コメディ・ライト小説(新)
- Re: エンジェリカの王女 ( No.2 )
- 日時: 2017/09/29 20:06
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: k9gW7qbg)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=664.jpg
〜第一章 天使の国〜
1話「天界の王女アンナ」
「これをあっちにー」
「すぐ運ぶぜ!行きます!」
「……重すぎんだろ。建国記念祭を一週間もするとか何だよ……いつもは一日だったじゃねぇかよ……」
ここ数日、王宮内はいつになく慌ただしい。それは何故か?今年はエンジェリカの建国三百年という特別な年だからだ。
「荷物、運ぶわ。私に貸して」
そんな忙しい日も王女の私はすることがない。準備というお祭り騒ぎに加われずつまらない私は、暇潰し感覚で何か手伝おうと近くにいた使用人に声をかける。
「えっ。そんなんいいっすよ。王女さんに荷物運びしてもらうなんて、後でしばかれますし」
使用人はそう言って荷物を渡してくれない。
「いいから渡して!運ぶから」
少し口調を強める。
「いやいや、大丈夫っすか?俺でも重いですけど……」
「それぐらい持てるわよ」
私が胸を張って言うと、使用人は面倒臭そうな顔をしながら荷物を差し出した。
「無理して転けたりしないで下さいよ。頼んます」
「大丈夫!よぉし……あっ」
予想外な重量の荷物に思わず前のめりに転けそうになる。使用人の顔がひきつるのが一瞬横目に見える。衝撃に備えて思わず目を閉じる。……しかし、突っ込んだのはわりと柔らかいところだった。
「ご無事ですか?」
目を開けて上向くと、そこには青年の整った顔があった。荷物は見事に散乱してしまっていたが私は彼に支えられていた。
「エリアス!どうしてここにいるの?」
「どうして、とはおかしなことを仰いますね。当然です。貴女の護衛隊長ですから」
エリアスはそう言って笑う。
ほぼ白に近い金髪、長い睫毛に瑠璃色の瞳。彼の容姿の神々しさは天使の中でも突き抜けている。私達天使は誰もが生まれながらに聖気と呼ばれる力を持っているが、彼の持つ聖気はこれまた普通でない。天使離れした容姿とその聖気が合わさり、存在感が凄まじいことになっている。
「無理してお手伝いすることはありませんよ、王女。準備など使用人に任せておけば良いのですから」
エリアスは言いながら床に散らばった荷物を拾い集める。
「でも私、退屈だったのよ。だから何かしたかったの」
「分かっていますよ。はい」
拾い集めた荷物の中から少しだけを私に渡して再び微笑む。
「良い心がけです。王女はきっと素晴らしい女王となるでしょうね」
「いやね。褒めすぎよ」
エリアスについて歩き出そうとした、その時。廊下の向こうから早足に女性がやって来る。黒い髪をうなじの辺りでかっちりとシニヨンにしていて、お堅い雰囲気が離れていても伝わってくる。すぐに分かった。私の侍女ヴァネッサだ。
「アンナ王女!いったいどこへ行っておられるのかと思えば、またエリアスと一緒でしたか」
彼女を見たエリアスは非常に分かりやすく不快そうな表情をする。
「自室から出ることのないようにと忠告したはずです!アンナ王女、忘れたとは言わせませんよ。今朝も申し上げました!」
「ヴァネッサ、止めて。折角の祭りムードが台無しじゃない」
建国記念祭はエンジェリカで一番大規模なイベント。それだけに毎年この時期は国全体が活発になる。特に今年は三百年のお祝いということで既にお祭り騒ぎになっている。
自室に引きこもっていると退屈で果てそうだ。こんな時には王宮の外へも遊びに行ってみたいものだ。
「それよりヴァネッサ。ちょっとお願いがあるんだけど……」
深海のような暗い青の瞳が冷淡にこちらを向く。
「街へ行ってきてもい」
「駄目です」
私が言い終える前にヴァネッサは即答した。彼女はいつもこんな風だ。私の外へ行きたいという願いを微塵も聞き入れてくれない。それはもう、嫌がらせかと思うくらい。
「どうして駄目なの!」
「いくら怒っても許可出来ないものは出来ません。アンナ王女は自室へお戻り下さい」
淡々とした調子で言われると余計に腹立つ。
「な、何で……!」
自分が苛立ちで震えているのが分かる。
「準備で街に多くの人間が出入りしています。曲者が混ざっているかもしれません」
ヴァネッサは冷静に言った。
「そんなのエリアスがいるから何も問題ないわ。そうよね、エリアス!」
一対一では勝てそうにないのでエリアスを巻き込む。彼は私に優しいから心強い味方になってくれるはずだ。
「えぇ、私は常に王女の傍に。ヴァネッサさん、折角の機会ですし少しくらい外を見ても差し支えはないのでは?」
エリアスは私に対する時とは真逆の不愉快そうな顔でそう意見する。さすがに彼は理解がある。
「無責任なことを!貴方、アンナ王女に何かあればどうするつもり?」
しかしヴァネッサはエリアスを睨み冷ややかに返した。元々二人は仲が悪いのだ。
「心配無用、私は強いのでね。……誰かと違って」
エリアスが嫌味満載な発言をしたせいでますます空気が悪くなる。もっとも、二人はいつもこんな感じなのであまり気にはしないが。
「ヴァネッサさん、王女と少し外を回ってきます。貴女はここで待っていて下さい。……ぼんやりと」
いつものことながら一言余計である。
「……エリアス、安定の嫌味ぶりね。まぁいいでしょう。アンナ王女、今日だけ特別に外出を許可します。ただしエリアスと常に離れないこと。分かりましたか?」
ヴァネッサは条件を提示しつつ許可を出した。表情は嫌々という感じだが、私は嬉しくて、そんなことは気にならない。
「ありがとうヴァネッサ。じゃあ行こ、エリアス!」
テンションの上がった私が彼の手をとり笑うと、彼も嬉しそうに微笑んだ。
「常に貴女の傍に」
ヴァネッサは不本意そうな顔のままで声をかけてくる。
「ですがくれぐれもお気をつけて。危ないと感じたらすぐに帰ってくるようにして下さい」
「そうね!」
私は適当に返事をすると期待に心を弾ませながら外を目指した。胸に希望が溢れる。王宮の外にはきっと素敵なことが私を待っている。そう思うの。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.3 )
- 日時: 2017/07/07 01:17
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: exZtdiuL)
2話「胸膨らむ、素敵な街へ」
初めて王宮を出ることを許可された私は、エリアスと共に街へと向かった。楽しい気分だからかいつになく足取りが軽い。
「さて、どこをご覧になられますか?王女」
エリアスは長いまつげを動かしながら訪ねてきた。
「エリアスはいつも街へ行ったりするの?」
彼は私の護衛隊長。いつもどこでも私のそばにいて、私の命を狙う者がいないか見ている。片時も私のそばを離れない。だから彼が外出しているところはあまり見たことがないが、王女の私と違って王宮の外に出たことがないことはないだろう。
「どこかオススメの場所はある?私、街へ出るのは初めてだから、何があるか知らないの。だからエリアスのお気に入りの場所とかがあったら教えて」
すると彼は少し考えるように黙り、そして言う。
「そうですね。街へはたまに来ますが、大抵仕事なので、あまり観光に良い場所は分かりません。工場はどのような場所がご希望ですか?私に分かるところなら紹介しましょう」
