コメディ・ライト小説(新)
- Enjoy Club 第4話『あなたのために……』(4) ( No.136 )
- 日時: 2010/09/09 11:31
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: s4AxdT15)
恵玲が深刻に思い詰める程、白波にとってはさして重要な話ではなかったようだ。恵玲が何も言わないのを見て、再びスタスタと歩き出す。
ちょうど駅前の広場に出て、横断歩道に差し掛かった所だ。一角ではタクシーが小さな群れをなし、客を無言で待ち続けている。道路を幾台もの車がせわしなく行き来している。
恵玲は彼に対する疑問をいったん胸の内にしまっておくことにした。
―…白波くんに、あたしといるのが楽しいって思わせてやる!
彼との会話の中で、そんな思いがふつふつと煮えたぎってきたのである。そういう風に考えてしまえば、彼女の感情の切り替えは目を見張る速さだった。最初の時よりも随分と空気が軽く爽やかに感じられる。
「白波くんっ」
恵玲は後ろで腕を組んで、ぴょんっと飛び跳ねるようにして言った。
「とりあえず東京のほう出よっ。遊ぶとこは電車の中で――」
彼女がそう言って、華のような笑みを浮かべた時だった。
青信号を渡っていた彼らに、2人乗りで蛇行するバイクが突っ込んできたのだ。直前にようやく気付いたらしく、キキキ…と慌ててブレーキをかけハンドルを切る運転手。
しかし、恵玲が寒気とともに振り返った時には、そのバイクはもう目の前に迫って来ていた。
一瞬彼女の中で時が止まる。視界がモノクロになり、バイクの動きがスローモーションのように瞳に映る。はたと、その若い運転手と目が合った。
「危な――!!」
その声が、彼女の意識を正常な世界に引き戻した。
と、突然恵玲は強く腕を引かれ、直後景色が二転三転……。気付いた時には横断歩道のど真ん中に倒れていた。
何を考えるよりもまず、公衆の面前でのこの状況にかあぁっと頬が熱くなる。周りにいた人たちが何か言っているようだが、全く耳に届かない。
呆然とした様子で上半身を起こそうとした恵玲は、自分の肩を誰かが支えるようにつかんでいることに気が付いた。
「…大丈夫か…!?」
頭の上で声がする。がらでもなく呼吸を乱し、切羽詰まった声が。
恵玲はぼんやりとした表情でゆっくりと顔を上げた。
「…白波、くん…」
「ケガは…?」
あぁ…初めて、見た。
こんなに、不安そうな顔。
そんな呑気なことを考え、ぽぉ〜っと彼の顔を見つめていると、いつの間にか野次馬が2人を取り囲んでいた。ようやく周囲の音が耳に入ってくる。
「大丈夫!? ケガは!?」
周りの人を押しのけて、60代くらいのおばさんがスーパーの袋を投げ捨て駆け寄ってきた。
言われてから改めて考えてみると、どこも全く痛くない。バイクにぶつかったはずなのに。
ようやくそのことに気が付いた恵玲は、とっさに白波の方を振り返った。青ざめた顔の恵玲を見て、白波が目で問いかけると同時に――
「やだっ、足ケガしてるじゃない!」
おばさんが高くかすれた声で叫んだ。
まるで糸か何かで引っ張られるように白波の右足を見る。足首の辺りがすぱっと縦に切れ、血がにじみ出ていた。声が出ずに口をパクパクさせる恵玲に、白波がいつも通りの平坦な声で言う。
「ちょっとタイヤがかすっただけだ」
「――っ、で、でもっ!」
泣きそうな声を上げた恵玲は、不意にポンッと頭に優しく手を置かれ、思わず息を止めていた。体がどんどん熱を帯びていく。彼の顔が、まともに見られない……。
遠くから聞こえてくるサイレン。野次馬がざわつき、その間を縫うようにして警察がやってくる。結局2人は警察に事情聴取を受けながら病院に連れて行かれた。白波の足は軽く包帯が巻かれたが、軽い打撲とすり傷。恵玲も地面に倒れた時に膝をすりむいただけで、大事には至らなかった。
2人は今、夜道を並んで歩いている。警察に振り回され、解放されたときには夜の8時を回っていたのだ。人通りの少ない裏道を選んだため、辺りは静寂に包まれ吹き抜ける風はちょっと小寒い。
恵玲は隣に彼の気配だけを感じて口元を緩める。頬が、ほんのりと桜色に染まっている。
「結局、デートらしいことできなかったね」
そう言って苦笑をもらすと、
「…そうだな」
と低い声が返ってくる。それだけで十分に思えた。
しばらくして白波とウィルの家が見えてきた。クリーム色の壁が暗闇にぼんやりと浮いている。
てっきりこのまま帰るのかと思ったら、白波は「じゃあ」と言って1人違う道を進もうとした。拍子抜けして驚き顔の恵玲。
「えっ、どこか行くの!?」
「風音高の屋上」
「え!?」
風音高と言えば、恵玲たちが通っている高校である。中学生の彼が一体何の用があるのだろうか。それも、屋上で。
試しに何をしに行くのかを聞いてみると、案外あっさりと「ワインを飲みに行くだけだ」と教えてくれた。恵玲としては突っ込みどころ満載の台詞なのだが、それ以上にある可能性が頭の中に浮かんできたのである。
―…風也くんと会ったのは、もしかして屋上…?
亜弓が、彼はよく屋上にいると言っていた。
ようやく話がつながって内心頷きながら目を上げると、白波はとっくにその場を離れていた。角4つくらい過ぎた所に、彼の姿がかろうじて見える。
恵玲はあんまりな別れ方に不満そうに頬をふくらませて、彼の名を叫んだ。が、この距離では確実に聞こえていない。
「もうっ、白波くんったら最後の最後まで…」
ふと、今日の出来事が脳裏に鮮やかによみがえってくる。ものすごく居心地の悪かったスタートから、まさかの事故。そしてなんだかんだ1日中一緒に過ごし切ったのだ。
バイクが突っ込んできた後の、彼の不安そうな表情が目に焼き付いている。あの時の彼の瞳は“生きていた”。感情がちゃんと、映し出されていた。
――……大丈夫
恵玲は力強い瞳で、彼の小さな後ろ姿を見つめる。
そして、頭に彼の顔をはっきりと思い浮かべて、
すうぅっと大きく息を吸って――
「白波くぅーん!! 今日はありがとぉー!!」
叫んだ。
恵玲は、満ち足りた表情に微笑を浮かべる。
今の叫びは確実に彼に届いている。
――“遥声(ヒア)”――
彼女らはそう呼んでいる。不思議と、能力者が全員身につけて生まれてきた能力。相手の顔を思い浮かべて全力で叫べば、どんな距離でも、たとえ国境を越えてでも、その声は相手に響くのだ。もちろん、能力者同士に限って、だが。
数秒後、家に帰ろうと向きを変えた恵玲は、直後息をのんで再び彼を振り返った。
もう姿は見えない、が。
「――聞こえたよ」
胸に響くような、彼の遥声が――……
彼が滅多に使わない遥声を聞き、恵玲は体の底からわき起こってくる熱を押さえながら、
「楽しかったよ、白波くん…」
あたたかい声で、そう呟いた。