コメディ・ライト小説(新)
- Enjoy Club 第6話『衝撃の刻(とき)』(4) ( No.447 )
- 日時: 2010/10/23 08:14
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: N9MWUzkA)
突然恵玲が私の家を訪ねてきたのは、夏休みも残りわずかとなったある日の夕方頃だった。彼女が連絡なしに押し掛けてくるのはよくあることなので、私はそれほど驚くこともなく彼女を家の中へ招き入れた。
習慣付いたように、一直線に私の部屋へと入っていく恵玲。そこで何やらふんわりと甘い香りがどこからか発せられていることに気付き、私は鼻を利かせて部屋を見回した。
「なんかすごくいい香りがするんですけど。……これってチーズですか?」
「あ、それスコーンの香りだと思う。チーズスコーン」
「チーズスコーン!?」
聞くからに美味しそうなお菓子の名前に、私は裏返った声を上げた。胸を高鳴らせて、ベッドに腰掛ける恵玲の隣に座ると、彼女は私には目もくれずに冷めた目つきでバッグの中身をかきまわす。
そしてすぐに、その甘い香りの正体が姿を現した。透明なビニール袋に入れられたチーズスコーンが4つ。見たところ綺麗に膨らんで、程よい焼き目が付いている。
恵玲が袋の結び目をほどくと、さらにチーズの香りが部屋に充満した。温かい空気も中から立ち上っている。
「もしかして焼きたてですか!?」
「微妙にね。先に別の所にわたしに行っちゃったし。てか……」
恵玲は袋を覗き込んで整った顔をしかめた。
「1個崩壊してる」
正直見た目がどうなっていようが全然構わなかった私は、詰め寄るようにして彼女にせがんだ。恵玲は面倒くさそうに視界の端で私を見てから、よりによって割れているスコーンを私の手に置く。そして自分は無事生き残っているスコーンを取り出して、小さな口でかみついた。
直後、彼女の顔に広がる幸せそうな笑み。それを見てさらに期待が高まった私も、早速スコーンの一部を頬張った。濃厚なチーズの香りとあたたかい甘みが口の中に広がって、微笑まずにはいられない。
私が両手を頬に添えて足をジタバタと揺らしていると、恵玲が変なモノを見る目つきでこちらに視線をやった。
「……何」
「すっごいおいしいのです〜!」
口の中身を飲み込んでから耐えきれずにそう叫ぶと、恵玲は「あっそ」と興味なさげに呟き、もう一口スコーンにかみつく。それが口に入ると彼女のムスッとした表情が途端にほころぶので、私は妙に感動してしまった。
彼女に倣って割れた塊を口の中に放りこみ、無意識に壁にかかった時計へと目をやる。
ふとそこで恵玲に言おうと思っていたことを突然思い出して、跳ぶようにベッドから立ち上がった。そして勉強机の上に置いてある小さなピンク色の袋を手にとって、再び彼女の隣に腰を下ろす。店の名前が印字されているテープをはがし袋を開けるのを、恵玲は横目で見つめている。
「じゃじゃーん!」
無駄な効果音とともに私が取り出したのは、雪のように真っ白なファーボンボンのシュシュ。普段から左上部を結んでいるため普通のシュシュやリボンはたくさん持っているのだが、ボンボンを買うのは初めてだった。
「午前中に買ってきたのですー」
私が手の中でボンボンを転がしながらそう言うと、一瞬興味深げにこちらを見ていた恵玲はすぐに関心が無くなったようにそっぽを向いた。
「なんだ。風也くんからのプレゼントかと思った」
彼女の、期待が外れたという感じのトーンの下がった声に、私はつい苦笑をもらす。
風也とのことは、その日のうちに電話で話してあった。
教室を出て風也とはち合わせしたこと。彼から逃げ出して、先生の呼び出しもすっぽかして、風音の街を無我夢中で走り回ったこと。有衣と出会って誤解が判明したことや、その後雨の中風也と2人きりで話したこと……。胸の内で溢れかえっていた思いを伝えあったことも全て。
それを最初は歓喜のあまり震え声で語っていた私も、次第に落ち着いていき、最後の方は静かに事の展開を話していたように思う。そしてその嫌になるほど長い話を、一言も口を挟まずに相槌だけ打って聞いてくれていた恵玲は、最後に一言包みこむような心に染み入る声音で言ってくれた。
「良かったね」
と。
しかし彼女がそういう優しい言葉をかけてくれる場面なんて、本当に限られている。今だって人によっては嫌味とも取られそうな台詞をさらりと吐いて、何やら残ったスコーンをじ〜っと睨みつけている。
袋を顔の高さまで持ち上げて何かを考え込んでいる恵玲に、私はどうしたのかと首をかしげて尋ねてみた。すると彼女はチラッと一瞬こちらに目をやり、その視線を壁の向こうのリビングの方に持っていったのだ。
「もしかして今、葵くんいる?」
瞬間、私はこの上ないほど顔が引きつるのを感じた。不快感を露わにして、勢いよく首を横に振る。
「いいですよ、あんなバカにあげなくて! それよりそろそろ風也が来ますから、そっちにあげたほうが絶対いいです!」
私が“葵”にあげるのを嫌がることを予想していただろう恵玲は、心底面白そうにニヤニヤとからかうような笑みを浮かべていたが、私の台詞の後半部分を耳にして一気に目を丸くした。
「来るの!? ここに!?」
「はいですっ。初めてですよ、呼ぶの」
抑えることもままならず、つい顔中がふやけてしまった。
この間メールをしていた時に、そういう話題が上がったのだ。実は以前家の位置だけ教えたことがあったのだが、招待したことは一度もなかった。そのためちょうどお互い予定の空いていた今日の6時に、私の家で会う約束をしたのである。
一応風音駅に迎えに行くと申し出たのだが、彼は家が近いのでこの辺はよく知っているからと丁寧にそれを断ってきた。確かに彼の話では、友賀家と紫苑家は徒歩10分から15分くらいで行き来できる距離ならしく、彼がこの辺りのことをよく知っていても何らおかしくはない。
私は再び時計を見上げて、心地よい緊張感を楽しんでいた。
「今度の土日に3人でどこか出かけましょー?」
思いつきでそんなことを口にしたのと、インターホンが鳴ったのはほぼ同時だった。時計を見ると、約束の時間の3分前だ。
私は「あっ」と声をあげ、ほとんど走るようにして玄関に向かう。恵玲も面白そうに口元を緩めて後ろをついてくる。
期待を膨らませながら玄関のドアを開けると、予想通りの人物が視界に飛び込んできた。私の後ろで、恵玲がわざとらしく満面の笑みを浮かべて手を振っていた。