「そうね、えっと……。お買い物ができるお店とかある?可愛い小物のあるお店とか、どこか知っているかしら?」
折角街へ来たのだから、普段見ることのできないようなものが見てみたい。高級な食事や豪華な調度品、それにドレスなどなら、王宮の中にいくらでもある。そんなものを見ても見慣れているから面白くないだろう。あまり身近にないものの方が新鮮できっと楽しめる。
「小物……ですか。なかなか難しいですね。私は可愛い小物売っている店など行ったことがありません。ですからこれといった店舗を紹介するのは難しいですが、大通りへ行けばたくさんの店があります。そこになら王女がお望みの小物を売る店もあるでしょう。ではひとまず、大通りへ行ってみましょうか」
話がまとまり、私はエリアスに案内されて大通りへ向かうことにした。
大通りはたくさんの店が並んでいた。野菜や肉を販売する食料品のお店もあったが、多くはアクセサリーや服、そして雑貨を売っている。建国記念祭の準備をしているらしき者が多く行き交っている。けれどそれだけではなく、買い物をしたり普段通りの生活をしている者も思っていたよりたくさんいた。
風景を眺めているうちにふと思ったのは、街で暮らす天使たちは私やエリアスの様に大きな羽は持っていないということだった。面白い発見である。初めて街へ来るので一般の天使を見るのも初めてかもしれない。王宮を出てここまで歩いてきただけだが既に1つ学ぶことができた。やはり私の思った通り、外に出る事は何より勉強になる。自分の部屋で本を読んだり教師から教わるより、ずっと楽しいしずっと有意義だ。
「この通りは賑わっているわね。店もいろいろあって面白そう。見に行きましょ!」
「はい、どこへでも。常に貴女の傍に」
私は早速歩き出す。初めて見るものばかりの世界に心が弾む。私がずっと持っていた願いが今現実となっている。こんな幸せはない。
「ねぇエリアス、あそこのお店なんて面白そうじゃない?お客さん集まっているし人気なのかも。見に行ってみましょうよ」
彼は何も言わず頷き、どんどん進んでいく私の後について歩いた。
たくさんのお客さんが集まっているところへ入っていく。背が高い者が数人前にいるせいで、店先のテーブルに何が置かれているのかはっきりと見ることができない。
必死に背伸びをして隙間からみると、どうやらアクセサリーが置かれているということが分かった。安そうでおもちゃのようなものもあるがそれなりに価値のありそうな商品もある。赤に青に黄色に緑、とても色鮮やか。装飾も金や銀でされたような商品もあり興味深い。
「街でも宝石とか金とか銀とか使ったアクセサリーがあるのね。私、そういうのはないんだって思っていたわ。一般の天使もあんなアクセサリーするのね」
するとエリアスは返す。
「いえ、あれらは本物ではありません。ガラスや安い金属を使って本物のように見せているだけのものです。もしあれが本物の宝石や金銀を使用したアクセサリーなら、あの者たちは誰一人として買えないでしょう。ここにいる中で本物のアクセサリーを買えるようなお金のある方は王女ただ一人です」
「そんなに貧しいの?」
私は驚いた。皆生き生きしているし貧しそうには見えないから。
「彼女らが貧しいのではなく、宝石や金銀が高級なのです。だから買えないのですよ」
「ふぅん。そういうこと」
王宮の中でしか暮らしたことのない私にはよく分からなかった。私にとっては宝石もアクセサリーも特別なものではない。
「そこのお嬢さん!」
人混みに疲れ離れようと思った瞬間、背後から店員の女性が声をかけてきたので振り返る。
「もしかしてアンナ王女様……ですか?」
するとアクセサリーを見ていたお客さん達も一斉にこちらを向いた。少し恥ずかしい。
「えぇ、そうだけど」
すると店員の女性は私に手招きして言う。
「どうぞこちらへ。ぜひ見ていって下さい」
とても良い待遇である。私は商品のあるテーブルの方へ歩み寄った。後ろにはエリアスが淡々とついてきている。
店員の女性は私の胸元についているブローチに視線を注ぐ。ブリリアントカットの赤い宝石の周囲を翼のような形状の金で囲んだブローチだ。
「王女様、そのブローチ、とても素敵ですね。真っ赤な宝石がとても綺麗」
「ありがとう、これは母からもらったものなの。私も気に入っているわ」
これは母との思い出の品だ。このブローチを身に付けているとずっと母が近くにいてくれるような気がして心が安らぐ。孤独で寂しい時でも温かな気持ちになる。
「王女、そろそろ次へ参りましょう。可愛い雑貨屋へ行かれるのでしょう?」
珍しくエリアスが口を挟んでくる。
「そうだったわね。ついつい忘れちゃってた。次行こっか」
「はい。常に貴女の傍に」
エリアスはそう言って右手を胸に当てて軽くお辞儀した。
私はエリアスと共にアクセサリー店を離れ雑貨屋へと向かうのだった。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.4 )
- 日時: 2017/07/07 01:14
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: exZtdiuL)
3話「気ままにお出掛け」
「なにこれ可愛い!くまのストラップ!」
さっきまでいたアクセサリー屋の2軒隣にある可愛らしい小物を置いている雑貨屋で、私はとても可愛いくまのストラップを見つけた。ピンクとブルーのくまが2匹でセットになっていて、それぞれが自身の体色と同じ色のハートを抱きかかえている。
「気に入ったものが見つかりましたか?王女」
店内の商品を見ながら歩いていたエリアスが、こちらへ来て声をかけてくる。
「ねぇ、エリアス!これ見て。凄い可愛くない?」
私はやや興奮気味にそう言った。すると彼は私の手の中にあるくまのストラップを覗き込み感想を述べる。
「2色でセットのストラップですか。可愛らしいですね。王女にお似合いだと思います」
「これ買って1つずつ持たない?お揃い!」
そう提案をするとエリアスは首を横に捻った。
「何故私とお揃いのものを持つ必要があるのですか?よく理解できませんが」
お揃いを持ちたい心理が本当に分からないようである。親しい者と同じものを持ちたいと言う心理は女性特有なのかもしれない。
「私はね、大切な貴方と同じものを持ちたいと思うの。エリアスには理解できないかもしれないけど、それが女の子の心なのよ」
すると彼は驚いたように私を見てから頷く。
「そうでしたか。私にはそのような発想がなかったもので、すみません。そういうことなら買いましょう。同じようなものを持つというのも悪くはないかもしれませんね」
エリアスは少し照れたような表情をしつつもどこか嬉しそうだった。
「いいの?」
「同じものを持ちたい、共有したいと思ってくださるということは、王女が私を嫌ってはいないということ。なら嬉しいばかりです。私も護衛隊長として常に貴女の傍にいたいと考えておりますから、我々の考えは一致しているということですね」
幸せそうに語る彼のは微かに紅潮している。彼は基本淡々としているためクールなように思われがちだが、案外分かりやすいタイプである。
「さて、では買いましょうか。会計は私が済ませて参ります」
「いいの?エリアス」
私は買い物をしたことがないので会計の方法が分からない。何しろ王宮では買い物などしないものだから。
「はい、お任せ下さい」
