コメディ・ライト小説(新)
- Re: 《☆人気投票期間延長☆》エンジェリカの王女[祝・100話☆] ( No.138 )
- 日時: 2017/09/25 21:27
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: 59tDAuIV)
101話「すぐに帰ってくるから」
ほんの数秒、沈黙があった。何か悪いことを言ってしまっただろうか、と少し不安になる。私はエリアスの反応を待つ。
しばらくすると、エリアスの瑠璃色の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちた。突然のことに驚き戸惑う。「何事?」という感じだ。
「あ……す、すみません……」
エリアスは慌てて涙を拭く。
私が泣き止んだと思ったら今度は彼か。私たち似た者同士ね。
「嬉しくて……あまりに……」
いきなり倒置法。気になる。まぁたいして気にすることではないのだが。
私は「嬉し涙なら良かった」と思い胸を撫で下ろした。これ以上彼に迷惑をかけるわけにはいかない。
「そうでした。カルチェレイナはどうなったのですか?」
ようやく普通に話せるようになってきたエリアスが尋ねてくる。
「今はライヴァンが食い止めてくれているわ」
傷があるエリアスの腹部を一瞥する。どうやら出血は止まったようだった。かなりの量が体外へ出てしまっただろうが、彼の様子を見ている感じだと、命に別状はなさそうだ。意識ははっきりしているし、首から上や腕は動かせている。
もちろん治療は必要だと思うが、何とかなりそうな状態だ。
「ライヴァンですか……」
エリアスは怪訝な顔をしながら上半身を起こそうとする。しかし途中でガクッとなったので、咄嗟に支える。
「もう少し横になっていた方がいいわ」
今はライヴァンのことよりもエリアスの体が心配だ。
「はい。すみません」
ゆっくりと横たわらせる。すると、彼の服にこびりついていた血がべったりと手につく。それを見て複雑な心境になったが、なるべく気にしないようにした。
エリアスが生きていればそれでいいのだから。
「ねぇ、あの小さな瓶の薬は持っていないの?」
「クヤハズキオルーナですか」
「そうそう。それよ」
するとエリアスは上着のポケットへ手を伸ばす。そして数秒後に水色の小瓶を取り出した。
「これをどうなさるのです?」
予想外の質問をされ困惑する。「エリアスが飲む意外に選択肢はないでしょう!」と突っ込みを入れたい気分だ。これを素で言っているとすれば、かなりの天然である。
「貴方が飲むのよ」
「私が?」
今日のエリアスはどうかしているわね。明らかに変。
「いいから飲んで!ちょっとでも早く傷を治さなくちゃならないでしょ!」
少しイラッとして調子を強めた。
エリアスは「はい」と短く返事して小瓶の中の薬を飲む。意外と少量なのか、あっという間に飲み終えた。
「美味しかった?」
興味本意で尋ねてみると、エリアスは苦笑する。
「あまり美味しくありません。草の味がします」
草の味!?……それは厳しい。
原材料が薬草だから仕方がないのかもしれないが、調味料などで多少味付けしておけばいいのにと思う。
傷病者が飲むわけだから、ある程度美味しくしておくべきよね。怪我はともかく、病気の時に草の味がする液を飲むのはかなり辛いだろうし。
その時、カルチェレイナがいる方角から爆発音が聞こえた。そこまで大きくはないが何回も鳴り響く。
「そうだった、そろそろ行かなくちゃ。エリアスは一人で平気?」
本当は重傷の彼をこんなところに置いていきたくない。安全な場所へ一緒に避難して、一刻も早く手当てしなくては。
だが私はカルチェレイナとの戦いから逃げられない。絶対にあの場所へ戻らなくてはならないのだ。
何度も「このまま逃げてしまおうか」と思った。そうすれば私もエリアスも無事でいられるし、一番簡単な道だから。だがそれは私たち二人しか救われない道だ。あの場所にいるジェシカたちや、カルチェレイナと戦っているであろうライヴァン。私に味方して力を貸してくれた者たちを犠牲にするわけにはいかない。
