コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 第5話『不確かなもの』(8) ( No.346 )
日時: 2010/09/27 17:14
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: hH8V8uWJ)

 4組の生徒を呼び出す校内放送が流れた瞬間、風也はハッとして黒板の上のスピーカーに目をやった。今日どうしても会いたかった人の名前が聞こえてきたからだ。職員室への呼び出しということは、確実に彼女は廊下に出てくるはずである。話すなら今がチャンスだと、話し合いだか雑談だかわからなくなっているクラスを放って、席を立った。

 もう何日も前からメールが返ってきていない。もしかしたらどこかに出かけていたとかいう事情があるのかもしれないが、それならそれで構わない。とりあえず久し振りに顔だけでもと思い教室を出て、風也はすぐその場に立ち止まった。

 目的の人物が、目の前に立っていたからだ。あまりのタイミングの良さに一瞬目を見張り、続いてほっと胸をなでおろす。しかし、「亜弓、お前全然連絡ないから心配したんだぜ?」と苦笑混じりに言おうとした声は、まだ半分も言わないうちに途切れてしまった。

 彼の目の前で、亜弓が明らかな動揺を見せたからだ。今にも泣きそうに、くしゃっと顔を歪ませたからだ。

 そして、状況が全く理解できないまま再び声をかけようとした風也の横を、彼女は猛スピードで通り過ぎていった。何の会話もないまま、気付くと目の前にいたはずの亜弓は姿を消している。

 ――……は……?
 
 2、3拍遅れて、風也はようやく状況を把握した。亜弓が“逃げた”、という状況を。

 ――……逃げ、た……? 亜弓が……!? しかも――

「オレ、から……!?」

 まるで何かをつかみ損なったような、酷く頼りない気分。今まで目の前にいた人が突然霧になって消失してしまったかのような、信じられない光景。呆然と、ただ呆然と、空っぽになった空間を凝視する。
 この瞬間彼は、自分と亜弓とをつないでいた見えない何かが、ぷつっと音を立てて切れてしまったことを痛感していた。胸にぽっかりと穴が開いたように、強い喪失感が彼の心をえぐる。その穴をヒューヒューと音を立てて風が通るような、そんな冷気を伴う痛みと失望。

 あまりの強烈な衝撃に限界ラインを超えてしまったのか、彼は自分でも気持ち悪いほどに落ち着いた、ゆっくりとした動作で後ろを振り返った。もちろんすでに亜弓の姿は影も形もなくなっている。凍るように冷たい汗が一筋、頬を伝い首筋へと流れていった。

 とりあえず、メールの返信をしなかったのが故意だということは確実にわかったと、うまく噛み合わない思考回路で考える。そして自分は何か彼女を傷つけるようなことをしただろうか、とここ最近の自分の行動を振り返って、

 ふと我に返って、教室4つ分続く廊下を見つめ、幾度も瞬きを繰り返した。不具合を起こしていた思考が、波が波を伝えるように一気に正常に戻っていく。
 愕然とした表情で、ぽつりと呟いた。

「亜弓……、どこ行った……?」

 思わず辺りに首を巡らすが、無論彼の視界範囲内にいるわけはない。

 まるで金縛りにあったように固まっていた右足を力を込めて一歩踏み出すと、体をがんじがらめにしていた見えない糸がほどけて、体の感覚が戻ってくる。そのまま誰もいない廊下を、亜弓が行った方向に滑るように駆けだして行った。
 自分でもそれなりの自信を持っている脚だ。中央階段まではものの数秒でたどり着いてしまう。問題は亜弓が上と下、どちらに向かったか、だ。普段なら上、つまり屋上にいる確率が極めて高いのだが、何せ今はこの状況である。彼と会いたくないのなら、まずそこには向かわないだろう。しかし下となると、学校全体と周辺全てを含むことになる。

 まずは屋上を確認してからだ、と風也は階段を飛ばし飛ばしに駆けあがっていった。昇れば昇るほど、胸の内の焦燥感はつのっていくばかりだった。