エリアスにくまのストラップを手渡す。彼はそれを受け取るとレジまで歩いていき、店員の女性にお金を払っていた。それからしばらくして、私のところへ帰ってくる。
「どうぞ、王女。すぐに使うかと思い包みはなしにしてもらいました。いかがでしょう?」
「ありがとう!」
私は嬉しくなって衝動的にエリアスに抱きついた。すると彼は目を開き驚いた顔をした。
「あ……」
私は正気に戻り、気まずい思いをする。何も考えず抱きついたはいいが、一応相手は男だ。それに主従関係。だが私より向こうの方が複雑な思いをしているだろう。
「ごめん、エリアス。急に触ったりして」
「いえ。大丈夫ですよ」
彼は微笑み落ち着いてそう返してきた。微笑むと長い睫毛が目立ち、浮世離れした雰囲気が尚更際立つ。
「また他の店も見ていい?折角だし、もっとたくさん回りたいの。だってこんな機会、滅多にないじゃない」
次はいつ王宮から出られるか分からないから、なるべく多くのものを見ておきたいと思う。
「そうですね。私も貴女と二人でお出掛けする機会は滅多にありませんから嬉しく思います」
彼は快く頷いてくれ、話はまとまったので、次の店を見に行くことになった。
「エリアス、空が綺麗ね」
私は途中で不意にそんなことを呟く。
見上げた空がとても美しかったからだ。果てしなく続く青空に、白い雲の隙間から差し込む神々しい光。まるで私の初めての外出を祝福してくれているみたい。
「空、ですか?」
彼は不思議そうな表情で言ってから、気がついたように続ける。
「あぁ、そうでした。王女が王宮の外で空をご覧になったのは初めてですね」
「そうよ。いつも部屋からは空を眺めていたけれど。外で見るとこんな風に見えるのね」
エリアスは少し目を細め悲しそうな表情を浮かべる。何だか一気にしんみりしてしまった。
「さ!行こ!」
私はしんみりした雰囲気を吹き飛ばすために敢えて明るく言って歩き出す。明るく笑っていないと何だか悲しくなりそうな気がしたから。折角のお出掛けを湿っぽくするのは嫌だ。
「はい。次はどこへ参りましょうか……」
エリアスは早足で私を追ってくる。
「うーん、公園?」
私はふと思い出した言葉を発した。行ったことはないし詳しくは知らないが、以前使用人の息子の小さな少年から面白いところと聞いた覚えがある。
「この辺には公園なんてありませんよ」
「え。ないの?でも王宮の前のあそこは」
「あれは広場です」
「公園じゃないのね……。でも広場と公園って何が違うの?」
「ややこしい説明を求めないで下さいよ、王女。王宮の図書館でお調べ下さい」
「エリアス知らないんだ」
「なっ、王女!さすがにそれぐらい分かります!」
お互いの顔を見合わせると、自然と頬が緩んだ。理由は分からないが何だかおかしくて。
「……面白いわ、エリアス。貴方って不思議な感じね」
彼は困惑した顔で首を捻る。
「ずっと思ってたわ。貴方って完璧に見えるのに、たまに変なの」
「私が?おかしいですか」
彼はいたって真面目な態度である。それがまた笑いを生む。
「でも、だからこそ、一緒にいて楽しいの。私、面白くない天使ってすぐに飽きるから」
これからもずっと先も、こんな風に笑いあって幸せに暮らす。何も変わりはしない。明日が来ても明後日が来ても、今日と変わらず、同じように一日を過ごすの。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.5 )
- 日時: 2017/07/08 23:09
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: l1OKFeFD)
4話「危険な街角」
「……あれ?」
雑貨屋でくまのストラップを買った後、立ち並ぶ店を眺めながら歩いていた。するといつの間にやらエリアスが見当たらなくなっている。おかしい。さっきまで数歩後ろにいたはずなのに。
「エリアスー、どこー?」
彼の名を呼んでみたが、建国記念祭の準備で行き交う天使達が一瞬振り返るだけで、彼からの返答はない。辺りを懸命に眺めてみても姿は見当たらない。
「……はぐれちゃったのかな、どうしよう。エリアスと一緒にいなくちゃヴァネッサに怒られるのに……」
不安に駆られながら独り言を呟く。さっきまでは楽しくて仕方なかったのに、街が急に怖く感じてくる。エリアスを探してうろつくうちに段々足が疲れてきて、私はとうとう道の端の煉瓦に腰をかけた。
「……どうしたらいいの」
すっかり困りきってしまい、頭を抱えて小さく漏らす。
「こんにちは。お嬢さん」
ふと声が聞こえ私が顔を上げると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
黄色に近い金髪でセットされた前髪、紫の瞳。細身でスタイルは良く、金を持っていそうな身形をしている。まとっている紫のマントが個性的で、この国ではあまり見かけない服装だ。
「……誰ですか?」
怪しんで尋ねてみると、その男性は返す。
「僕はしがないお金持ちさ!」
意味が分からない。分からないが、今の一言で一つだけ分かったことがある。
バカだということ。
「あの……、お金持ちなのにしがないんですか?」
「そうさ。僕って、賢いし強いしかっこいいだろう」
お金持ちはしがないとは言わないと思う。
「貴方、変わってますね」
「僕が?あぁ、そうか。君は僕の魅力に驚いているんだね」
そんなに美男子とは思わないが、目の前にいる彼は自分がかっこいいと信じて一切疑わないようだ。ナルシストというやつか。そういう質の者もいると話には聞いたことがあるが、実際出会うのは初めてな気がする。
「それで、何か用ですか?」
「ふふふ……」
彼はよく分からない奇妙な笑い方をしている。
「僕には見える。君の悩みが、手に取るように!」
「私の悩み?」
「なんたって僕、天才だから!他人の心が見えるのさ」
謎のポーズをしながらそんなことを言う。果てしなく謎だ。
「君、今、探している人がいるだろ?」
彼はいきなり顔を私の顔に接近させ、小声で囁いた。
「いや、人じゃないか。正しく言うなら天使だね。名前はエリアス、君の護衛隊長か」
私は思わずごくりと唾を飲み込んだ。当たっている。どうやらナルシストなバカというだけでもないらしい。
「やけに詳しいのね」
だがますます怪しい。
「最初に言ったはずさ。僕は君の心が見える!そんなことぐらい簡単に分かるよ」
「じゃあエリアスがどこにいるかも分かるって言うの?」
私は少し興味を持ったので尋ねてみる。いかにも怪しくはあるが、エリアスを探す力になってくれるのなら、頼ってみるのも悪くはないかもしれない。
「ふふ……、もちろん。実は心当たりがあるのさ!」
彼はまた謎のポーズをきめながら発言した。
「心当たりですって?もしかして貴方、エリアスのこと知ってるの?」
知り合いでないなら心当たりがあるわけがない。
「ふふ、そうさ。特別親しいわけじゃないけど、会ったことはあるんだよ。だから見た目で分かる。さっき彼らしき天使を見かけた場所へ案内してほしいかい?」
私は腰かけていた煉瓦から立ち上がる。
「……本当なのね?」
真っ直ぐに見据えると、彼は誇らしげに頷く。
「このかっこいい僕が君に嘘を言う理由はないよ。ふふふ」
「分かったわ。じゃあエリアスのところへ案内して」
私は彼についていくことにした。多少の不安はあったが、行動しなくては何も始まらない。
男性に案内されて歩くことしばらく。辿り着いたのは街からそこそこ離れた郊外にある木造の小屋だった。
静かな雰囲気で何者かがいるとは思えない場所だ。近辺にエリアスがいるなら多少は彼の聖気を感じられるはずだが何も感じられない。