私の願いは大切な者たちと幸せに暮らすこと。一人でも欠ければその願いは成就しない。
「私は平気ですが……本当にカルチェレイナのところへ行かれるのですか?王女が無理して行かれることはないのですよ」
エリアスは眉を寄せて複雑そうな顔つきになる。私がカルチェレイナのところへ行くのを止めたそうだ。
「そうね。でも、こんなことになったのは私のせい。だから私が決着をつけるの」
躊躇いなくそう答えられた。
今はカルチェレイナを倒すという揺るぎない決意があるから、私は迷わないし間違えない。
「……本気なのですね、王女」
瑠璃色の瞳が私を真っ直ぐ見つめる。こちらが目を逸らすことを許さないくらい真っ直ぐな視線。
エリアスを心配させることは分かっている。それでも、私はこんな憎しみ合いの連鎖を終わらせたい。そうしなくては本当の幸せは訪れないのだ。
「もし戦うのなら、それを使って下さい」
エリアスは納得したような表情をしながら、私の胸元にある銀のブローチを指し示す。
カルチェレイナがまだ麗奈だった頃、彼女から貰ったブローチ。複雑な思い出があるものだが、昔からの習慣もあって、いまだにずっと身につけている。
「これ?」
「はい。その羽には私の聖気が入っています」
エリアスは柔らかな笑みを浮かべつつ続ける。
「私はもう戦えませんが、私の相棒が王女を護るはずです」
「相棒?」
私は彼の言うことが理解できず首を傾げた。するとエリアスは答えてくれる。
「槍のことです。危ない時に使って下さい」
え?
そんなものを私に持たせてどうなるのだろうか。槍術どころか運動すらまともにできない私がエリアスの槍を持ったところで、戦えるはずがない。ほぼ無意味に近しい。
だが彼は良心でしてくれたのだろう。その思いを否定するのは少々失礼だ。
「ありがとう、エリアス。それじゃあ行ってくるわね」
私は今日一番の笑顔を作った。
「いってらっしゃいませ、王女。……どうかご無事で」
エリアスの顔には不安の色が浮かんでいる。だが、彼は私を止めなかった。私の選んだ道を尊重してくれたのだろう。
「待っていてね。すぐに帰ってくるわ」
- Re: 《☆人気投票開催中☆》エンジェリカの王女 ( No.139 )
- 日時: 2017/09/26 15:37
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: pD6zOaMa)
102話「水色の鎌」
エリアスと別れ、カルチェレイナのところへ戻る。結構な距離があるので往復は厳しいかと思ったが、今はなぜかあまり疲れを感じなかった。どうやって彼女を倒せばいいのかに頭を使っていたからかもしれない。
私が戻った時、カルチェレイナとライヴァンはまだ戦っていた。相手が私でないからか、ヴィッタも参戦している。
襲いかかる赤いリボンと水色の蝶を、ライヴァンは黒い弾丸で払い続けていた。正確な弾丸の発射。いつもの自分大好きでバカみたいなライヴァンが行っているものとは到底思えない。
エリアスでも圧倒されたカルチェレイナを相手にしてここまで粘れるとは驚きだ。
「キャハッ、カルチェレイナ様!王女が帰ってきましたよぉ。キャハハハッ!」
ヴィッタの甲高い笑い声が、既に懐かしい気がする。ずっと昔に聞いたことがあるなぁというような感じだ。
カルチェレイナの彫刻のような顔がこちらを向く。憎しみのこもった黄色い瞳に鋭く睨まれ、冷たいものが背筋を駆け抜ける。
「彼の亡骸とはお別れしてこれたかしら?」
「……残念だけど、エリアスは生きているわ」
私は彼女から漂う凄まじい魔気に怯まず言い返す。
——大丈夫。
この羽が護ってくれるわ。だってエリアスの一部だもの。
「あら。じゃあルッツは敗れたのね。まったく、使えないやつだこと」
カルチェレイナは一度私から視線を逸らすと、溜め息混じりの声色で愚痴をこぼす。
「やっぱり天使はダメね。堕ちて悪魔になっても、生まれながらの悪魔には敵わない。まぁ肉体が変わるわけではないもの、仕方ないわね。所詮使い捨てにしかならないわ」
彼女はルッツをまるで物のように言う。私にはそれが信じられなかった。
