コメディ・ライト小説(新)
- Enjoy Club 第6話『衝撃の刻(とき)』(8) ( No.534 )
- 日時: 2010/10/29 19:38
- 名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: bFAhhtl4)
慣れた感覚に頼って右手の親指を動かし、発信履歴のページを開く。その一番上にある“荒木恵玲”の文字のところでOKボタンを押し、私は再び携帯電話を耳元に当てた。
今日は、夏休み終了まで片手で数えられるほどにせまった、日曜日。
私はリビングのテーブルに突っ伏すような体勢になり、かれこれ20分ほど、渋い表情で携帯と格闘していた。キッチンで大きな泡を吹かせている鍋を横目で見て、すぐに自分の耳に意識を戻す。パスタをゆでているからよろしくね、と母親から言われているが、さっき麺を入れたばかりだから大丈夫だろう。
耳元で鳴り響くコール音。3回、4回、5回……とつい10分前と同じことを繰り返し、やがて予想通りといえば予想通り、女性の機械的な声が決まり文句を伝えてきた。
――……留守電入れるのも、アレですしね……
理由を聞かれると答えに詰まってしまうのだが、私くらいの年頃の子はおそらく皆“留守番電話”というものに抵抗があるだろう。あるいは、私だけなのかもしれないが。
みなまで言わせずに通話を切ると、私は長々と声付きのため息をついた。
「亜弓、さっきから誰に電話かけてるの」
後ろの方から声が飛んで来て、私は体をひねって声を主を見る。ベランダにいる母親が、洗濯物を干しながらこちらを見ていた。その背景にはもったいないほどに澄んだ青空と、綿あめのように膨らんだ真っ白な雲が、いい具合に調和していた。
私は椅子の背もたれに組んだ腕を置いて、そこに顎をのせる。
「恵玲にかけてるのですー。風也と3人で遊ぼうって、この間ちょっとだけ話してたんですよ」
「でも恵玲ちゃんってあんたと違って結構忙しい子じゃない。そんな何回もかけなくたって……」
「どうせ私は暇人なのですー」
唇を突き出しそう言って、私はじっと携帯の画面を見つめる。もう一度かけようかと悩んだが、さすがにそれはやめておいた。メールをしておけばいいだろう、と自分を納得させようとするが、なぜだろう。今日はどうも、ムラムラとした気持ちの悪いものが胸にしぶとく残っている。
すっきりしないまま携帯を持ち直し、今度は風也に電話をしようとアドレス帳を開きかけた時。
突然前触れも無しに、外を強風が吹き荒れた。
干された洗濯物がやかましい音を立て、ベランダにいた母親は驚いたように顔を伏せた。そしてその瞬間、弟のシャツを握っていた手がゆるみ……
「あぁーっ!」
家の中から一部始終を見ていた私は、思わず声を上げてしまった。風にもてあそばれながら宙を飛んでいくシャツに全意識を向けて、勢いで椅子から身を乗り出し――
「あ、危なっ――」
「ふぇっ!?」
突然視界がひっくり返ったかと思うと、私は派手な音を立てて椅子から投げ出されていた。さっきの倍以上にも驚いた様子で、母親が裏返った声を上げる。
「ちょっ、亜弓! あんた何やってるの……!」
「いっ、痛いのですー…っ」
私が半泣きの状態でクルクルと目を回していると、母親は「もぅほんと何やってるのこの子は……」と愚痴を垂れながら、それでも心配そうに駆け寄ってきてくれた。
床に打ちつけた腕と、椅子にぶつけた膝が、痺れるような鈍い痛みを発している。骨も振動を反響しているせいで、徐々に苦痛が広がっていくように感じる。
より痛い方の膝をさすりながら上半身を起こして、窓が開きっぱなしのベランダに視線を向けた。
「……今飛んでいった葵のシャツ、どうするんですか……?」
痛みから意識をそらそうと震え声でそう言うと、母親は困ったように腕を組んで外を見つめた。そしてシャツの行き先を確かめようとしたのかベランダに足を踏み込んで、「あらっ」と素っ頓狂な声を上げたのだ。顔を歪めながらあざが無いか確かめていた私は、疑問符を浮かべて顔を上げる。
「お母さん、どうかし――」
思わず、絶句した。
私の視線の先で、先程まで気持ちのよい爽やかな色に染まっていたはずの空が、じわじわと侵食されるように、湿っぽく黒い雲に飲み込まれていった。同時にたたきつけるような風が吹き下ろし、網戸が不気味に音を立てる。
冷たいものが、背筋を走った。私は不吉な黒を呆然と見つめながら、ごくりと唾を飲み込んでいた。