「本当にこんなところにエリアスがいるの?」
私は疑問を抱きつつ小屋の中へ入る。小屋の中はとても殺風景で、机と椅子を除けばほぼ何も置かれていない。
「帰ります。エリアスはここにいないわ。彼の聖気は感じられないもの」
無駄足だった。小屋を出ていこうとした刹那、男性は私の腕を掴んだ。
「いやいや。ただで帰らせるわけにはいかないなぁ」
彼は掴んだ腕を引っ張り、私の体を自分の方へ引き寄せる。
「アンナ王女。エンジェリカの秘宝……って知ってるかい?」
あまり至近距離で不気味な笑みを浮かべるものだから、私は反射的に腕を振り払っていた。
「エンジェリカの秘宝?何よそれ。知らないわ」
聞いたこともない。
「なんでも、どんな願いも叶えてくれる宝具だとか。……素直に話した方が身のためだよ」
男性は一旦前髪を掻き上げてかっこつけてから、私の首に腕を回した。その手には黒いナイフが握られており、そこからは悪魔が持つ魔気が漂っている。背筋が凍りつくような不気味な感覚だ。
「……魔気?もしかして」
魔界で暮らす悪魔が天界にいるはずはない。だが、今感じている魔気は確かに本物である。
「貴方、悪魔……?」
すぐそこにある彼の口がにやりと歪む。
「僕は四魔将のライヴァン」
以前、魔界の王妃に仕える優秀な四人の悪魔の話を聞いたことがある。魔界でも数えるほどしかいない上級悪魔だとか。
「さぁ!この美しい僕にエンジェリカの秘宝を渡してもらおうか」
怖い。だが、こんなことに負けるわけにはいかない。ただひたすらに耐える。
「そんなの知らないわ。離してちょうだい!」
私は湧き出る恐怖を振り払うべく、きつい口調で言い放つ。こうでもしないと脚が震えてへたり込んでしまいそうだ。
「ならいいさ!」
男性——ライヴァンは、怒りに顔を歪めて私を蹴飛ばした。なんて乱暴なの。
「美しい僕のお願いを聞けないならもう知らない!怒った!消しちゃうっ!」
ライヴァンは怒った子どものように顔を真っ赤に染め声を荒らげる。思い通りにならないとイライラするタイプのようだ。
「覚悟っ!」
彼は甲高く叫ぶと、魔気をまとった黒いナイフを振り回し始めた。さすがに危ないと思い、慌てて距離をとる。
額に浮かんだ汗の粒が頬を伝って床へ落ちる。この男は私を本気で殺そうとしている。そう感じた途端、恐怖で脚が動かなくなった。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.6 )
- 日時: 2017/08/16 21:16
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AwgGnLCM)
5話「卑怯な悪魔」
私はライヴァンの振り回すナイフを紙一重でかわし小屋の入り口の方へ駆け寄る。外へ逃げるためドアノブに手をかける。しかし、いつの間にやら鍵がかかってしまっているらしく、ドアは開かない。このままでは何をされるか分からない。必死にドアに体当たりをしたり足掻いてみるが女一人の力では何もできなかった。
「待って!」
もうこれしかないと思い、全力で叫ぶ。するとライヴァンの動きがほんの一瞬止まった。
「ちょっと待って!お願いよ、話を聞いてちょうだい!」
「……話だって?」
ライヴァンはナイフの刃をこちらに向けたまま怪訝な顔をする。
「貴方を怒らせるつもりはなかったの。私、エンジェリカの秘宝なんて聞いたことなくて、だから、誤解しないで。本当に怒らせる気はなかったのよ」
怒りで暴走している相手に何を言おうとも恐らく無意味だろう。彼に冷静になってもらうのが先決だ。
「ふっ、ふふふ……!やーっと謝る気になったようだね!」
ライヴァンは突然元の雰囲気に戻った。いや、違う。元に戻ったのではなくご機嫌になっている。少しでも落ち着かせれば十分と思っていた私は、予想外な結果に一瞬ついていけなかった。
「謝るわ、ごめんなさい。だから一つだけ教えてほしいの」
「僕は心が広いから許してあげるよ!で、このかっこいい僕に質問だって?」
「かっこいいと思ってるのは自分だけよ」と嫌味を言いたくなるのは抑えて頷く。
「エンジェリカの秘宝って一体何なの?」
「まさか君、本当に知らないのかい!?」
目は見開き口を精一杯広げ、ライヴァンはこれ以上ないぐらい派手な驚き顔になる。こんなに顔筋が柔軟だとは思わなかった、とつい冷静になってしまうほどの変わりようだ。
「えぇ、知らないわ。それどころか聞いたこともない」
嘘ではない。
「そうか。なら仕方ないな。この美しく賢い僕が教えて差し上げよう!」
ライヴァンは片腕を上に上げるような謎の決めポーズでそう言った。喉まで込み上げてきた「美しくも賢くもないと思う」という言葉を飲み込む。
「エンジェリカの秘宝とは、エンジェリカに伝わる秘宝のことである」
「そのままじゃない」
「うるさい!そこで大人しく黙っていろ!」
ライヴァンがこちらに指を向けると黒い輪が飛んできて、私の体は木製の柱にくくりつけられた。非常に窮屈だ。
「……それは手に入れた者のどんな願いも叶えると言われている。王妃はこの美しく聡明な僕に期待を寄せてくださった。僕がエンジェリカの秘宝を手に入れた暁には、最高の褒美をくださるそうだよ」
彼は恍惚としながらこちらへ歩み寄り、長い指で私の顎に触れた。正直気持ち悪い。
「天界の王女も一緒に差し出せば、王妃は僕にもっと多くの褒美をくださるだろうね。思う存分利用させてもらうよ」
「私を悪魔に差し出す気?」
「ふふふ。最終的には、だよ。まずは君を人質として国王にエンジェリカの秘宝を要求する」
顔の距離が近い。ここまで接近すると余計に顔面の粗が目立ち、彼をますます嫌いになる。
「……随分卑怯なのね」
「卑怯でなくては社会を生きていけないよ!」
どんな社会だ、と嫌味を吐いてやろうと思ったその時、一瞬だけ、目が眩むくらいの強い聖気を感じた。エリアスが来たのかもしれない。心の奥に一縷の望みが生まれた。
「……そうね。きっと魔界ではそうなのでしょうね」
私は目を閉じて小さく口を動かす。
聖気は確かにこちらへ近づいてきている。エリアスでほぼ間違いないだろう。今私がすべきことは時間を稼ぐこと。
「卑怯者が勝つのは魔界でなくとも世の摂理さ!」
端から真面目に討論する気はない。私としては時間を稼げるなら何でもいいのだ。
「天界ではそうと決まってはいないわ。卑怯でなくとも勝者にはなれるの。面白いでしょう」
「いや、違うね!卑怯者こそが最後に勝者となる!」
「いいえ。残念だけど、それは魔界でだけ。ここでは違うわ」
しばらくの間、そんな風に言い合った。どうでもいい議題ではあったが、ライヴァンのむきになる性格のおかげで会話は苦労なく続く。
「随分な自信だなぁ。でも残念ながら卑怯者こそが……っ!?」
ライヴァンは言いかけて途中で言葉を詰まらせた。見開かれた目の中にある紫の瞳が怯えたように揺れている。
「聖気……?な、そんな……」
ドアの中央に手のひらくらいの白い光が現れ、次の瞬間、爆発が起きてドアが吹き飛んだ。神々しいほどの白い光に私は思わず目を閉じる。
「王女!こちらにいらっしゃいますか!?」
エリアスの声が耳に入る。光が止んだ後ゆっくりと目を開けると、小屋のドアは綺麗さっぱりなくなっておりエリアスが立っていた。
「エリアス!」
私は思わず彼の名を呼んだ。
「すぐにお助けします」
彼は落ち着いた様子でそう言うと、私がくくりつけられている柱の方へ歩いてくる。
「きっ、貴様ぁ〜!どうしてここが分かった!」