ルッツはカルチェレイナをあんなに信用していた。もはや盲信という域まで。それなのにカルチェレイナがルッツを消耗品のようにしか捉えていなかったとしたら……どんなに切ないことだろうか。
すべてを捨てて悪魔となり、死を悲しんですらもらえない。あまりに虚しすぎる。
「そりゃそーですよぉ!キャハッ!あいつ、天使にやられてやがんの!」
ヴィッタは耳が痛くなるような声で楽しそうに騒ぐ。たまにはもう少し静かに話せないものだろうか。
「ライヴァン、時間を稼いでくれてありがとう。貴方はもう帰っていいわ」
そう言うと、彼は謎のポーズをとった。紫の瞳が驚いたように私を見る。
「なぜ!?」
ひきつったような情けない声が彼らしくて、何だか笑ってしまいそうだった。
「私はカルチェレイナを倒さなくてはならないの。貴方はそんなところ見たくないでしょ?」
ライヴァンは悪魔。それにカルチェレイナに仕えていた身だ。今は仕えていないとはいえ、元の主人がやられるところを見るのは辛いものがあるだろう。そんなことを彼に強いるわけにはいかない。
しかし、ライヴァンは予想外にもニヤリと笑う。
「ま・さ・か!」
一文字ずつポーズを変えながら大きな声を発する。バカオーラが全開だ。
「麗しき僕はそんなこと気にしないぞ!ここにいておくことにするっ!なぜかというと……」
ライヴァンはそこで敢えてためを作った。
なぜだろう、と内心気になる。
「僕がここにいたいからだ!」
……そんなこと。
私は内心呆れてしまった。
ライヴァンらしい答えだといえばそうなのだが、今この場で言うのに相応しいとは言いづらい答えである。こんなことを堂々と言えるのは、ある意味彼の長所かもしれないが。
普通なら、本当の理由がそれだとしても、もう少し何か考えるだろう。自身の心に忠実という意味ではライヴァンはかなりの強者だと思う。
「分かった、ならここにいてちょうだい。その方が心強いわ」
「ま・か・せ・て!」
彼の発言はいちいちおかしくて笑いそうになる。不思議だ。
ライヴァンが会話を終えるとカルチェレイナらの方に体を向ける。
「……カルチェレイナ。貴女は今も私を憎んでいるの?」
もしかしたら目を覚ましてくれているかもしれない——という期待を抱いて躊躇わないために、私は彼女に尋ねた。
もう迷わないと決めてはいるけれど念のためだ。
「貴女の家族を殺めたのは私ではないわ。それでも、私を憎み、私に復讐したいの?」
彼女の黄色く輝く瞳をじっと見つめる。視線を逸らしてはならないと思った。
「……そうよ」
カルチェレイナは唇を小さく動かす。
「エンジェリカの王女は私の敵。家族の仇。これだけは絶対に変わらないことよ」
それを聞いた時、私にはこの戦いの終わりが見えた。実際に目視できたわけではなく、どちらかといえば感じたという感覚に近い。第六感だろうか。
「エンジェリカの王女、すぐに貴女を消滅させてあげるわ!」
カルチェレイナは鋭く叫んだ。だがもう怯まない。
彼女が片手を高く掲げた。するとそこに魔気が集まってくる。どうやら今回は蝶ではないようだ。
——水色の鎌。
禍々しい魔気が漂っている。
「エンジェリカの王女!終わらせてあげるわ!」
カルチェレイナは私への憎しみを顕わにしながら叫ぶ。その表情からは尋常でない魔気が溢れてきている。
私はごくりと唾を飲んだ。
でも負けないわ。早く終わらせて、エリアスの元へ帰るの。
- Re: 《☆人気投票開催中☆》エンジェリカの王女 ( No.140 )
- 日時: 2017/09/27 14:58
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: O7xH2wYh)
103話「今はできる」
カルチェレイナは水色の鎌を構える。
持ち手には植物の蔓のようなものが絡んでおり、刃の部分は不気味な煌めきを放っている。色は綺麗だが何となく気味が悪い。底の見えない闇のような怖さを感じる。
「まさか、伝説の鎌っ!?」
ライヴァンが凄まじく驚いたような顔で叫ぶ。どうやら悪魔には有名なもののようだ。
「何か知っているの?」
「知っているの、だと!?何を言ってるんだっ!あれは魔界最強の鎌だぞ!」
え、魔界最強?
