コメディ・ライト小説(新)

Enjoy Club 第6話『衝撃の刻(とき)』(14) ( No.648 )
日時: 2010/11/15 20:50
名前: 友桃 ◆NsLg9LxcnY (ID: vDb5uiaj)


 ひんやりと、つめたい空気。実際の温度以上に冷え冷えと感じるこの壁は、床は……この空間は、何か底知れない恐怖と緊張をもたらしてくる。そしてそんな外の真夏の世界とは正反対な空気を作り出している張本人は、今、その唇で薄く弧を描いているのだ。この小さな部屋に満ちる空気に似つかわしい、実に冷ややかなぞっとする笑みである。

 その男――大崎影晴は、部屋の中央に置いてあるふかふかのソファーにどっかりと腰かけ、長い足を組み、優雅な手つきでコーヒーカップを口に運んでいた。適度に力の抜けた、余裕を感じさせる動作である。
 彼はいつも通り仕立ての良いスーツに身を包み、額から右目にかけては真っ白な包帯に覆われている。そしてちょうどその包帯を隠すように伸びた、右側だけ長く黒い前髪。体格は平均的で、見た目から判断すれば年齢は30代そこそこのようだ。

 影晴は音を立てずにカップをソーサーに置くと、そのまま何もない壁に目をやってふっと息をもらした。

「彼……紫苑風也くんは、ここまでやってくるかな?」

 影晴の問いかける先には、1人の青年がいる。

 ところどころはね、それが逆にそういう髪型だと思わせるような、男性にしてはやや長めの茶髪。毛先に行くほど色が濃くなり、黒に近付いていく。そして影晴と同じくスーツを着ているが、彼と違ってどこか地味で簡素な印象を与えている。そして、目といい表情といいその立ち姿といい、機械的で感情を感じさせない青年だ。今もただひっそりと、それこそ壁の花と化した状態で、入り口のドア付近に佇んでいる。

 影晴はその青年には直接目を向けず、返事を催促することも無く、ただ独り言のように語り続ける。

「まさか彼が恵玲を追ってくるとは思わなかったが、……ちょうどいい。元々これからの私達の計画の邪魔になるかもしれないと警戒していた子だ。ここで対処しておいた方がいいだろうね」

 彼の声は、服の擦れる音すら聞こえる冷たい静寂の中に、不気味に響く。まるで今にも反響しそうなほどに、普通の音量の声が良く通る。

 その間も影晴は、じっと何の変哲もない壁を見つめたままだ。片目が包帯で覆われた隻眼で、ひたすら一点を凝視している。
 しかし彼が見ているのは、決して壁などというものではない。その向こうにある、外の光景を見つめているのだ。彼の“透視”の能力は、物理的なものを一切取り払って、見えるはずのない分厚い壁の向こうですらその瞳に映してしまうのである。彼は今、……そう。紫苑風也その人の様子をじっと観察しているのだった。

 もちろん影晴は、最初から風也の存在に気付いていたわけではない。彼の存在を知らせたのは他でもない、有希白波だ。彼が風也とはち合わせてすぐに簡略なメールで知らせてきたのである。そして、さすがに会話の内容までは聞こえないものの、2人の様子をずっとうかがっていた影晴は、少しの思考の末こう決断したのだ。

 ――“いっそこの場で無力化してしまおう”と。

 わずかに目を細めて、口角をつり上げる。

 その後の指示は簡単だった。“遥声”を使えばいいのである。そのテレパシーにも近い特殊な力で、白波に伝えさえすればよいのだ。“彼を通せ”と。

 ――……白波が彼と遭遇して運が良かった

 傲慢なほどに余裕の笑みをたたえる唇。しかしそれが、直後唐突に引き締まる。さらに今度ははっきりと睨むように目が細まり、周囲の空気が一気に凍りついた。

 ――……そういえば立ち去り際、白波が何か言っていたような……

 こちらからは顔が見えない向きで立ち止まっていたので、口の動きは全く見えなかった。が、2人の様子からして白波が何かを言ったことは間違いない。こういうときは本当に、“見る”ことしかできないこの能力が実にもどかしい。

「まぁ警戒する必要はあるが……大した内容ではないだろう」

 それまでの彼の思考の流れを知らない者にとっては謎な台詞を吐いて、影晴は緊迫していた空気をふと緩めた。特別急ぐわけでも、かといって大儀そうというわけでもなく、ごくごく落ち着いた動作で立ちあがり、そのまま部屋の入口へと歩いていく。辺りは時の流れが止まっているかのように凪いで、静まり返っている。
 そしてドアの近くで控えていた青年――天銀とすれ違いざまに、影晴は物騒な声音で言ったのだ。

「……今回は、君の能力を借りるかもしれないよ……」

 天銀が伏せがちだった目を上げ、しかし表情は一寸たりとも動かさずに首肯した。

「――あぁ」

 無感情な、低い声が答える。それを満足そうな表情で見つめた影晴は、ふと思い出したように携帯を取り出した。

「迅も呼んでおかなくちゃいけないね」

 天銀がちらっと視線を寄こす。声にこそ出さなかったが、影晴には彼の言いたいことが十分に予想できた。つまり、“月下白狼のメンバーを呼んでもいいのか”と尋ねたいのである。
 聞いてくるのを待っていると日が暮れてしまうので、先に手っ取り早く答えておいた。

「……仕方がないさ。迅にしかつとまらない役なんだから」

 空気さえ凍らせる、どこまでも冷え切った笑み。いつもの穏やかに凪ぎ深い慈愛に包まれた微笑みは、跡形もなく消え去っていた……。