ライヴァンの表情が驚きから怒りへ変化した。エリアスはライヴァンの問いには答えず、彼に目をくれることすらしない。
「王女、お怪我はありませんか?すぐに拘束を解きますから」
エリアスは私の目の前まで着くと柔らかく笑みを浮かべて言う。そして私の体を拘束する黒い輪に手をかけ、一瞬にして輪を引きちぎった。
「貴様っ!美しい僕を無視するとは何事だーっ!」
「そこにいて下さい。もう決して触れさせはしません」
エリアスはライヴァンの発言にはひたすら無視をする。その様子は、さすがにライヴァンが可哀想になってくるぐらいだ。
「穢らわしい悪魔が王女に触れるな」
戦闘体勢に入ったエリアスが低い声で小さく言った。さっきまでとは別人のような冷ややか表情に鋭い眼差し。普段は柔らかな雰囲気を漂わせる長い睫毛が、今は表情の鋭さを際立たせている。その迫力に、ライヴァンがごくりと唾を飲み込むのが分かった。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.7 )
- 日時: 2017/08/16 21:15
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AwgGnLCM)
6話「白き翼」
エリアスは鋭い表情のまま右手を開き聖気を集める。白い光が徐々に集結してきて、やがて長い槍の形になった。白く長い柄に、鋭利な銀の刃。エリアスの相棒だ。
「ぶっ、武器とは卑怯だぞ!美しい僕に刃を向けるとは何て野蛮な……ヒィッ!!」
ライヴァンが文句を言い終わる前に、槍の先は彼の喉元へ突きつけられていた。
「お前は王女に手を出した」
エリアスは背筋が凍るような声色で言う。声そのものは静かで淡々としているのに得体の知れない威圧感がある。
「死をもって償え」
「な、何だってぇ!?麗しい僕に死ねと言うとはどこまでも品のないや……ギャッ!」
エリアスは騒がしいライヴァンを槍の柄で殴り飛ばす。今まで私が見た中で一番乱暴だ。
「いっ、痛いじゃないか!これはさすがに酷いぞ!」
彼は私を狙う敵なのだから全力で殴り倒して構わないわけだが、ここまでやられていると、さすがに気の毒な気もしてくるものだ。
ライヴァンは殴られた脇腹を押さえながら力なくよろよろと立ち上がる。
「美しい僕にこんな仕打ちをするとは……そんなに僕が羨ま、ぶっ!」
エリアスは槍の柄でライヴァンを再び殴った。そして、可哀想なぐらい見事に転倒したライヴァンの襟の後ろを掴み、左手で一気に持ち上げる。片手とは思えない力だ。
「な、何をするんだぁっ。まだ!まだ何もしてないっ!」
半泣きになってじたばたと抵抗するライヴァンの喉元へ槍の先をあてがう。
「まだ、ということは、いずれ王女に危害を加えるつもりだったということだ。その罪は死をもって償え」
エリアスは冷ややかに言い放つと槍を握り直す。先程までの脅しとは違う、本気の持ち方に変わった。私はエリアスが護衛隊長になってからずっと彼の戦いを見てきた。だから今の彼が本気であることぐらい容易く分かる。
「待って、エリアス」
私は何故か声を出していた。
「その人が言っていることは本当よ。私たちはただ話していただけなの」
エリアスが振り返る。
「ですが王女……この者は貴女の命を狙ったのですよ?」
「いいえ、まだ何もされていないわ。エンジェリカの秘宝について話をしていただけよ。だから殺さなくても」
私がそう言うと、彼は困り顔になる。
「見逃せと仰るのですか」
「彼もさすがに後悔しているはずよ。大人しく帰ってもらえるなら、一度くらい見逃してもいいんじゃない?」
「……分かりました。王女がそう仰るなら」
言い終わる直前、エリアスは急に顔をしかめ、片手で掴んでいたライヴァンを反射的に放り投げた。そして左肩の辺りを押さえる。
「……く」
手を当てているところから一筋の赤い液体が垂れてきて、純白の衣装に赤い染みが広がる。
「ふ、ふふ、ふははっ!」
突如ライヴァンが大きな甲高い笑い声をあげた。
「やった、やったぞ!バカめ、お人好し王女!」
「ライヴァン、貴方……」
一瞬でも彼が反省していると思った私が愚かだった。彼は単純に自身の危機に怯えていただけで、私を傷つけようとしたことへの後悔は微塵もなかったのだ。
「今日は一旦引いてやる。が!次は本気で来るからな!愚かな王女、ふふふ……。次はこの美しい僕に拐われると覚悟しておくことだ!さらば!」
ライヴァンはいきった謎のポーズを二三種類きめながら長文を言い切ると小屋から風のような速さで走り去ってしまった。つまり、逃げた。
ライヴァンを卑怯者と分かっていながら信じてしまった愚かな自分への怒りと、敵が去ったという安堵感が混ざり、力が抜けてへたり込んでしまう。
「王女!」
それに気づいたエリアスは、素早く振り返り屈んで声をかけてくれる。
「お怪我はありませんか?」
エリアスはいつものことながら、自身の怪我は気にかけず、私の心配をしている。
「すみません。私の力不足で貴女に怖い思いをさせてしまい、何と謝れば良いものか」
エリアスはすっかり落ち込んだ表情だ。仕事には真面目な彼のことだから無理もないかもしれないが、私からすれば彼は何も悪くない。
「いいえ、貴方は悪くないわ。私が悪いの。私がライヴァンを見逃せなんて言ったから、貴方は怪我して……」
問題なのはむしろ私の方。
「そもそも私が王宮から出たいって言ったのが悪かったのね。やっぱり私に外出は無理だった……」
「それは違います」
エリアスは迷いのない表情できっぱりと断言した。
「王女、貴女が外を知りたいと思われるのは、間違いではありません」
「でも……貴方を傷つけてしまうようじゃダメよ……」
何だか悲しくなってきた。
温室育ちで世間知らずの私には、外の世界に憧れる資格なんてありはしない。ずっと王宮の中で暮らしているのがお似合いなんだ。
「そのようなことを仰らないで下さい。貴女をお守りするための護衛隊長でしょう」
「でも……!」
「王女にお怪我がなければそれで良いのです。従者をいたわるお心を否定はしませんが、いちいち些細なことでそのように悩まれては、貴女の健康に良くありませんよ」
彼はそっと微笑んで右手を差し出す。白い手袋も少しばかり血に濡れて赤くなっていた。いきなり赤い手を差し出され戸惑い反応に困っていると、彼はそれを察したらしく差し出す手をすぐに左手に変える。
「もう夕方になりますし、そろそろ帰りましょうか。今日のことは念のため私から王へお話ししておきます」
彼は落ち着いた様子でそう言った。
エリアスは強い。何があっても、傷を負っていても、いつだって普段通り冷静に判断できる力を持っている。だからこそ護衛隊長になってほしいと依頼したわけで……、だけど何故か切なくなる時がある。彼といるとたまに、自分が弱虫に思えて、情けなく感じて仕方なくなるのだ。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.8 )
- 日時: 2017/07/16 19:37
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: e/CUjWVK)
7話「王宮の自室にて」
王宮へ戻るとエリアスは私を侍女のヴァネッサに引き渡し、今回の件について報告してくると言って王の間へ向かった。
私は自室でヴァネッサと二人きりになる。彼女は深い青色の瞳でじっと凝視してくる。普段から厳しそうな雰囲気だが、今日はいつもに増して厳しい顔つきだ。