それにしても「魔界最強」だなんて、伝説なんかに出てくる武器みたいね。とても実在のものとは思えない。
「魔界最強って?」
私は「魔界最強の鎌」なんてまったく聞いたことがなかった。
単純に天界では有名でないというだけなのかもしれないが……、魔界最強というほどの武器なら噂を小耳に挟んだことくらいはあるはず。いくら王宮しか知らない私でも、一切知らないというのは不自然だ。
「あれはクイーンズ・シックルさ!魔界の王妃だけが使える最強の鎌で、刃に触れた相手を朽ち果てさせる力があると聞く。賢明な僕にも仕組みが分からない、高レベルな武器だよ」
……聡明じゃないと思う。
だが今の私に突っ込みを入れている暇はない。逆に、ライヴァンが情報をくれてありがたいと思わなければ。
それにしても、刃に触れるだけで朽ち果てるとはかなり恐ろしい武器だ。一撃でも食らえば終わってしまうということだから。一度も触れずにカルチェレイナを倒すなど、果たして私にできるだろうか。
——その時だった。
胸元のブローチにつけられたエリアスの白い羽が光を放った。あまりの眩しさに目を細める。
やがて光が去ると、目の前に槍が浮かんでいた。まるで「使え」と言われているようで、私はそれを迷わず掴んだ。
実に不思議だが、この時の私は「できる」と思った。その気持ちを疑わなかった。
槍術はよく分からないけれど——私はエリアスが戦うのをずっと見てきた。
彼が私の護衛隊長になり数年が経つ。この数年間、エリアスがあらゆる脅威と戦うところを一番近くで見ていたのは私だ。
「……エリアスの……?」
地面に倒れ込んでいるジェシカが、何とか顔を上げながら弱々しく漏らす。
彼女はこの槍がエリアスのものと同じであると認識しているようだ。まだそれだけの明瞭な意識があるらしい。ひとまず良かった。
ジェシカのことにホッとした、刹那。
一瞬にして接近してきていたカルチェレイナが鎌を振り被っているのが視界に入る。私は咄嗟に槍を横向け、振り下ろされた鎌をなんとか止めた。
私にこんなことできるはずがない。奇跡だ。
「カルチェレイナ様を止めた!?テメェ弱虫じゃねぇのかよ!」
ヴィッタが眉を寄せつつ驚いたように叫ぶ。この乱雑な口調さえなければ可愛いのに。
「反応できたことは褒めてあげるわ。でも、私に一対一で勝てるとは思わないことね」
カルチェレイナはニヤリと口角を上げて笑っている。
「いいえ。一対一じゃないわ」
私には見守ってくれる者たちがいる。私の帰りを待ってくれている者もいる。
だから決して一人ではない。
「他に誰がいるというの?」
「みんな。天使たち。それにエリアスだって、武器という形で力を貸してくれているわ。カルチェレイナ、私と貴女は違うのよ」
ジェシカとノアも、ツヴァイとレクシフも、もう戦えない。全員限界だ。それでもこの戦いの結末を見届けてはくれるだろう。
エリアスも戦えないけれど、彼の思いは槍という形で今ここにある。
「ならばその槍諸共消し去ってあげるわ!」
カルチェレイナは怒ったように叫びつつ襲いかかってくる。
その必死な形相はゾッとするものがあったが、もう怖くはない。今の私には怯えず戦えるという自信がある。絶対に怯まないという強い自信があるから、私は前を向けた。
「……弾けっ!」
カルチェレイナが振り下ろすクイーンズシックルこと水色の鎌を槍で防ぎ、隙をみて言う。すると彼女の鎌は鋭く跳ね返された。急なことにカルチェレイナは少し動揺したようだ。
