かなくちゃ。彼女の元に。私はふらりと足を踏み出す。
その目の前で、鮮血が飛んだ。
「残念です」
そう呟いたカガリは確かに、神様だったと思う。強大な力で下界を治める、神様。気付けばカガリは腕を振り切っていて、その爪は血に染まっていた。
どうっと蛇女が倒れる。その顔は微笑んでいた。
「——汚れろ、土地神」
瞬きすると同時、世界は色を取り戻していた。私は学校のバルコニーにいて、視界の端で修斗が倒れるのを見た。
「修斗!」
「愛!」
「アイちゃん!」
蒼馬、舞花が呼ぶのを振り切って修斗に縋り付く。明日美も駆け寄ってきた。おろおろと立ち竦む。止血を、と取り乱す顔は真っ青で、明日美のそんな表情は初めて見るものだった。
「修斗、修斗っ」
肩から胸元にかけての制服が裂け、そこから大量に出血している。血の引く思いがした。
「すぐに病院に運びましょう」
言うカガリは場違いに穏やかで、泣きながら頷く傍ら、どこか恐ろしいような気持ちを感じていた。一振りの下に蛇女を制裁する姿、大怪我をした生徒を見て顔色一つ変えない姿は、暖かく人情的なカガリからは遠く離れていて。怖いと思ったのだ。だが目の前に横たわる友人の危篤に気を取られていて、それを深く考えることはなかった。
カガリが理事長の姿になって、猿に襲われたと証言したことで、修斗は速やかに病院に搬送された。午後の授業は中止になり、私たちは修斗のお見舞いに行くことにした。
病院に向かうバスの中。空気は柔らかく澄んでいて、乗客は私たちの他いなかった。
「悪かった!」
蒼馬が私に向かって頭を下げた。
「俺が余計なことを言ったからお前らを危険に巻き込んじまった。そうなんだろ、狐」
「結果的にはそうなりますが、気に病む必要はありませんよ。あれは僕の不注意です。止められる事故でした」
カガリは色素の薄い青年の姿になってバスに乗り込んでいる。本来カガリは姿を隠して様子を見てくることも可能なのだが、直接話がしたいということでバスに乗った。バス代葉っぱとかじゃないだろうな。しょんぼりと横髪を前に垂らす姿は、いつも通りのカガリに見える。
蒼馬がそれを聞いてぴくん、と耳を動かした。余談だがこの幼馴染、耳だけを意識して、もしかしたら無意識に、動かすことができる。益々ウサギだ。
「防げた?」
明日美も厳しい表情で言い募る。
「修斗はあんな怪我しなくて済んだって言うのかよ?」
カガリは益々、沈痛と言った風に表情を沈めた。
「はい……結界が現れたのは僕の結界の真ん中でした。弾こうとすれば弾けたはずです。なのに、弱っていた僕の神力は、奴を受け入れてしまった」
堪らず私は割り込んだ。
「そんな……そこまで自分のせいにしなくていいよ、カガリ! カガリは助けに来てくれたじゃん!」
そもそもカガリに私を守る義務なんてない。
「義務ならありますよ。あなたは僕の氏子です」
婚約者とはカガリは言わなかった。蒼馬は静かに告げる。
「こんな時の土地神だろ。氏子1人守れなくて何が神だ。……でも、陰陽道を学ぶものの端くれとして、お前が言霊に守られていることくらい気付くべきだった。本当に悪かった」
2人が自分を責めているのは私も辛い。そんなに責めないでと言いたい。でも、なにもかもなかったことにするには、修斗の受けた傷は深すぎて。私は話題を変えようと取り繕う。誰が悪いかではなくて何が悪いかへ。
「なんで、蒼馬に私が特異体質だって言われた瞬間あの……結界? に引き摺り込まれたの? 言霊って?」
すると、蒼馬とカガリは同時に顔を見合わせた。
「『知らない』ことがお前の引き寄せる妖怪にとってバリアになってたんだ」
「和魂狙いの妖怪にとって、高坂さんが何も知らない事実はさぞかしやりにくい盾となっていたことでしょう。ですが、こうなった今、高坂さんは全てを知る必要がある」
にぎたま……。さっきの蛇女からも出た単語だ。私の知らないそれである。
「うん、私知りたいよ。修斗みたいに巻き込まれる人を出さないために。毎日みんなと日常を送るために。最初から全てを。カガリはそれを知ってるんでしょう?」
カガリは黙って微笑んだ。