「アンナ王女。私は貴女に危ないと感じればすぐ逃げるようにと申し上げました」
「……そうね」
「それと、エリアスから離れないようにとも申し上げましたよね」
私は小さく頷く。
「それなのに!何故こんなことになったのですか!」
ヴァネッサは声を荒らげた。
「無事だったから良かったものの、一歩誤れば大問題に発展するところでしたよ!」
「……ごめんなさい」
私は何も言い返せなかった。彼女の言うことがまっとうだったから。
「しかし今回で学習されたことでしょう。次からは気をつけて行動するようにして下さい」
そうまとめるとヴァネッサは流し台の方へ歩いていく。
今日はいろんな慣れないことがありすぎて疲れた。それから私はベッドの上に座ってぼんやりと時間を過ごした。
そのうちに日は暮れ、夜。私は建国記念祭の初日に行う予定である挨拶の練習をすることになった。挨拶として読み上げる数枚の原稿は数日前に渡されていたが、面倒だったので今まで放置していた。しかしそろそろ練習しなくてはならないと思ってくる。
「えっと、うーん……ここからか。本日は記念すべき、えと……三百回目の建国記念日を迎えられたことを、……エンジェリカの王女として、光栄に思います。今年の建国記念祭は例年とは異なり、一週間に渡る日程で……あー!もー!」
他人の書いた真面目な文章を読んでいるとむしゃくしゃしてきてついに放り出してしまう。ベッドに飛び込み目を閉じる。やはり私にはこのような役割は向いていない。
「面倒臭い……」
身を回転させて仰向けになり一人呟く。横目に窓の外を見ると沢山の星が輝いているのが分かる。星たちの輝きはいやに明るく感じられた。私もあんな風に自由に輝けたら……なんてよく分からないことを夢想する。天使が星になるなんてありえないのに今は星たちが羨ましい。
その時、突然誰かがドアをノックした。
「アンナ王女、いらっしゃいますか?」
ヴァネッサの声だった。
「はーい。今開けるわ」
軽く返事をしてベッドから起き上がりドアを開ける。そこに立っていたヴァネッサは少し様子がおかしい。
「ヴァネッサ、どうしたの。こんな夜遅くに用事?」
私は敢えて気づいていないふりをして普通に尋ねる。
「エリアスが牢へ入れられました」
微塵も想像していなかったことを告げられ戸惑う。そんな私に構わずヴァネッサは続ける。
「王が、王女を連れ出し危険な目に遭わせたとお怒りになり、エリアスを牢へ入れよと」
「そんな……どうして。エリアスは何も悪くないじゃない」
王は実の父だが、一体何を考えているのかさっぱり理解できない。エリアスはただ私を守ってくれただけ。何がどうなれば彼が悪くなるのか。
「私、お父様に話してくるわ。ちゃんと説明すればエリアスは何も悪くないって分かってくれるはずよ」
「いけません、アンナ王女。こんな夜分に王の間へ行くなど」
ヴァネッサは早速歩き出そうとした私の手を握り制止する。
「でも誤解を解かないと。あんな暗くて汚い場所にいなくちゃならないなんて、エリアスが可哀想よ」
罪を犯した者を収容しておく地下牢。以前一度行ったことがあるが、光が入らず暗く、埃っぽくて不潔という、劣悪な環境だったのを覚えている。天界の明るさとは真逆のような場所だった。
「関係ありません。夜分に王の間へ行くのはいけません」
彼女が淡々とした態度なのに段々腹が立ってくる。
「ヴァネッサ、貴女変よ。どうしてそんなに冷たいの」
「時間というものを考慮して行動していただきたいだけです。貴女はいずれ女王となる身ですから、最低限のマナーは……」
いつもいつもそうやって真面目なことばかり言って。
「ヴァネッサ、貴女は酷いわ。手を離して!」
口調を強めても彼女はまったく動じない。
「まだ王の間へお行きになる気なら離しません」
ひたすらそれの一点張りだ。
「じゃあそれ以外なら離してくれるの?王の間に行く気じゃないなら離すのね?」
だったらエリアスに会うために今すぐ地下牢へ向かうわ。と心で呟いた瞬間、その思考を読んだかのようにヴァネッサは提案した。
「エリアスに会いに行かれますか?」
私は驚いて少しの間黙ってしまったが、その後すぐに返す。
「……心が読めるの?」
「いえ。ただ、アンナ王女のお考えぐらい簡単に分かります。私は貴女がまだ赤子だった頃からお仕えしているでしょう。かなり長い付き合いですから、そのくらい分かります」
特に王妃であった母が亡くなってからは、彼女がほとんどの世話をしてくれた。考えぐらい読めても不思議ではないのかもしれない。
「会えるものなら会いたいわ。彼には色々と謝らなくちゃならないし」
あれからまだまともに話していないので言いたいことは沢山ある。
「では会いに行きますか?」
ヴァネッサは珍しく笑みを浮かべた。いつもは表情があまりなく淡々としているものだから珍しいものを見た気分になる。
「いいの?」
「それなら構いません。ただし私も同行しますが」
ヴァネッサがいて困るようなことをする気はない。逆にそのような質問をする意味がいまいちよく分からなかったが、敢えて突っ込むことはないだろう。
「ありがとう!どっちみち私は場所分からないし、ヴァネッサも一緒に行こう!」
こうして私はヴァネッサと共に、エリアスがいるという地下牢へ向かうことにした。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.9 )
- 日時: 2017/07/18 00:08
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 8topAA5d)
8話「母親とは面倒臭い」
一度王宮の外へ出てすぐ近くの別棟へ入り、地下へ続く長い石の階段を下りていく。下へ向かうにつれ徐々に埃っぽくなってきて乾いた咳が出る。喉がごろごろしてきて不快感が凄い。
「大丈夫ですか?アンナ王女」
暗くて度々転びそうになる私をヴァネッサは気にかけてくれる。壁の所々にランプが掛けられている以外に明かりはないので、不気味すぎて一人では到底行けそうにない。
「もうまもなく着きますので」
地下へ着いて狭い廊下を歩いている途中にヴァネッサがそっと口を開いた。
「暗くて気味悪いわね」
私は何気なく感想を述べた。
「地下牢ですから……。はい、着きましたよ」
黒い鉄の柵があり、その中に白い姿が見えた。
「エリアス!!」
私が呼びかけると、狭い牢の中に座っていたエリアスは、細く目を開ける。しばらく間があって彼は口を開く。
「……王女?」
「そうよ、私。アンナよ」
「貴女が何故ここに……あぁ、ヴァネッサさんですか」
エリアスは眉をひそめて不快そうな表情になる。
「何なの、エリアス。嬉しくなさそうね」
ヴァネッサは静かに言った。
「嬉しいわけがありません。王女にこのような姿を見せたくはなかった」
微かに俯くと長い睫毛が悲しげな表情を彩る。
「エリアス。私ね、貴方に話したいことが沢山あるの。だから今から話しても構わない?」
「えぇ、もちろんです」
こちらへ視線を向けるとエリアスは少しだけ笑みを浮かべてそう答えた。
「まずはごめんなさい。巻き込んでしまったこと、謝るわ」
「王女が謝罪なさることは何もありませんよ。私の仕事の結果など、一切王女の問題ではありませんから」
数秒沈黙が訪れる。
「そ、そうね。ありがとう。それで、怪我はどう?大丈夫?」
服装自体が真っ白なので気づきにくいが、彼の首には白い包帯が巻かれていた。
「はい。診てもらったところ、そこまで深い傷ではなかったので軽い処置だけで済みました。今のところ異常もありません」