正直なところ、私も驚いている。言葉を現実にする力が彼女に通用するとは思っていなかったからだ。だがこれが効くならかろうじて勝ち目はある。
「忌々しい能力ね……」
カルチェレイナが表情がますます厳しくなった。
彼女は私のこの力を何より憎んでいる。だから彼女が「忌々しい」と称するのも無理はない。嬉しくはないけれど。
「僕が援護しようかっ!?」
背後からライヴァンの声が聞こえたが暇がなくて返事できない。そんな私より先にカルチェレイナが口を開く。
「二人の戦いに口を挟まないでちょうだい」
「ヒィッ!!」
カルチェレイナに鬼のような形相で睨まれ畏縮するライヴァン。肝心なところで情けないところは健在のようで、それを見てなぜか安心している私がいた。
個性とは魅力。情けないのもここまでくると立派な個性だ。
「い、いくら僕が……麗しいとはいえ……」
冷ややかな視線をまだ突き刺されているライヴァンは、足をガクガク震わせながら後退していく。その頬には一筋の汗が伝っている。恐らくカルチェレイナの目力に威圧されているのだろう。
頼りないわね……。
もっとも、私もずっと臆病だったので他者のことは言えないが。
「ヴィッタ、邪魔させないで」
「はぁい!」
ヴィッタは赤い髪を風になびかせながらライヴァンに向かって飛んでいった。従えている大型悪魔たちもヴィッタを追うように走っていく。
そちらへ気を取られていると、カルチェレイナの鎌が迫っていた。私は慌ててその場を飛び退き、見事に転倒した。上手く着地するのはさすがに無理だ。素人だもの。
転倒した私の上から鎌が迫ってくる——私は半ば諦めながら槍を彼女に向けて叫ぶ。
「貫け!」
- Re: 《☆人気投票開催中☆》エンジェリカの王女 ( No.141 )
- 日時: 2017/09/28 12:03
- 名前: 四季 ◆7ago4vfbe2 (ID: Re8SsDCb)
104話「闇の果て」
私はしばらく目を開けられなかった。何がどういう状況になっているのか分からなかったし、あまり見たくなかったから。
鎌にやられていれば、どんな形であろうと多少の痛みは伴うはず。私に痛みがないということは——それ以上考えられなかった。正しくは、考えてはならない気がしたのだ。
目を開けることにこれほどの恐怖を感じたのは、生まれて初めてだと思う。
「……そん……な」
カルチェレイナの動揺に満ちた小さな声が耳に入り、恐る恐る目を開ける。
私が握っている槍はカルチェレイナを確かに貫いていた。
ヴィッタの絶叫する声が聞こえる。けれども、何がどうなったのか、暫し理解できなかった。ただ一つ分かるのは、槍がカルチェレイナを貫いていることだけである。
「……やるじゃない」
カルチェレイナは膝を折り、地面へ垂直に座り込んだ。体は脱力し、鎌はカランと落ちて消えた。
「貴女の勝ちよ」
力なく座り込んだ彼女は何もかも諦めたような表情で言う。
「あたしは結局……何もできなかった。四百年、この日を待ち続けてきたというのに……」
このまま放っておいてもいずれ消滅するだろうが、本来ならもう一撃食らわせて止めを刺すべきなのだろう。だが私にはできなかった。
出会ってまもない頃、彼女がいつも見せてくれた笑顔。あれが偽りだと、私にはどうしても思えない。
だからだろうか。私は半ば無意識に彼女の手を取っていた。
「……何のつもり?」