出血が多そうだったので心配していたのだが、重傷でなくて良かった、と私は安堵の溜め息を漏らす。
「それならいいけど。なるべく無理はしないでね」
エリアスはゆっくりまばたきしてから述べる。
「王女はお優しいですね」
突然そんなことを言われると困惑してしまう。何と返せば良いものか。
「昔からずっと……、王女は優しくて素敵な方です」
それを聞いて私の後ろに立っていたヴァネッサが怪訝な顔をする。
「アンナ王女を口説くようなことを言わないで」
冷ややかな視線を送られたエリアスは冷淡な声で言い返す。
「そうではありません、ヴァネッサさん。貴女も王女の優しさはよくご存じでしょう」
「そうね、アンナ王女は優しい方だわ。けれどいずれ女王になる王女としてはまだ不十分……と思っているわ」
「ヴァネッサさん、余計な発言は慎んで下さいよ」
冷たい夜風が一本の糸のような細さで地上から流れてくる。
何だか怪しい雲行き。まるでまだ晴れているがまもなく雨が降りだすという時のような空気だ。しかも話の筋がずれてきている。
「はい!おしまいっ!」
これ以上放っておくと喧嘩になってしまうと感じた私は、場の空気を変えるべく、いつになく明るい声で言った。
「……どうしました?」
ヴァネッサの深海のような瞳から放たれる視線が私を捉えて離さない。突然明るく大きな声を出したことの説明を求めているのだろう。
「私が黙っていたら二人共すぐ喧嘩するんだから。止めてよ。折角なのに楽しくなくなるわ」
「アンナ王女。楽しみに来たわけではないでしょう」
それもそうだな、と内心思ったのは秘密。エリアスに会いたくて来たというのはあっても、遊びに来たわけではない。
「楽しみに来たのではないとはどのような意味でしょう」
次はエリアスが尋ねてくる。ヴァネッサもエリアスも気になることがあると躊躇いなく聞いてくるので質問が絶えない。
「うーん。えと、つまり……、私のせいで捕まっちゃったエリアスが一人で寂しい思いをしなくていいように、一晩中お話しようと思って来たの」
「本当ですか!?」
エリアスの表情がパアッと一気に明るくなる。こんな嬉しそうな顔をしているのはいつ以来だろうか。彼はどんな時でもどこか哀愁が漂っているので、純粋に嬉しそうな顔をするのは珍しい。
「王女は本当にお優しい方ですね。……私は幸せ者です」
長い睫毛をぱちぱちさせながら瞳を輝かせている。
「一晩中とは何です!そんなことは聞いていませんよ!」
いつものことながらお堅いヴァネッサは、予想通り厳しい口調で突っ込んできた。彼女はエリアスと私が仲良くしているとすぐに注意してくる。いや、エリアスとの場合だけでなく、男性と親しくしていると、というのに近いかもしれない。
「いいじゃない、ヴァネッサ。どうしてそうやってすぐに怒るの?」
王妃だった私の母はいつも仕事で忙しくあまり会えなかったため経験したことはないが、口出ししてくる厄介な母親というのはこういう感じなのかもしれない。
「怒っているわけではありません。ただ、貴女は王女でエリアスは男です。男女がこんなところで一緒にいるなど……!」
ヴァネッサの言葉を聞いた瞬間、エリアスが鋭い目つきで言い放つ。
「ヴァネッサさん、一言失礼しますが」
エリアスは私に対しては親切だが、ヴァネッサに対する態度はいつもかなり厳しい。
「私は男である前に護衛隊長ですから。そのような心配は必要ありません」
それでなくても埃っぽくて重苦しかった空気が更に重苦しくなってきて、私は思わず溜め息を漏らしてしまった。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.10 )
- 日時: 2017/07/19 12:00
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: DT92EPoE)
9話「堕ちた天使」
せめて今夜だけでも。そう思いエリアスが入れられている牢の前に座っておくことにした私がうとうとしていると、不意にエリアスが口を開く。
「王女、ここへ来られるのは初めてですか?」
落ち着いた静かな声が暗い地下牢内に響く。現在地下牢には私たち三人以外には誰もいないらしく、辺りは静寂に包まれている。私のすぐ横に立っているヴァネッサは黙って様子を見ているだけだ。
「いいえ、初めてじゃないわ。前に一度ぐらい来たことがあるの。エリアスは?」
「えぇ、私はよく来たことがあります」
エリアスは私の護衛隊長になる前、王を守る親衛隊の一員だった。その頃のことを私はあまり知らない。
「よく……って、何しに?」
そう聞いた途端、彼は少し俯いて唇を噛み、しばらく黙り込む。何か考えているのだろうと察し、私は敢えて何も言わずに彼を見つめるだけにした。
しばらくすると彼は何か決意したように顔を上げて視線をこちらへ向ける。
「私の弟がずっとここにいたからです」
エリアスがそう切り出すと、それまで一言も発さなかったヴァネッサが急に口を開く。
「貴方の弟。ルッツのことね」
「ヴァネッサ知ってるの!?」
私はエリアスの弟の話なんて一度も聞いたことがない。
「はい。エリアスとルッツ。兄弟は親衛隊の中でも特に優秀な天使として、エンジェリカではとても有名でしたから」
誰でも知っている常識のように話すヴァネッサ。
「エリアスって有名だったの!?私、全然知らなかった。でも、ルッツなんて名前は、聞いたこともないけど……」
「ルッツは裏切り者ですから」
エリアスが悲しそうな顔をしながら、しかしはっきりと言った。
「裏切り者?でもエリアスの弟でしょ。一体何が……」
「私とルッツは親衛隊員として働いていました。しかしある時、ルッツは力を求めて魔界の悪魔と接触していたことが発覚し、貴女のお父上であるディルク王の命によって、この地下牢へ囚われました。私は兄としてルッツの世話を任せられ毎日のようにここへ通っていたのです」
そんな話は小耳に挟んだことすらない。私は外の世界のことどころか、王宮内の出来事すら知らなかったのだ。
「彼は今どこにいるの?この地下牢にはいないわよね」
今日ここへ来てから今に至るまで、風と私たち三人の声以外の物音は聞いていない。当然ながら気配もしない。
「はい。ある夜、いつものように向かった地下牢で私は、脱走するために更なる悪魔の力を得て黒く染まったルッツを見ました。少しでも悪魔の力を得た天使は天界にはいられない。だから自ら魔界に行くつもりだったのでしょう」
数年間ずっと近くにいたのにエリアスの過去の話を聞くのは初めてだ。恐らく私に気を使ってくれていたのだろう。
「私は止めようとしました。けれど、止められなかった。ルッツは地下牢から脱走し、それ以来一度も会っていません」
きっと辛かっただろう。そんなことを心の内に秘めて今まで生きていたのだと思うと、他人事ながら胸が締め付けられて痛くなる。
私は鉄柵の隙間から手を差し出し、彼にも手を伸ばすように言った。足は鎖に繋がれているが手は繋がれておらず動かせるらしい。エリアスは私の方へ一生懸命手を伸ばす。ぎりぎり届く距離。私は彼の手をそっと握った。
「……王女?」
すっかり冷えきってしまっている彼の手を温めるように触れる。私やヴァネッサの手に比べれば指は長く全体的にかっちりしているのが分かる。
「あの、何を?」
「何って……寒いでしょ?貴方の手、冷えてるわ。だから温めているところ」
するとエリアスは急にふっと笑みをこぼし頬を緩める。
「そうでしたか」
彼の表情が少しばかり晴れやかになった。
「今ふと、懐かしいことを思い出しました」
「懐かしいこと?」
「えぇ。貴女と初めて出会った時のことです」
さすがにそれは覚えている。
自分の護衛隊というものに漠然と憧れていた私は、エリアスが親衛隊を辞めると聞いてすぐにスカウトしようと閃いた。
「確かに懐かしいわね。話しかけようと思って、でも何回も声をかけられなくて……エリアスを追い回し続けたりしたっけ」
今日は妙に昔の話をするなぁと思いつつ話をする。
「ふふっ、そんなこともありましたね」
エリアスは穏やかに微笑む。
「ルッツの脱走に協力したと疑われた私は、その責任を負って親衛隊を辞めることになり、どうすればよいものか分からずにさまよっていたところ、王女に声をかけていただいたのです。あの時も王女はこうやって手を差し出してくださいました。貴女は私に新しい人生を与えてくださったのです」
「何かごめんなさい。そんな事情まったく知らなかったわ」
昔の私は、エリアスが戦闘に長けていることは知っていたものの、表情の薄い冷淡な天使だと思っていた。話を聞いてしまった今では絶対に言えないが。
「あの時の王女の手の温もり、私は決して忘れません。……ふふ、ふふふふふっ」
突然エリアスが不気味に笑い出す。
「……っ!?」
私は唐突なことに驚いて口を開けるほかなかった。
「エリアス!おかしな笑い方をしないでちょうだい!」
顔をしかめて鋭く放ったのはヴァネッサ。
「あ、はい。すみません。つい……。王女、今のことは気にしないで下さい」
エリアスは正気に戻ったらしく恥ずかしそうに笑う。今さっき何が起こったのかは理解できなかったが、敢えて突っ込む必要性はないだろう。いや、聞いてみるのが怖い。
さて、気を取り直そう。
- Re: エンジェリカの王女 ( No.11 )
- 日時: 2017/07/23 15:11
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: AQILp0xC)
10話「エンジェルコーン」
不思議な夢をみた。いやに生々しく、それでいて非現実的な夢を。
私は多くの天使たちに囲まれて王宮前広場の中央に立っている。周囲の天使たちの中にはヴァネッサやエリアスの姿もあった。
ぼんやり辺りを見回していると、私の背後から突然見知らぬ女が現れる。漆黒のワンピースを見にまとい、長い黒髪に整った美しい顔。唇には血のような真紅の紅を引いている。こんな女は私の知り合いにはいない。それどころか、エンジェリカの至るところを探しても、見つからないと思う。
女は後ろから抱き締めるように覆い被さり、奇妙なほど端整な顔を私の顔へ擦り寄せる。そして耳元で囁く。
「力が欲しいか」
女は意味が分からないので振り払おうとする私の腕を掴む手に力を入れる。女性とは思えない握力だ。
「愛する者を守る強大な力を、お前は求めている」
「……一体、何の話なの。わけが分からないわ」
「そうか。なら見せよう」
小さくそう言うと黒い女はゆっくり口角を持ち上げる。それから彼女の姿は徐々に薄れてついには消えた。
「一体何だったのだろう」と不思議に思っていると、唐突に胸元につけている赤い宝石のブローチが外れて落ちた。気づいて拾おうとしたその瞬間。
大きな爆発が起き、放たれた白い光に視界は遮られた。
「……あれ?」
目覚めると自室のベッドの上に寝ていた。いつもの温もりが全身を包んでいる。
黒い女、爆発、白い光。しばらくしてそれが夢だったのだと理解した。胸元に触れると赤い宝石のブローチはちゃんとついたままだった。ほっとして胸を撫で下ろす。
「おはようございます、アンナ王女」
寝起きでまだぼんやりしている私に声をかけてきたのはヴァネッサ。
「……これは。今は?」
今が朝か夜か、今はいつで何をするべき時間なのか、一瞬頭が追い付かない。
「まだ寝惚けてられるようですね。今は昼過ぎです。昨夜は地下牢へ行きエリアスと話をしたでしょう」
ヴァネッサにそう言われ、ようやく記憶が蘇ってくる。そういえばエリアスと話したっけ、というぐらいの感覚だ。そこから記憶を辿っていくと段々思い出してくる。
「……そうだったわ。エリアスの弟の話とかしてたわね」
「ようやく記憶が戻ってきましたか、アンナ王女。そろそろ起きて下さい」
「……五分待って」
やはりまだ眠気は消えない。もうしばらくこのままでいたいという衝動には勝てなかった。
「そうですか、残念です。折角クッキーを焼きましたのに」
「後で……、ん?」
ヴァネッサがいる方から良い香りが漂ってくる。香ばしく深みのある甘い香り——、これはエンジェルコーン!私は一気に目が覚め飛び起きた。
「まさか、エンジェルコーンのクッキーなの!?」
エンジェルコーンというのは天界では知名度の高い食べ物で実が白いとうもろこしのような野菜だ。野菜でありながら非常に甘みが強いため、よくお菓子作りに使われる。因みに私の好物だ。
「えぇ。アンナ王女のお好きなエンジェルコーンのクッキーです。けれど起きられないなら仕方ありません。皆に配ってきましょうか」
「待ってヴァネッサ!起きる!起きるからっ!」
クッキーが乗ったお盆を持ち部屋から出ていこうとするヴァネッサを慌てて引き留めようと叫ぶ。エンジェルコーンから作られたクッキーを他の者に渡すわけにはいかない。
「クッキー食べる!」
するとヴァネッサはほんの微かな笑みを浮かべた。
「はい。おはようございます、アンナ王女」
何だかんだでいつも彼女に上手く操られている気がする。彼女は私のことを熟知しているので容易いことなのかもしれないが。
それからヴァネッサの作ったクッキーを食べるべくテーブルへ向かう。目の前に出されたクッキーは可愛らしい様々な形をしていた。香りの良さはもちろん目でも楽しめるクッキーを早速一枚つまみ口へ運ぶ。
「美味しい!」
思わずそう言った。
「エンジェルコーンの深みのある甘さが砂糖とはまた違った風味を出してるわ。それにさっくさく!」
次から次へとどんどん手を伸ばしてしまいそうな美味しさ。いくらでも食べられそう。
「ヴァネッサ、さすがね」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
ヴァネッサは淡々とした口調でお礼を述べた。
「このクッキー、エリアスにも食べさせてあげたいわ」
エリアスが食べるところはほぼ見たことがないので彼の食事の好みは分からないが、このクッキーならきっと美味しく食べられると思う。
「アンナ王女、残念ながらそれは出来ません。食べ物を地下牢へ持っていくことは禁止事項ですので」
安定の真面目さで返される。
「そんなこと分かってるわよ!でもエリアス可哀想じゃない。どうにか助ける方法はないかな……」
思考を巡らせ考えてみても、私の頭ではいまいち良い案が思いつかない。
「王様に一度お話してみられてはいかがでしょう」
「じゃあ今夜!」
「夜はいけません」
……言われると思った。昼間は王の周囲には多くの家臣たちがいるので、そういう個人的な話はしにくいのだが。
「分かった、夜はダメなのね。じゃあ今晩!」
するとヴァネッサは手で頭を押さえて呆れた溜め息を漏らした。
「……同じことです」
さすがの私もそれは分かっている。半ばふざけて言ってみただけのこと。
そうこうしているうちに私は出されたクッキーを全部平らげてしまった。気がつけば食べてしまっていた、という表現が相応しいかもしれない。ヴァネッサの作るお菓子はどれも美味しく私好みだが、エンジェルコーンのクッキーはその中でも抜きん出て素晴らしいものだった。