カルチェレイナは困惑したようにほんの少しだけ眉を寄せる。
「こんな方法しか思いつかなくてごめんなさい。私は貴女のこと好きよ。だからカルチェレイナ、最後に私からプレゼントをあげるわ」
私は彼女の手を握ったまま目を閉じた。そして念じる。
彼女が幸せな夢をみられるように、と。
次に目を開けると、真っ白な空間にいた。空にも地面にも色はなく、ただひたすらに一面が白である。
少し先には川が流れていた。その川の手前にカルチェレイナが立っている。どうやら向こう岸にも誰かがいるようだ。
私は少し離れたその場所に立ったまま様子を見ることにした。
「ママ!」
向こう岸から可愛らしい声が聞こえる。姿はハッキリと見えないが、水色の髪をしていることだけは視認できる。
それから頑張って目を凝らしてみると、向こう岸には三人ほどいることが分かった。
カルチェレイナは躊躇うことなく川に入る。するとその少女もそこまで来て、二人は抱き締めあった。
「お兄ちゃんとパパもいるよ。ママに会えるのをとっても楽しみにしてたんだ!結構長いこと待ってたよ」
「……みんな揃っているのね」
よく似た水色の髪の少女を強く抱き締めながら、カルチェレイナは泣いていた。泣いているけれど、今までで一番嬉しそうだった。
向こう岸にいる二人も、手を振ったりしている。恐らく少女が言う「お兄ちゃんとパパ」なのだろう。
——家族。
母親と父親がいて、子どもがいて。魔界の王族とはいえ、いたって普通の幸せな家庭ではないか。
その温かな光景を目にして、私は正直羨ましいと思った。私が手に入れられなかったものをカルチェレイナは持っていたのだ。もしも運命がこんなに残酷でなかったなら、彼女は私よりずっと幸せに暮らしていたのかもしれない。
その時。カルチェレイナが振り返り、こちらを向いた。
その黄色い瞳に憎しみの色はまったくない。柔らかく穏やかで、幸せそうな表情だ。
「これがプレゼント?」
水色の髪の少女を抱き締めたまま、ほんの少し口角を上げて尋ねてくる。
私は妙に切なくなって、口を動かせなかった。何か言葉を発すると彼女との別れが辛くなる気がしたから、ただ首を縦に動かすだけにした。
それにしても実に不思議だ。最初は友達だったとはいえ、私は彼女に何度も命を狙われた。大切な者たちを傷つけられもして。それなのに、私は最後まで彼女を嫌いにはなれなかった。
「『エンジェリカの秘宝』はどんな願いも叶えてくれる……本当だったのね」
カルチェレイナはどこか寂しそうに笑う。
「ありがとう。アンナ」
——また考えてしまった。もし彼女と友達のままでいられたら、どんなに素敵だっただろうかと。
良き友になれる道もあったのではないかと思う。それだけがたった一つの心残りだ。
「神木麗奈は貴女を好きだった。それではね。またいつか会いましょう」
川を渡ってから一度だけ振り向いた彼女は、曇りのない微笑みで言った。私は結局何も言えず、ただ手を振って彼女の背を見送る。
カルチェレイナは家族と共にまだ見ぬ未来へ歩み出す。
彼女はもう闇を抜けた。その心には絶望も復讐もない。やがて訪れる未来は、決して不幸なものではないだろう。
友達にはなれなかった私が、彼女にただ一つしてあげられたこと。これによって彼女は少しでも救われただろうか。
さて、私もそろそろ戻らなくちゃ。
私にはまだまだたくさんの用事がある。万事解決にはまだ早い。
——帰ろう。エンジェリカへ。